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8.真実の愛と祝杯

「レオン、聞いていたならちょうどいいわ。あなたとアンジェラとの婚約は、今ここで破棄することにしたから」


「はい、お母様。ならば今ここで、僕とタチアナとの婚約を認めてはいただけませんか」


 突然現れたレオンとタチアナに私が目を丸くしていると、マリエラはさっきまでの動揺が嘘のように冷静に、そして優しくレオンと話し始めました。


「さっき、真に愛する人がどうとか言っていたわね。それが彼女なの?」


「そうです、お母様。僕は彼女と出会い、本当の愛を知りました。彼女以外の女性を妻とすることなど、僕には考えられません。どうか、お願いします」


 マリエラの目線が、必死に懇願するレオンから神妙な顔をしているタチアナへと移りました。そのまま、値踏みするような目でタチアナを見ています。


 あっという間に蚊帳の外に置かれてしまった私とセルジュは、彼女たちの邪魔をしないように息をひそめながら成り行きをじっと見守っていました。私の腰にかけられたままのセルジュの手に、ゆっくりと力がこもっていきます。彼も緊張しているのでしょう。


「……そうね。分かったわ。あなたたちの婚約を認めましょう。けれどタチアナ、レオンの妻となろうというのなら、それ相応の覚悟が必要よ」


「はい、どのようなことがあろうとも、私は妻としてレオン様を陰からお支えする、その覚悟はできております」


 しおらしくかよわい声で、タチアナがそう返事をしました。まるで淑女のお手本のような姿でしたが、どこか白々しいものも感じられました。彼女の普段の行いを知っているからでしょうか。


「そうと決まれば、すぐに帰るわよ! こんなところ、もう一秒だっていたくないわ」


 高らかに宣言すると、マリエラはレオンとタチアナを連れて、足早に立ち去っていきました。去り際に、タチアナがこちらを見て意味ありげな微笑みを浮かべていましたが、そんなことは露ほども気にかかりませんでした。なんでもいいから全員さっさと立ち去って欲しい、私が考えていたのはただそれだけでした。


 三人を乗せた馬車の音が遠ざかっていくのを聞きながら、私はそろそろとセルジュの方を向きました。彼も信じられないといったような顔をして、こちらを見ています。


「……本当に、婚約を破棄できたのね」


「間違いない、俺も確かに聞いた。しかもタチアナが、見事にレオンの婚約者の座を射止めた」


「ああ、夢みたい。これでもう、あの人たちに悩まされなくて済むのね」


 喜びのあまり、私はセルジュに抱きついていました。子供の頃、よくそうしていたように。


 腕に伝わる彼の体の感触が記憶の中にあるものより遥かにがっしりとしていることに内心驚きながら、それでも私は湧き上がる喜びの感情に突き動かされるまま、彼にしがみつき続けました。


 頭の上から戸惑いがちな声が降ってきたような気がしましたが、それは私が上げる歓喜の声にかき消されていました。






「おめでとうございます、お嬢様!」


 それから少し後、私たちはみんなで厨房に集まり祝杯をあげていました。と言ってもまだ昼間ですし、ここに集まっているのはほとんどが使用人ですから、杯の中身はいつも通りのお茶ですが。


 マリエラによる婚約破棄の宣言は多くの者が耳にしており、あっという間に屋敷の全員の知るところになりました。庭から屋敷に戻ると、近くにいた使用人たちが一斉に私たちを取り囲み、婚約破棄を一緒になって喜んでくれました。知らせを聞いた両親もすぐに駆けつけ、ほっとした顔を見せていました。


 そのまま私とセルジュは厨房に足を運び、今までずっと協力してくれていた使用人のみんなを集めて即席の祝勝会としゃれこんだのです。お祝いの席ということで、料理長が作り置きしていたナッツ入りのクッキーを山のように出してくれました。それをつまみながら、みな思い思いにこれまでの苦労を語り合っています。


 みんなの安心した笑顔をながめていると、改めて安堵と喜びがこみあげてきました。その気持ちを分かち合おうとすぐ横に座っているセルジュを見ると、どういう訳か彼はどこか愁いを帯びた顔をしていました。


「どうしたの、セルジュ?」


 私が首をかしげながら尋ねると、彼はやはり切なそうに微笑みながら小声で答えました。厨房の中はとてもにぎやかだったので、きっと私以外の人間は彼の言葉を聞き取れなかったでしょう。


「いや、これでここを訪ねる理由がなくなってしまったな、と思ったんだ」


「えっ、どうして?」


「どうしてって、お前は本家の娘で、俺は分家の息子だろ。お前に俺がほいほい近づいてたら、お前の縁談に影響が出るかもしれない。今度こそ、お前はちゃんとしたところに嫁ぐべきなんだ」


「……もしかして、あなたがここ数年ほとんど顔を見せなかったのって、そういうことだったの?」


「まあな」


 どうやら私の知らないところで、彼は私のことを気遣ってくれていたようでした。そのことはとても嬉しかったのですが、彼がそうやって距離を取ろうとしていることがひどく寂しく感じられました。


「お願い、理由なんてなくても、これからも同じように訪ねて来て欲しいの。あなたがいなくなったら、やっぱり寂しいから」


 戸惑うセルジュの手を取り、そう懇願しました。彼の灰色の目をまっすぐに見つめます。彼が同意するまで、この手を離すつもりはありませんでした。


 そんな私の決意が伝わったのか、セルジュは目をそらして苦笑すると、またこちらを向いて小さくうなずきました。彼の手を握ったままの私の手に、思わず力がこもります。


 私たちがそのまま見つめ合っていると、辺りのざわめきをかき分けるようにして、ひときわ楽しそうな声が響きました。


「お嬢様、セルジュ様、なに二人だけで仲良くこそこそと話してるんですか?」


 私たちが話し込んでいることに気づいたらしいパティが、意味ありげに笑いながら声をかけてきたのです。その場の全員に一度に見つめられて、私はあわてて彼の手を離しました。けれど彼の手の温もりは、まだこの手の中に残っているような気がしました。






 そうして私の日常に平穏が戻ってからしばらく経った頃、私はお父様に呼び出されました。お前に手紙が届いているよ、と言って。

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