45.鏡の試作品を作ろう! 後編
45.鏡の試作品を作ろう! 後編
俺は膝の上に座ったクラリッサに、銀を使った鏡の試作品作りをレクチャーしていた。
今は溶けた銀に、アンモニア水を混ぜようとしているところだ。
「アンモニア水は直接臭いを嗅がないように注意しろ。俺が元いた世界では劇薬に指定されていたからな」
「うん、分かった」
クラリッサがいつもの淡々とした調子で頷いた。ただ、冷静そうに見えて、とても真剣に聞いてくれているのが分かる。
その証拠に、横から見える彼女の表情は、熱心に目の前に並んだ材料たちに注がれているのだ。
今回、俺が提案した銀メッキによる鏡作りについて、強い興味を持ってくれているのだろう。
俺はクラリッサの手を後ろから握り、その手を誘導する。
すると、少女は積極的に俺の意図をくんで動こうとする。
勉強熱心で、俺としてもやりやすい。
俺は彼女の手を使ってアンモニア水の入った瓶を持ち上げると、それを溶けた銀の方へと傾けた。
そうして、ゆっくりと液体を注いで行く。
しばらく、その作業をしていると、興味関心が疼くのだろう、
「どのくらいまで入れるもの?」
と質問してきた。
素材同士の混合比率が気になるに違いない。
ふむ、と俺は少し乗り出して銀液の溜まった瓶を覗き込む。
「少し沈殿物が出来ているな」
茶色の細かい物体が、底の方に見えた。
確か、もう少し混ぜた方が良かったはずだ。
さすがに、細かい混合比率までは覚えていない。
だが、エッセンスくらいは記憶していた。
「瓶の底に茶色の底だまりみたいな物があるだろう? それが消えるまでは、アンモニア水を注ぎ続けるんだ」
俺がそう答えると、少女は感心した様子で何度も頷くと、
「了解した」
と、瞳の奥に知的探究心の火を燃やして言うのだった。
「・・・・・・さて、もういいかな」
しばらくしてから俺が合図する。
するとクラリッサは”ピタリ”とアンモニア水の入った瓶を傾けるのをやめる。
そうして、「次はどうするのか」と、熱心に目で問うて来るのであった。
やれやれ、鏡は逃げないってのに。
俺はそう思って苦笑し、
「よし、じゃあ次の工程に進もうか」
と言ったのである。
すると、クラリッサは唇の端を微かに上げた。
俺は知っている。この少女にとってはこの微妙な表情の変化が、実は満面の笑みなのである。
どうやら、次に何をするのか、相当楽しみなようだな。
よく見れば、足もプラプラとさせている。
「この作業が最後になるが、最終工程は”スピード”が大事なんだ」
俺は出来るだけ分かりやすく説明しようとする。
クラリッサが真剣な表情で耳をそばだてた。
「今作った銀液に蜂蜜を混ぜると、反応して銀の抽出が開始される。つまり、銀メッキが始まるんだ」
俺は蜂蜜の入った瓶を指差してから、それを先程生成した銀液の方へと動かす。
少女の眠たそうな瞳が、心なしか開いたような気がした。
今回の作業の仕上げだからな。楽しみなのも無理はない。
「ただ、銀液と蜂蜜の反応はかなり早い。だから、もしも混ぜた後、少しでも放置しておけば、そのまま瓶の底がメッキされてしまうだろう。そうなる前に、溶液をガラス板に塗ってしまわなければならない」
すかさずクラリッサが、
「それはどれくらいの時間?」
と、質問してくる。
良い質問だ。そうだな・・・、
「とりあえず、今回は20秒以内を目標にしよう」
「分かった。ところで早すぎてダメということはない?」
ふむ、本当に優秀な生徒だな。
「いい指摘だな。実は混合比率や気温なんかで、反応速度は変わるんだ。だから、反応が完了するまでの正確な時間は予想出来ない。ただ、反応は別に、瓶の中で起こさなくても良いだろう?」
そんな俺の説明に、クラリッサは、
「!? そっか・・・」
と目からウロコだとばかりに驚く。
そういうことだ。
俺は彼女が理解した事を見て取ってから、説明を続ける。
「どうせ、こいつはガラス板をメッキするための溶液だからな。ともかく早く塗ってしまったら良いんだ。そして、ガラス板の上で反応が進むのを待てばいい」
クラリッサが頬を少し紅潮させて、感心したように頷く。
「よし、説明は以上だ。銀メッキされたら水で洗い流して完成となる。早速やってみよう」
そうして俺たちは今言った工程を丁寧に再現して行ったのである。
銀液に蜂蜜を注ぎ、時間を置かずにガラス板に刷毛で素早く塗って行く。
こういった細かい作業は、さすが本職のドワーフ娘であるクラリッサがうまかった。
初めての作業内容だというのに、ムラなく液体をガラス板に均等に広げていったのである。
見ていて惚れ惚れとするほどで、俺の手伝いなど最早必要ないと思われた。
そんな訳で、俺は手を離そうとしたのだが、
「だめ。離したら上手く行かなくなる」
と、すかさず注意が飛んで来たのである。
どう考えても、俺の介添えなど必要ないと思うのだが・・・。
俺は首を傾げて、そう言ってみる。
だが、少女から改めて、
「だめ」
と断固とした拒否の返事をもらうことになったのだった。
うーん、どういうことだろう。
まぁそれはともかくとして、作業自体は滞りなく進んだ。
俺たちは銀メッキが出来たのを見計らって、水で余剰物を洗い流す。
すると、ややムラはあるものの、美しい銀色の輝きを放つ、鏡と言って差し支えない代物がその姿を現したのである。
「す、すごい・・・。こんなに綺麗な鏡、見たことない・・・。まるで宝石みたい」
そう言ってクラリッサが、いつも眠たそうにしている半眼をまん丸にして驚く。
だが、これくらいで満足してもらっては困る。
「いや、まだだぞ、クラリッサ。このあと、銀メッキをもう1回重ねるんだ」
「え? もう一回?」
少女が首を傾げる。
ふむ、やはり分からないか。
「よく見てご覧。鏡面にまだ結構ムラがあるだろう? どうしても1回だけだと、メッキの厚さが箇所によって違ってくる。そこで、銀メッキをもう1回重ねてムラをなくすんだ。すると、もっと綺麗になる」
俺の説明にクラリッサは、
「こ、これ以上綺麗に・・・」
と衝撃を受けて、呆然とするのであった。
ふむ、少女のリアクションから見ても、この異世界で銀メッキ製の鏡は十分売れそうだな。
俺は内心でそんな計算をしつつも、
「さ、あともう少しだ。最後まで頑張ろう」
そう言って再度、銀メッキをする準備にかかる。
すると、俺の言葉を受けてクラリッサも、
「うん。こんなに凄い物を作らせて貰えて、ドワーフ冥利に尽きる。最後まで頑張る」
と、気合十分といった様子で返事をするのであった。
こうして俺たちはこれまでの作業をもう一度繰り返して2回目の銀メッキを施し、無事に試作品第1号を完成させたのである。
蜂蜜は不純物を多く含むから上手く反応が進むか不安だったのが、思いのほかうまくいって良かった。
ちなみに、その試作品第1号は、クラリッサに言わせれば、
「そのまま市場に出しても十分商品になるほどの出来栄え」
とのことであった。
そんな訳で、俺たちは一番肝心の試作品作りが上手くいったので、のんびりとした気持ちで今後のプランについて話し合うことにしたのである。
ちなみに、クラリッサはなぜか俺の膝の上から降りようとせず、座ったままだ。
さて、その契約内容に関してだが、俺としては複雑な内容にするつもりは端から無い。
とりあえず最初は生産を軌道に乗せることが最優先だ。
失敗だってあるだろうから、ある程度余裕を持たせた予算を立てなくてはならない。
そう考えて俺は、追加の手付金50万、それから、鏡1個につき1万ギエルの報酬を支払うことを提案したのだった。
材料調達や販売の委託も含めての報酬額なので妥当な線だろう。
市場にはとりあえず高級品として、5万~10万ギエルくらいで出してみるつもりである。
しかし・・・。
「マサツグ。報酬額が高すぎると思う。半分くらいにすべき」
と、なぜか俺は今、委託先から報酬額の減額を提案されているのだった。
「おいおい、どうしてわざわざ自分が不利になるような事を?」
俺は首をひねる。
すると少女は淡々とした口調で、
「私はマサツグのものだから、他人行儀にしないで欲しい。だから報酬は安くて構わない」
と言ったのだった。
うーん、言葉少なな子だからよく意味の分からない部分もあるが・・・恐らく今回の契約内容が技術の秘匿も含む一蓮托生の内容だから、お互い長いお付き合いになる。従って、報酬を割り引いても良いと言ってくれているのだろう。
まったく。そんなこと気にしなくて良いのに、実に律儀な少女である。
「あ、ただ、一つお願いがある。ダメならダメって言って」
と、やや頬を染めながら、俺を真剣な表情で見つめて来た。
その言葉を聞いて俺はホッとする。
良かった。こちらとしても何か条件を言ってくれた方がやりやすいのだ。
なんだろうか。手付金の増額か、それとも、報酬の出来高制の提案だろうか?
「私もマサツグの孤児院に遊びに行ったり、泊まったりさせて欲しい。お店があるからしょっちゅうは無理だと思うけど・・・。時々そばに居させて欲しい。・・・だめ?」
そう不安そうな表情で言うのであった。
なるほど、そういう事か。
俺は納得する。
確かにお店などやっていれば同年代の友達と出会うことも、遊ぶことも出来ないだろう。
その点、孤児院にはリュシアたちがいるから、友達を作るにはもってこいだ。
やはり彼女もまだ幼い子供。一人では寂しいのだろう。
それにそもそも、クラリッサも孤児だから受け入れることに何の問題もない。
「そういうことなら、もちろん構わない。住んでくれてもいい。いつでも来てくれ」
俺はそう返事をするのであった。
「ほ、ほんと!?」
と、クラリッサは俺があっさり了承したことに驚いたあと、すぐにはっきりとした微笑を浮かべたのである。
ううん、別に遊びに来るくらいOKに決まっているのに、そんなに嬉しかったのか。
「ああ、当然だろう? それに、そのくらいのことで報酬を下げることもない。貰えるものはもらっておけ。もし今使わないなら、貯金しておくと良い。将来使うことがあるかもしれないだろう?」
俺がそう言うと、クラリッサは最初迷っていたようだが、ふと何かを思いついた様にポンと手を打つと、
「そっか・・・将来一緒になれば同じなんだ・・・」
そうボソリと呟くと、一人うんうんと頷くのであった。
ふむ、よく分からないが、いちおう納得してくれたようだ。
良かった、良かった。
「そうだ。早速という訳じゃないが、一度俺の経営している孤児院に来てみるか? あまりリュシアたちとも話せていないだろう?」
友達になるには、まずはゆっくりと喋る時間が必要だろうしな。
「うん、マサツグの孤児院行ってみたい」
案の定、クラリッサは興味津々といった様子で、返事をするのであった。
こうして俺は、一旦クラリッサと一緒に孤児院に戻ることとしたのである。
いつも沢山の評価・ブクマありがとうございます。
お陰様で執筆がとても進んでいます。