第11話 離反! 脳改造の穴
朝食後、人質組は日曜にもかかわらず大学へ行った。映画研究会は今日も活動しているらしい。二階堂も行きたそうにしていたのだが、今は状況把握が優先事項ということで、残った。名誉会員の大佐も行きたくて仕方ないらしいので、話が終わったら2人は出かけてよしとのお達しが出た。
おそらく今頃は、純が面白おかしく人質体験や、二階堂の仮説を語っているに違いない。
「フィクション実在説」については語り尽くした感があり、二階堂が調べた組織については分厚いレポートが用意されているので、話題はなんとなくレジナルドの方に向かった。
「ドルとユーロを持ってたってことは、こっちと似たような世界なのかな?」
「だいたいそうかな。でも、ナオに地図見せてもらったら、ちょっと違ったよ」
こちらにあってあちらにない国、若しくはその逆。レジナルドが暮らしていたのも、そんな一致しない国の一つだった。
「でも通貨はドルとユーロなんだ」
「住んでるところはドルだったけど、旅行が多かったからね。たまたま持ち合わせの多いときに飛ばされたのが不幸中の幸いかな」
「蟹江さん、おれ、道中で聞いたんだけどさ。こいつ吸血鬼と友達らしいぜ」
「吸血鬼! そっちには普通にいたの?」
「いや、こっちも表向きには幽霊とか魔法とか、ないことになってる。でも隠れ住んでるやつはいて、偶然知り合った」
それもなかなかとんでもない偶然だった。レジナルドは食事のストックとして一服盛られて監禁され、命からがら逃げ出してきたとのことだ。そこからどうやって友達にこぎ着けたのか一同が尋ねれば「年齢制限付きの壮大な叙事詩になっちゃうから以下略」だそうで。
「で、そいつをツテに吸血鬼の知り合いは何人かできたけど、吸血鬼以外の不思議な生き物が存在するかはわからずじまいだったな」
「人狼とか、魔女とか」
「狼に変身できる吸血鬼はいるらしいし、吸血鬼で魔女ってのもいたけど……別種は知らない」
「レジナルドのぼんは、うちよりあのマンションのほうが向くかもわからんの」
今まで黙って聞いていた元帥が顔を上げた。
「マンション?」
「錬金術師が持ってるマンションでな。それこそ魔女だとか、虎だとか、邪神だとか、いろいろ住んどる。確か、吸血鬼もいたな」
「行ってみたいです!」
「丁度、うちの若いのが使いに行っとる。向こうで合流したらいい」
「その人も改造人間なんですか?」
「変身ヒーロー」
「是非お近づきになりたいです!」
***
「……図々しいったら、ありゃしねえ」
「なんか言った?」
***
月影は我慢強いと自負している。
だがそれも限界に近かった。
男爵はいちおう、情報収集だけはしているらしかったが、具体的な作戦は行わないままだ。そもそも日本行き自体が急に決まったので、戦闘員や設備が足りないのは仕方ない。仕方ないが、足りなりなりにできる作戦だって考えればいいし(考えているのかもしれないけれど)、月影が資料つきで提案しても「検討する」との返答だけだ。さすがに目を通してはいるようだけれど、なら、なぜ、動かない。
それだけなら、まだ我慢できたかもしれない。いいわけはあるのだ。前述の通り、人も物も足りない。だから今は雌伏の時だというのなら、月影はもう少し耐えられた。
なのに実際はどうだ。
男爵は「異動」と「バカンス」の区別ができていないのか。
先日の「カレー事件」から、彼は何かと外に出るようになった。毎回月影に同行するか聞いてくるが、用件を月影が聞くと、同行する価値の感じられない返事ばかりが返ってくる。
「公園の鳩にえさをやろうと思ってる。1度やってみたかったんだ」
「夕飯の買い出しに行くよ。何が食べたい?」
「公民館でオペラのDVDを貸し出しているらしくて」
等々、頭の痛くなる返事が返ってくるのだ。
月影にも心はある。小動物をかわいいとは思うし、食事はおいしい方がうれしいし、観たい映画もある。
それよりも圧倒的に、組織の命令が重要というだけで。
この時点で耐えがたかったが、忍耐強い月影は耐えがたきを耐えた。心折れることなく、進言を続けた。
だがいつからか、彼に疑念を抱いていた。決して抱いてはいけない疑念だった。
今日、その疑念が確信に変わってしまった。
「世界征服って、本当に必要なのかなあ」
夕食後。
麦茶片手にテレビを観ながら、男爵は言った。
月影は怒らなかった。悲しくもなかった。ただぽっかりと、絶望という穴が、胸に空いた。
「なぜ?」
月影の声は震えない。
一定以上の動揺は、彼女の感情ギアを自動的にロウにする。
毎日表情豊かに男爵を叱っていたはずの顔は、すべての感情を放棄した。
「世界平和のために、世界征服をしてるというのは知っている。だけれど、世界征服によって世界の平和を乱している気がするんだ。確かに紛争地域なんかは、征服することで戦争をなくすことができるのかもしれないけれどーー
征服されていなくても、世界がつながってしまっても、恐るべき存在が次々に現れても、この街はこんなに平和じゃないか。
既にある平和を、世界征服のために壊してしまっていいのかな」
月影は、脳改造をされている。洗脳も一緒にされている。だから組織のやり方には、一切疑問を持たない。よほど古いタイプでない限り、組織の改造人間はほぼ全員脳改造済みである。
もちろん、男爵もされているはずだ。
なのに、組織の理念に疑問を呈す。
「男爵殿。あなたと私の発言が、すべて録音されているのはご存じですね」
「そういえば、そうだったな」
「そして、リアルタイムで監視員が聞き取っています」
「うむ」
「もちろん、先ほどの発言も。たった今、本部から私に通信回路で指令が入りました」
「聞きたくないが、一応、聞いておこうか」
「本部は男爵殿を『脳改造に重大な欠陥あり』とみなしました。よって、廃棄処分となります。廃棄担当者はーー私です」
「美しい女性を敵に回すのは、切ないものだね」
芝居がかった仕草で、涙をぬぐうふりをする男爵。その間に、月影の黒いスーツが音を立てて裂けていく。胴体部分はかろうじて残っているが、袖は外れ、腕だった場所には鉤爪付きの黒い翼が生えている。
「上司として最後の言葉になるが……きみは屋外で変身した方がいいと思うよ。ひっかからないの、それ」
決して広くはない室内、テーブルの上の物を撒き散らし、椅子を倒して振り下ろされる翼をくるくる躱し、都合よく開きっぱなしの窓から男爵は身を躍らせた。アパートは3階。改造人間がどうにかなる高さではない。追いかけようと月影も窓枠に足をかけたが、その途端、焼けるような痛みが頭蓋の内側を襲った。出遅れる。
真夜中の住宅街に、既に男爵は紛れた。遮蔽物が多すぎて探知は困難だ。
2人で組まされた時点で、互いの位置を確認できるシステムも搭載済みだが……男爵が「上司権限」で受信部を焼き切って行ってしまった。このままだと、自分の居場所ばかりが一方的に男爵に割れる。いろいろな意味で痛い頭を軽く振って、月影は人間態に戻った。