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ルナティック・ブレイン 【-特殊殺人対策捜査班-】  作者: 橋依 直宏
Consider 3  繚乱のガーデンストック
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secret episode 水面下を泳ぐ




 AM9:21。


 菊田きくたは取調べ中の容疑者、水戸乃ノ花(みとののか)の画像を部下から手に入れ、蕗二に渡す。それを元に入念な作戦を練り、慌しく出て行った三人を見送った。

 扉が音を立てて閉まったところで、片岡が眼鏡を押し上げ、腕を組んだ。


「さて、早速取りかかろうと思うのだが……目星も何もないのかな?」

「ない」


 菊田が肩をすくめると、芳乃が机にもたれかかった。


「麻薬取締りなんとかってところに、聞いたらどうですか?」

「そうしたいのは山々だが、まずどこの誰があやしいか見当をつけない限りは、取り合ってもらえないだろう」

「確かに。密売人は一人二人の話ではないだろうから、ただあてずっぽうに協力しろといわれても困るだろうね」


 一人納得するように片岡は何度も頷くと、机を二回、間を空けてもう一度二回ノックした。

 画面が動き、メイン画面に繋がる。

 片岡は満足げに頷くと、左手の人差し指にはまる指輪型端末を抜き取った。

 それを、画面の中央に置く。

 途端に机の画面が真っ黒になり、丸く白い円が指輪の周りに浮かんだ。脈打つように光ったかと思えば、置かれた指輪の上部にSynchronizationの白い文字とパーセンゲージが浮かび上がった。


「君は、ソフトフェア会社に勤めていると聞いているが……」


 あまりに手馴れた動作に驚いた菊田に、涼しい顔で片岡は答える。


「ああ、間違いないよ。だが、初めて見た機械を感覚で動かすくらい造作もない。さて、同期が済むまで今しばらく待ってくれるかな? レディは初めての場所は少し苦手なんだ」


 片岡はなぞるように机の下を触ると、収納式だったらしい簡易の椅子を引き出し、腰を落ち着けた。

 菊田も見よう見真似で椅子を引き出していると、不意に芳乃が机から身体を離し、ドアへと歩き出す。ドアノブに指がかかったところで菊田が低い声を上げる。


「何処に行く」

「逃げませんよ」


 青い光越しに黒い眼を菊田に向ける。


「トイレ行くだけです。ついてきてもらっても構いませんが、片岡さんはぼくよりも厄介な人物ですよ。ひとりにするのは、おすすめしません」


 片岡は眼鏡の奥で瞬くと、大げさに手を広げた。


「それは褒めてくれていると受け取っていいかな?」

「はい。あなたなら、ここの警備システムを破壊する能力を持っているはずです」

「おやおや、ずいぶん過大評価してくれるね?」

「事実でしょ?」


 芳乃が首を傾げると、片岡は満足げに口の端を吊り上げた。そして小さな笑い声を零すと、机を叩く。

 表示されたキーボードを口笛を吹きながらリズミカルに叩き始めた片岡を横目に見て、菊田はポケットから液晶端末を芳乃に見えるように掲げる。


「あまり遅ければ、連絡させてもらう。いいね?」


 芳乃は返事するように肩をわざと上げて見せ、部屋の外へと姿を消した。






 天井からぶら下がる標識を頼りに、会議室や資料室と室名札だけしか変化のない廊下を奥へ進んでいく。芳乃の足音以外は何も音がしない。気配もない。

 やっと変化のあった壁際に、目的の場所があった。

 しかし、ドアの前には使用不可と手書きの文字が書かれた紙が張られている。芳乃はそれをしばらく見つめ、きびすを返した。三歩道を引き返したところで、芳乃は立ち止まる。


 静かな廊下へ水音が響いてくるのだ。


 排水溝が勢いよく噴き出す水を必死に飲み込む音は、溺れる者の悲鳴にも聞こえる。その音は、先ほどの張り紙があった場所からのようだ。


 芳乃は不快感に眉をきつく寄せ、じっと背を向けたままその音に聞き耳を立てる。時間としては十秒にも満たない。

 ふと、水音が変わった。

 何かに水流が妨げられ、激しく水が跳ね回る。そこで芳乃がやっと体を向きなおした。


 道を戻り、もう一度ドアの前に立つ。

 隙間なく閉められているドアの取っ手であるくぼみに指をかけ、一瞬の逡巡に手を止める。

 水音が止まった。

 それを合図にドアをスライドさせる。

 そこに一人の男が立っていた。


「よお、奇遇だな」


 その男の顔に、芳乃は不快感をあらわにする。

 その感情をぶつけるように、ドアを閉めた。かのように見えたが、直前で力を加減をしたのか、ドアが壁に当たった音は小さかった。


「気持ち悪い人ですね、ぼくが来るとは限らないんですよ」

「いいや、来るってわかってた。だからわざわざ待ってやったんだ」


 手についた水滴を振り飛ばし、残りはスラックスに擦りつけるように拭き取る。その様子を警戒するようにじっと見ていた芳乃だったが、何か諦めたらしく盛大な溜息をつく。


「正直、事情聴取している人があなたではないと聞いたときに、不審に思っていました。まさかとは思っていましたが、ここまで当たると三文芝居さんもんしばいのようですね」

「なかなか良いセンスしてるぜ?」

「あなたに言われても、まったく褒められてる気がしません」

「はっ! 無愛想なガキだと思ってたが、そのまんまだな」


 思わずといったように吹き出したたちは、ポケットに手を突っ込み姿勢を崩した。


「お前さん、あの警部補の親戚ってのは嘘だろ」

「確かに似てはいませんが、親戚の血の繋がりはそんなものですよ」

「……まあ、答えはそんなもんだと思ってたよ」


 芳乃はわずかに眉を寄せる。

 途端、たちがポケットから抜いた手を振り抜いた。居合い切りのようにしなる腕に間一髪、芳乃は身体を捻り避けた。空を切る音が、耳のすぐ脇を通り過ぎる。

 耳のすぐ隣で、短くも鋭い電子音。

 その音に芳乃は慌てて耳を押さえ、よろめいた反動で舘から数歩離れた。


「何を、したんですか」


 怒りと嫌悪を隠そうともせず睨みつけてくる芳乃を横目に、舘は突き出した拳を引っ込め、その手に視線を落とした。


「やっぱりな」


 その手の中には電子体温計のような小型の機械が握られている。≪リーダーシステム≫の簡易版だ。

 芳乃の≪マーク≫情報を読み取ったらしい。隠し持っていたことも、手に持っていたことも気がつかなかった。


「お前さん、あいつと同じ部署の人間だろ?」


 芳乃は答えない。それを肯定と受け取ったらしい舘は声をさらに低くする。


「お前さんのデータ、ちょこっと探してみたけども、不思議なくらい見つからない。普通の奴らとは訳が違うんだろ? だからここに居る」


 舘を睨み続ける芳乃だったが、やがて観念したように耳から手を引っ込め、腕を胸の前で組んだ。


「ぼくもあの三輪警部と同じ部署に所属しています。で、それを知って何になるんですか?」


 表情も声も淡々とする芳乃に、舘は唇の片端を吊り上げ、品のない笑みを浮かべる。目の前の獲物をいたぶろうとするハイエナの笑みだ。


「交換条件と行こうじゃないか、なあ少年?」

「捜査についてなら三輪蕗二(刑事さん)に言ってください」

「まあそう焦るな。確かに捜査の分け前は欲しいが」

「あの。もったいぶってないで、早く言ってくれませんか? それに、話によってはこちらの内容が変わります」

「へぇ、オレと立派に交渉しようって訳か?」

「持ちかけたのはそっちじゃないですか」


 笑みを深めた舘は何が楽しいのか、肩を揺らして笑うと指を一本立てた。


「んじゃ、今回の捜査の邪魔はしないって言うのでどうだ?」

「……いいでしょう。うろちょろされると鬱陶うっとうしいので」

「一言多い奴だな。まあいい。じゃあ、お前らが【選ばれた】理由は何だ? ≪ブルーマーク≫なんてゴマンといるだろ。別に他のやつでも良いんじゃないか?」


 芳乃はゆっくりと瞬くと同時に、迷うように爪先に視線を落とした。だが、次の瞬きで黒い眼は舘を正面から見据みすえていた。


「眼鏡の人はハッカーで、もう一人は死体に詳しいです。下手な刑事や鑑識よりも戦力になるからじゃないですか?」

「お前さんは?」

「推理が好きな、名もなき名探偵です」

「警察が探偵に頼るなんざ、テレビの中だけで十分だ」

「例外だってありますよ。ぼくは≪ブルーマーク≫ですから」

「お前さん、嘘つくのは慣れてるようだが、オレの目は誤魔化せないぞ」


 胸を指で押され、それを芳乃はやんわりと押しのけた。


「ここからは別料金です」

「ちっ、マセガキめ」

「話は終わりで良いですか?」

「まさか」


 典型的悪役のように片頬を上げて笑うと、今度はスーツのポケットに片手を突っ込んだ。その様子を黒い目が見つめる。舘の手は何かを探すように動き、おもむろに引き抜くと指先に紙を挟んでいた。

 二つ折りにされたそれを見せびらかすように、揺り動かす。


「ここに、今回の事件のバイヤーの名前がある。これをやる。その換わりに、≪お前≫のことを教えろ」

「……何処から手に入れたんですか」

「それは言えないな」

「では、ぼくのこと(それ)を知ったところで、どうする気ですか?」

「別に? ただ、水面下でコソコソやってるから気になるんだよ」


 芳乃は目を細めた。垂れた目の奥で、黒い眼が暗く闇を深くする。どこまでも沈み、舘を飲み込もうとするそれに得体の知れない恐怖感を煽られる。

 震える体を無理やり動かし、首を下げて闇から視線をそらしていた。


「切り札ですよ」


 冷えた声に体が跳ねた。同時にあんなに動かなかった体が自由になる。

 はっと舘が顔を上げると、指先から紙切れを掠め取られている。そして黒い後頭部がドアの向こうに出て行くところだった。


「おい待てよ! 割りに合わないぞ」


 肩を掴み、引き戻した体を壁に押しつける。


「割に合わない?」


 前髪の間、舘を見る芳乃の表情はない。だが、黒い眼には長く触れていれば身体の心まで凍らされるような、冷たい光が差していた。


「あなたこそ、つり合いません」


 突然の着信音に驚き、弾かれたように舘は飛退いた。芳乃はズボンのポケットから液晶端末を取り出すと、画面に指を滑らせ耳に押し当てた。


「はい、芳乃です。すみません、実は朝からお腹の調子が悪くて……疑うようでしたら、片岡さんにぼくの携帯のGPS検索してもらえたら分かります。それとも迎えに来ていただけますか?」


 ちらりと氷の眼がたちを射抜く。

 あからさまな牽制けんせいだ。

 舘は奥歯を噛み締め、自身に聞こえるだけの小さく舌打ちをする。


「はい、はい、すぐ戻ります。では」


 芳乃は端末をポケットにしまい、指先で紙切れをひらつかせた。


「情報ありがとうございました。約束、守ってくださいね」


 何事もなかったように歩き出した背を視線だけで追い、角を曲がり見えなくなったところで、舘は慌てて肺一杯に息を吸い、静かに吐き出した。

 体の力が抜けると同時に冷や汗が吹き出し、喉に手をあて小さく舌打ちをする。


「大物を釣ったと思ったが、とんでもねぇな」


 化け物かよ。

 その言葉は凍ったように音になることはなかった。















「腹の調子が悪いんだってね?」


 片岡が机に向けていた視線を、帰ってきた芳乃に移した。


「心配かけてすいません」

「なに、構わない。こちらも少しだが作業が進んだ」


 芳乃が机を覗き込むと、いくつも開かれた黒い画面のタスクウィンドウに、めまぐるしく緑の文字が流れている。


「やはり聞くのがわずらわしいと思ってね、先方から薬物のバイヤーの情報を覗かせてもらっている」

「そっちの方がややこしくなりそうですけどね」

「ただ覗いているだけだ。データに触らない限り、セキュリティは過剰反応しない」


 軽やかな電子音とともに、一つのウィンドウが浮かんだ。


「東検視官の言っていた、シルディナフィルとケタミンを扱っているだろうバイヤーだけを絞った。あとは、しらみ潰しに捜すしかないね」


 片岡が同じウィンドウをさらに二つ開き、自分の両側へと移動させる。菊田と芳乃に見ろといっているようだ。菊田が覚悟を決めたように短く息を吐くと、その正面に座った。だが、芳乃は立ったまま指先で片岡の手の近くを叩いた。


「なんだい?」

「さっき、トイレでちょっと面白いことがありまして」


 芳乃は机の端に手をつくと、座ったままの片岡を覗き込む。


「『やまもとしんご』って人、捜せますか?」

「それは誰だい?」

「今回の事件に関わるバイヤーです」


 菊田が息を呑む音がした。


「それをどこから?」


 芳乃が目の端で捕らえた菊田のその顔は、わずかだが不審感を滲ませ、芳乃を見ていた。

 それにおおげさに肩をすくませてみせる。


「トイレにこもってたら、ぺらぺらしゃべる人がいたんで。違うかもしれませんが、念のため捜してみてくれませんか?」


 片岡は悪巧みする子供に似た笑みを浮かべ、ちらりと隣の菊田を見る。菊田はその視線に頷いて見せた。


「賭ける価値はありそうだな」

「そうこなくては。Hey,A.R.R.O.W.(アロー) ヤマモトシンゴという人物を検索してくれ」

『承知しました』

 




 そして、蕗二たちの乗るセダンのナビに、白く着信の文字が浮かんだ。





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