Epi.1:Fallen
目が回る。いや、世界が回る。
頭が痛い、脳が弾け飛ぶんじゃないかと思う程の頭痛。身体中の筋肉が雑巾みたいに絞られているような痛み。
叫ばないと、この痛みに耐えられない。全力で叫んでいるはずなのに声が聞こえない。
いや、うっすらだが聞こえる。
世界が目まぐるしく切り替わって
太陽と月が毎秒切り替わって
人の声が、大勢の話し声が耳元で
うるさくて、うるさくて、うるさくて、うるさくて、うるさくて━━━━━━
ジリリリリリリリッ!
初めて、呼吸をした。
「っ…!」
鳴り止まない目覚まし時計が鼓膜につんざく。
体に張り付くTシャツが気持ち悪い。早く脱ぎたい衝動にかられたが先に目覚まし時計を止めた。
絞ったら水を吐き出しそうなほど汗を吸ったTシャツを脱ぎ捨てた。
「ここは、どこだ…?」
いや、それ以前に俺は誰だ?ここは俺の家か?
部屋を見渡すとそこそこ立派なPCとモニターが2枚ある。そのモニターの傍らには写真立てが置いてある。
そこに家族の写真や恋人の写真があればなにか思い出せるかもしれないと思い手に取る。
「なんだ...これ」
まるでデータ通信が上手くいっていない時の画像、低い解像度で輪郭も怪しい人の写真がそこにはあった。
違和感を感じつつ他に記憶の手がかりになるものはないか探している時、遠くで深い重低音が聞こえてきた。何だか足音なように感じる。その証拠に段々と近づいているのか大きな音に聞こえる。
鼓動が早まり、危機を感じる。何だか分からないが今すぐここから逃げなければ行けない、そんな感じがする。
「あがっ!」
ドアは開けたはずなのに見えない壁で進行を妨げられた。その結果、勢いよく走っていた俺は反発されて部屋の中に戻された。相当焦っていたのでその分の威力は考えるまでもない。
背中から着陸することになった俺はそのまま転がる形になった。
なにかドアの前で塞がれていたのかと入口を見るがそこにはまるでホログラムで映し出したような通行禁止と言わんばかりのデザインが施された空間。そして四角い枠が浮かんでいる。
その枠にはメッセージが書かれている。
『DO NOT ENTRY』
何故か通ることは許されていないらしい。とりあえずドアからは出られないということで窓からの脱出を試みる。
すると窓の先でこちらを除くひとつの大きな目玉があった。1つ目の化物かと思いきや大きすぎて1つしか見えていないだけだった。
低い唸り声が聞こえてギョロギョロ動く目玉に呼吸だけで建物が震えているのが分かる。先程の地響きの原因はこの化け物だった。
俺を見るや手を伸ばして来た。窓は割られ、いとも簡単に俺を捕まえて━━という未来が見えたところで視界真っ白に染まった。
上手く声が出ず、呼吸も上手くできていなかった。
立っていたが腰が抜けて体が勝手に座り込んだ。地面は芝生で手に草の感触があったはずだが何も分からない。
「一体…今のは…」
周りを見渡せば俺と同じように転移してきた人がいる。なんてことはなく、ぽつんと1人で立っていた。
ピシッ、という硝子が軋んだような音が響いた。さらに、それは1回だけではなく継続して聞こえる。まるで世界の完全な崩壊までのカウントのように聞こえた。
事実、空に罅が入っていた。
その罅は留めることを知らずとてつもない勢いで全体に走っていく。
そしてグラスを割ったような軽い音ではない。巨大なガラスの窓をハンマーで壊したような重い破壊音が聞こえた。
砕けた空が煌めき、まるで雪のように降ってくる。空があった場所には漆黒、虚空が広がっていた。
『この声が聞こえているということは成功だ』
突然声が鳴り響いた。
変な感じだ、この場にいる誰かが話している感じではない。これは、崩壊した空から聞こえている。いや、頭の中からか?
『必要最低限の知識だけは残してある』
『あまり干渉しすぎると良くない。だけど、これだけは忘れるな』
『Project Humanを守れ』
急に現れては矢継ぎ早に話して消えていった。
虚空を埋めるかのように家でも見たホログラムのような何かが広がっていく。気づいたら空は元通りになっていた。
ふと、手が落ち着かず無意識に虚空を2回タップし、右にスライドした。
「これは…」
そこには半透明な、きっと部屋や空で見たホログラムと同じ類いだろう。
色々なメニューがあるが最初に開かれていたのはステータスの画面だ。
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名前:
Lv.1
CLASS:
HP:140/140
MP:60/60
ATK:8
DEF:10
INT:15
AGI:9
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「名前は、分からないか…」
名前の欄はあるが俺が記憶喪失なのが原因なのかCLASSと同じく空白である。
先ほど言っていた言葉。必要最低限の知識だけは残してある。つまりそれ以外の記憶は残っていないということだ。
ステータスの他にもインベントリ、パーティーなどあるがこれらが何を意味しているのかは理解できる。つまり、これが必要最低限の知識というわけだ。
レベルやステータスが設定されているということは強くなるには化物を倒さくてはならない。強くなくては化物に殺される。
状況はだいぶ切羽詰まっている。迷っている暇なんてない。体が震える。あの化物を前に本当に戦えるのか。
それでも、進むしかない。震える手を抑えて深呼吸する。
俺は何も無い空っぽな人間だ。ならば進みに行くしかない。
Project Human。それの全貌を調べる必要もある。きっとそこに何かがあるはずだ。
俺は力強く大地を踏み締めて歩き出した。