2.頼れる仲間
レオンの屋敷を訪ねた次の日、さっそくマリエラから「こちらの屋敷に滞在しなさい」という手紙が届きました。そこにつづられていた文言は、いっそすがすがしくなるくらいはっきりとした命令の形をとっていました。
私は予定通り仮病を使い、彼女の申し出をやんわりと断ることにしました。前もって考えておいたので、断りの手紙を書くのもすんなりといきました。
ちなみにレオンからは手紙一つ、贈り物一つ届きませんでした。普通であれば、婚約が正式に成立した直後に何かしら贈るのが当たり前になっているのですが。どうやら、私にはそこまでするだけの価値がないと判断したようでした。レオンではなく、マリエラが。
そうやって自室にこもりながら、私はずっと考え込んでいました。このまま引きこもって、頃合いを見て婚約を破棄してくれるよう申し出れば、無事に難を逃れられる筈です。
けれどその間、私はどこにも出かけられません。今までに彼らから逃げ延びた令嬢たちの話を合わせると、おそらく半年くらいはかかるでしょう。そんなに長い間引きこもっていなくてはならないというのは、それはそれで苦痛でした。
何か手はないでしょうか。頭から煙が出そうなほど考え続け、やがて一つの結論にたどり着きました。私が家から出られないのなら、他の人を頼るしかない。そう決意した私は、こっそりと部屋を出て忍び足で廊下を進みました。
私が向かったのは厨房でした。ここには料理人やメイドたちが集まっています。彼女たちは噂好きで、他家の使用人たちとも交流がありました。ちょっとした使いで他家を訪ねた時などに、ついでにお喋りをして色々なことを聞き出してくるのです。私もたまに彼女たちが仕入れた噂話を聞かせてもらっているのですが、中々に興味深いものばかりでした。
「あっ、お嬢様。どうなさいましたか?」
私の姿を見かけたメイドの一人が、親しげにそう声をかけてきます。私が真剣な顔をしているのに気づいたのか、彼女は顔を引き締めました。
「パティ、みんなにお願いしたいことがあるの。話を聞いてもらえないかしら」
「もちろんです。手の空いた者を集めましょうか?」
「ええ、お願い」
パティが早足で厨房を飛び出していくのを見送ると、私は手頃な椅子に腰を下ろしました。この思いつきがうまくいって欲しいという祈るような思いと、いたずらをたくらんでいる時のようなわくわくした思いとを抱えながら。
それからしばらくした後、私は厨房に集まった使用人たちを前に、少し緊張しながら説明を始めていました。
「みんなも聞いているとは思うのだけど、私とレオン様との婚約が決まってしまったの」
私を見つめているみなの顔に同情と苦笑が浮かびます。どうやら、みなレオンの噂をよく知っているようでした。
「私は仮病を使ってその婚約から逃れるつもりよ。でも、それだと時間がかかり過ぎてしまう」
どうやら私の意図を察し始めたのか、使用人たちの幾人かが大きく笑いながらうなずいています。
「だから、みんなの力を貸して欲しいの。レオン様とあの家について調べることができれば、もっと早く、もっと簡単に婚約を破棄できる方法が見つかるかもしれないから」
この時、私には具体的な案はありませんでした。ただ漠然と、レオンたちについて調べることで、何か問題を解決する糸口が見つかるのではないかと考えていたのです。そんなあいまいなものにすがりたくなるほど、私は思いつめていたのでした。
「分かりました! 私たちは情報を集めればいいんですね? ちょうどあの家のメイドと友達なんです。今度色々聞いてみますね」
勢いよく手を挙げて元気よくそう言ったのは、案の定パティでした。我が家の使用人の中でもとびきり噂好きの彼女は、きっといい働きをしてくれるでしょう。
彼女に続くようにして、他の使用人も次々と名乗りを上げ始めました。彼らの親戚や恋人、友人などがレオンの屋敷で働いているのだそうです。
中には、従妹の伯母の義理の弟があの屋敷にいる、などと発言している者もいました。それはもう見ず知らずの赤の他人とほとんど変わらないのではないかと思いましたが、黙っておくことにしました。せっかくやる気になってくれたのに、そこに水を差したくはありません。
急ににぎやかになった厨房で、私は一人期待に胸を膨らませていました。ほんの少しだけ、事態が良い方に向かっているのではないか、そんな気がしていたのです。
それからは、比較的みなが暇な時間を狙って厨房に顔を出し、報告を聞くのが私の日課になっていました。みなが集めてきたのは日常的な噂話ばかりでしたが、それらの中にきっと役に立つ情報が埋もれているだろうと、私はその全てに対して真剣に耳を傾け続けました。
特に何も進展のない日々がしばらく続いた後、興味深い情報がパティからもたらされました。
「お嬢様、面白い話を仕入れましたよ」
この状況を誰よりも面白がっているらしい彼女が教えてくれたのは、驚くような情報でした。
「『男たらし』のタチアナ様が、レオン様を狙ってるらしいんですよ。マリエラ様が不在の時を狙って、レオン様の屋敷に彼女が人目を忍ぶようにして訪ねてきたんだそうです。レオン様とタチアナ様の話をこっそり立ち聞きした使用人たちによれば、どうやらタチアナ様はレオン様を口説こうとしてるみたいで」
タチアナというのは金で爵位を買った男爵家の一人娘で、親子揃って上昇志向が異様に強いと聞いたことがあります。彼女は様々な貴族の令息を手玉に取っては、より良い嫁ぎ先を物色しているのだそうです。
そのふしだらで人を人とも思わない行いと、成り上がりでしかない身分から、タチアナは他の令嬢とはほとんど交流がありません。私も、彼女と直接話したことはありませんでした。
彼女は貴族の令息たちには人気があるのですが、一方の彼らはレオンの裏事情をほとんど知りません。レオンから逃げた令嬢たちの名誉のためにも、婚約騒動とは何の関係もない令息たちに余計なことを知られないように、多くの令嬢たちがずっと気をつけていたからです。
そのせいで、タチアナはマリエラについても詳しく知らなかったのでしょう。だから、レオンの婚約者である私が病に伏した隙に、彼に近づこうとしているのだと思います。
婚約者のある男性に別の令嬢が急接近する。普通であれば複数の家を巻き込んだ大騒動になるところですが、今回は事情が事情です。私の顔には、思わず笑みが浮かんでいました。見ると、パティもとても面白そうな顔をしています。
「これって好機ですよね、お嬢様」
「あなたもそう思う、パティ? うまいことレオン様をタチアナに押し付けることができれば、色々丸く収まる気がするわ」
「タチアナ様なら、マリエラ様にも対抗できそうですしね。……すごい戦いになりそう」
そんなことを言いながら、パティは自分を抱きしめるようにして大げさに震えてみせています。
パティたちが仕入れてきた情報によれば、タチアナはマリエラに負けず劣らず気が強い女性のようでした。そんな二人が面と向かって対決するなんて、想像しただけで震え上がりたくなるのも無理はないでしょう。同時に、ちょっとばかり見てみたくもありましたが。
「そうね。だったらその方向で、少しばかり動いてみてもいいかもしれないわ」
私がそうつぶやくと、パティは目を輝かせながら前のめりになりました。彼女の後ろで話を聞いている数人の使用人も、興味津々といった顔で私の言葉を待っています。
「といっても、まだ具体的に何をしたらいいのかさっぱり思いつかないの。みんな、何か思いついたことがあったら遠慮なく言ってもらえる?」
そうして私たちがああでもないこうでもないと話し合っていたその時、厨房の入り口に別のメイドが顔を出しました。何とも言えない複雑な顔をしています。
「お嬢様、ここにおられたんですね。……お見舞いの方がいらしてます」




