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ルナティック・ブレイン 【-特殊殺人対策捜査班-】  作者: 橋依 直宏
Consider 4  憫笑するブラインドフラワー
31/97

File:5 暴かれたくない






 鉄のドアを開けると、篝火歩葉かがりびあゆはは約一時間前に会った時とほぼ変わらない、うつむいた姿勢をとっていた。


「よお、腹は決まってないようだな?」


 蕗二ふきじが正面に座ると、わずかに篝火かがりびの顔が上げられた。


「これが最後の質問だ。俺たちに黙ってることはないか?」


 蕗二と目を合わせた篝火かがりびは、ほうけたように首をかしげた。


「協力者がいるんだろ? 誰かに人殺しを頼んで、殺した証拠を送らせる……違うか?」


 その問いに篝火はさらに首を傾げた。顔にかかる髪が皮膚の上を滑り落ちる。そこから覗く口元が、歯茎はぐきき出しに笑っていた。


「刑事さん、現実ではありえないことも、時には起きるんだよ?」


 肩を揺らし喉奥で笑う篝火に、蕗二は飛びかかる寸前の猛獣のように身をかがめる。が、不意に体の力を抜き、イスの背もたれに体を預けた。

 唐突とうとつな態度の変化に、篝火は首を反対に傾ける。


「俺はな、超能力とか超常現象ちょうじょうげんしょうには興味ないし、信じちゃいない。けど、実在するのは知ってる」


 鉄の扉がノックされた。蕗二の返事に細く開いたドアの隙間、するりと芳乃ほうのが滑り込む。

 垂れた目尻になで肩のせいで、ひどく気だるげだ。

 どこをどう見ても刑事ではない少年に、篝火かがりびは興味深げな視線を送る。


「誰?」


 全身をめるように観察する視線に見向きもせず、脇に抱えていた液晶タブレットを机の上に置いた。

 画面には一つのサイトが開かれている。

 真っ黒な背景に、目にみるほど真っ赤なりんごがひとつ浮かんでいた。その下に会員IDとパスワードを打ち込む場所があるだけのシンプルなものだ。

 そこでやっと、芳乃は眠たげな視線を篝火に向けた。


「このサイトを知ってますね?」

「うーん……知ってるような? 知らないような?」

「アクセスしてもらえますか?」

「えっちなサイトかもよ? きみ興味ある? シコシコ教えてあげようか?」


 前髪の間、下品に細められた目が芳乃を見つめる。

 蕗二のこめかみに青筋あおすじが浮き立った。その隣、芳乃は黒い目を静かに篝火へ向け続けている。そして、薄く口を開いたかと思えば、盛大な溜息をついた。


「刑事さん、一発殴って吐かせましょう。その方が早いですよ」

「馬鹿言え、警察は暴言暴力反対組織なんだよ」

こぶしを思いっきり握りながら言われても、説得力に欠けますけど」


 ぐうとうなる蕗二に、芳乃はもう一度長く溜息をついた。そして口から深く息を吸い込んだ。肺一杯に吸い込んだ空気を逃がさないように唇を固く結ぶと、そのまま鼻をつんで目をつぶった。


「何? 何か臭う?」

「すぐにわかる」


 蕗二の声に答えるように、芳乃の指が鼻から外れた。水中から浮き上がるように顔を天に向け、大きく息をする。ゆっくりと瞼が開くともうそこに、気だるげな少年はいない。

 おだやかで波紋はもんもない湖のようだが、触れれば最後、一瞬にして凍りつかせる絶対零度の眼。それが今、篝火をとらえた。


「質問です。あなたは、なぜ彼女たちを殺そうと思ったんですか?」


 芳乃は篝火を見下ろす。まばらきすらも許さない眼が瞳の奥を覗きこんだ。


「そう、そんなに女の人が嫌いですか?」


 静かに吐き出される言葉が、室温を下げていく。篝火かかりびの顔色が青褪おあざめる。


「こっぴどく振られましたもんね? 顔がキモイ、金づる、あー、いい財布にされてたんですか。まあ、そうでしょうね。女は金でどうにでもなるとか思ってるような奴、心から愛されると思ったんですか? ペットじゃないんですから、えさをやったらなつくってもんじゃないんですよ」


 篝火は寒さに震え、酸欠を起こした魚のようにあえいだ。


「え、あ、なんで……」

「あなたが幽体離脱して人を殺すように、ぼくは人の頭の中をのぞけるんです」

「そんなの無理だ、ありえない」

「ありえない? あなたの方がよっぽどありえない。本当は何もないくせに」


 冷たい声が鋭さを増していく。

 喉元のどもとに氷の刃を突きつけられたように、篝火が声にならない悲鳴を上げる。


「自分が特別と思い込むのは、楽しいですよね? 嘘で固めて作ったって、本当のあなたは、一人で立てもしないくせにえらぶって、認められないのは世間のせいにして、親にすがりついて、役立たずで、ちっぽけな、ひとかけらの価値もない人間のクズだ」

「ああああああああああああああ!」


 血を吐く勢いで叫びを上げた篝火は、頭を抱えて机に突っ伏した。


「や、やめろ! 頼むやめてくれ! もう覗かないでくれ! お願いします許してぇ!」

「じゃあ。サイトを開いてください」


 催促さいそくするように、芳乃の指先が液晶タブレットの画面をたたく。

 涙と鼻水でぐしゃぐしゃになった顔で篝火は、飛びつくように液晶タブレットを掴み、震える手で画面の会員IDとパスワードを打ち込んだ。


 パスワードが打ち込まれた途端、りんごは画面の下へと落下していった。そして真っ黒な画面は美しい緑の庭園へと姿を変え、『アダムとイヴのうたげ』という題名のサイトが開かれた。


すると蕗二のズボンのポケットの中、液晶端末が小さく震えた。引っ張り出すと、いつの間にかロック画面が解除され、メール画面になっている。そして片岡の名で「Congrats!(おめでとう)」の文字が送られていた。

芳乃はそれを確認すると、凍った眼を溶かすように何度かまばたき、目をせると後ろに下がった。役目は終えたとばかりに壁にもたれかかる。

 蕗二は、嗚咽を漏らし震える篝火をなだめるように、ゆっくりと口を開く。


「このサイトで知り合ったやつらとは、直接会ったことは?」

「し、知らない。会ったこともない……」

「一度も?」

「彼女たちが、ほ、欲しかったから。≪青いの≫が近づいたって、相手にされない。誰かのになるくらいなら、殺したほうがいい……」


 独占欲と嫉妬しっとが混じってどろりと耳障りな声に、怒りを通り越して言葉も出ない。

 救いようもないとは、このことだ。


「こんなサイトで妄想(ふく)らませるくらいなら、まずその鬱陶うっとうしい前髪切って、結婚相談所でも行ったほうがマシだろうな」


 蕗二が吐き捨てると篝火は机に頭を打ちつけ、そのまま幼い子供のように、ただただ声をあげて泣き始めた。


「これで、後は片岡が実行犯の居所をつかむはず……」

「蕗二さん!」


 突如鉄のドアが勢いよく開き、竹輔が転がり込んだ。


「事件が、また起きました! しかも、野村さんが巻き込まれたようで!」

「なっ!?」








 駆けつけた病院、「走らないで!」と叫ぶ看護士の声を背に窓口を突っ切った。

 緊急外来と書かれた案内板の矢印の指す角を曲がろうとした丁度その時、蕗二たちの目の前をストレッチャーが走ってゆく。

 その上で横たわる男の顔に、見覚えがあった。


杜山もりやま!?」


 蕗二ふきじの声を振り切るように、ストレッチャーはスモークガラスの自動ドアの向こうへと消えていった。

 赤いランプがつき『緊急処置中』という白い文字が浮かぶ。


「まさか野村も……」


 思わずこぼれた言葉に、耳の奥で血の引く音がした。

 なぜ、俺はあの二人を引き止めなかった。

 あの時学校へは行かさず、帰らせなければ。

 いや、もっと何かできたんじゃないのか……

 後悔が波のように押し寄せ、溺れかける。それを引き上げたのは、竹輔の悲鳴だった。


「蕗二さん!」


 弾かれたように振り返る。そこに自分の足で立つ野村の姿があった。


「野村、無事だったのか!」


 駆け寄る蕗二たちに気がついていないらしい。ふらふらと覚束おぼつかない足取りで歩いてくる。

 今にも倒れそうで支えようと腕に触れた瞬間、野村はカッと目を見開いた。


「触らないで!」


 声が割れるほど甲高い悲鳴を上げ、野村は膝から崩れ落ちた。

 自らの体を抱きしめ、がたがたと身体を震わせる。慌てて駆け寄ってきた緊急隊員らしき男性に警察手帳を突きつけた。


「何があった!」

「車から降りてきた男に突然、この女性が襲われたらしくて、先ほどの男性がかばって……」

野村かのじょに怪我は?」

「それが、ひどく触られるのを嫌がって……」


 蕗二は膝をついて覗き込むが、野村は震えるばかりで目の焦点すら合わない。

 やめて、お願い、触らないでと、何度も繰り返し呟いている。


「おい野村!!」


 蕗二の声を遮るように野村はさらに悲鳴を上げた。口元を押さえ、嘔吐えずくように背中が波打つ。

 その背を見つめながら、蕗二は動揺を隠せないでいた。

 背に触れなだめることも、声をかけ落ち着かせることもできない。だからと放っておけば、治まるような気配もしない。

 一体どうすればいい。どうすれば……


「どいてください」


 強く肩を引かれる。芳乃が蕗二の体を押しのけ、野村の前にかがみこむ。


「野村さん、ぼくを見て」


 芳乃の声にも野村は拒絶を示した。

 髪を振り乱し、耳を塞いでさらに呼吸を荒くする。今にも死ぬんじゃないかと思うくらい喘ぎ、それでも上手く呼吸ができないのか、ぼろぼろと涙を流した。

 芳乃はじっと野村を黒い眼で見つめ、何かを覚悟したように唇を噛み締めた。

 深く息を吸うと、肺から息を押し出す。口を固く結び、目を見開いたまま鼻をつまんだ。

 黒い眼が端から凍りついていく。今までにない純度の高い氷が眼を覆い、まるでレンズのようだ。


野村のむら紅葉もみじ!」


 芳乃の声が、空気を強く震わせた。廊下を反響する声に全ての音はなぎ払われ、切り取られたような静寂が訪れる。揺れていた野村の視線がゆっくりと、見開かれた黒い眼に吸い寄せられる。


「『それ』は幻覚だ。ここにアイツはいない。君は助かった。助かったんだ。大丈夫、もう大丈夫だから」


 芳乃の囁くような声に促され、野村の呼吸は徐々に落ち着いていく。野村は夢からめたように瞬きを繰り返した。


「れ、れんくん……?」


 かすれたか細い声に、芳乃は小さく頷いた。


「痛いところは、ありますか?」

「……たぶん、ない……」

「念のため、診察を受けてください。立てますね?」


 芳乃が見本のようにゆっくりと立ち上がる。野村は子供のように頷き、ふらつきながらも立ち上がる。

 様子を見ていた緊急隊員が近づいても、落ち着いた様子だ。

 「付き添いを」と言われ、動こうとした蕗二を竹輔が視線で制した。それに素直に頷くと、竹輔と緊急隊員に付きそわれ、野村は処置室へと歩いていった。

 後ろ姿に蕗二は胸をで下ろしつつ、奥歯を噛みしめる。


 野村を襲った犯人はおそらく、今回の事件の犯人だ。これで被害は6件目になる。しかも犯行の間隔が早い。時間はもう一刻の猶予ゆうよもない。

 ありったけの思考を働かせ、最善策を導き出そうとする。

 サイトの運営者は片岡が探っている。じきに犯人まで辿たどり着ける。

 だが間に合うのか。

 どうすれば犯人をいち早く捕まえられる。

 眉間に力が入っているのか、頭の奥が鈍く痛んだ。


 ふと、目の端で揺れるものを捕らえた。

 芳乃が両手で目を覆い、頭から落ちるように体をかたむかせている。


「芳乃!」


 とっさに差し出した腕に体がぶつかる。

 意識はあるようで、かろうじて踏ん張っているようだが、膝は震え限界を訴えていた。支えたシャツ越しの背はうっすら汗で湿り、冷たい。


 芳乃は人の心を視た後、わずかに疲労を滲ませていることはあった。

 いつもと方法が違ったが、恐らくさっき野村の心を視たのだろう。

 だが、様子が違いすぎる。一体なんだ。

 もしかして、視たものに引きられているのか?


 蕗二の考えを否定するように、芳乃は首を振った。

 しかし言葉はなく、何かに耐えるように歯を食いしばり、うめき声を上げるばかりだ。

 騒ぎを聞きつけたのか、女性の看護士が駆け寄ってきた。しかし、芳乃は構うなと言わんばかりにさらに首を振った。


「おい一体何なんだよ!」


 思わず声を荒げると、芳乃は声をしぼり出した。


「こんかいの事件、野村さんは……かかわらない方が、いいと、おもいます……」

「何言ってんだよ。あの状態じゃ、捜査に関わるも何も……」

「あなたは、野村さんが捜査に関われるかどうかで、判断するんですか」


 蕗二は強い力で喉を掴まれたように言葉を失った。

 息も絶え絶えで、冷や汗を滲ませているにも関わらず、指の間から覗く芳乃の眼だけが別物だった。

 極寒の地にある、氷の張った湖の上に立たされているようだ。分厚い氷の下から、深い闇がこちらを見ている。今にも氷を突き破り、闇が手を伸ばしてきそうで、背筋が震えた。


「いつまで、……目をそらすつもりですか」


 声は冷たい刃に変わり、蕗二の胸に突き立てられた。鎖骨さこつの真ん中から肋骨ろっこつの終わりまでを一直線に切り裂き、冷たい手が傷口を広げる。

 全ては錯覚さっかくだ。なのに、感じる指の冷たさに体は震え、悲鳴が喉に引っかかる。

 差し込まれる指は肺をかき分け、心臓に触れるとゆっくりと指が沈められる。口を開けても息ができず、舌がしびれる。このまま気絶させてくれと望んでも、氷の眼は許さない。心臓に沈められた指が、そのまた奥の『何か』をえぐり出そうとしている。


 やめろ! 頭の奥で叫ぶ声がした。


「あなたには≪視なきゃいけないもの≫が、あったはずです」


 冷たい声と共に、引きずり出されたものが眼下にさらされた。

 瞬間、後頭部を殴られたような衝撃が走った。

 芳乃に胸を押され、よろめく。反動で後ろへと動いた足は止まらず、そのまま病院を飛び出した。








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