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ワングラス・カンフェス

作者: 澤村しゅう

 ぱしゃん、と。落ちついたボサノヴァが流れる店内に濡れた音が響く。

 慌てて振り向くと、ずぶ濡れになった男の子の前で、空になったグラスを構えたまま女子高生が立ち尽くしていた。

 そしてそのまま彼女は何も言わずに店を出て行ってしまう。カランカランと高い音を立てるドアベルが周囲の人間にこの出来事を印象付けた。とうとうこの日が来たか、と私はふたつのおしぼりを持って残された男の子へと駆け寄る。

「おめでとうございます」

「これのどこがめでたいんですか」

「長い片思いが報われたじゃないですか」

 持ってきたおしぼりの片方を彼に渡し、自分はもう一つで彼の筆記具や参考書やらを拭く。よりによって水が満杯に入っている時にやらなくてもいいだろうに。コート表紙のおかげで辛うじて中身は無事のようだ。

 店内の視線は、不愉快そうに眼鏡を拭く彼に集まっている。そのどれもが暖かい慈愛に満ちていて。「いいわぁ、青春ねぇ」とおばさまがうっとりと口にした。「うらやましいぞ、あんなかわいい子と」なんて僻みも混ざった視線を向ける大学生もいる。

 何はともあれ、喫茶店内の誰もが彼の恋愛成就を確信していた。しかし彼は「どういう意味ですか?」と眼鏡をかけなおしながら私の顔を見上げる。

「え、もしかして知らないんですか。ワングラス・カンフェス」

 今をときめく男性アイドルが主演している月曜9時のドラマ。テレビ離れが叫ばれている中、脅威の視聴率をたたき出しているモンスター番組だ。

「テレビはあまり見ないんで」

「でも、これだけ騒がれてれば耳に入りません?」

 問いかけたあとで、彼なら無理もないかもと思い直す。高校生のころから学校が終わるとひとりでこの喫茶店でもくもくと勉強をしていた。友人と一緒にいる姿を見かけたのは数度しかない。他の席の人たちがせわしなくスマートフォンをチェックするなか、彼は一度勉強を始めたら机の上に出そうともしなかった。

 制服の校章から彼が都内でも有名な進学校の生徒だということが判明する。その勉強熱心な姿は合格後も変わらず、こうして喫茶店に通い続けていたのだ。

 友達の少ない優等生。孤高のイケメン。バイト仲間と弾き出した見解は、みんなそれで一致していた。

「聞いたこともない。ドラマなんて暇人が見るものでしょう?」

 友達が少ないと見込んでいたとおり、聞く人が聞いたら怒り出しそうな言葉で答える。私もちょっとイラッとしながら、彼に有益な情報を提供してあげた。

「ある程度は見といた方がいいですよ。じゃないと世の中の常識についていけないから。……彼女があなたに告白したの、わかってないでしょ?」

 ぱちりと。口元をわずかに歪ませながら目を瞬かせる。この優しいお姉さんの気づかいに感謝しなさいよ、青年。

「ドラマの影響で相手に水かけて告白するってのが流行ってんのよ。お笑い番組だって今はそのネタが大流行よ」

 ヒロインが彼氏に水をかけ、わざと怒らせて愛情を試すというシーンがあった。いつの時代だって女の子は彼からの愛情を確かめたいものだ。彼女を不安にさせていると気づいた彼氏は、その夜電話でヒロインを呼び出し、ずっと言っていなかった「好きだ」という言葉を口にする。

 水をかけられても怒らない愛情深さと、シャツが張り付いた色気のあるアイドルの姿に世の女連中は悶えたものだ。顔をかばって掲げた手の影から、ヒロインを射抜くように向けられた視線。「水も滴るいい男、キター!!」と大興奮でSNSにつぶやいたのは私だけではない。

 何はともあれ、視聴率が高かったことと印象的なシーンだったことにより、相手に水をかけるという行為が流行ってしまった。季節がちょうど夏だったのも影響があるだろう。

 今月だけでその水かけ告白を2回は見ている。今日のを入れれば3回目だ。バラエティーではその水かけにちなんだゲームで盛り上がっていることもあって、まねする人が絶えなかった。個人的には「僕は死にましぇーん」に次ぐ迷惑告白だと思っている。命の危険がない分、まねする人が多いのが本当に厄介だ。

「まさか。そんな失礼な告白方法がある訳が」

「うそだと思うなら帰ってテレビ見てみなさい。どっかの番組で必ずやってるから。それでうそじゃないとわかったら、ちゃんと彼女に連絡するのよ?」

 ほら、勉強は終わりにして帰った帰った、と店員の立場も忘れて彼を追い出す。店の入り口まで彼を見送ると、店長が苦笑しながら私にコーヒーを勧めてきた。

「ようやっと窓際王子に春が来たと思ったのに、とんだ誤算だな」

 にやにやと顎をさすりながら笑う。私はありがたくそのコーヒーをいただきながら、取りそびれていた10分休憩をもらうことにした。

 彼はいつも窓際の席に座ることから、店員の間でそう呼ばれていた。定位置をもつお客さんは珍しくないため、最初は特に気にしていなかったのだが……その理由が、向かいのケーキ屋さんで働く女の子を見るためだと判明してから、「甘ずっぱぃ~」「青春がんばれ」とひそかに皆で応援してきたのだ。

 彼が初めて女の子と一緒に来たときなんか、そりゃもう大騒ぎだった。非番だった子がわざわざお客として見に来たり、シフトより2時間も早く入ったりと。平凡でなんの刺激もない喫茶店勤務において、彼の恋の行方は一大エンターテインメントだ。周りのことなんかまるで気にしない彼は気づきもしないだろうが。

「まぁ、でもテレビ見ればすぐ分かりますよ」

 もしかしたらもう喫茶店には来ないかもしれない。窓際で盗み見しなくても、いつでも好きな時に会えるのだから。そう考えると彼を見守るのが楽しみになっていただけに、少し寂しく感じた。


***


「いらっしゃいませ」

 カランカランとドアベルを鳴らしながら、例の青年が店へとやってくる。まっすぐに店内を横切り、いつもの定位置へと腰を下ろした。バイト仲間を押しのけて自分が注文を取りに行く。何度繰り返したか分からないお決まり注文のやり取りをし、気になってしょうがなかったその後の展開を問いかけた。青春だなぁ、なんて顔がにやけてしまうのを辛うじて抑えながら。

「アレからどうなりました?」

 あなたのアドバイスのおかげでうまくいきました。お姉さんには感謝しきれません。そんな反応を期待していたのに、目の前の彼は目を伏せたままぶっきらぼうに言い放つ。

「連絡してません」

「なんでっ?!」

 思わず大声を上げてしまう。しまったと思ったが、店長もあのシーンには鉢合わせしていたので黙認してくれた。……いや、むしろ「聞き出せ」といった期待に満ちた目でこちらを見ている。ご要望通り、注文を書いた伝票を別のバイトに渡し、その場に居座る。

「流行しているということは分かりました。でも、俺にはとても告白とは思えません」

「思えなくっても、あれは告白なの! せっかくのチャンスを無駄にするつもり?!」

 完璧におせっかいなおばさんと化しているだろうが、そんなの気にしていられない。此度の恋愛は彼ひとりのものではないのだ。この喫茶店の胸熱エピソードとして語り継がれる存在になってもらわねば。

「今までずっとケーキ屋の方を見ていたじゃないの!」

「な、なぜそれを……」

 顔を赤くして挙動不審になるが関係ない。何としてでも説得にかかる。

 聞けば、水をかけるのは昔から相手を侮辱する行為だということが引っかかっているようだ。「無抵抗な人間に突然水をかけるなんて、たとえ流行だとしても失礼です」と参考書を開きながら語る。もう話したくないという意思表示なのだろう。だが、はいそうですかと折れるわけにはいかなかった。

「そんなこと言ってる場合じゃないでしょ? 古い常識にとらわれていたら人生損するわよ」

 ほっとけないのだ。なんか、どうしても。

 あれだけ熱心に思っていたのだから、少しは報われてもいいと思う。勉強を頑張りながら時折ケーキ屋を見つめる彼を見て、私も頑張らなきゃと勇気をもらえた。

 恋に臆病な私は、恋人もできないままずるずると三十路を迎えてしまった。この年で恋愛なんてと諦めていたが、彼を見て恋の楽しさを思い出したのだ。年と共に淀んだ恋愛観が、彼のひたむきさを見てまた輝きを取り戻す。

 結局店長との恋は実らなかったが、その後も仲が良くこうして一緒の店で働かせてもらっている。今まで見ることがなかった恋愛ドラマも楽しく思えるようになった。

 彼のおかげで、恋に対して前向きになれたのだ。その恩を返すためにも。何としてでも彼には幸せになってもらいたい。


 結局その日は店が忙しくなり、それ以上説得することはできなかったが。次に来た時も、また次の時にも欠かさず彼に一声かけるようにした。私の熱意に負けたのか、4回目の日にぼそりと「電話をかけたけど出てくれませんでした」と行動したことを明らかにしてくれる。かたくなな彼の態度に諦めかけていた頃だったので、嬉々としながら彼の真横に長居する。

「返事が遅いから怒っちゃったのかもしれないわね。ケーキ屋さんに会いに行ってみたら?」

「そんな、仕事中なのにそんなことしたら迷惑ですよ」

「あのねぇ。常識で考えればそうなんだけど、女の子はドラマチックな展開ってのを期待しているの。ドキドキを望んでるの。仕事中にこっそり交わされるやりとりなんて最高じゃない」

 お客さんで行けば彼女も逃げることできないから、その時に無理やり手紙でもなんでも渡しちゃいなさいよ、とアドバイスをする。彼は最後まで仕事の邪魔をしてしまうことを懸念していたが、何度も何度も繰り返し説得した。ドラマチックな展開を夢見る女の子はいつの時代だって多いのだ。乙女の妄想力を舐めないでもらいたい。

「そういうものですか……」

「そういうものよ」

 納得できないような顔をしていたが、私の話を真剣に聞いてくれるようになっただけでも進化だ。

「サクラさんもそうなんですか?」

 突然名前を呼ばれて驚いた。でも昨年まで胸元に名札プレートを付けていたことを思い出す。面倒くさいからとやめてしまったが、今まで何年もこの喫茶店に通っていたのだ。定番で入っている店員の名前くらいは覚えたのだろう。

「ええ、そうよ。だから彼女もきっと喜ぶはずよ」

 ポケットに入れていた飴玉をころりとテーブルに転がす。軽いアドバイスもできたし、そろそろ仕事に戻らないと。

「頑張ってね」

 軽くウインクをして応援する。彼は飴玉を受け取った後、唇を引き結び、むつかしそうな顔をした。


***


 その後も顔を見せるたびに彼の元へ行き、現状を聞き出す。どうやら彼女がバイトに入っているときにうまくかち合えないらしい。喫茶店の仲間にも確認してみたが、最近はあまり見かけないそうだ。中間テストの時期が近いからじゃないかと仲間内で推測して、その結論を彼に伝える。もうすっかり私は彼への伝令役として認定されたようだ。喫茶店史に残る伝説エピソードになるかもしれないとあって、店員内での話し合いは今まで以上に盛り上がっていた。もちろん彼はそんなこと知る由もないけれど。

「ケーキ好きなの?」

 いつものように彼を気にしていると、じっと隣のテーブルを眺めていることに気が付く。しかし彼はその問いには答えず、そのまま別の質問を投げかけてきた。

「……あのケーキ、あそこのお店のと飾りが一緒ですよね」

「そう。あそこで作ってもらってるのよ。知らなかった?」

 いつもはうちの店専用にケーキを作ってもらっていたのだけれど、今日はパティシエのひとりがお休みのため同じケーキを卸してもらっていた。違う種類のケーキを作るより、同じ種類を多く作った方が負担が少ないからだ。

 こくりと控えめにうなずき、またじっとケーキを見つめる。その視線の熱さに口元が緩んでしまいながら、雑談に興じた。

「食べないの? 甘いの好きでしょ」

「……何で知ってるんですか」

「いつもコーヒーにたくさん砂糖いれてるじゃない」

「だから何で知ってるんですか」

 見られないようこっそり入れてたのに、とわずかに顔を赤らめながら私を見上げる。

「こそこそしてたら余計目立つわよ。店長なんか砂糖盗んでるんじゃないかと心配してたわ」

 きょろきょろと周りを確認して、視線がないことを確認してから大慌てで砂糖を入れるのだ。あまりに不審過ぎて嫌でも目に付く。

「彼女と来たときは砂糖入れずに我慢してたでしょ。渋い顔するくらいなら堂々と入れちゃえばいいのに」

「男が甘党なんて、恥ずかしくて……」

「何言ってるの。今時ふつーよ? スイーツ男子なんて言葉もあるくらいだし」

「スイーツ男子なんて。子供っぽくて恋愛対象にならないでしょ?」

 消え入りそうな声で視線を外す彼にはっきり言いきってあげる。

「そんなことないわよ。それはあなたの固定概念。自分で自分をしばらないで、もっと自由に生きなきゃ。ちょっと待ってて」

 厨房に戻り、冷蔵庫を開ける。本当はお客さんにあげちゃいけないんだけど、ちょっとくらいならいいだろう。今後彼が注文をしてくれるようになれば、いい販促材料だ。

「さっき盛り付けに失敗して端が欠けちゃったの。どうせ廃棄になるから食べていいわよ」

 崩れたケーキや余ってしまったケーキなどは、営業終了後に店員が持って帰っていいことになっていた。自分がキープしていた分をお皿に乗せ、彼の前へ出してあげる。

「おいしかったら今度注文してみて。店長もしょっちゅう奥さんにホットケーキ作ってっておねだりしてるんだから、恥ずかしくなんかないわよ。新婚ほやほやでウザったいったら……」

「サクラさん、あの人と付き合ってるんじゃないんですか?」

 別の常連と話し込んでいる店長を指さして問いかける。こらこら、人を指さすんじゃありません。その手を上から押さえながら笑い飛ばす。

「ないないない。何でそう思ったの?」

「ここの席だと、ふたりが楽しそうに話しているのが見えるんで」

 確かに、ここからだとちょうどカウンターの切れ目から厨房を覗ける。うわー、見られてたんだな。ふざけ過ぎないよう注意しなきゃ。

「誤解よ、誤解。私いまフリーだし。どっかにいい男転がってたらいいんだけどねー」

「…………」

 何やら口を開こうとして、そのまま飲み込み視線を伏せる。もしかして気を使わせちゃったかな。慌てて「食べて食べて」と彼にケーキを勧めた。

「……おいしい」

 一口含み、幸せそうな表情を浮かべる。その顔がいつもの眉間にしわを寄せている表情とはまるで別人で。かわいくて見ているこっちが幸せな気持ちになった。


***


 カランカラン、と来店を告げるドアベルが鳴る。厨房からのぞきこみ、彼の姿を認めると自然と口元に笑みが浮かんだ。彼はきょろきょろと店内を見回した後、いつもの定位置へと腰を下ろす。

「そういえば、アレから彼女はどうしたの?」

 お皿洗いを途中で切り上げ、彼の元へ注文を取りに行く。すっかり彼担当と認識されているせいか、他のバイトは彼に近づこうとはしなかった。「サクラさん、来ましたよー」とわざわざ呼び出されるくらいだ。

「手紙作戦が効いて、話すことができました」

「おおっ、じゃあ!」

「もう他の男と付き合っているらしいです」

 一気に力が抜ける。一瞬期待しただけにショックが大きかった。流行に乗る子というのはこんなにも飽きやすいのか。

 彼女も見る目がない。私が彼女の立場だったなら、絶対に彼以外の人と付き合ったりしないのに。

「残念だったわね……ずっと彼女のこと好きだったのに」

「別に、誘われたから話すようになっただけで……そんなに好きというほどでもなかったですけど」

 は? 思いがけない返事に目を見開いて問いかける。

「え、去年くらいからずっとここで彼女のこと見てたわよね?」

 対する彼の方も困惑した表情で私のことを見上げた。

「ケーキが気になって向こうを見たりはしてましたが……別に彼女のことは見てませんよ」

 何ということだろう。それじゃあ私たち全員、勘違いしてたってわけ?

 がっくりとうなだれる。今までの盛り上がりは一体なんだったんだ。どうりで「誰か好きな子がいるんじゃない?」と言い出してから特定の女の子を絞り込むまでに時間がかかったわけだ。まさか女の子ではなくケーキを見ていたとは……。

「もう好きな時に食べられるようになったから、見る必要なくなりましたけどね。あ、ケーキセットください」

 目を細めて楽しそうにメニューを指さす。どれだけ甘いものを我慢していたのだこの子は。かわいいやら呆れるやら。今までの努力が無駄なような、やるせない気持ちになって思わず額を押さえた。

 そうやって話していると、後ろの席からぱしゃんと水音が聞こえてくる。女性が席を立った後、残された男性は「よっし!」と小さくガッツポーズをした。店長が苦笑しながらおしぼりを持って男性の元へと向かう。

「相変わらず流行っているみたいですね」

「そうねー。ドラマチックだもん。物語の主人公になれたような気がするしさぁ」

 うらやましいな。私もこの子みたいなイケメンに告白されてみたい。そんな高望みしてないで、いい加減婚活でも始めなきゃいけないってわかってるんだけど。

「サクラさんもやっぱり告白はドラマチックな方がいいですか?」

「まぁ、憧れるかなぁ。衝撃が大きい分クラッときちゃいそう。そんな贅沢言ってる場合じゃないってのは分かってるんだけどねー……」

 よそ見していたらトレイからグラスが滑り落ち、彼の前へと落下してしまった。ぱしゃんと再び店内に水音が響く。

「わぁっ、ご、ごめんなさい!」

 幸い割れはしなかったが、彼はびしょ濡れだ。慌てておしぼりで服を拭き始めると、手をがしっとつかまれた。へ?

「その告白、受けます!」

「ほへ?」

 ぼたぼたと水が床にしたたるのも気にせず、彼は私の手を両手でぎゅっと握りこむ。

「俺は今までずっと自分の中の常識にとらわれていました。でもあなたのおかげで、広い視野を持つことができた」

 きらきらと。熱のこもった目で、貫かんばかりに私を見つめる。

「頑固だった俺の固定概念を覆してくれました。せっかくあなたが気付かせてくれたんだ、同じ失敗は二度としたくない」

「え、いや、あの、違……」

 否定しようとした言葉を遮るように手がぎゅうぎゅうとつかまれる。熱い。やけどしてしまいそう。

「俺と結婚してください!」

「えっ、えぇぇぇっ?! いや、あのっ、う、うれしいけど流石に飛びすぎじゃ……!」

 心憎からず思っていたイケメンに迫られ頭がパニックになる。どうしていいか分からずうろたえていると、ぱしゃりと横から水がかけられた。

「さすがに外でやれ」

 店長が呆れた目でグラスを掲げている。気付けば店中の視線が私たち二人へと向けられていた。「ハイ……」とだけ答えて、彼の手を引っ張り慌てて店の外へと出る。恥ずかしい。これは物凄く恥ずかしい。明日からどんな顔してお店で働けばいいのだろう。

「……どうしよう……これじゃああの人からも告白されたってことになっちゃうよな……?」

 店の外へ引っ張り出すと、彼は口元を覆い、困惑の表情を浮かべる。なんかそれを見ていたら何もかもがバカらしくなってきた。

「あのねぇ、私はアナタより十は年上なんだよ? 常識的に考えて受けられるわけないじゃない。もっとアナタにふさわしい若い子が……」

 ぎゅっと手を握られる。水で濡れた彼の手はびちゃびちゃしてて、決して胸をときめかせるようなシチュエーションではなかったけれど。離さないとでも言っているかのように、強く握りしめられる。心臓が爆発したかのように、大きく高鳴った。

「それはアナタの固定概念でしょう?」

 にっこりと。目は真剣にこちらを見つめたまま、口元だけで笑われて。


 ――今度の説得は失敗に終わり。

 喫茶店には私と彼のエピソードが語り継がれることとなった。



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