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11.あふれでる思い

 その後、レオンたちは三人揃って家を出て、一族が所有する郊外の屋敷に身を寄せることになったそうです。タチアナとマリエラは離縁を望んだようですが、驚くことにレオンが頑固に拒絶し続けているのだとか。


 ずっとマリエラのお人形として生きてきた彼は生まれて初めて彼女に逆らったらしく、マリエラは驚きのあまり寝込んでしまったと聞いています。もっとも、レオンはタチアナのこと以外はやっぱりマリエラの言いなりになっているようですが。


 毎日のように怒鳴りあうマリエラとタチアナを、レオンが嬉しそうに笑いながら眺めている。そんな恐ろしい光景が郊外の屋敷では繰り広げられているらしいと、パティが使用人の情報網を駆使して調べてくれました。




 私の生活は、そうしてまた婚約以前の平和なものに戻りました。一つだけ違っていたのは、セルジュがたまに顔を出してくれるようになっていたということです


 婚約が無事に破棄されたその日に彼が口にしていたように、彼はこれまで私のことを思って距離を置いていました。けれどこの間のパーティーに一緒に出たことで、彼の気持ちに何かしらの変化があったようです。


 彼はまだ戸惑いながらも、時々私のところを訪ねてきました。そのたびに私は大喜びで彼を出迎え、その日の予定を白紙にして彼と一日過ごすようになっていました。ずっと疎遠になっていた彼と話したい事が山のようにあったのです。




 その日も久しぶりに、セルジュがふらっとやってきました。ちょうど晴れて過ごしやすい日だったので、私は彼を近くの森に誘いました。子供の頃、よく一緒に遊んでいた思い出の森です。


 小道をしばらく進むと、突然小さな空き地に出ました。そこだけ木が生えておらず、丈の低い下草に柔らかな日光が降り注いでいます。


 近くの苔むした岩に二人並んで腰かけると、セルジュがゆっくりと辺りを眺めて独り言のようにつぶやきました。


「この森も久しぶりだな。五年……いやもっと前か、最後に来たのは」


「もう、森で遊ぶような年でもないものね」


「あの頃が懐かしいな。お前はいつも俺の後ろに隠れてて、何か物音がするたびに俺にしがみついてたのをよく覚えてるよ。……そんなお前がこんなに強くなるなんて、今さらながら時の流れを感じるな」


 セルジュが苦笑しながらこちらを見てきます。強くなった、とはこの間の婚約破棄騒動のことを指しているのでしょう。


「ああでも、お前は昔からここぞという時は強かったな。覚えてるか、昔俺が蛇に噛まれた時のこと」


「なんとなく。あなたが蛇に噛まれて、泣きながら大人たちを呼びにいったのを覚えてるわ」


「お前、肝心なところが抜けてるぞ。お前は俺が噛まれたとたん、そこらの木の棒を拾って蛇に立ち向かったんだ。結局それで蛇は逃げていったけどな。あの時のお前の背中、今でも忘れられないよ」


 彼の笑みが懐かしそうなものに変わります。そんなことをした記憶はないのですが、それだけその時の私は必死だったのでしょう。


「……きっと、お前はあのことも忘れてしまってるんだろうな」


「あのことって、何?」


 彼が指しているのが何のことなのか見当もつかなかった私は、気軽にそう尋ねました。彼の表情から察するに、それはとても大切なことのようでしたし、ただ純粋に知りたいと思ったのです。


 私の問いに、彼はすぐには答えてくれませんでした。切なそうに眉間にしわを寄せたまま、幾度となくためらいがちに口を開きかけてはやめる、そんなことを繰り返しています。


 どこか苦しげなその様子を見ていたら、思わず声をかけずにはいられませんでした。


「ねえセルジュ、あなたが言い出したくないのなら、自分で思い出してみるわ。だから何か手掛かりをもらえないかしら」


「……そう、だな……今回の騒動で、俺はそのことを思い出したよ。いや、本当は忘れたことなんか、一度だってなかったんだけどな」


 彼はこちらを向かないまま小声でそう答えました。何故か、どこかほっとしたようにも見えます。


 今回の騒動、それはつまりレオンとの婚約騒動のことでしょう。そのことが思い出させた子供の頃のできごととは、いったい何なのでしょうか。


 必死に頭を働かせて記憶をたどりましたが、一向に答えは出てきません。あの婚約破棄のための作戦を練っていた時でも、ここまで頭を悩ませたことはありませんでした。


 首をかしげているうちに、すぐ横でうつむいているセルジュの横顔が目に入りました。苦しそうな灰色の瞳と、何かを期待しているかのようにわずかに上がった口元。


 それを目にしたとたん、昔の記憶が一気によみがえってきました。


「もしかして、『大きくなったらお嫁さんにして』って言ったこと?」


 私がそう口走ると、セルジュが小さく肩を震わせました。それは喜びのようでもあり、苦しみのようでもありました。


「ああ。あの時俺はとても嬉しかった。天にも昇るような心地だったよ。でも、俺はあくまでも分家の息子だからな。お前が忘れているのならそれでいいって、そう思ってたんだ」


 彼は深くため息をつくと、さらにかがみこみ両手で顔を覆ってしまいました。


「けれど、今回の騒動でまたお前に近づいてしまって……俺はもう、この気持ちを止められなくなっていた。だから、もう一度お前から離れようとしたんだ」


 ゆっくりと顔を上げ、こちらを向くセルジュ。その目は力強く、迷いなく私を見つめていました。


「俺は決めたよ、アンジェラ。いつまでもうじうじしてるなんて性に合わないからな」


 そう言うと彼はこちらに向き直り、ゆっくりと言葉を紡ぎました。


「アンジェラ、お前に婚約を申し込みたい。俺は小さな頃からずっと、お前だけを見ていた。……立場の違いを気にしてずっと言い出せずにいたんだが、お前がうなずいてくれるなら、俺はどんな困難でも乗り越えてみせる」


 私は少しも迷いませんでした。微笑みながら彼の目をしっかりと見返し、ゆっくりとうなずきます。


「その申し出、喜んで受けるわ」


「ありがとう、アンジェラ! 必ず、お前を幸せにするから」


 彼もためらうことなく、私をしっかりと抱きしめました。いつか感じたがっしりとした感触に包まれながら、私は今までに感じたことがないくらいの安心感と、そして高揚感を覚えていました。


 これから何があろうとも、彼がいてくれれば何も怖くなどない。そう心から思えることが、なによりの幸せでした。






 後日、私はまたお父様の部屋に呼び出されました。


「アンジェラ、お前に婚約の申し込みが来ているよ」


 お父様がにっこりと微笑みながら封筒を差し出してきます。そこには、まぎれもないセルジュの名前が記されていました。


「婚約おめでとう、私も嬉しいよ」


 そう言いながらゆったりと笑うお父様。私は封筒を受け取り、大切に胸元に抱きしめると、心からの笑顔を返しました。

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