第一怪 その4
夜も更けて、田舎の町は完全に闇に覆われてしまっている。
辺りには街灯もないので、その闇は一層濃いものに思えてしまう。
しかし、いまこの町の一角で行われているのは光の象徴とも言える天使の召喚だ。闇を払うための天使にはなんとも似つかわしくない夜という時間だが、そんなことは人間には関係ないようだ。なんとも業の深さを感じてしまう。
呼び出されてしまう熾天使には同情を禁じ得ないが。いや、人間の同情なんて天使にとってはどうでもいいのだろうか?
「目的地に到着しました」
まるでカーナビのように無機質なクリシュナさんの声が車内に響く。
後部座席から外を見ると、教会が見えた。
この時間の訪問者なんていないだろうに、微かに明かりが点いている。
「あの教会で間違いないですか?」
「はい。この町唯一の教会です。マスターの情報に間違いがなければ」
ごくごく無機質にクリシュナさんは答えてくれる。
ま、たしかに。言ってしまったら悪いんだけど、こんな片田舎の町にいくつも教会があっても困る。っていうか目の前のこの教会にも通っている人間がいるのかどうか怪しいぐらいだ。
「じゃあ行きましょう。……笠酒寄、起きろって」
「……んむぅ」
居眠りをこいていやがった笠酒寄を揺り起こして僕たちはクルマから降りる。
僕と笠酒寄は特に装備品はないが、クリシュナさんはチェロケースを持っている。すさまじく嫌な予感がする。
「クリシュナさん、一応聞いておきたいんですけど、その中に入っているのはチェロですか?」
「いえ、FNミニミ軽機関銃が入っております。弾薬は二〇〇発ほど」
「……なるべく発砲はしない方向でお願いします」
「なぜでしょうか? アウトレンジからの攻撃は基本ですが」
「日本なんで、警察がやってきます。いや、外国でもやってくるでしょうけど」
「承知しました。本来、命令権はマスターのみが有していますが、今回に限っては命令権を空木様に移譲されていらっしゃいますので、空木様の許可があるまでは発砲しません」
命令権の移譲なんてやっていたのか、ヘムロッドさん。いつの間に。
まあ、そのおかげでクリシュナさんが素直に従ってくれたので感謝しよう。
さて、と。
「とりあえず、犯人を拘束するためにはある程度の証拠は必要になってきますよね?」
「はい。統魔においてもその点においては一般社会と一致しています。物的証拠なしでは魔術師もしくは、魔術師見習いの身体的自由の拘束は禁止されております」
つまりは少なくとも僕や笠酒寄が現場を押さえる必要があるというわけだ。ヘムロッドさんはクリシュナさんを通して視覚情報を得ることが出来るようなので、もしかしたらクリシュナさんでもいいのかもしれないけど。
……結局、教会の中に突入しないことには始まらない。入り口でまごまごしてても、ただ時間が無駄に経過するだけのようだ。
腹をくくるしかないか。
「笠酒寄、一応、人狼モードは全開で頼む。僕も注意するけど、一番頼りになるのはお前の鼻と耳だしな」
「うん!」
やけにうれしそうに頷く笠酒寄に対して罪悪感を覚えてしまうのはなぜだろうか? きっと僕が心の底では笠酒寄にこういうことに関わって欲しくないと思っているのかもしれない。
僕は、笠酒寄にはもっと平穏に生きて欲しいと思ってしまっているのだ。……僕にはどうにも無理そうだから。
脇にそれてしまった思考を、目の前の『怪』に集中させる。
教会内部にから漏れるほのかな明かりは、冥府に誘うという鬼火を連想させた。
「待って空木君。声がする」
教会の正面入り口前。
頑強そうな両開きの扉の前で笠酒寄はささやくように僕に言った。
笠酒寄の聴覚ははっきり言って異常なぐらいだ。現状の、人狼全開で獣耳を生やして手足が獣毛で覆われている状態なら尚更だ。冗談抜きでこの状態の笠酒寄を奇襲するのはかなり難しいだろう。
その笠酒寄の耳が何かの声を捉えたというのならば、それは十分警戒に値する。
「……どんな声だ?」
「んっと、祈ってる感じ?」
なんともあやふやな返答だった。
普通なら「そんなもんで何がわかるっていうんだ!」とでも呆れるところなのだろうが、今は別だ。
ミカエルという熾天使降臨のためにファフロッキーズという『怪』が発生している現状では全く違った意味合いを持ってくる。
儀式、絶賛実行中。
「クリシュナさん、突入します。まだ発砲はしないでください」
「承知しました」
答えが来るのが早いか、僕は扉を蹴り破っていた。
だがん!、という派手な音と共に扉は無理矢理開いた。
教会内部にあったのは、おそらくは訪れた信徒が座るであろう長椅子と小さな祭壇、ところどころに掲げてあるロウソク。
そして、祭壇の前にいたのは、こちらに背を向けている人物だった。
派手な音に驚いたのか、背を向けていた人物は慌てた様子で振りかえる。
「な……なんだきみ達は⁉」
振り返ったのは、中年の男性だった。
あまり特徴のある顔立ちでもないが、目立って悪人面というわけでもないし、見るからに徳が高そうというわけでもなかった。つまりは平凡だということだ。
その人物は、片手に、辞書のようなモノを持っていた。
「夜も遅くに失礼します。この町に起こっている奇妙な現象の解決を依頼されて動いている者です」
僕のその一言で男性の顔色が変わる。
……わかりやすくって非常に助かる。室長やヘムロッドさんもこうだといいんだけど。
持っていた辞書のようなモノをかばうように抱いた男性に向かって、僕は一歩前に進む。
「信徒もやってきていない教会で、貴方は一体何をやっていたんですか?」
「わ、わたしは神に祈りを捧げていただけだ! やましいことなどやっていない!」
……僕は一言もそういった発言はしていないはずなのだが、勝手に自爆してくれるのは非常にありがたい。手間が省けるし、無駄に問い詰めなくて済む。
僕は更に一歩前に進む。笠酒寄とクリシュナさんには「待機していてくれ」というジェスチャーをしながら。あまり圧力をかけると逆上を招く恐れがある。
「なら、その手に持っているモノを調べさせてもらっても良いですか? それが統魔の指定していないアイテムなら僕たちはここから去ります」
「……くっ!」
いやホントわかりやすくて助かる。
男性は一歩、後ろに下がるが、僕はその分距離を詰める。
視線は……とりあえずアイテムを持っている右手に合わせておく。いざとなったら即座に能力を発動してへし折るつもりだ。
更に距離を詰める。すでに僕の身体能力なら二秒もかからずに飛びかかれる距離だ。
男性の顔は青ざめるというか、なんというか……とにかく悲壮な顔になっていた。
この分なら楽勝でモノをぶんどれるな、などと僕が楽観視し始めた瞬間だった。
「……降臨せよ! 御使いよ!」
薄暗かった教会に光が満ちた。
まばゆい光に数秒、目がくらんでしまった。
だが、すぐに瞳孔のほうは戻ってくれたらしく、焼け付いたようになってしまっていた僕の視界は正常なモノへと戻る。
見えたのは中年の男性と、それを覆うように存在している巨大な半透明の人型だった。
は?
「御使いよ、目の前の不埒者に断罪を!」
その声に反応したのか、半透明の人型が右手に持っていた剣を高々と掲げる。
剣の全長だけで二メートルはあるだろう。食らったらひとたまりもない。
「マジかっ!」
あわてて横に跳ぶ。
ほんの数瞬前まで僕が存在していた場所を半透明の剣が貫く。
耳障りな音と共に、床が砕けた。
(くっそ! なんだあれ⁉)
聞いてない! ヘムロッドさんの情報ではこんなのはなかったはずだ!
なんとか初撃を回避した僕は、長椅子に隠れるようにして転がる。
がづん、がづんと次々に長椅子が破壊されていく。
多分、あの人型が連続で剣をぶっこんでいるんだろう。破壊衝動の塊みたいなやつだ。
転がる勢いを利用してそのまま立ち上がる。
振り返ることもなく、僕はクリシュナさんに向かって叫ぶ。
「クリシュナさん! 発砲を許可します! このでっかいのをどうにかしてください!」
ちなみに、クリシュナさんは教会に入ってきた時点の場所から全く動いていなかった。隣では笠酒寄が目を押さえてうずくまっている。どうやら僕以上に効き目があったらしい。
クリシュナさんが背中に背負っていたチェロケースを下ろし、開く。
じゃらり、と連なった弾薬を鳴らしながら現れたのは、クリシュナさんが言ったとおりのブツだった。
つまりはFNミニミ軽機関銃。
無骨な外見通りの、非常に殺傷能力の高い銃だ。……本来は伏せ撃ちで使うものらしいのだが、ゴーレムであるクリシュナさんには関係ないのだろう。
ボルトを引いて、発射準備は完了。
「対霊体用コーティング済み七・六二ミリ弾。どうぞご堪能くださいませ」
パダダダダダダダダダダダダダッ!
クリシュナさんの台詞と同時に、すさまじい勢いで弾丸が発射される。
無茶苦茶な反動があるのだろうが、クリシュナさんは涼しい顔でそれを制御しきっていた。
思っていたよりも銃声は小さいものだったのだが、その威力は凶悪だ。
弾薬が尽きるまでの数秒の連射。それで巨大な人型はボロボロにされてしまっていた。それはもう、見るも無惨に。
残念なことに、謎の巨大人型生命体(?)も現代兵器の前には膝を着くしかなかったようだ。……対霊体用コーティングとかなんとか聞こえた気がするが、その辺は突っ込むだけ野暮だろう。どうせ統魔が作ってるヤツだ。そうに違いない。
ぼろ雑巾のようになってしまった半透明の巨大人型は段々とその姿が薄れていく。
多分、死んだのか、自分を保てなくなってしまったのかのどちらかだろう。どっちもでもいいけど。
「ば、馬鹿な……大天使をこうも容易く……」
あ、天使だったんだ、今の謎の半透明。かなり無残なことになってしまったが。
まあしかし、虎の子だったんだろう。男性の狼狽は明らかだった。
残りの戦力があったとしても、これ以下の小粒なのだろう。男性はすでに腰が引けてしまっていた。
「空木様、弾薬が尽きました。火器による支援を終了します」
…………ん?
「え、クリシュナさん。……え?」
「今回持ち込んだ弾薬は今使用した分で全てです。すでに弾薬は尽きました」
なんで言っちゃうかなぁ⁉
案の定、男性は思わず嫌悪感を催す笑みを浮かべた。
ああ、悪役が悪あがきする時のやつだ。
「やはりっ! 天は私を見放さなかった! 御使いよ、来たれ!」
男性が持っている辞書みたいなモノが光を放つ。
今度はそれほどまぶしくなかったので、何が起こっているのかははっきりとわかった。
ずるり、と辞書から人が飛び出してきた。
いや、その背中には立派な白い翼があるので、天使なのだろう。頭の上に輪っかは浮いていなかったのだけど。
ヤバい、と思って能力を発動しようとした時にはもう遅かった。
飛び出した天使達が僕らのほうに剣を構えて突進してきていた。
「だぁあ! もう!」
今度出てきた天使は人間サイズだったので避けるのはそれほど難しいことじゃなかった。だが、それでも凶器を向けられて平然としていられるほど僕の肝も据わっているわけじゃない。
再び転がりながら、今度はクリシュナさん達のほうに向かう。
途中何度か天使の剣が掠りもしたが、このぐらいならすぐに治癒する。なり損ないとはいえ、吸血鬼なめんな。
突進してくる天使達に容赦のないカウンターパンチをたたき込んでいるクリシュナさんの隣でまだ目を押さえてうずくまっている笠酒寄の所まで行く。
……クリシュナさんは的確に殴りつけては壁まで天使をぶっ飛ばし続けているので放っておいても大丈夫だろう。
問題は、天使を呼び出し続けている男性、っていうかあの辞書みたいなモノをどうにかしないと、いつかは物量に押しつぶされてしまうということだ。びゅんびゅん飛び回る天使の数はどんどん増えている。
僕の能力は一つの対象物にしか発動できないし、弾切れになってしまった以上、どうにかして元凶を断たないといけない。
しかし、僕一人では手に余る。なら手を増やすだけの話だ。
「おい笠酒寄、大丈夫か?」
「うぅ……目ぇ痛い」
うずくまっている笠酒寄に声をかけるが、未だに大天使登場の時の光に目をやられている状態のようだった。
コンディションは悪いだろうが、協力してもらわないと困る。っていうか死ぬ。
「どうにかして目障りな天使達をぶっ飛ばしてくれ。その間に僕が本体をどうにかする」
「うぅ……痛いよぉ……」
くっそ、コイツ……!
本当はすでに治ってやがるな。再生能力に関しては純粋吸血鬼には及ばないものの、人狼も強力だ。その人狼の力を解放している笠酒寄がいつまでもうずくまっているのはおかしいと思っていたのだが、どうもなにやらご機嫌ななめのようだ。
なんだ? 何が不満なんだ? 今に限っては笠酒寄の力が必要だ。
「やってくれたら僕が出来ることなら何でもしてやるから! 頼む、笠酒寄!」
ぴくり、と笠酒寄の頭から生えている狼の耳が動く。
「本当になんでもしてくれる?」
「ああ、僕に出来ることだったらな!」
安請け合いと言いたければ言うがいい。緊急事態だ。
「ホント⁉ 嘘だったらひどいよ」
「嘘なんて言わない!」
「わかった! やる!」
顔を覆うようにしていた手がどけられ、やけに明るい表情の笠酒寄の顔が見えた。
「あのびゅんびゅん飛んでいるのたたき落とせばいいんだね?」
「ああそうだよ。思いっきりやってくれ」
「おっけー。しゅんさつー!」
床が軽くへこむぐらいの跳躍を行って、笠酒寄は天使の群れに突っ込んでいった。
「てりゃー!」
着地点にいた天使の一人が、笠酒寄の踵落としを食らって砕けちる。……どんな威力してんだ?
当然、そんな派手なことをしてしまったので、天使達は笠酒寄に殺到する。
が、しかし。
人狼全開モードの笠酒寄に格闘戦で勝てると思うのは愚かだ。
元々運動神経は悪くない笠酒寄に人狼の身体能力が加わったらどうなるか?
言うまでもなく、一方的な展開になった。
突き出される剣は避けられ、カウンターでたたき込まれる拳や蹴りによって、次々に天使達は砕かれていく。一斉にかかっても、すでに撃墜した天使を盾代わりにして凌いだ後に強烈な一撃を見舞われていた。
怖。人狼怖い。
純粋な格闘戦だと敵わないと思ってはいたのだが、ここまで無茶苦茶だとは思っていなかった。
だが、そのおかげで活路が拓けたのだから感謝しないといけないだろう。
天使達は笠酒寄に釘付けになっている。
僕の視線が、男性の右腕に集中する。
ポニーテールにしている髪がぶわりと浮くのがわかった。
ごぎり。
「かっ……ぁ……!」
本来曲がらない方向に無理矢理曲げられた右腕は、いとも容易く大事に抱えていたモノを話してしまった。
サイコキネシス。
僕本来の、能力。
ちゃんと視線さえ通れば必殺の威力。まあ、意外に使えない場合の方が多いんだけど。
しかし、再生能力も持っていない普通の人間ならば、一撃必殺の能力であることには間違いない。
男性の手から落ちた辞書らしきモノからは、もう天使が飛び出してくることはなくなっていた。
笠酒寄にボコボコにされていた天使達も、透けるようにして消えていった。
男性はまだ動く左手でなんとか辞書のようなモノを拾おうとするが、その手を僕は踏みつける。
「があぁぁぁあ!」
「すいませんけど、これ以上は好き勝手にさせられないんですよ。あと、言い訳は統魔の人達に言ってください」
全力で走って踏みつけたので、かなり勢い余ってしまって骨までいった感触があったのだけど、なるべく冷徹に映るように振る舞う。
隙を見せないことは結構大事だ。
「じゃあ、クリシュナさん。統魔の連絡先、教えてください」
顔だけをクリシュナさんに向けて、僕はなるべく軽い調子でそう言った。




