(9)ざわめきの夜
「旨そうなにおいがしてきたな」
パーティ開始まで30分をきり、テラスや室内のテーブルにもどんどん料理が並んでいく。
中でもトレーズの目を引いたのは、真っ赤に茹で上がった巨大ロブスターである。
存在は知りつつも、トレーズの住む東地区では決して食べられない料理だ。
(早く食べてみたいな……)
アルフレッドはナイフとフォークを渡したが、彼はパーティの主役である五人娘が来るまで待つことを徹底することに決めた。
「見かけによらず根性あるね、トレーズ」
すでに前菜をつまんでいたアルフレッドは、微笑みながらトレーズを小突いた。
「見かけによらず……は余計です」
「ああ、ごめんね?見かけ以上だよ」
「アルも、ぼくにもっと男の子らしくなれって言うの?」
「そんなこと言ってないよ、トレーズは十分カッコイイ男の子じゃないか」
「でも……」
「君みたいなカッコイイ男の子……ぼくもそうだけど、うちのお転婆シスターズが放っておかないと思うよ。特に長女のミランダとか……」
「アル兄さま、その子どなた!?」
アルフレッドの言葉は、そのミランダによって遮られてしまった。
トレーズが声のした方へ顔を向けると、たちまち黄色い声が上がった。
「トレーズ!?その顔はトレーズね!?」
ミランダはドレスの裾を引いて、一目散にトレーズへと駆け出した。それに続いて次女、三女が次々と螺旋階段から降りてくる。
たちまち、色とりどりのふわふわドレスたちに揉みくちゃにされてしまった。
「まあ、トレーズ!?大きくなって!」
「覚えてらっしゃる?次女のミレイスよ」
「何年前に会ったかしら、三年前?」
「おバカさん!違うわ八年前よ!貴女が言ってるのは私の娘と会ったときよ」
さまざまな手段で自分を着飾ったいとこたちから発せられる弾幕のような会話に、トレーズの頭はくらくらとし始めた。
親も親なら子も子、である。
ゆいいつ五人娘の中で例外だったのは、末っ子のカミラだった。
彼女はまだ姿を見せていない。
(アルフレッドはもっと落ち着いて喋るのに……!)
「そこいら辺にしといてやれよ。トレーズが可哀想だろ」
妹たちのいとこへの荒技とも言える愛情表現を見かねたアルフレッドは、立ち上がって助け舟を出した。
「トレーズが嫌がってるのがわからないのか?離してやれよ、みっともない」
「あら、兄さま帰ってらしたの!?」
「知らなかったぁ!」
「やだ、今日も薬局屋に行ってらしたのかと、わたしてっきり――」
四女エミリーの言葉はそこでぷつんと途切れた。アルフレッドが何か叫んだのだ。
居心地の悪い沈黙が続く。
トレーズはカラフルな腰と腰の隙間からやっと顔をだして、恐る恐るいとこの表情をうかがった。
そこには悪魔のような目つきでこちらを睨むアルフレッドがいた。
性格に言えば、妹たちを睨んでいたのだ。
(何?どうしたんだろう……?)
アルフレッドはそのまま、何も言わずに顔をそらし、苛立ったような足取りでトレーズたちに背を向けた。
彼は螺旋階段を上がっていってしまった。
トレーズの心に、得体の知れない不安感がこみあげてくる。
「エミリー、さっきのは禁句でしょ」
「お姉さま、わかってない!」
「そうよ、アル兄さまの方こそみっともなかったわ。あんなに感情的になって」
「そうよ、そうよ……」
さきほどまでの大騒ぎはどこへやら、室内の気温が一気に下がったようだった。
*
ピアノやアコーディオンの愉快な旋律が聞こえはじめた。
ボナリー家の娘たちは音楽にあわせてステップを踏んだり、豪華な料理の数々に舌鼓をうったりして、なにごともなかったかのように楽しんでいる。
一方、トレーズの気持ちは晴れないままだ。期待していたロブスター料理はいまひとつだった。美味しいはずの食べ物も心なしか味気なく感じられる。
というのも、先ほどのアルフレッドのことが気がかりでしょうがないのだ。
ルーシーへの挨拶もそこそこに、トレーズは
よく見知った四女のエミリーに声をかけた。
「あの、『薬局屋』って何……?」
トレーズには姉のような存在の彼女は、フライドチキンを食べる手をおいて、彼の目線と同じになってくれた。
「さっきのこと聞いてるの?……トレーズにはまだ早いわよ」
「で、でも、気になるんだ。あんなに穏やかだったアルが、急に怒り出すなんて」
「そうねぇ……ジョーンズ叔父さまには言わない?」
トレーズは彼女を真っ直ぐ見て、何度もうなずいた。
彼の目に真剣さを認めたエミリーは、紅い唇に人差し指をあてて、いくらか声をひそめた。
「ここじゃあ騒がしいから、外にでましょ」
トレーズはエミリーに手を引かれて、人々の喧騒にあふれる広間を後にした。