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ルナティック・ブレイン 【-特殊殺人対策捜査班-】  作者: 橋依 直宏
Consider 5 花盗人とオキザリス
43/97

File:5 噴獄






 AM10:58。中野署、第三会議室。


 慌しく駆け込むと、すでに尾花おばな萩原はぎわらが着席していた。


「遅れて申し訳ありません」


 尾花たちと向かい合うように着席した蕗二ふきじ竹輔たけすけは、さっそく報告に入ろうとする。

 だが、険しい顔をした尾花が手で制した。


「先に事態が動きそうだから、報告させてもらう。誘拐された葉山優斗くんについて、中野署うちの一課の連中が、≪レッドマーク≫を引っ張ってきた」

「≪レッドマーク≫!?」


 蕗二は動揺のあまり立ち上がってしまい、竹輔は椅子ごとひっくり返りかけた。

≪レッドマーク≫。

 犯罪者予備軍の≪ブルーマーク≫とは違い、何かしら罪を犯した人間の総称そうしょうだ。

 特徴は赤いサージカルステンレスのフープピアス。≪ブルーマーク≫よりも行動制限が厳しく、行動が発信機とGPSによって24時間監視される。ほぼ人権はないに等しい。だが、長く問題だった窃盗や強姦などの再犯率は、現在0%だと発表されている。

 その証拠に、≪レッドマーク≫を緊急逮捕するような事件に当たったことがなかった。

 だから、なおさら驚いたのだ。

 尾花が大きな溜息をつき、パイプイスの背もたれに体を預けた。


「優斗くんが行方不明になった現場付近、複数の≪リーダーシステム≫と≪レッドマーク≫のGPSを洗ったから間違いない。しかも、前科マエが女児への強制猥褻キョウワイ。ほぼ犯人クロでいいだろう。あとは、誘拐と殺人両方かどうかだけだ」


 尾花と萩原が安堵あんどしたように笑う。その様子を蕗二と竹輔は気まずげに見て、顔を見合わせた。


「どうしましたか?」


 萩原が怪訝けげんそうに視線を向けてくる。

 蕗二は咳払いし、固いパイプ椅子に座り直した。


「二つ、質問いいですか? ≪レッドマーク≫は、綾香ちゃんのマンションの住人でしたか?」

「いや、住居は仕事場の寮だ」

「もう一つ、≪レッドマーク≫は綾香ちゃんのマンションに訪れたことがありますか?」

「いや、だったらとっくに犯人候補に上がって」


 そこで尾花がはっと息を呑んで口をつぐんだ。

 わかったのだ、蕗二が言わんとすることが。


「綾香ちゃんの犯人ホシと、優斗くん誘拐の犯人ほしは、別にいます」


 萩原が目をいた。再び険しい表情になった尾花が蕗二を見据みすえる。


根拠こんきょは?」

「綾香ちゃんの死因は転落による脳挫傷のうざしょうが原因だと、東検視官からも報告を受けています。ですが、現在で分っている範囲の遺体状況から、他殺の可能性が非常に高いです。また、現場は被害者マルガイの住むマンション屋上だとほぼ断定しています。屋上や被害者落下地点から『なにも』見つからないところから、犯人ホシが証拠隠滅をはかっていることに間違いありません。そして、それぞれの状況から、犯人ホシ被害者マルガイの両親を含むマンションの住人です」


 口を閉ざした蕗二に、萩原が静かに問う。


被害者マルガイのご両親は、今どこに?」

「綾香ちゃんの本人確認のため、本庁にいるはずです。ですが恐らく、まだご遺体の面会前だと」

「ああ、あれじゃなぁ」


 尾花が盛大に溜息をついてった。

 肩に圧しかかるような空気に呼吸が苦しい。

 誰もが沈黙する中、控えめなノック音が空気を震わせた。失礼しますという女性の声が響き、ドアが開いた。制服の女性警官だ。何か報告しようと口を開いたが、空気の重さからか、慌てて閉めようとした女性を「よっこらせ」と言う掛け声とともに背もたれから体勢を戻した尾花が引き止めた。


「どうした? 急ぎか?」

「いえ、その、三輪警部補に、芳乃蓮ほうのれんと言う少年が、たずねてきていますが」


 予想よりも早いな。腕時計から首を傾げる尾花に視線を移す。


「あー、尾花さん。申し訳ないですが、どこか部屋をお借りしても?」

「なんだ、けち臭い。一緒に居ちゃいけないのか?」


 尾花の言葉に、思わず顔を引きらせてしまう。


「すみません。ちょっと、うちの関係者で……」


 いまだ、どうやって誤魔化せばいいか悩むときがある。

 竹輔と共に所属する【特殊殺人対策捜査班】という部署自体、異例なのだ。帳場に参加せず、ほぼ単独行動で事件を横からさらう。さらに≪ブルーマーク≫を所属させるという無茶振り。派手に動き回っても、上から厳重な口封じをされ、巧妙な情報操作まで行われている。部署については場所も、所属者の詳細さえごく限られた人間にしか知られていない徹底振りだ。

 たちという原宿はらじゅく署の刑事にずいぶんな言われようをしたが、あれも仕方がない。人は隠されれば、逆に気になってしまう。また刑事の職業病でもある。噂が噂を呼んで、酷い方向に膨らんでいてもおかしくはない。


 頭が痛いと眉間に皺を寄せると、尾花の後ろで萩原の顔が青褪あおざめた。にらんでないぞ、と誤魔化すように眉間をつまむ。

 さて、どうしようか。蕗二の重い頭が回転を始める前に、尾花が「桜木さくらぎ」と女性を呼んだ。


「第四会議室。あそこ開いてたよね? そっちに通してやってくれるか?」


 桜木は敬礼すると、静かにドアを閉めた。

 状況が読めず、尾花を見る。


「お前、ユキの息子だろ」


 突然の言葉に、蕗二は目を見開いた。すると尾花はますます確信したように頷いて見せた。


「父をご存知で」

「言ったろ、菊田と同期だって。あの鬼野郎が、やたらと面倒をみている背の高い後輩、名前は三輪。気がつかない方がおかしいだろう。あいつとユキは同業の中でも名コンビだって、有名だったんだぞ?」


 尾花が目を細め蕗二を見る。体を通し、父の面影を見ているのだろう。

 自分の知らない父親への戸惑いと好奇心に揺れる心を押さえつけ、蕗二は言葉を吐く。動揺から声がかすれたが、舌が湿ればあとは滑らかだ。


「父を、覚えていて頂き、ありがとうございます。とてもお話を聞きたいですけど、今は事件なのでまた今度。ゆっくり聞かせていただけませんか?」


 蕗二の言葉に、尾花は記憶の海から戻ってきたらしい。照れを隠すようにはにかんだ。


「あ、ああ……それもそうだな、悪かった。終わったら飲みに行こうや坊主」

「はい、お願いします」

「とりあえず、その犯人の情報は帳場ちょうばに上げてもいいよな?」

「もちろんです」

「んじゃ、そいつらと話が終わったら、声かけてくれよ。第四会議室は、ここを出て右の奥だ」







 第三会議室を出て、事務所を横目に建物の奥へと進む。トイレの看板を過ぎさらに奥、埃のかかった第四会議室の室名札が見えた。丸いノブを時計回りに回し、ドアを押し込む。


「待たせた……ん?」


 蕗二はドアを開けた体勢のまま、固まった。

 会議室は三角コーンや掃除用具などが押し込まれた半分物置のような部屋だった。資料室の片隅にある【特殊殺人対策捜査班】のスペースよりも狭い。その雑然とした部屋の真ん中、折りたたみ式の長テーブル一つだけでもスペースを圧迫している。

 その奥に片岡と野村、そして手前に芳乃ほうの窮屈きゅうくつそうに座っていた。蕗二が固まったのは、それもある。

 だが、一番は芳乃が原因だった。


「お前、あれ? も、もしかして」


 芳乃の顔下半分が、白いマスクに覆われていたのだ。さらに、拳をそこに当てると、けほけほと咳き込む。


「風邪ですけど、なにか?」

「熱はねぇのか?」

「あったら来ませんよ」


 元から目尻が垂れ下がっているせいで、余計に気だるげに見える。だが、マスクと前髪の間から睨みつけてくる眼はいつも通りだ。あえて言うなら、いつにも増して不機嫌だ。


「一応聞いていいか? その、視るほうに支障あっちゃったりとか?」

「ありますけど」

「そうか、あるのか……てっ、おまっ、マジか、マジか!!」


 蕗二の声に芳乃はこめかみを押さえ、わざとらしい溜息を吐いた。


「いちいちうるさいですね、刑事さんだって高熱が出たら、体くらい動かなくなるんじゃないですか?」

「知らねぇよ、インフルエンザすらかかったことねぇわ」

「そうでしたね、馬鹿は風邪引かないんでしたね、すっかり忘れてました」

「ほんまお前! 風邪引いてるくせに全く口が減らへんな! 風邪なら風邪らしくシオらしくしてろや!」

「だいたいあなたが始めから黙ってくれてればっ、けほげほッ」

「おい無理すんな!」

「だから誰のせいだとげほごほッ、ォェ」

「わあもう! 二人とも離れてください! 野村さんも片岡さんも止めてくださいよ!」


 竹輔が間に分け入り二人を引き剥がす。それを片岡と野村はカフェの端でお茶をしながら、通りがかった犬のじゃれあいを見ているように、くすくすにやにやと笑っている。


「いやだってぇ、うちの名物だよねぇー?」

「そうだとも。喧嘩するほど仲がイイと言うじゃないか」

「「誰がこいつなんかと!」」


 蕗二と芳乃の声が見事に被さったが、声を張りすぎた芳乃が盛大に咳きこんだ。隣の片岡が背をさすると、芳乃はそのまま机にした。

 竹輔に脇腹を小突こづかれ、蕗二が気まずげにパイプ椅子に座ると、芳乃が視線だけを上げる。


「事件のことは、片岡さんと野村さんから聞きました。で、誰を視たらいいんですか?」


 蕗二は視線を合わせるように、前かがみになって膝に肘をついた。


「何人、視れそうだ?」

「逆に何人視なきゃいけないんですか?」


 芳乃の言葉に眉間が痛んだ。蕗二はそれに堪えるように目をつぶる。

 正直なところ、綾香ちゃんのご両親を視てもらわなければならないだろう。場合によっては、最悪≪レッドマーク≫もだ。

 だが、野村の一件でわかったことがあった。

 あの氷の眼は、芳乃自身に負担がかかる。氷の眼を使った後、ぼんやりしたり、疲労らしきものを滲ませていたのは知っていたが、あんな激しく負担がかかっているのは初めて見た。体の不調に加えて、支障があると聞いた以上、無理をさせるべきではないはずだ。それがたとえ、切り札だとしても。


「刑事さん、何人視ればいいですか?」


 マスクによってくぐもっているが、鼓膜を強く叩いてくる。まるで催促さいそくだ。

 そっとまぶたを押し上げると、細められた黒い眼がこちらを覗いていた。

 ただの黒い眼だ。そこに違和感を持った直後、芳乃の瞳孔どうこうが開いたように見えた。瞳孔が人ではあり得ないくらい広がり、ついには目の虹彩こうさいを覆い尽くした。そして、黒く開いた穴は、光を飲み込んで奥へ奥へと深くなっていく。その様子に背骨の付け根から寒気が駆け上がった。頭が警鐘けいしょうを鳴らすと同時に体を跳ね上げ、蕗二はとっさに芳乃へと手を伸ばした。芳乃の体が遠ざかる。蕗二の爪先をマスクがかすめた。

 つかそこねた手の向こう、椅子にもたれかかった芳乃の黒い目は閉じられていた。


「おい、お前何して」

「二回」

「は?」

「二回です。それ以上視ることはできません」


 手をマスクに当て軽く咳き込んだ芳乃は、手の甲でまぶたを擦る。垂れた目尻のせいで、眠気を我慢する仕草にも似ていた。

 二回。二回だけ? いや、二回も? そもそも、芳乃はいつも何回まで視れるんだ?

 蕗二の思考を遮るように、ノック音が狭い部屋に反響する。

 竹輔が立ち上がりかけたのを制し、代わりに立ち上がる。ゆっくりとドアノブを捻り、引き開けた。

 細く開けた隙間、すぐ目の前に萩原が立っていた。

 蕗二が疑問を口にするよりも早く、萩原は抑えた声で告げる。


「急かしてすみません。≪レッドマーク≫の件ですが、少し揉めているようで。尾花さんが今、様子を見に行っています。もしお話が終わっていれば、聴取ちょうしゅに参加しませんか?」


 蕗二は眉間を摘んだ。

≪レッドマーク≫が犯人なら、綾香ちゃん殺人事件と優斗くん誘拐事件は同時解決万々歳だ。だが、そうなると、こちらが手に入れた情報は一体何を指すんだ? まだ何か見落としてないか? 

 部屋を振り返る。

 四人の視線が蕗二へと集中していた。高まった緊張感に無意識につばを飲み込んだ。


「聴取を見に行く、ついて来てくれ」





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