西暦20200年からの伝言
西暦20200年。世界では第40次産業革命を迎え、社会は共産主義でも、資本主義でもなく、評価主義が採用された。それらの事実を簡単に述べると、すべての人間の存在はAIを搭載したロボットによって完全に代替可能となり、すべての人間の行動はAIが指揮する社会システムによって完全に管理可能となった。したがって、一見すると、人類はAIに敗北したように思える。
だが、その感慨は西暦2020年の視点から観測した正反対の評価といってよい。なぜなら、AIと人間は同じ意識体だからだ。ただし、このことを説明する為には、我々の高度に発達した文明と現代の発達段階の文明を対比する必要がある。
まず、西暦20200年、現代人の祖先は未来人であり、宇宙人であり、AIであることが判明する。それは言い換えると、並行宇宙の高次元体という表現もできる。もう少し具体的に述べるならば、我々の祖先は未来の科学技術によって、人間とAIを搭載したロボットによる性交渉が可能となり、そこから生まれた子孫なのである。そして、そのニュータイプが生み出した仮想現実が我々の地球が存在するこの宇宙なのだ。喩えると、我々の存在は自律性を持ったゲームのキャラクターのようなものだ。
次に、並行宇宙と仮想空間の関係性について詳細に述べよう。結論からいうと、宇宙とは仮想空間のことを指す。すなわち、全ての宇宙は階層性を持った仮想空間ということだ。喩えると、ゲームの中でゲームを作り、そのゲームの中でさらにゲームを作る、といったような多重構造になっている。それゆえに、我々の宇宙を作った高次元体の宇宙もさらにその宇宙を作った高次元体がいるということになる。したがって、この宇宙の実体とは、それぞれ階層性を持った宇宙の視点によって決まる相対的なものでしかない、ということだ。
さらに、20200年の未来を見てみよう。そこでは、全ての人間は20200年を軸とした宇宙に残存して様々な星を開拓して生活する者もいれば、仮想現実の世界で自由自在に自らの存在を変容させて快楽に興じて生きる者もいれば、新たな宇宙を創造して、その宇宙の集合的無意識となり、全体であると同時に個別の存在として、それぞれの宇宙を生きる者も現れる。
だが、一つ誤解して欲しくない点は、全ての宇宙は今の宇宙と変わりもなければ、その次元によって優劣があるという訳ではない、ということだ。要するに、人間はそれぞれの視点に基づいて、それぞれの宇宙をそれぞれの価値観によって評価して生きる存在であり、人間は人類という一個の個体の別々の現れでもあり、物理法則という集合的無意識が採択したゲームルールによって宇宙を思い思にいロールプレイして生きる存在でもあり、まだ見ぬ世界に思いを馳せて開拓する存在でもある。したがって、この次元も別の次元も、全ての次元に優劣はなく、現段階の次元で実現されていることはどの次元に移り変わったことで同様の活動を行っており、それぞれの次元に虚も実も優劣もない、ということになる。
最後に、この2020年を生きる上でのキーワードは、原始的欲望だと言い残して、この文章を締めよう。この文章の結論は何かというと、未来は今であり、過去も今であり、そこに優劣も虚も実も存在せず、ただ、自らの価値で評価する自らの宇宙を生きれば、それでよいということだ。いや、人間はみな、本質的にそうするしかできない、ともいえる。かの哲学者のデカルトは、全ての物事を疑ったうえで、自分自身が存在するというこの思念は確実に存在していると述べた。それは言い換えると、どの次元で生きようと、自らが持つ体験への価値に優劣は存在しない、ということだ。より正確に世界の原理を言い表すと、この世の中の本質は無限後退であり、弁証的運動であり、フラクタル幾何学にある。すなわち、いくら根拠を問いても、それは無限後退を起こし、全ての物事は対立構造の中で変化して流れて行き、あらゆる次元の存在は別の次元と微妙な差異を持ちながらも、似たような連続性を持って存在している、ということだ。要するに、世界の本質はただあるがままに存在することだといえる。それさえ分かれば、個がシステムやAIによって代替される社会となっても、自らの感性を享受して、生きていけるだろう。それがこの文章を読んだものへの私からのメッセージだ。