第一怪 その1
「おい空木、お前また彼女とデートかよ。いいねえ、彼女がいらっしゃるお方は。ちっとは俺にもその幸せを分けてくれよ。っていうかくれよ。俺に彼女をくれよ! 頼むよ!」
「うっさい。クリスマスが近いからって焦るなよ。そうやってその時々の気分でくっついたり離れたりしても良い事なんてないだろ? ……諦めろよ」
「鬼! 悪魔! リア充!」
「その並びは正しいのか正しくないのか僕にはわからないな」
隣の席の五里塚宗司の罵倒(?)を華麗にいなして、僕、空木コダマはカバンを持つ。
野球部ゆえに坊主頭の五里塚は未練がましい視線を送ってきていたのだが、そんなことは僕の知ったことじゃない。行かなきゃならない場所があるし、そして、一緒に行くのは確かに彼女なのだが、同時に仕事仲間とも言える存在なので、デートかと問われれば首を横に振らざるを得ない。
まあつまり、これから行くのはバイトだ。
しかし、普通のバイトじゃない。
『怪』、つまりは奇妙な事件やら事象やらの解決に奔走する、脳みそにシャイニングウィザードを食らっても至らないであろう考えの場所だ。
「じゃあな、五里塚」
「おう、また明日」
笠酒寄は寄りたい場所があるので先に向かっているから、僕は一人で昇降口に向かった。
このときには、明日もいつも通り五里塚の顔を見ることができると、僕は思っていた。
「ねえねえ空木君、クリスマスはどうする? おうちデート? それともどこかに遊びに行っちゃう?」
「え、なに? お前の中ではすでにクリスマスは僕と一緒に過ごす予定なの?」
バイト先に向かう途中。合流した笠酒寄ミサキはそんなことを開口一番のたまってきてくれた。
唐突だ。唐突すぎてびっくりしてしまった。
確かに、すでに十二月だし、あと十数日でクリスマスにはなるのだが、僕たち高校生にはまだ期末テストという関門が待ち構えているのだ。それ次第では冬休みも補習になってしまうというのに、すでにその予定を固めにかかる笠酒寄の先走りっぷりは感心してしまう。
僕が予定を立てなすぎるだけなのかもしれないが。
僕の返しで、ボブカットの髪を揺らすぐらいの大仰な動作で笠酒寄は驚きを示す。
「え⁉ 空木君、わたしって、空木君のなに?」
「彼女だな」
「じゃあ、クリスマスは誰と過ごす?」
「……家族? ぐっ!」
脇腹を抉るように突かれた。思わず膝を折る。
女子の力だから大丈夫だろうとか思わないで欲しい。
コイツは人狼に変身できる。そのうえ、普段から多少は身体能力が強化されている。
今の一撃も、とある事情からなりそこない吸血鬼である僕じゃなかったら骨にヒビぐらいは入っていたんじゃないかというような威力だ。っていうか、彼氏なんだから手加減しろ。いや、彼氏じゃなくても手加減しろ。世の人間は僕ほど頑丈でもないし、怪我の治りも遅いんだぞ。
「ぉぉぉぉぉ……」
「もう! 空木君はもうちょっと女心ってやつを勉強してよね! 小唄ちゃんとかに聞いてさ!」
痛みで悶絶してる僕に笠酒寄はそんな事を言ってくるが、小唄のやつは参考にならないだろう。僕の妹ながらも、アイツが世の平均的な女子の心情を理解できるとは思えない。むしろ逆効果だろう。っていうかまた小唄のやつは僕が知らない間に僕の知り合いとコンタクトを取っているのか。我が妹ながらその情報収集能力が恐ろしい。
「……かっ……くぅ……」
「……えっと、空木君、大丈夫?」
これが大丈夫に見えるのなら眼科に行け。
突かれた箇所を押さえて、声も出せない状態の僕を心配そうに笠酒寄がのぞき込んでくるが、誰がやったのかを問い詰めてやりたいぐらいだ。再生能力はあっても、痛みに対して強いわけじゃない。
「……はぁ、笠酒寄、お前ちょっとは手加減しろっての。僕じゃなかったら死んでたかもしれないぞ」
「大丈夫だよ。こんなこと空木君にしかしないし」
はにかむような笑みを浮かべる笠酒寄様であった。
普通の男子だったらドキっとする仕草なのかも知れないが、今し方地獄をあじわわされてしまった僕としては恐怖しか感じない。
なんてこったい。女子のこういう顔に対してこんな寒気を覚える日が来てしまうとは。
この世界の神様はクソッタレに違いない。
やっと痛みも収まって立てるぐらいには回復したので、僕は取り落としてしまったカバンを
拾ってから立ち上がる。
あまりグズグズしてると怒られてしまうかもしれない。
「行くぞ笠酒寄。もしかしたら依頼が来てるのかもしれないし」
「……うん、そうだね」
笠酒寄の顔はあまり晴れないものだったが、その理由はわかっていた。
だが、そのことについては触れずに、僕と笠酒寄は目的地に向かって歩きだした。
ハイツまねくね。見かけ上は平凡なこのアパートの二〇一号室には妙ちきりんなプレートがかかっている。
〈百怪対策室〉
怪しさビッグバンなこの場所が僕と笠酒寄のバイト先だった。
迷うことなく僕はインターホンを押す。
キン、コーン。
これまたよくある呼び出し音がなるが、以前とは違ってすぐに応答はやってきた。
「どちら様でしょうか? 姓名をお告げください」
ノイズ混じりだがはっきりわかる、落ち着いた女性の声。
人間にしかみえないゴーレムのクリシュナさんだ。
「空木コダマです。笠酒寄も一緒です」
「承知しました。鍵は開いておりますのでお入りください」
ぶつり、と音声は途切れる。
抑揚のない口調は、人によっては無愛想だと批判する所かもしれないが、僕はこれが彼女の平常通りだということを知っているので、特に気分を害することもなくドアを開ける。
以前と同じような、異様な空間。
外見は1DKが精々のハイツまねくねなのだが、百怪対策室内部は人が十人ぐらいは並べるぐらいの廊下が広がり、何枚ものドアが並んでいた。
……過去に何度かこの光景によってトラブルになりかけたこともあるが、僕の横に居る笠酒寄は今更のことなので動揺しない。
とっとと僕も笠酒寄も靴を脱いでスリッパに履き替え、一番手前の右側のドアを開ける。
百怪対策室内応接室。室内に更に室をつけるな、と命名者には文句を言ってやりたいが、当の本人は現在とんでもない状態になってしまっているので文句も言えない。
くそ。
室内には、いつものようにテーブルを挟んで配置されているソファが二つ。
片方には、きっちりとしたスーツに身を包んだ老紳士が座っている。なでつけるようにした銀髪と、怜悧なグレーの瞳がなんとも冷徹な雰囲気を醸し出していた。
そして、その後ろに控えるように立っている若い女性。
ぱっと見はメイド服にも見えないこともない服を、これまたきっちりと着込んだ若い女性だ。
男性のほうがヘムロッド・ビフォンデルフさん。女性のほうがクリシュナさんだ。
本来は両方とも、この百怪対策室にはあまり関係のない人物なのだが、主が不在の間の代行として、滞在してくれているのだった。
「やあ空木クン、寒々としている日本の空というものはなんとも寂しいものだね。ブリテンの天気は年中曇り気味だが」
「は、はあ……」
天気の話、なのだろうが、いきなりブリテンを引き合いに出されてしまっても純日本人たる僕にはなんともコメントしがたい。だから返事のほうもなんとも曖昧なものになってしまった。
クリシュナさんのほうは黙って一礼しただけだった。僕としてはこっちの反応のほうが助かるような助からないような……いかん、大分室長の毒舌に染まってきているみたいだ。
「こんにちは、ヘムロッドさん」
「こんにちは、笠酒寄クン。おや、今日は少し装いが麗しいね。なにか良いことでもあったのかな?」
「え、わかるんですか⁉」
「当然だよ。些細な変化に気がつかないようでは男としては情けないからね」
「えへへへ」
……どうせ僕はまだまだ未熟者ですよ。
だらしなく顔を弛緩させる笠酒寄のことは放っておいて、僕はいつものようにヘムロッドさんの対面のソファに座る。
すぐに笠酒寄も僕の隣に座ってくる。
あんまり近づくな。お前の髪は刺さると痛いんだよ。
ひっついてこようとする笠酒寄を制しながら、僕はヘムロッドさんに尋ねる。
「なにか、ありましたか?」
僕は何もなかった。これでヘムロッドさんのほうも何事もないようならば、今日の百怪対策室は終了となってしまう。
が、淡い期待をこめた僕の質問は、思いっきりカウンターを食らう羽目になってしまった。
「あるね。これから来客がある。どうも『怪』に遭遇してしまっているようなんだ。ざっとしか話は聞いていないんだが、私達が動かないといけないような事件だね」
『怪』。理屈や常識では説明できないような物事を百怪対策室ではそう呼称している。
しかし、一体どこでそんな話を聞いたというのだろうか?
最近の百怪対策室の基本は僕が妙な話を仕入れて、それを室長に吟味してもらってから依頼人にコンタクトを取る形式になっていた。
少ない方の事例だが統魔、つまりは統一魔術研究機関からの依頼という形の仕事もあったのだが、それはどちらかというとヘビーな事件が多かったので勘弁願いたい。
「安心したまえ、統魔からの依頼じゃない」
顔に出てしまっていたらしい。やはり僕はポーカーには向いていないようだ。
では依頼元はなんだ?
そんな疑問に答えるようにヘムロッドさんはテーブルの上に置いていたノートPCの画面を僕に向けてきた。
〈奇妙な事件にお困りではありませんか? 警察に相談しても効果が上がらない。オカルトと一笑に付されてしまうようなおかしな事件。そういった諸々の解決請け負います。解決するのはこの道の専門家です! ご安心ください〉
百怪対策室代表ヴィクトリア・L・ラングナー、と末尾には百怪対策室の本来の室長の名前が記されていた。
ウェブページ自体はそこまで凝った造りにはなっていないが、それでも文言のうさんくささは徹頭徹尾、微塵も揺らがなかった。
っていうか、完全に詐欺ページにしか思えない。
「……なんですか、この……これ」
形容する言葉が見つからないので代名詞で置き換えることしか出来なかった。
っていうかこの珍妙なページを形容する言葉を持っている知性体がいたら僕の前に現れて一席ぶって欲しいぐらいだ。
そのぐらいに意味不明というか、関わり合いになりたくないオーラがぷんぷんしていた。
「どうもヴィクトリアは百怪対策室のページを制作していたようだね。ご丁寧にメールフォームまで用意していたのだが、今回の話はそこにやってきたものだよ」
なるほど。室長は僕だけじゃなくて、ネットでも『怪』の話を収集していたわけだ。
なんでまたネットという玉石混淆の場所でそんなことをしようと思ったのかはわからないが。まあ、単に室長がネットサーフィンをするついでに出来るように設置しただけの気がしないでもない。
「……その話って本当に信用できるんですか? ヘムロッドさんは知らないかも知れませんけど、日本のインターネットって嘘八百がまかり通っている部分があるんですよ?」
「安心したまえ。魔術を組み込んであるから嘘を送りつけようとするとネットが遮断されるようになっている」
軽いように思えるが、けっこうえげつない。
多分、そういうことが出来るっていうことは、他にも色々と仕込んであるんだろう。
僕は絶対にこのページにアクセスしないと心の中で固く誓った。
そこは置いておくとして。
「じゃあ、ヘムロッドさん。依頼される『怪』はなんなんですか?」
これまでは実際に室長が話を聞いてからネタばらしをすることを好んでいたのだが、ヘムロッドさんはそうでないことを祈る。どういう『怪』なのかぐらいは知っておきたい。名前もついているのならば、僕は知らないかもしれないけど、聞いておきたい。
ほんの少しだけ、ヘムロッドさんは口の端を持ち上げるような表情になった。
「今回の『怪』はね、空木クン。ファフロッキーズだ」
なんですかね、そのお菓子みたいな名前は。