表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
ルナティック・ブレイン 【-特殊殺人対策捜査班-】  作者: 橋依 直宏
Consider 3  繚乱のガーデンストック
15/97

File:0







 2032年9月19日。




 暗闇の中、地鳴りがごうごうと響いている。

 しかし、意識が戻るにつれ、地鳴りは別のものに変わっていく。

 悲鳴だ。たくさんの、泣き叫ぶ人の声。

 引きつるまぶたを無理やり開けると、アスファルトのつぶがはっきり見えた。

 頭を動かした瞬間、右こめかみ辺りに強い痛みが走り、うめくことしかできない。

 なんだ、何が起きた……

 蕗二は地面に身を投げ出したまま、必死に記憶を手繰たぐり寄せた。





 おだやかな昼だった。

 夏の日差しがやわらぎ、日陰ひかげは少し肌寒いくらいだが過ごしやすい休日だった。

 だから人も多かったのかもしれない。

 高く晴れ渡る青空の下、開けた広場では大道芸だいどうげいや屋台でにぎわっていた。



「蕗二、ほら見ろよすごいな」



 父が何本ものナイフでジャグリングする大道芸人を指差していた。


「それくらいめずらしくないやん、駅前でもやってるし」

「あ、ははは、そうか……」


 父はこめかみを指先でいてみせる。

 困っているようにも、照れているようにも見えた。

 刑事である父は、休日でも呼び出されることが多かった。楽しみにしていた家族旅行が、突然(つぶ)れたことだって何回もある。

 だから、珍しく長く一緒に居ると、何を話して良いのかまったく分からなかった。

 母が気をつかってくれたのか、二人でショッピングモールの縁日に行くことになったが、たぶん父もそうなのだろう。口調は仕事で使っている標準語のままだ。

 蕗二は必死に話題を探す。

 だが、結局たどり着いた話題は、ひどく身近なことでしかなかった。


「なあ、おやじ」

「なんだ?」

「おれなぁ、甲子園こうしえん行った」

「ああ、テレビで見た。生で見たかったな……」

「ボロ負けやったから、ええねん。四番やったのに、かっこ悪いし……」


 ポケットに手を突っ込み、視線を落とす。

 初の甲子園。初戦だった。

 試合は点取り合戦、七対八。最後の攻撃9回表。

 あと一点、あと一点で同点に追いつく。

 両チームと会場の熱気ねっき最高潮さいこうちょうだった。

 雲ひとつない青空に、大音量の応援歌、土と汗のにおい、低く高く波のように押し寄せる歓声かんせいに、興奮こうふんからか体が震えた。

 心臓が内側から胸板を激しくたたいている。

 陽炎かげろうゆららめくグラウンドに視線を走らせれば、二塁にるい三塁さんるいには味方が一人ずつ。

 あの二人をホームまで帰せば、決着は目前だ。

 監督かんとくを見れば、球をよく見ろとだけ指示された。

 自分を信じろ、そう言われた気がした。

 ヘルメットのつばを握り返事をする。バットを構えると投手が振り被る。

 投げられた白い球が目にみる。

 全力でバットを振る。

 その真ん中を、球が食い込んだ。

 衝撃しょうげきに手が甘くしびれる。

 その手ごたえを感じながら、全力で振り切ったバットと心地の良い音。

 く歓声と真っ白い球が青空に吸い込まれた。



 だが、結果は初戦敗退しょせんはいたい



 蕗二ふきじが勢いよく送り出した球は、高く上がったが途中とちゅう失速しっそくし、強肩きょうけんのライトに捕まった。

 さらに投げ返された球は、起死回生きしかいせいの二人をも刺し殺した。

 鳴り響く試合終了のサイレンがやけに耳障みみざわりだった。

 うながされ、やっと整列し、挨拶あいさつととも相手チームと頭を下げあう。

 相手高校の校歌が流れる中、気丈きじょう主将キャプテンである先輩がすすり泣いた。

 せきを切ったように、次々と皆が泣き出すなか、蕗二は顔を上げられず、ただただ歯を食いしばり、涙を堪えた。誰にも責められることは無かったが、自分を許せずにいた。いっそののしってくれた方が良かったとまで思う。

 欲張った。

 ホームランをねらわなければ、もしかしたら……

 そんな後悔ばかり浮かぶ。

 目頭が熱くなり、思わず鼻がまる。

 圧しかかる自責の重さに、足元から深く沈みかけた時、名前を呼ばれ、肩を強く小突こづかれた。



「なに言ってんだ蕗二、お前点いれたろ。

 八回(おもて)の、ほら、あれ! あのレフトフライに上がって、蕗二ふきじが三塁から、間に合うかどうかってところにスライディングして、セーフやったやつ!」



 顔を上げると、父が鼻息荒くこぶしを握り締めていた。


「あれはもう忘れられへんなぁ。捜査してるのも忘れてさけんでもうて。おかげで菊田に怒られた……」

「なんやそれ、あほやん」

「あほやろ」


 父がへらへらと笑うのを見ながら、自分のほほゆるむのが分かった。

 不意に父が、くるりと背を向ける。


「蕗二、背ぇくらべへんか?」

「ええけど」


 蕗二は無防備な父の背に、あっと足を止めた。

 父の背は高い。

 いつも見送っていた広く大きな背は、時々テレビにもうつり込んでいて、少しあこがれでもあった。

 遠く、見上げていたはずのそれが、いつの間にか近くなっていることに気が付き、驚きと嬉しさが込み上げる。



「ほら早よぉ」



 楽しげに急かす父のかかとと自分のかかとをくっつける。

 頭の上に置かれた手のひらがじわりと熱い。


「でっかくなったなぁ。もう追いつかれそうや」


 父の声に、ゆっくりと振り返った。

 頭の上に置かれていた手のひらはちゅうで固定されていて、父の後頭部の真ん中あたりにかざされていた。


「……ちぇ、もうちょい伸びとると思っとったのに」

「これ以上でかくならんでええって。背ぇ高いと苦労するで? 見下げてなくても、見下げるな。とか言われるし、電車のつりり広告は邪魔やし、なんや知らんけど高いところの雑用ざつようぜーんぶ回ってくるし」

うえの窓と電球やろ? あとロッカーの上!」

「それそれ! そんで、服とかりできひんし?」

「ウエスト入っても足首出るんやろ!」

「ほんまそれ!」


 腹をかかえて笑い合う。

 久々(ひさびさ)に声を上げて笑った。

 そうだ、甲子園以来ちゃんと笑ってなかった。

 蕗二は顔を引き締め、正面から父と向かい合う。


「……来年、俺三年やん」

「そうやな」

「あと一年、死ぬ気で頑張る。んで、もう一回、甲子園行くから……来てや、絶対」


 語尾はかすれてほとんど声になっていなかった。

 それでも聞き逃さなかった父は、笑いすぎてあふれた涙をぬぐい、目の前にこぶしを突き出して見せた。


「ああ、絶対行く」

「絶対やで」


 拳を合わせようと腕を伸ばす。


 突然、後ろで悲鳴が上がった。


 笑っていた父の目が鋭く悲鳴の方をにらむ。その視線を追い、振り返った蕗二の目に、信じられないものが飛びこんできた。

 人が風に吹き上げられるように宙を舞っていた。

 白い大きな塊が人をね飛ばしながらこちらへ突っ込んでくる。それを車と判別できた直後、強い力で腕が引かれ、引きずられるように走り出す。

 気つけば人の悲鳴と混乱の波に飲み込まれていた。

 我先われさきにと逃げ惑う人と何度もぶつかり、身体のあちこちが痛む。指先はこおるほど冷たいのに、父に強くまれている手首が熱い。

 父の背中越しに建物の入り口が見えた。

 助かったと息を吐いた瞬間、押されたのか突き飛ばされたのか、一際ひときわ大きな衝撃しょうげきに大きく体がよろめいた。

 手が離れ、振り返る父の見開かれた目が、人の背に飲み込まれたところで意識は途切とぎれた。







 思い出すうちに頭は冷えてきたが、ゆっくりと頭を持ち上げようと首に力を入れただけで、筋肉が悲鳴を上げた。

 どこが痛いのか分からないほど体中が痛む。

 やっとのことで頭を持ち上げ、まわりに目を向けた蕗二ふきじは言葉を失った。


 まるで別世界に迷い込んだように、てた光景こうけいが広がっていた。

 にぎやかだった屋台やたいは全てなぎ倒され、物は散乱さんらんし、大勢につぶされて原型げんけいが残っていない。

 嵐が過ぎ去った直後の、静けさにも似ていた。


 蕗二ふきじは腕を身体に引き寄せ、地につけたり傷だらけの手を見ながら、上体を起こす。

 高くなった視界に、倒れた何人もの人がうつる。

 誰もが赤い水溜りの中に、沈んでいる。

 誰も動かない。

 一瞬いっしゅん目を疑う。だが、見れば見るほど、それは現実だと突きつけられる。

 耳の奥で血の気の引く音が、はっきり聞こえる。

 冷や汗が全身から吹き出した。

 助けを。誰に。死んでる。生きてる。どっちだ。

 いや、何でもいい。誰かを呼ばなければ。

 頭の中をぐるぐると思考が回る。

 ゆらり。

 目の端で影が動いた。


「助け……」


 咄嗟とっさに上げた蕗二の声は、喉奥に引っかかった。

 フードを被った男が、こちらに歩いてくる。

 その右手には、赤錆色あかさびいろに光る刃の長いナイフが握られ、刃先は真っ直ぐ蕗二に向けられていた。

 全身の産毛うぶげ逆立さかだつ。

 跳ねるように起き上がったが、足がからまってみっともなく尻餅しりもちをつく。

 それでも必死に立ち上がろうとするが体がふるえ、地面から腰を上げることも、後ろにいずり逃げる力さえ根こそぎうばわれていた。


 男が目の前で立ち止まる。

 フードの下、男の口元が歪み、歯をいて笑うのがはっきり見えた。

 悲鳴を上げようと開けた口から声は出ず、奥歯がカチカチと不快ふかいな音を立てる。

 目の前で真っ赤な刃物が振り上げられた。



蕗二ふきじ!!」



 それは父の、聞いたことも無い荒く張られた大声だった。

 気がついた時には、父の大きな背が視界を塞いでいた。

 男と激しくみ合い、どちらともわからないけもののような叫び声が上がる。

 血塗ちぬれのナイフがアスファルトに落ちた。

 瞬間、父が全体重をかけ男を突き飛ばす。

 崩れるように地面に倒れた男の背に、父は素早くまたがり腕をひねり上げた。


三輪みわ警部補(けいぶほ)!」


 青い服の警察官が三人()けて来た。

 父が押さえた男に手錠てじょうがかけられる。

 まだ落ち着かない呼吸のまま、男を鋭くにらみつけていた父は、ふと蕗二を見ると目元をゆるませ笑ってみせた。

 それを見た途端とたん、じわりと、安堵感あんどかんが身体を満たし力が抜ける。

 首が落ちそうなくらいうつむいた。

 靴が片方(かたほう)脱げていることに今ごろになって気がつき、蕗二ふきじは力なく笑う。

 スニーカー、結構お気に入りだったのに。

 いや、そんな事はどうでもいいじゃないか。

 きっと母が心配してる。この事件はニュースにもなってるはずだ。

 早く帰って、おやじはすごかったと、言ってやろう。

 照れるだろうか。いや構わない。やっと、ちゃんと話ができたんだ。だから早く。



「帰ろ、おやじ」



 顔を上げたその先で、アスファルトにくずれ落ちる父の姿が、やけにゆっくりと見えた。


「おやじ?」


 父のすぐ脇にいた警官が、横たわるその肩を揺するが、反応がない。

 警官が大声で何かをさけんだ。

 だが、蕗二には理解できなかった。

 上手く力の入らない膝を動かし、つまづきながら倒れる父の元に駆け寄る。

 警官が蕗二の肩をつかみ、何か言った。

 だが、耳が塞がれたように音がこもって聞こえない。

 かろうじて「救急車」だけが聞き取れた。

 走り去る警官の気配。

 ふと、手に生温かな水がれる。

 持ち上げた手のひらは真っ赤に染まっていた。

 のぞき込んだ父の腹から、それはみ出しているようだ。

 とっさにそこを押さえるが、ふるえる指の間から生温かい液体は止まらず流れ続ける。

 赤黒い血溜ちだまりは父の体と、蕗二ふきじを中心に広がっていく。

 片手で父の腹を強く押さえながら、その肩をする。


「おやじ、冗談じょうだんやめろよ。なあ、救急車が、もう来るから……」


 声が震えた。何度揺すっても、父は動かない。

 咽返むせかえるほどの鉄臭てつくさにおいが濃くなる。

 赤色が目にみて、頭がくらりとする。

 息が吸えない。苦しい。

 父の姿がかすむ。

 蕗二ふきじは飛びかけた意識を引き戻すように、頭を強く振り、腹から声をしぼり出した。


「おやじ……死ぬな、おい!」


 突如とつじょ、大きな笑い声が蕗二ふきじを飲み込んだ。

 びたようにきしむ首を無理やり上げると、警官二人に拘束こうそくされた男が、喉奥をさらしながら笑っていた。

 勝利したとばかりにたからかにひびき渡り、容赦ようしゃなく蕗二の鼓膜こまつたたく。

 警官が怒鳴り、乱暴に男の首をつかみ、だまらせようとする。

 その激しい動きに、上着のフードが男の頭から滑り落ちた。

 乱れた黒い髪の間から小さな青い光が漏れ、蕗二の目の奥に焼きつく。


≪ブルーマーク≫


 血が沸騰ふっとうでもしたかのように、体が一気に熱くなる。

 感覚が鋭く、まされていく。

 破壊された風景、冷たい父の体。

 染みつく血の臭い、眼下がんかに広がる深紅。

 けたたましいサイレンの音、耳にこびりつく男の嘲笑ちょうしょう

 小さな青い光。

 すべてが体中にきざみ込まれていく。

 割れるほど強くみ締めた歯の間から、野獣やじゅうのようなうめき声がれる。

 それは歯をこじ開け、咆哮ほうこうへと変わり、蕗二の腹底からのどを突き破った。















評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ