12.後日談・セルジュの懺悔
俺とアンジェラとの婚約は無事に成立して、俺は彼女の家に婿入りすることが決まった。
そしていつものように、俺は彼女の元を訪ねていた。今日は彼女の家の中庭で、二人だけのお茶会だ。抜けるような青空が広がっていて、そよ風がとても心地いい。こんな幸せな時間を手にできるなんて、少し前までは思いもしなかった。
「セルジュ、何か考え事?」
アンジェラが可愛らしく小首をかしげながら尋ねてくる。彼女はまるで妖精のように愛らしい。その柔らかそうな小さな唇も、ぱっちりとした吸い込まれそうな瞳も、見れば見るほど愛おしさが増していくばかりだ。
「もう、本当にどうしたの。すっかり上の空じゃない」
俺が何も答えないことにじれたのか、アンジェラが唇をとがらせる。そんな表情をされたら、人目もはばからず抱きしめたくなってしまう。
そんな俺の内心に気づいたのは、目の前のアンジェラではなくその後ろに控えていたメイドのパティの方だった。彼女は俺たちの前のカップにお茶を注ぐと、足音も立てずに去っていく。ちらりと振り返ったその顔には、隠し切れない笑みが浮かんでいた。
あいつは噂好きだし、きっと使用人たちの間で俺のことが話されるのだろう。セルジュ様はアンジェラ様にぞっこんだ、とかなんとか。
まあ、それについては好きにさせてやろう。あいつは一緒にアンジェラを救った仲間なのだし、俺がアンジェラにべた惚れなのはまぎれもない事実なのだから。
それに今は、そんなことを気にしている場合ではない。俺はアンジェラに、どうしても言っておかなければならないことがあるのだから。
「……アンジェラ、折り入って聞いて欲しいことがある」
俺の声にただならぬものを感じ取ったのか、アンジェラがきょとんとしながらこちらをまっすぐに見つめる。その視線にまた胸が高鳴るのを感じたが、俺は気にせずゆっくりと言葉を続けることにした。アンジェラの可愛らしさに気を取られたままでは、一向に話が進まない。
「これから俺が話すことを聞いたら、お前は俺に幻滅するかもしれない。もしかしたら、婚約を破棄したいと思うかもしれない。それでも、俺はお前に言わなければならないんだ」
「どうしたの、急に。幻滅するようなことなんて、何かあった?」
「あるんだ。お前は優しいから、気づいていなかったかもしれないが」
これから話すことの恐ろしさに思わずぶるりと身震いしてから、俺は言葉を続ける。
「俺が話したいのは、お前がレオンと婚約破棄しようとしていた時のことなんだ」
「あの時はあなたにたくさん助けられたわ。感謝してもしきれない」
「いいや、俺はお前に感謝されるような人間じゃないんだよ。俺は、浅ましい人間だ」
俺が罪の重さに耐えきれずに目を伏せると、アンジェラは身を乗り出してこちらをのぞき込んできた。顔が近い。
彼女に触れたい気持ちを必死で抑えながら、俺はさらに話し続けた。
「あの時、俺はお前を助けるために、お前と過度に仲がいいふりをした。それは覚えているよな」
「ええ。あなたがぐいぐい迫ってくるから少し驚いたけど、すぐに慣れたわ」
「……俺は、お前の力になるためと称して、お前に近づいた。お前に親しげに触れて、口づけまがいのようなことまでしようとした」
「そう言えば、あの時はマリエラが怒鳴って止めさせたのよね。もしかして、止めなかったら本当に……?」
今さらながらに俺がしようとしていたことを知ったからなのか、アンジェラの顔がみるみる赤くなっていく。恥じらいに真っ赤になったその姿は、どうしようもなく俺の目を釘付けにする。俺はその思いを振り切るように、軽くうつむいた。
「俺はあの時、既にお前に惹かれていた。その上で、この思いは決してかなわないものだと諦めていた。けれど、お芝居だとは言えお前に近づいてしまったことで……俺は、自分を止められなくなってしまった」
アンジェラは何も言わない。きっと俺に呆れているのだろう。彼女の様子を確かめるのが怖くて、俺はさらに目線を落とす。真っ白なテーブルクロスは、今の俺にはまぶしすぎた。
「俺は卑劣な人間だ。お前があの婚約のことであんなに苦しんでいたのに、俺は自分の浅ましい願いをかなえることしか考えていなかった。やっぱり俺は、お前にはふさわしくないんだ」
腹の底によどんでいた思いを一気に吐き出すと、力ないため息がふっと漏れ出た。
「……アンジェラ、お前が望むなら、いつだって婚約を破棄してくれて構わない。悪いのは、全部俺なんだから」
ああ、とうとうこの言葉を口にしてしまった。俺が言わなければいけない言葉だったのは分かっている。けれど同時に、絶対に口にしたくない言葉だった。
俺が断罪を待つ罪人のような心地でじっと目を伏せていると、ついに彼女が口を開いた。どんな言葉でも覚悟している。それを受け止めることが、俺にできる唯一の償いなのだから。
「……ええっと、話ってそれだけ?」
悲壮な覚悟を決めた俺とは対照的に、アンジェラはあっけにとられたような声を出した。思わず顔を上げると、きょとんとした顔の彼女と目が合った。
「あの時のあなたは大胆だったけど、……それはそれで素敵だったし、別に何も問題ないと思うわ。男の人って、不思議なことにこだわるのね」
その時のことをまた思い出したのか、アンジェラはまた頬を赤らめている。けれどそれが不快ではないのか、口元には笑みが浮かんでいた。
「でも、俺は自分のことばかり優先させて」
「それを言うなら私もよ。婚約破棄のためだけに、周り中を巻き込んで大騒ぎしちゃったもの。それにね」
アンジェラは言葉を切り、目線を宙にさまよわせた。両手の指をもじもじと組み合わせている。
「やっぱり、私……あなたのことが一番、大好きなの。結婚するなら、あなた以外考えられない」
その言葉に、俺の我慢は限界を迎えた。今まで絶望のどん底にいたことなどきれいに忘れて、俺は席を立つ。そのままアンジェラの隣にひざまずき、彼女の手を取った。
「分かった。お前がそういうのなら、俺はもう身を引こうなどとは考えない。裁かれることのない俺の罪は、ずっと心の奥底にしまっておくことにする」
「もう、罪なんてないのに。変なところで強情なんだから」
「男なんてそういうもんなんだよ」
そう答えて彼女の手の甲に口づけをすると、アンジェラはまた顔を赤くした。しかし同時に、どこか物足りなさそうにも見える。気のせいか、何かを期待しているようにも見える。これはまさか。
ゆっくりと立ち上がり、恐る恐る彼女の手を引いて立たせる。そろそろと彼女を抱きしめ、意を決して少しずつ顔を近づけていった。彼女は小さな唇を薄く開いたまま、夢見るような目つきでこちらをまっすぐに見ている。
俺はそのまま、顔を近づけていった。そしてついに、柔らかな感触が俺の唇に重なった。
夢にまで見た瞬間に俺が感動していると、中庭の茂みががさりと音を立てた。俺たちは顔を離し、同時にそちらを見る。
「あー……見つかっちゃいました」
そこにいたのはパティだった。どうやらお茶の替えを持ってきたところ、俺たちがお取込み中だったので出るに出られなくなっていたらしい。
「ええと、私は退散しますので、ごゆっくり!」
そんな言葉を早口で言うなり、パティがものすごい勢いで走り去っていく。俺が呆然としていると、胸元に温かい感触があった。見ると、アンジェラが俺の胸に頭を押し付けている。
「見られちゃった……さすがに今のは恥ずかしいわ……」
「……間違いなく、屋敷中の噂になるだろうな」
「そうね、間違いないわね。恥ずかしすぎて顔から火が出そう」
俺の胸に顔をうずめたまま恥じらう彼女が愛おしすぎて、俺の胸がぎゅっと締め付けられたような心地になる。彼女をもう一度しっかりと抱きしめ、頭をなでながらつぶやく。
「でもまあ、いずれ慣れてもらわないとな。お前は俺の奥さんになるんだし」
彼女はぴくりと肩を震わせ、そのまま俺の胸元にしがみついてきた。その可愛らしい仕草に、思わずため息がもれる。
彼女に罪を告白したことで、ようやっと心置きなく彼女を抱きしめることができた。俺はさらなる幸せをかみしめながら、彼女の耳元でささやいた。
「愛してる、アンジェラ。子供の頃からずっと」
ここで完結です。読んでくださって、ありがとうございました。
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