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ルナティック・ブレイン 【-特殊殺人対策捜査班-】  作者: 橋依 直宏
Consider 5 花盗人とオキザリス
41/97

File:3 暴獄




「その脅迫状きょうはくじょうには、なんて書いてあったんですか?」


 竹輔たけすけが首をかしげると、尾花おばなはスラックスのポケットから液晶端末を取り出し、何度か操作をり返す。


「これが誘拐ゆうかいされた、葉山優斗はやまゆうとくんの家のポストに入っていたらしい」


 差し出された端末を竹輔が受け取る。その後ろから蕗二ふきじのぞきこんだ。

 画面に表示された画像はシンプルなものだった。

 真っ白な紙が一枚写っている。折り目がついていて、恐らく三つ折にされていたのだろう。その真ん中に印刷されたシンプルなものだ。

 そして、印刷されていたのは【罪は暴かれなければならない】と言う黒い文字のみ。


「え、これだけ?」


 二人の視線に、尾花は居心地悪そうに足を揺すった。


「同じ顔して、こっちを見るな。本当にそれだけだ。封筒にも入れずに、ただポストに突っ込んであったらしい。鑑識や科捜研にも回したが、指紋しもんも何もなし。紙もどこにでも売ってる安い再生紙だ。唯一ゆいいつ印刷機プリンターが年代ものって事だけがわかってる。今、その印刷機用のインクを買った客の履歴りれきを洗ってるところだ」

「まるで、推理小説のようですね」


 こぶしを口に当てて考え込む竹輔の隣、蕗二は直球に疑問をぶつけた。


被害者マルガイのご両親に、何か心当たりはありましたか?」

「いや、まったく思い当たらないそうだ。帳場ちょうばもそれを探してる」

「子供同士でイジメだとか?」

「それもなし。保育園の先生に尋ねたが、真っ白だ」


 蕗二は眉を寄せてうなる。

 誘拐と言うのは、現実でも起こる。だが、金銭目的だとかは半分ドラマの演出で滅多に起こらない。現実で起きた場合、目的の多くは報復、そこからの暴行か殺人に移行する。または性的暴行を加えるためや過剰な恋愛感情ゆえの束縛も考えられる。この脅迫状からは、怨恨えんこんたぐい、報復が目的のように見て取れる。

 だが、被害者には心当たりがない。なら、一方的な勘違いと言う奴なのか。

 犯人は何を言いたいんだ?

 痛み始めた眉間をもんでんでいると、やっと体調が整ったらしい萩原はぎわらが立ち上がった。


「そういえば、君たちは本庁ほんちょうの方でしたよね。あっちはデモがあって大変だと聞いてますが」

係長かかりちょうから直接、こちらの事件ヤマに参加するように言われているので、大丈夫です」


 尾花がなにか引っかかったらしい、片眉を上げて指を立てた。


「その係長って、誰だ?」

菊田きくた係長です」


 その瞬間、尾花が表情を引きつらせた。


「菊田? って、菊田きくた忠臣ただおみか?」


 頷いてみせると、尾花は肩を落として盛大な溜息を付いた。蕗二が首をかしげると、今度はあわれみの目を向けてきた。


「お前たち苦労するだろう、忠臣ただおみの野郎とは同期だが、昔からすぐキレるからな」

「え? いえ、頭が上がらないほどお世話になっています」

世辞せじらないぞ。あいつのあだ名知ってるか? ひがしの赤鬼だぞ、こんな顔して真っ赤になって怒るだろう?」


 尾花は人差し指を立てて、口の両端に立てて見せる。牙に見立てているようだ。

 腕を組んで蕗二は考えてみる。

 菊田と父親は、相棒だったことは知っている。だが、互いにプライベートは分けていたのか、テレビのニュースで肩を並べている場面や、酔った父親を送り届けてくれた時にちらりと見た程度で、面と向かって接したのは父親の葬式の時だった。それから何度か顔を合わせていたが、尾花から聞くような顔を見たことがない。

 いや、一度だけあるか。今年四月、【特殊殺人対策捜査班】へ配属させられた時。

 あれでまだじょくちと言うことか。


 菊田の顔を思い出している最中さいちゅう、目の端を見覚えのあるものがかすめた。

 あの黒い蝶だ。蝶が向かったのは廃屋の玄関。そこから灰色の遺体袋が持ち出されようとしていた。

 両手を合わせ、二呼吸ふたこきゅう

 閉じたまぶたを開け、顔を上げる。遺体の去った後の現場は、慌しく撤収てっしゅう作業に入ろうとしていた。


「竹、何か思いついたか?」


 蕗二の声に、はっと顔を上げた竹輔は、躊躇ためらいからか口を一文字に結ぶ。蕗二が視線でうながすと、そっと口を開いた。


「僕の勝手な想像ですが、この脅迫状、誘拐された優斗ゆうとのことではなくて、もう一人の女の子のことを言っているんじゃないのかなと」


 端末を尾花に返しながら、竹輔は言葉を続ける。


「少女が誘拐されたときには、なかった脅迫状が優斗くんの時にはあった。少女は何か理由があって誘拐されたけれど、犯人が思った方向に事が進まなかった。だから、優斗くんをさらって、ヒントを残した。そこまで考えましたが、あまりにも飛んだ考えかもしれません」


 尾花と萩原は、竹輔の憶測おくそくに困ったような表情を見せた。だが、蕗二はそうだなとうなづく。それをとがめるような尾花の低い声が投げつけられる。


憶測おくそくに振り回されると、捜査が混乱するぞ」

「いえ、ときどき人間はぶっ飛んだことを考えます。それこそ、俺たち(こちら)にはまったく考えつかない理由があるかもしれません。可能性を潰して真実にたどり着くのが、我々の仕事じゃないんですか」


 常識や知性を持っているのなら、そもそも罪を犯すことはない。犯罪者になった地点で、こちらの常識と言う型にまらない、嵌めてしまえば可能性を自ら見逃してしまうことになる。


どれだけぶっ飛んだ発想でも、【絶対にない】と言い切れるまでは、可能性の一つだ。


 もし竹輔の言うとおり、この女児死体遺棄事件と男児行方不明事件が同じ犯人となれば、犯人の何かしらの要求が通らない限り、犠牲者が増え続けるということだ。

 尾花おばなは厳しい表情で蕗二を見詰める。

 だが、蕗二は視線をらさず、ただ真っ直ぐに尾花の視線を受けていた。

 やがて観念したように、尾花が肩をすくめた。


「わかった。女の子については君たちにまかせる。おれ達はもう一度、葉山優斗くんと犯人の接点を探す。これでいいな?」

「はい、よろしくお願いします」

「じゃあ、これ写真とってけ。11時に中野署で答え合わせだ」


 尾花に差し出された端末の画面を、竹輔は液晶端末の写真に収める。それが終わるやいなや、尾花は萩原のケツを叩いて急かしながら現場を出て行った。

 竹輔の端末をのぞくと、西川綾香という名前と住所が写されていた。


「意外と近いな」

「歩くには遠いですね、タクシー拾いましょうか」







 AM7:58。中野なかの区。


 三階建てのマンションへとたどり着く。

 マンションと言っても三階建ての平屋のような、横に伸びている不思議な形の建物だ。

 少し歩けば杉並区に入る、この場所自体が高い建物を受け付けていないらしい。威圧感のない開けた空がまぶしい。


 分厚い木目のドアを押し開けると、白い大理石の広い玄関が見える。

 だが三歩進んだところで、目の前をくもりないガラス張りのドアがさえぎった。

 二枚のガラスが隙間なくぴったりと閉じている。指先で叩くと、ガラスにしては分厚さを感じる音がした。強化フィルムが張られているのだろう、簡単に破ることはできなさそうだ。


 木目のドアとガラスのドアの間、壁に埋め込まれたモニターに竹輔が触れた。画面にようこそと文字が浮かび、画面左にマンションの外装写真が浮かび、右に1から9の番号が並んだタッチパネルが出現した。

 タッチパネルの下、ひかえめに管理人呼び出しと書かれたボタンに触れる。

 呼び出しにすぐに反応があった。竹輔が事情を話すと、ガラスのドアが滑らかにスライドした。


 エントランスに足を踏み入れた直後、男性の大声が響いてきた。

 何だと顔を向けた先、曲がり角から階段をけ下りてくる音が聞こえ、転がる勢いで女性が駆けてくる。

 その後ろ、恐らく大声を出していた男が追いかける。

 その男の耳に、青い光を見つけた。

 ≪ブルーマーク≫だ。

 蕗二が踏み込むよりも先に、竹輔は二人の進路をはばんだ。


「失礼します、警視庁の者ですが」

「警察!?」


 女性が目を見開いたと同時に、男性は竹輔につかみかかった。


「お巡りさん! さっき、警察を名乗る人から『いたずら電話』が入ったんです! 綾香あやかの遺体が見つかったって、嘘ですよね!? 綾香は生きてるんですよね!?」

「えっ!? ちょ、おおお落ち着いてください!」


 激しく揺さぶられながら、竹輔は必死に男性をなだめる。その後ろで蕗二は混乱していた。


 『犯罪防止策』によって、日本国民の個人情報は政府に全て把握はあくされている。事件が起きた場合、個人情報は捜査に必要な部分のみ、警察は自由に見ることができる。

 つまり、昔のようにあれこれ病院だったり市役所だったりを聞きまわらず本人確認ができ、早急に身元を特定できる。そして恐らく、ついさっき遺体の身元が判明したのだろう。通常なら、まず事件担当の刑事に伝え、遺族に余計な混乱を避けるため、用件は伝えず親族を呼び出すか迎えに行くなりして、身元確認をしてもらうことになる。

 だが、この『地獄の七日間』という警察が最も混乱した状況だ。

 直接ご両親に娘の死を通達してしまったのだろう。ヒューマンエラーもいいところだ。今すぐ文句を言いたいところだが、起きたことは仕方ない。

 あせるな。と蕗二は眉間をつまみ、深く息を吸い込むと腹に力を入れた。


「お二人は、西川さんで間違いありませんね?」


 蕗二の低い声に、竹輔に詰め寄っていた男が顔を上げた。


「え、あ、はい」

「急ぐ気持ちは重々承知です。ですが、その様子ですと、焦りから転ばれたり事故に巻き込まれるかもしれません。だからこそ我々に、迎えの車を呼ばせていただけませんか?」


 なるべくゆっくりと言葉をつむぐ。

 そのおかげか、男性・西川綾香の父親は我を取り戻したのか、強くつかんでいた竹輔の肩から手を離した。

 蕗二は竹輔にパトカーを呼ぶよう耳打ち、戸惑うように父親と蕗二に視線を往復させる女性・西川綾香の母親を預ける。

 足早に遠ざかる足音を聞きながら、蕗二は呆然と立ち尽くす父親に向き直った。


「大変辛いのは承知ですが、迎えが来るまでの間だけ、綾香ちゃんについてお聞かせください」


 動揺からか、どこか遠くに視線を向けたままの父親は、かろうじて蕗二の声に反応した。


「……え、あ、えっと……おれ、いや、ぼくの妻によると、綾香は夜中にいなくなったそうです」


 父親の言葉に、蕗二は眉間の皺を深くする。


「それは、奥さんが綾香ちゃんを連れて、夜中コンビニに行ったとかではなく?」

「ぼくは、その日名古屋に荷物を、トラックで運んでて。妻からメールで、綾香がいなくなったって……妻は、いなくなる前の夜、綾香が寝たのを確認したそうで。それで、朝起きたらいなくなっていたと。でも、綾香はまだ4歳で、夜中に一人でトイレも行けない子で、それこそ一人で外へなんて出ていける子じゃないんです。だから、なんで、綾香がそんな……」


 父親がふらついた。

 反射的に脇に差し込んだ腕に、父親の体重がかかる。

 顔から血の気が引いて真っ白だ。貧血を起こしているらしい、気を失うのも時間の問題かもしれない。

 蕗二は父親を座らせながら、玄関の外に視線を向ける。赤色灯せきしょくとうの光はまだ見えない。


 ふと、鼻の奥に木をいぶしたような、花にも似た匂いを感じた。線香の匂いだ。

 瞼裏まぶたうらに、白く無機質な部屋を思い出す。


 刑事になって何度も何度も、遺体を確認する親族の姿を見てきた。

 その中で今回のように、まともに原型が残っていない遺体は、一番最悪なケースだ。身元確認のために呼び出した家族の目の前、ビニール袋に包んだ遺留品を差し出すことしかできないのだ。

 「これは家族じゃない、嘘をつくな」と逆上してつかみかかられたこともある。


 だが、面会なんて到底とうていできる状態ではない。

 だが心の整理がつかないからだろう。どうしても会いたいという遺族もいる。遺族の意思は無視できない。念を押し、虫に食べられ残りかすとなったくさった肉片と骨を見せると、遺族の大半はその場で吐いたり、あまりの悲惨さに気を失った。見るんじゃなかったと後悔されることもある。

 どちらを選んでも、最悪に後味が悪い。

 この父親は、変わり果てた愛娘の姿を見て、堪えることができるのだろうか。


「蕗二さん」


 線香の匂いが途切れた。

 いつの間にか伏せていた顔を上げる。竹輔がすぐかたわらに立っていた。

 その背の向こうで赤い光がチラついている。

 蕗二は竹輔とともに父親を立たせ、外へと連れ出す。後部座席のドアを開けて待っていた警邏隊けいらたいの青年に敬礼し、先に乗り込んでいた母親の隣に父親を座らせ、ドアを閉める。


「向こうに着いたら、西川綾香ちゃんのご両親だと伝えてくれ」


 一緒に乗らないのかと視線で尋ねる青年にそれだけを伝え、早く出発するようにうなした。


 遠ざかる赤い光を見届けていると、まるではかったようにスラックスのポケットが震えた。

 取り出した端末をにらみつける。なんとあずまからだ。

 大げさなくらいに顔をしかめてしまう。心配げにこちらをうかがう竹輔に背を向けて、通話ボタンをスライドする。端末を耳に押し当てる前から、よく通る声が鼓膜を強く叩いた。


『三輪警部補、ご遺体の身元が判明した』

「西川綾香ですか」

『話が早いな。腐乱死体は、西川綾香でほぼ断定した。捜索届けの服装が一致している。念のため、これからカルテを』

「東さん、今そちらに西川ご夫妻が向かっています。身元確認の準備をお願いします。それと『せっかち』を一発ぶん殴っといてください」

『はあ? 西川って、ちょっと待てまさか』


 蕗二は返事の代わりに電話を切った。ベテランのあずまのことだ、恐らく今ので通じただろう。後で東と会うことがありませんようにといのりながら、マンションを見上げた。


「とりあえず、このマンション、鑑識に見てもらうぞ」

「まず屋上ですね」

「ああ。それから、このマンションの住人に聞き込みだ。そのあと呼ぶぞ、あいつら」


 竹輔が顔を明るくした途端、気まずげに眉を困らせた。


「皆さん、この時期はれますよね、たぶん……」

「あー……あんまり考えたくないな」


 蕗二と竹輔の他に【特殊殺人対策捜査班】に所属する三人は、一般人よりも扱いが難しい。

 特に要ともいえる少年は、いまだ考えていることがわからない。

 蕗二は今日一番の溜息をついて、液晶端末に指を滑らせた。







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