第36話 そして彼女は、想いを叫ぶ。(3)(成海side)
◇◇◇◇◇
「小春も意外に、運動できるじゃん」
手を抜いていたとはいえ、ここまで食らいついてきた小春に、わたしは言った。
別にわたしだって、真剣勝負がしたかったわけじゃない。
ただ、小春がこの修学旅行でしようとしていることには、もうずっと前から気づいていた。
『でも副会長に藤宮さんを推薦ってのは、やりすぎちゃったかなぁ……』
わたしが初めて小春と出会ったときに、彼女がぼそっと零した独り言。
たまたま転校前に高校へあいさつに行ったタイミングで、階段ですれ違いざまに聞こえたその言葉に、わたしは一瞬立ち止まった。『藤宮』という名前に、反射的に反応してしまった。
小春はわたしとすれ違ったことなんて覚えてもいないだろうけど、でもわたしは、今でもあのときの彼女の表情を覚えている。あれは、恋する女の子のそれだった。とてつもなくまっすぐで曇りのない、純粋な想いが瞳に宿っていた。
しばらくして、水瀬が生徒会の副会長だと知って、確信した。
彼女は――小春は、水瀬と藤宮の間に割って入ろうとしている。水瀬のことが好きなんだと。
高校三年間で最も大きなイベントといってもいい、修学旅行。その舞台で、彼女はきっと想いを伝えるんだと、わたしの直感が告げていた。
もしわたしが小春の立場で想いを伝えるのなら、そうするだろうから。
――わたしは、小学校時代から水瀬のことが好きだった。
当時、男勝りだとよく馬鹿にされたわたしを、いつもグラウンドで走るわたしを、綺麗だと言ってくれる水瀬が本当に好きだった。
でもあいつには好きな人がいて、その想いは通じ合っていて、わたしなんかが入る余地なんてどこにもなかった。
中学に入って、水瀬と藤宮は相変わらず仲が良くて、それでもわたしはあいつのそばにいられるように、男友達のように接することにした。きっとこの気持ちを伝えたら今までのように一緒にいられなくなってしまうから、本当はもっと可愛い髪形もしたかったけど我慢した。そうすればずっと、水瀬の隣で笑っていられると思っていた。
そしてある日、藤宮は転校した。水瀬にもなにも言わずに、黙って勝手に遠くへと行ってしまった。
性格が悪いかもしれないけど、正直チャンスだと思った。今しかないと思った。
落ち込んで学校を休んだ水瀬を、慰めるという口実で無理にファミレスに連れ出した。お小遣いは人並みにはもらえていたので、水瀬の分もおごってやった。
でも、藤宮がいなくなれば少しはこの関係も変わると考えていたけれど、そんなことはなかった。
あいつの中で彼女の存在はそれほどまでに大きくて、胸にぽっかりと穴が空いてしまったみたいだった。
それから、水瀬の前で藤宮の話をすることはなくなった。
気晴らしにと遊園地に誘ったこともあった。女の子が二人きりで遊園地へ行こうと誘っているんだから、少しくらい察してくれてもいいじゃないかと思った。でもまったく察する気配もないあいつに、少しだけほっとしたりもした。
一緒にいると、どうしても分かってしまうんだ。二人が離ればなれになっても、わたしは水瀬にとっての藤宮になることはできないと。
それが悔しくて、どうすることもできなくて、結局、わたしは気持ちを胸の奥にしまいこんだ。「いつか水瀬が藤宮と再会して、幸せになれればいいな」と、思ってもないことを心に言い聞かせて、自分を納得させた。
ただ、この関係が崩れ去ってしまうことに怯えていただけなのかもしれなかった。
『――あれ? もしかして水瀬?』
一年と数か月ぶりか、たまたま見かけたその横顔に、無意識に声を掛けていた。
意識していた男口調も忘れて、つい素を晒してしまったけれど、話しているうちに昔を思い出してきて自然に振る舞えた。
これはもしかしたら、本当に最後のチャンスなんじゃないか。そんなことを考えた矢先に、藤宮が水瀬の高校に転校してきたと知った。
やっぱり、人生そんなに甘いもんじゃなかった。
夏休みに海で水瀬と会うなんてラッキーもあったけど、それからのあたしは不幸続きだった。
部活でうまく結果が出なくて陸上をやめて、そうかと思ったら父の務めていた会社が潰れて。こんなことが本当にあるのかと、心底思った。
公立の高校に転校しなくてはいけなくなって、多少無理を言って水瀬と同じ高校に入れてもらった。
メールで教えてもらってはいたけど水瀬は藤宮と付き合っていて、それを自分の目で見るのはなかなかにつらかったけど、それでも久しぶりにする何気ない会話は楽しくて――。
二人の邪魔は誰にもさせないと。せめて水瀬には、藤宮と二人で幸せになってもらおうと、そう思った。
「成海。私……今から水瀬くんに――」
「――させないよ」
「え?」
今日まで、小春が水瀬と関わる機会はなるだけ潰してきたつもりだ。あとは今、ここを乗り切ればたぶん、この修学旅行中は大丈夫だろう。
呆けた表情を浮かべた小春に、あたしは続ける。
「その想いは、伝わらないよ。どんなに小春が努力して変わったとしても、その恋は叶わない」
「そんなの、言われなくても分かってるよ」
小春の以前の写真を見たとき、彼女はこの恋に全力なんだと改めて思った。それはわたしにはあまりにも眩しくて、羨ましくて、でも、それを防ぐことが私の選んだ道なんだと感じた。
「はっきり言ってあいつにとったら迷惑でしかなくて、あの二人の関係を悪くするかもしれない」
「知ってる」
小春は、わたしのなれなかったわたしだ。
わたしにはできなかったことをしようとしていて、本当に真っすぐで、可愛い。
最初は水瀬に近づかせないようにと仲良くなったけれど、関わっていると分かってしまった。小春は本当にいい子で、きっとその恋が叶わないことも、あいつを困らせることも全部わかった上で、それでも想いを伝えようとしているんだと、伝わってくるんだ。
「でも私は、藤宮さんが転校してくるより前から、ずっと好きだったんだもん。結果がどうとかじゃなくて、この想いを伝えなきゃ、けじめをつけなきゃ、私は前に進めない」
わたしだって。
わたしだって、ずっと前から――。
「――わたしだって小春よりずっとずっと前から、水瀬のこと好きだったよ!」
飛び出してしまった言葉に、思わず口を手で押さえる。それでも胸の底から湧き出る思いは、止まってくれはしない。
「でも、これは……この想いは、あいつのためにならないんだよ! だから決めたの。わたしは、あいつの友達でいようって。あいつの幸せを壊すことになるかもしれない小春の告白は阻止しようって!」
全部、全部吐き出してしまった。
もう小春とは、友達でいられないかもしれない。
「ひ、なた……?」
「え……」
嘘、だ。聞かれた? 水瀬に?
突如現れた水瀬に、脈拍が上がる。胸と頭は熱いのに、全身から熱が引いていく。
今までの私の我慢が、生き方が、すべて水の泡だ。こんなことなら最初から全部伝えておけば――。
気がつけば、私は水瀬に背を向けて走り出していた。
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