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ルナティック・ブレイン 【-特殊殺人対策捜査班-】  作者: 橋依 直宏
Consider 1  開幕のフラワーシャワー
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File:2 邂逅と虚偽と真実




蕗二君ふきじくん


 はっと瞼を上げる。

 静間しずまに返っていた周辺の音が一気に音量を上げ、蕗二の鼓膜を叩いた。

 夢から覚めた直後のように薄霞うすかすむ頭を振る。もう一度呼ばれた名前を、今度ははっきりと聞き取った。

 声のほうへと視線を向けると、初老の男がこちらに近づいて来るところだった。


菊田きくたさん!」

「ああ、待て。敬礼はやめてくれ」


 姿勢を正す蕗二を手で制す。その手を軽く握り、蕗ニの肩を小突いた。


「久しぶりだな。元気そうで何よりだ」

「菊田さんこそ、変わりないようで」

「はは、とうとう世辞せじが言えるようになったか。最後に会ったのは、確か君が高校生の時だったな……しかし、少々でかくなりすぎじゃないか?」

「父も、これくらいじゃなかったですか?」

「そうだな、確かに飛び抜けて背が高かった」


 菊田はおだやかに、わずかな悲しみを含ませて微笑む。が、それは瞬き一つでかき消え、菊田は柔らかに下げた目尻の皺を深くする。


「だが、君の方が高い。私の首を痛める前に移動しよう」


 わざとらしく首筋を揉みながらきびすを返した菊田に、思わず苦笑を漏らした。

 菊田にうながされる前に蕗二は荷物を引き、後をついていく。

 受付ホールの奥に進むと一般人が使うエレベーターが見えた。

 が、その前を通り過ぎる。次に見えてきたのは相談窓口の受付コーナーだ。だが、これまた過ぎた。

 奥へ奥へと進むにつれ、人の気配がまばらになっていく。


「菊田さん?」


 菊田は一度も振り返らない。一言も言葉を交わすことなく、廊下を進んでいく。

 そして、何度目かの角を曲がる。

 受付も、ドアも、エレベーターも何もない。

 完全な行き止まりだった。


 蕗二が不審感に眉を寄せると、壁の前で立ち止まった菊田が振り返る。先ほどまでのおだやかな笑みは消え去り、厳格な刑事の顔で蕗二を見据みすえた。

 一瞬にして緊張感に包まれ、蕗二はかかとそろえ姿勢を正す。


「三輪。まだ、≪ブルーマーク≫は憎いか?」

「はい」

「刑事を辞める意思は?」

毛頭もうとうありません。俺はもう、『あの日』の子供ではなく、いっぱしの刑事です」

「……そうか」


 静かにうなづいた菊田は、いつの間にか取り出した警察手帳を何もない壁にかざした。

 すると、平らだった壁が音もなくへこんだ。

 へこみの真ん中に亀裂が入り左右にスライドすれば、四人ほど入れる箱状のスペースが広がっていた。

 菊田は大きく一歩踏み出して、スペースへと足を踏み入れる。


「来なさい、三輪警部補」


 菊田がてのひらで足元を指した。汗ばむ掌を握りしめ、蕗二は狭いスペースに足を踏み入れる。


 後ろで扉が閉まる気配がした直後、わずかな浮遊感。空間は静かに上へと上昇しているようだ。


 菊田は前を見つめたまま、口を閉ざしている。

 沈黙が続く中、動き出した時と同じように空間は音もなく上昇を止めた。

 身を硬くし構えていた蕗二だったが、高い電子音と共に開いたドアの先は想像していた場所と違った。


 エレベーターから漏れる光以外、明かりのない薄暗い廊下が奥まで続いている。

 人の姿どころか気配さえしない。

 先を歩く菊田の靴音と蕗二が引くキャリーケースが転がる音だけが廊下に響く。


 頭上を通り過ぎる室名札しつめいふだに目を向ければ、資料室や会議室と書かれたものばかりだ。

 白髪混じりの後頭部を追い、角を二つ曲がるとフロアの端まで来たのだろう、ブラインドの下ろされた窓からわずかに光が漏れている。その暖かな色にどこか安心する。

 そして最後の角を曲がった突き当たりに、三つ目の会議室と書かれた室名札が見え、菊田が歩く速度をゆるめた。

 ドアノブに手を伸ばした菊田が、不意に手を止めた。


「そうだ、言い忘れていた。もう一人、君にとって懐かしの人物がいる」

「懐かしい?」


 菊田はドアを二回ノックし、返事を待たずドアを押し開けると蕗二に中へ入るように促した。

 身を引き締めて、足を踏み入れる。


「失礼します」


 張り上げた声が反響する。十二、三人ほど入れそうな広さの部屋。机と椅子は全て部屋の後方に寄せられ、拓けた広いスペースにぽつんと、四人掛けの机と椅子が置いてあった。机の端で心細そうに座る、ぽっちゃりとしたスーツの男が慌てて立ち上がる。


 突然の訪問者に緊張した面持ちで敬礼して見せたが、蕗二の姿を見た途端、目を輝かせた。


「蕗二さん! お久しぶりじゃないですか!」


 その声に記憶が一気によみがえる。


たけ! 久しぶりだな、元気だったか?」


 竹こと坂下竹輔さかしたたけすけ

 駆け出し時代、池袋いけぶくろ警察署で一年間同じかまの飯を食った相棒だ。蕗二が大阪に異動して以来、互いに多忙でたまにするメール以外、まったく顔を合わせる機会がなかった。

 まさかの対面に緊張が吹き飛んだ蕗二は興奮で顔が赤くし、満面の笑みの竹輔と肩を叩き合い握手をする。


「本当にお久しぶりです。僕、今日から本部に異動になったんですよ。蕗二さんもですか?」

「ああ、もしかして一課?」

「はい、一課の第五係です!」

「うそや、俺と同じとこやん!」

「マジですよ! うわぁ、蕗二ふきじさんの方言、なつかしい!」


 そのまま話し込みそうな二人に、菊田は大げさな咳払いをした。


「悪いな。盛り上がるのは分かるが、そろそろ本題が来るもんで」


 顔を見合わせた蕗二と竹輔が照れた様子で席に落ち着くと、まるではかったようにノック音が響く。ドアが開く同時に、蕗二は本能的に立ち上がる。

 やや遅れて竹輔が立ち上がったところで、小太りで温厚そうな男が部屋に入ってきた。


「遠いところ、ご苦労様。私は警視監けいしかん柳本やなぎもとだ」


 まあけなさい、とうながされ椅子に腰掛こしかけた。蕗二と竹輔の、机一つへだてた正面に腰を落ち着けた柳本は人のいい笑顔を浮かべる。

 だが、蕗二は警戒心を解くことができなかった。


 柳本と聞けば、あまり良い噂を聞かない男だと記憶している。上層部へのゴマすりはもちろん、自分に害があると思えばどんな手段でも叩き潰し、意のままに状況を操作するという……

 柳本は机の上で両手を組んだ。

 緊張をかぬまま、蕗二は背筋を伸ばす。


「昇進おめでとう。君たちの、特に三輪くん、君の活躍は本庁の私の耳にも届いているよ」

恐縮きょうしゅくです」

かたいねぇ。まあ、挨拶もここまでにしよう。疲れるからねぇ」


 柳本は笑みを浮かべたまま、言葉を続ける。


「ところで君たち。11年前制定された『犯罪防止策』は知ってるね? あれのおかげで、過去最悪だった日本の犯罪率はいちじるしく下がった。

 しかし、代わりにここ数年、理由のない殺人が増えてきているんだよ。快楽殺人と言うのか……被害者との接点のない、連続性があって極めて悪質極あくしつきわまりないものが特にね。それの何が厄介かと言うと、向こうさんも少し知恵がついてしまったようで、証拠を隠すのが上手いのなんの。

 そうなると我々でも早期解決は不可能だ。我々警察の威信いしんに関わる。

 そこで、【ソレ専門の部署】を極秘に作ったんだよ。回りくどくなったが、君たちにはそこに所属してもらう」


 蕗二ふきじは眉間の皺をさらに深くする。同じことを思ったらしい竹輔の、動揺どうようする気配を感じながら、柳本に断りを入れた。


「意見失礼いたします。私たち二人は、捜査一課の第五係に異動と聞いていますが」

「その辞令じれいは偽物だ」


 蕗二と竹輔が驚きの声を上げる。すると柳本は眉を困らせ、大げさに肩をすくめてみせた。


「強引な手段を使ったことは謝る。だが、【極秘部署】の詳細を知る人は極力少なくしたかったんだよ。不本意だろうが、どうかご了承りょうしょういただきたい」


 驚きに、もはや声も出せない竹輔の隣で、蕗二は拳を机に叩きつけ、立ち上がった。


「いくら警視監とは言え、これは許されることじゃない!」


 うなるような低い声に、柳本は笑みを深めた。


「下りるかね?」

勿論もちろんです」

「では、これを書いてもらいたい」


 二人の目の前に、紙が差し出される。真っ白だ。透かしても裏返しても何もない。眉を寄せ、柳本を見ると手のひらで紙を指された。


「今ここで退職届たいしょくとどけを書きなさい。坂下くん、君も連帯責任だ」


 竹輔が血の気を引かせ、蕗二は歯を食いしばった。

 められた。俺は≪あいつら≫を許せない。だから警察を辞めるわけには行かない。


 柳本はそれを知っている。だから【選ばれた】。


 竹輔は保険だ。俺が万が一拒否した場合、連帯責任という足枷をはめ脅す為に、俺たちの仲を利用したのだ。二人して同じ部署へ異動になったのは、偶然でもなんでもない。俺たちを逃がさない為に巧妙こうみょう念密ねんみつに仕掛けた罠。


 全ては、辞令が届いたときから決まっていたのだ。

 蕗二は目の前でおだやかに微笑ほほえみ続ける男を、睨みつけることで精一杯だった。











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