(7) パーティ前日
樫ノ木林の小高くなった場所からは、「新生イーストフォル」にのびのびと広がる農園地帯や家々が、くっきりと見渡すことができる。
うすいオレンジ色に染まりきったそれらは何やらものさびしい雰囲気を醸しだしていて、トレーズのふさがった心をさらに寂寥感で満たした。
「はあ…………」
トレーズは沈みゆく太陽を背に、今日何回目かもわからないため息をはいた。
明日はいよいよ、ボナリー家のホームパーティーが開かれる日だ。
彼にとってはこれが、はじめての社交会となる。
楽しみなような、ルーシーに会うのは嫌なような、期待と不安が入り混じった複雑な気持ちで、トレーズははるか遠くの山を静かにながめていた。
今日、トレーズは愛馬といっしょに樫ノ木林まで出ていた。
その道すがら、グラエムとブランチが木陰で楽しそうに会話しているすがたを見かけた。
彼にとってあまり喜ぶべき光景ではなかったが、ブランチが小脇にあの本を抱えていたのに気付いて、トレーズは嬉しくなった。
トリストラムから降りて彼女に話しかけたい気持ちがあったが、ふたりの会話を邪魔するのもどうかと思い、トレーズは挨拶だけして立ち去った。
ブランチの方は木陰を出て彼に話しかけようとしていたのだが、トレーズは気づかず行ってしまった。
「ブランチ、いま何でトレーズ・リドルなんかを追いかけようとしたのさ」
「あら、『なんか』なんて失礼ね!トレーズは賢くてやさしい人よ」
ブランチが珍しく声をあげて彼を擁護するので、グラエムはいい気分がしなかった。
「この本も彼に貸してもらったんだから!」
グラエムにも見てもらおうと、そう言って彼に本を手渡す。
本など興味もないグラエムは、ページをぱらぱらとめくりながら抗議する。
「ふーん?でもあいつ、おれたちと全然遊ばないし、家柄も良くないし、背も低くてひょろひょろで女みたいじゃないか」
「そこが彼の良いところじゃない!トレーズは他の男の子たちと違って大人しくて騒いだりしないし……それに……」
ブランチは少し紅潮させた頬を伏せて、言葉を濁す。自分がまるでトレーズのことを好いているようだ、と思ったのだ。
「……それに、何だよ?」
「彼は他の人の悪口なんて言わない紳士だもの!」
ブランチはグラエムが伸ばした手を振り切って駆け出した。
「え、ちょ、ちょっとブランチ!?待ってよ!?」
グラエムが叫んで呼び戻そうとするのも聞かず、彼女は元来た道を下りはじめた。
頬を両手でおさえながら、ブランチは耳まで赤くなってひたすら走る。
彼女はまだ自分の気持ちに素直になれていなかった。
本の中の王子さまをいつの間にかトレーズに置き換えていることに気付いてしまったときも、彼のことを悪く言うグラエムに傷ついてしまったことも。
ブランチは必死になって否定した。
(わたし……どうしちゃったのかしら……?)
顔が熱くほてり、心臓はバクバク音をたてている。
「あ……っ」
勢いのまま飛びだしたので、あの本をグラエムに手渡したままだったことに気づいたときは、もう遅かった。
グラエムが追いかけてくる様子もない。
「うぅう……っ」
ブランチは羞恥と後悔の涙をはらりと流した。
そんなことがあったとも知らないトレーズは、明日の社交会に思いを馳せながら黄昏ている。
家々の煙突からはもくもくと灰色のけむりが立ち、夕焼けいろとの見事なコントラストを描き出している。
「そろそろ帰ろっか」
トレーズは半分自分に言い聞かせるようにつぶやいて、樫ノ木林を後にした。