だいさんかい そのよん
黒い霧みたいなのに包まれてしまって、わたしはなんにも見えなくなってた。
空木君も、ヘムロッドさんも見えない。
「空木くーん! ヘムロッドさーん!」
大声で呼びかけてみるんだけど、返事はない。
しぃんとしているだけ。とっても寂しい。
さっきまで一緒だったのに、二人ともどこに行っちゃったんだろ。離れられるようなスペースはなかったんだけどな。
きょろきょろ周りを見回してみるけど、全然霧が晴れないからなんにも見えないのと一緒だ。
うーん、どうしよ。
腕を組んでむむむ……と考えていると、わたしの人狼イヤーが物音を捉えた。
……くすくすくすくす。
物音じゃなくて笑い声だった。
しかもなんかイヤな感じの。女の子の声だったけど、絶対に性格悪い。
「でも、行ってみるしかないよね」
手掛かりはないし。
あんまり考えるのは得意じゃないから、こういう時には行動あるのみだ。
人狼は解除しないままで、わたしは声が聞こえた来た方に歩き出した。
適当に。
今までわたしの視界を邪魔してた黒い霧がいきなり晴れた。
もうすっごく唐突に。
でも、晴れたのは良いけど、その場所は変な場所だった。
大きな体育館みたいな場所。
その一面に、空木君の写真が貼ってあった。
所々、わたしの家族の写真とか、ヴィクトリアさんの写真とかも混じってるけど、メインは空木君だ。
それが、壁だけじゃなくて天井にまで貼ってあった。
ちょっと、これは気持ち悪い。
それに、この写真。
全部、わたしが空木君と一緒に居たときの写真だ。
それなのに、わたしは写ってない。
どういうことだろ?
「それは思い出。あたしと、空木君の思い出。大切な思い出」
耳元でささやくみたいなそんな声がした。
「!」
びっくりして振り向くと、そこには女の子がいた。
けど、ただの女の子じゃない。
だって、わたしにそっくりなんだから。
「なぁに? そんなに自分の姿にびっくりする? ふふ、変なの」
ねちゃぁ、とかそういう音がぴったりの笑い方で、わたしにそっくりの女の子は笑う。
うえ、キモい。
あんまりわたしとしては関わり合いになりたくないタイプなんだけど、見過ごせないことがある。
「なんで、わたしの姿してるの?」
著作権? 肖像権? とにかく勝手にわたしの姿を真似しないで欲しい。
だって、わたしはわたしで、他の誰でもないんだから。
「なんで? なんでってなんで? あたしはこの姿。だってあたしなんだもの」
うっわ。これって喧嘩売られてるのかな? ううん、あんまり早々(はやばや)と決めつけちゃうのは良くないよね。だって、なにかの事情があるのかも知れないんだし。
「えぇっと、言ってることがよくわからないかな?」
「なァんだ、馬鹿じゃないの? あんなにわかりやすく説明してあげたのに。顔だけじゃなくておつむも足りてないんじゃないの?」
ぶち。
これはもう怒って良いと思う。
正々堂々と喧嘩売ってきた以上、わたしはすごすご引き下がるような女子じゃない。
どっちかって言うと、先制攻撃仕掛けるタイプだし。
押さえ込んでいた人狼の力を少しだけ解放すると、ざわざわと手足に狼の毛が生えてくる。
威圧感としてはバッチリだと思う。だって、これで殴られたりしたらとっても痛いし。
「へぇ? それで、どうするの? あたしをぶっとばす? そんなこと出来ないよ」
……暴力はあんまり良くないとは思うんだけど、多少は痛い目を見てもらうことが決定した。
相手は一応女の子の(っていうかわたしの)姿をしているから、手加減した一撃を放つ。
「はっずれー」
ひらり。そんな音が聞こえそうなぐらいなほどの華麗さでわたしの姿をした女子は一撃を躱していた。
え?
「ふふ、知ってるんだよ? あたしの一撃は必ず右から。左手はあんまり使いたくないもんね」
顔を寄せてきて、わたしにそっくりの女子はささやく。
甘く、そして、冷たく。
「!っ」
振り払うみたいに左手で薙ぐと、後ろに飛び退くことでそれも躱されてしまう。
うそ……けっこう全力だったのに。
まだ完全には人狼状態じゃないけど、手足は人狼の力を発揮できる。
人間じゃあ、避けられない。わかっていても、避けられる速度じゃない。
それなのに、この女子は避けた。
そして、わたしは気付いた。
その手足が銀色の毛に覆われていることに。
冬だっていうのに、半袖にスカートだったから余計にその違和感はすごかった。
「……え?」
空白。
一瞬、理解が追いつかなくて頭の中が真っ白になった。
相手はそんな隙を許してくれるような感じじゃなかった。
すごい音を立てて右手が襲ってくる。
手の先まで人狼化してるから、その鋭い爪なんかが当たったらひとたまりも無い。
全開モード!
わたしの頬を狼の毛が覆う。
髪が変化して頭の上で耳を作る。
人狼を全開にしたおかげで、相手の動きも多少ゆっくりと見えるようになる。
全開はちょっと疲れるけど、緊急事態だからセーフ!
という言い訳をして、わたしはのけぞって爪を躱す。
普段のままだったら絶対にそのまま倒れちゃうような姿勢になるけど、そこは人狼全開モードのおかげで耐える。
そのまま、元に戻る勢いをつけて殴りつける。
だけど、肝心の一発は当たらなかった。
正しくは、受け止められてしまった。がっちりと、それはもうこの上なく。
ぎりぎりと爪が食い込もうとしてくるけど、生えている毛のおかげでそれは防げる。
問題なのは、振りほどけないこと。
今のわたしの力でもだめ。おんなじぐらいに力が強い。
っていうか、目の前の女子も頭の上に獣耳が生えてた。
この子も人狼⁉
「驚いてるの? 当たり前でしょ。あたしはあなた。だったら人狼の力が使えても何の問題もないし、なんならもっと上手く使えても良いと思わない?」
掴まれてしまってる右手の代わりに、左手での貫手。
これも、掴まれちゃった。
「習ってた空手、こういう時にも使い物にならないんだからしょうもないよね。ホント、なんで女の子に空手なんてさせたんだろうね、うちの親」
そんなことは空木君にも言っていない。なのに……この子は知ってる。なんで?
両方とも腕を取られちゃって、拮抗状態になっちゃう。……まずいかも。
立ち技はそれなりに得意なんだけど、投げや極めは練習したことない。
普段なら人狼のパワーで押し切っちゃうんだけど、相手も人狼だとそういうわけにもいかないみたいだ。
すごく、イヤな予感がする。
「ねぇ、言ってるじゃない。あたしはあなた。同じ能力で、同じ記憶で、そして、同じ考えを持ってる。ま、ほんの少しだけあたしは自分に素直なんだけどさ」
そう言って、またねばっこい笑みを浮かべる。
わたしはそんなに変な顔しない!
とっても不愉快だ。
だから、何が何でもわたしはこの子をぶっ飛ばそうと思う。
両手を掴まれてるなら、足がある。
地面ごと相手の顔を抉るように蹴り上げる。
「こっわ。そうやって空木君に近づく女の子は全部ぶっ飛ばすの?」
また、躱されちゃった。
向こうは飛び退いたから両手は自由になったけど、全部避けられてるのはショックだ。
人狼の能力に目覚めてから、ううん、小さい頃から他の子よりも運動神経はよかったから、男子と喧嘩することがあっても大抵は勝っちゃってた。流石に中学生になってから殴り合いの喧嘩はしたことなかったけど。
だから、女子と殴り合いになっても勝てるつもりだったんだけど、目の前の相手はひと味違うみたいだ。
向こうの言っていることを信じるとしたら、とってもまずい。
わたしは、わたしとの戦い方なんてモノは知らない。考えたこともない。
空木君やヴィクトリアさんとは毛並みが違う。だって、狼だ。
獣なんだ、わたしの能力は。
「ほらほら、あんまり考え込んでも無駄なんじゃない? だって、あたしはケダモノ。ううん、『あたしたちは』、ケダモノ」
また、その顔だ。
見てると不愉快になってくる顔。
自分以外には全く価値を見いだしていない顔だ。
「そぉんなことないよぉ、あたしにだって、執着するものはあるよ。空木君とかさ」
空木君。その単語でわたしの心臓がどきんと跳ねる。
「図星? まあ、そうだよね。自分以外に知ってるはずがないもんね。……どれだけ自分が暗い女かってことは、さ」
口の中がからからに乾いてく。
緊張のせいで、上手く喉が動いてくれない。
「言ったでしょ? あたしはあなた。だから知ってる。あなたが空木君に近づく女にどんな感情を抱いているのかっていうことも知ってるんだから」
言わせちゃダメだ!
無理矢理に体を動かして向かっていくけど、あっけなく一撃を躱されちゃう。
それでも、わたしは追っていく。
「必死みたいね。でも、だぁめ」
それを聞いちゃったら、わたしは……。
「空木君に近づく子、ぜーんぶ殺したいんだもんね。人狼の力で引き裂いて、ばらばらにして、二度と空木君に近づけないように。ヴィクトリアさんも、小唄ちゃんも、佐奈平ちゃんも誰も彼もみーんな」
力が抜ける。
わたしが、誰にも言わなかった感情を暴かれてしまった。
誰にも知られなくなかった感情を、隠しておきたかった感情を、必死に押し殺してきた感情を。
捨てられなかった感情を。
「う、うぅ……」
「なに、泣いているの? ふーん、でもあなたの思ってたことでしょ? 抱いていた思いでしょ? ぶつけたかった感情でしょ? そして、実行したくて、思い留まって、それを繰り返して、自己嫌悪に陥ってる。そうでしょ?」
……その通り。何度もわたしは思ったんだ。人狼の力を制御できてるんだから、その力を使って空木君を独占できないかって。
そう、わたしはとっても悪い子なんだ。
でも、そんなわたしは空木君と二人で居るときにはその黒い感情から逃れることが出来た。
楽になることができた。
だから、わたしは空木君と一緒に居るときには、人狼を忘れることができた。
でも、それはもう無理みたい。
こんな風にはっきりと指摘されちゃうと、嫌でも意識しちゃう。
自分の隠してきた部分を。
立つことが出来なくなって、わたしは膝をついてしまう。
もうやだ。
なんでわたしがこんなことになっちゃうんだろう。
こんな、自分でも知りたくなかった事実を突きつけられるなんて、誰が予想してたんだろ。
わかんない。
今すぐにでも、このまま寝てしまって、夢なのを祈りたい。
「大丈夫だよ、どうすれば良いのかわかってるでしょ? ……全部殺しちゃえばいいんだよ。空木君に近づく女はぜぇーんぶ。そしたら、空木君もあたしを見るしかない。もし空木君が嫌がっても、止めるにはあたしを殺すしかない。それはそれで永遠の愛じゃない?」
膝を突いてるわたしに近づいて、“わたし”がささやく。
なぜか、その言葉はとても、甘く感じた。
このまま提案に身を任せてしまったら、どんなに楽なんだろ?
そんな風に考えてしまった。
「笠酒寄クン。自分自身に負けるんじゃない。キミはそんなに弱いコじゃないだろう?」
唐突にヘムロッドさんの声が聞こえた。
どこから聞こえているのかはわからない。でも、確かにヘムロッドさんの声だった。
声は続く。
「キミの目の前にいるのはキミが恐れている自分自身だ。鏡に映った自分に呑まれてしまったら、終わりだよ」
平坦な言葉だった。
だけど、いつかヴィクトリアさんに言われたことだ。
いつだったのかは忘れちゃったけど、確かに言われたことだ。
ヴィクトリアさん……空木君と一緒にいられるのは、ヴィクトリアさんのおかげだ。
でも、わたしはそんなヴィクトリアさんにも憎しみをぶつけようとしてた。
そんなわたしは、大丈夫なのかな?
答えてくれる人はいないだろう。きっとそれは自分で決めることなんじゃないかな。
ぎりりと歯をかみしめる。
「ほぉら、あたしと一緒に暴れようよ。ぜんぶぜんぶぶっ壊して、最期にはあたしと空木君だけが世界に残る。それはとっても素敵だと思わない?」
……ほんの少しだけ、そう思っちゃう自分がいることを認める。
わたしには、卑怯で陰湿で、とっても嫌な女の子の部分があることは間違いない。
でも、それもわたしの一部なんだから。
「ごめんね。わたし、それは嫌」
決別なんかじゃない。だって、これもわたしの一部なんだ。
でも、それに流されるままになってしまうのはもっと嫌だ。
わたしは悩んでいくんだろう。自分を嫌悪していくんだろう。
それでいいんだと思う。
だって、きっとそれは『人間』だから。
人狼のわたしが、人間でもあることの証明なんだから。
顔を上げる。
わたしそっくりの顔が目に入った。
でも、そろそろ終わらせなきゃ。
うじうじしてるのなんて、わたしらしくないしね!
もう一回、人狼を全開にしていく。
ざわざわとわたしの全身が変わっていく。
今までは変化が無かった顔の部分も変わっていく。
ぎしぎしと骨格も変化していく。たぶん、身長もかなり伸びてると思う。服が破けちゃってるし。
目の前の『わたし』は、見るからに動揺してた。
完全に人狼になってしまったのは、空木君と戦ったとき以来だから。
指輪をはめてもらってからも、わたしはこの状態になったことはなかった。
怖かったから。
でも、いまは出来ると思った。
そして、出来た。
「うそ⁉」
『わたし』は、びっくりした顔で後ろに下がろうとしたんだけど、もう遅かった。
完全に人狼化した状態のわたしは、もう追いついてる。
「ばいばい、わたし」
どごん。
打ち下ろした右手には、確かに殴りつけた感触があった。
だけど、次の瞬間には何もなくなっていた。
わたしそっくりの『わたし』は跡形もなく消えてしまっていた。
どうしよう。
ここからどうやって出たらいいのかわからないんだけど。
とりあえず、この体育館みたいな場所の壁を破ってみようかと思った瞬間、わたしの意識は暗転した。
「目が覚めたようだね」
いきなり飛び込んできたのはヘムロッドさんの顔だった。
無表情だけど、その分落ち着く。
「あれ? 『わたし』はどこですか?」
うーん、意味不明。
わたしそっくりの『わたし』。消えてしまった『わたし』の事を訊いたつもりだったんだけど、これじゃあヘムロッドさんには頭がおかしくなったようにしか思えないよね。
「心配要らないよ。あれはキミの心の中、そのどこかに居るはずだ」
あれ、話が通じちゃった?
不思議なこともあるもんだ。
「は! 空木君! 空木君はどうなりました⁉」
最後に空木君の姿を見たのは黒い霧に包まれてしまう前だ。
もしかしたら、まだ霧に捕まってるのかも!
そんな風に考えているわたしに、ヘムロッドさんは黙って指さすことで応えた。
指先を追っていくと、空木君が横たわっていた。
眠っているみたいに目を閉じているけど、なんか苦しそうな表情だ。
「空木君も笠酒寄クンと同じように自分自身と戦っているところだろうね。これから呼びかける」
その答えを聞く前にわたしは空木君の隣に移動してた。
「空木君、大丈夫⁉ 返事して!」
嫌だよ、このままお別れになっちゃうなんて嫌だよ!
空木君の胸を叩く。そうすることで空木君が目を覚ますような気がしたからだ。
「空木君、起きてよ! ねえ! お願い、起きてよぉ!」
両手で空木君の胸を叩く。
何回も何回も。
「……おい笠酒寄、なんで僕の胸をそうも執拗に殴ってくれているのかな?」
「空木君⁉ 起きた! よかったぁ!」
うれしくって思わず抱きついちゃった。
うっかり人狼の力で。
解放しちゃってたみたいだ。
空木君は照れちゃったみたいで、すぐに振りほどかれちゃったけど、わたしは空木君が起きてくれてとってもうれしかった。
そして、やってきたヘムロッドさんと二言三言会話して、わたしたちは再び鵺を捕まえるために進み始めた。