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7.念願の婚約破棄

 マリエラが来てから四日目、彼女の教育と称した容赦ない嫌がらせの数々を、今日も私は必死でかわし続けていました。


「あなた、私の話を聞いているの!?」


「あ、聞いてませんでした」


「いい加減になさい!」


「暴力反対!」


 ちゃんとした令嬢として行儀よく振る舞っていたなら、とても彼女の攻撃をかわすことはできなかったでしょう。しかし今の私は、これでもかというくらい無作法かついい加減に振る舞うことにしていました。そのおかげで、堂々と彼女の罵倒を聞き流したり、手頃な本を盾の代わりに使って乗馬鞭の一撃を防いだりすることができました。無作法にもいいところがあるものです。この砕けた口調が癖になってしまわないかという懸念はありましたが。


 もっとも、そうやって私が彼女の攻撃を防ぐほどに、彼女のいらだちは増しているようでした。少しずつ悪化していく彼女の攻撃に、思わずため息をもらさずにはいられませんでした。


 けれど私は一人ではありませんでした。一日に何回か、パティが首を突っ込んで助けに入ってくれていたのです。


 普通の使用人であれば、主人の客人がいるところに図々しく割って入ることなどできなかったでしょう。しかしパティは度胸がありましたし、直接マリエラに無礼を働かないようにするだけの頭もありました。彼女がいなければ、私はここまで耐え抜くことができなかったでしょう。彼女にはどれだけ感謝しても足りません。




 しかし今日、私を助けに来てくれたのはパティではありませんでした。ノックもなしに突然開いた部屋の扉の向こうには、堂々と胸を張ったセルジュが立っていました。


 呆れた顔のマリエラが何か言うよりも先に、彼は優しい笑みを浮かべると大股で私のそばに歩み寄り、うやうやしく手を取りました。見事なまでにマリエラを無視しています。


「アンジェラ、今日は庭を案内してくれる約束になってただろう。ずっと楽しみにしていたんだ」


「ちょっと待ちなさい、彼女は今勉強中よ」


 マリエラが青筋を立てて叫んでいますが、セルジュは顔色一つ変えません。それどころか、彼はまるで彼女がこの場にいないかのように振る舞い続けています。彼の灰色の目は、まっすぐに私に向けられていました。まるで恋でもしているかのような、甘くとろけるような目つきをしています。


「さあ、行こうか」


 私の返事も聞かずに、彼は私の腰を抱き寄せて部屋の外に連れ出しました。そして私を抱き寄せたまま、器用に庭に向かって走り出しました。


 当然ながら私も、彼に並んで全力で走る羽目になりました。セルジュにくっついたまま走るのは少々恥ずかしかったのですが、後ろから追いかけてくるマリエラにつかまるよりは遥かにましでした。


 そうして私たちは、体を密着させたまま庭をふらふらと歩いていました。少し離れて、マリエラが無言でついてきています。


「アンジェラ、お前は今日も可愛いな」


 寄り添って歩きながら、セルジュはそんな言葉をちょくちょくかけてきます。後ろのマリエラに聞かせようとわざと甘ったるい言葉を口にしているのだと分かってはいますが、それでも恥ずかしくて顔から火が出そうです。


 そもそも、彼女には私たちの顔はほとんど見えていないというのに、なぜセルジュはそこまで甘く優しい表情をしているのでしょうか。まるで恋人たちのような雰囲気が必要以上に出てしまっています。


 私が照れてしまって言葉を返せずにいると、セルジュは顔を寄せて耳元でささやいてきました。彼の吐息が耳にかかって、さらに恥ずかしさが増していきます。


「どうした、打ち合わせと違うぞ。お前ももっとなれなれしく振る舞ってくれよ」


「そう言われても、調子が狂っちゃって……。だいたい、なれなれしいのと甘ったるいのとは少し違うと思うの」


 私も彼の耳元に口を寄せて小声で返事をします。傍から見れば内緒話をしているように見えるでしょう。私たちが限度を超えて親密な仲であるとマリエラに誤解させるのが今回の目的ですから、これはこれでいいのかもしれません。


「分かった。じゃあ俺が適当に仕掛けていくから、お前は適当に恥じらいながら合わせてくれ」


 頼もしげにそう言い切るセルジュの声には、やはりとても優しい響きが混ざっていました。思わず彼に見とれると、彼は小さく笑って少し考えるような仕草をします。内緒話をしているような姿勢のまま待っていると、彼はいきなりそっと顔を寄せてきました。


 彼は何をしようとしているのでしょうか。突然のことに私が固まっていると、彼の顔がどんどん近づいてきます。さっき彼は、自分に合わせてくれと言いました。ならば私はこのままおとなしくしているのが正解なのでしょう。


 しかし、彼の顔はもうすぐそこに迫っています。彼の吐息がすぐ近くで感じられます。これではまるで、口付けしようとしているような。


 私が呆然と立ち尽くしたその時、とうとう堪忍袋の緒が切れたのか、今までずっと黙っていたマリエラが声を上げました。


「いい加減になさい、あなたたち! はしたないとは思わないの!?」


「え、でもこの間のお茶会の時は、レオン様もタチアナさんとこんな風にしていましたが。マリエラ様はなにも言わなかったから、いいかなって思ったんですけどね」


 セルジュがけろっと口答えをしながら、ついでにレオンの落ち度を指摘していました。この間のお茶会の時、私とセルジュはお互いになれなれしく振る舞ってはいましたが、ここまではっきりといちゃついてはいませんでした。


 あの日、いちゃついていたのはレオンとタチアナの方です。あの二人は、婚約者である私の目の前で、それは堂々と見つめあい、手を取り合っていたのでした。別れ際にこっそり口付けを交わしていてもおかしくないくらいには、二人は思いあっているように見えました。そして、それを全く隠そうともしていませんでした。


「レオン様とタチアナさんは友人だって聞いてましたのに、私という婚約者の目の前であんな振る舞いをするなんて、よっぽどしつけがなってないんですね」


 とどめとばかりに、私もちくりとやり返しました。ここ数日マリエラにやられっぱなしになっていたうっぷんを晴らそうとしてしまったのも事実でした。


 私たちの指摘がよほどしゃくに障ったのでしょう、マリエラは眉をつりあげて顔を真っ赤にし、辺り一帯に響き渡るような金切り声で叫びました。


「なんて娘なの! 礼儀はまるでなっていないし、レオンというものがありながらよその男といちゃつくし! おまけに私に口答えだなんて!」


 怒りに震えながらマリエラが言い立てている内容に、私は内心ほくそ笑んでいました。そっとセルジュの方をうかがうと、彼は戸惑ったような表情を浮かべていましたが、その目はしっかりと笑っていました。


 私たちの思惑通り、マリエラは私のことをひどい娘だと思っているようでした。後は、彼女が怒りのあまりに決定的なあの言葉を口にしてくれることを祈るだけです。


 私とセルジュが祈るように見つめていることに気づいているのかいないのか、マリエラは大きく息を吸うと、屋敷中に響くような大声を張り上げました。


「あなたをレオンの妻にすることはできないわ! 婚約は、破棄よ!」


「お母様、僕は真に愛する人を見つけてしまったのです!」


 マリエラの叫び声に重なるようにして、もう一つの声が響き渡りました。私たちがその声の方を見ると、頬を上気させたレオンと、涼しい顔で微笑むタチアナの姿がそこにはありました。

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