剣
そもそもの始まりは、史有という男が趙の国にやって来たことだった。
史有は諸国を巡りながら、奴隷や戦争捕虜や、罪を犯して国にいられなくなった者たちを買い取って集めては、彼らに剣を教えて剣士に仕立てあげ、彼らに剣闘試合を行わせて、それを見世物にしながら諸国を渡り歩いていた。
その史有が趙にやって来て、趙の文王に試合を見せたところ、王はそれをいたく気に入って、史有を国に引きとどめ、あるいは毎日、あるいは毎週、あるいは毎月、剣闘試合を行わせて飽くことがなかった。
剣士たちは次々と死んでいったが、史有は国の内や外から次々と剣士を連れてきて、時には自ら闘いもしたので、剣士が絶えることもなかった。
王は剣闘に熱中して政治をかえりみず、かくして、三年ほどが過ぎると、田畑は荒れ、人は少なく、国は貧しく、国を捨てて逃げ出す者があとを絶たなかった。そして、趙が弱体化したのを見た周りの国々は、趙を伐とうと図った。
宰相の黄は、何度も王をいさめて、剣闘をやめさせようとしたが、王はいっこうに聞き入れず、そのうえ自ら剣士のなりをして、剣を習い始めていた。
らちが明かないので、黄宰相は史有に直接訴えに行った。史有は今や、宰相のごとく重んじられ、趙の郊外に大きな屋敷を建てて、大勢の使用人と剣士たちと共に住んでいた。宰相は、屋敷に赴いて史有に言う。
「今は乱世の時代であるのに、こんな役にも立たない見世物のために人々を死なせているのは恥ずべきことではありませんか。
あなたに武芸の心得がおありなら、正式の武官として仕えるべきです。その方がよほど有意義なことでしょう。こんな下らないことのために、人々を死なせているよりは」
史有は言った。
「おかしなことを言われるな。国が自らの利益のために闘うのと、私が自らの利益のために闘うのと、そこになんの違いがありますか?
程度の差こそあれ、本質的には違わないでしょう。一方が下らないことなら、他方も下らないことのはずです。
しかし、たとえどんなに下らなくとも、生き物の性ですから、このような争いがこの世から無くなることはないでしょうよ。私は、人々が必要としているものを提供してあげているのですよ。あたかも、女衒が女を売るようにしてね。
しかしあなたが、私のやり方が気に入らないというのなら、剣闘試合で私を倒してしまえばいいでしょう。だが、まだここに居座って、口先で私を丸め込もうというなら、うちの若い者たちが相手をしますよ」
と言えば、後ろに控えている剣士たちが、剣の柄に手をかけて睨み付ける。
宰相は仕方なく己の屋敷に戻ると、剣士を金で雇い入れて、剣闘試合で史有と戦わせた……が、史有はあっさりこれに勝ってしまった。剣士たちを束ねているだけあって、史有も決して口だけの者ではなかったのである。
宰相はさらに何人かの剣士を雇って戦わせたが、史有は彼らをことごとく斬り殺してしまった。
宰相は困って、自らの屋敷に住まう食客らに問うた。
「史有を倒すのは容易なことではない。その上、史有一人を倒したところで、残りの剣士たちがそのまま大人しく引き下がるとも思えない。
ここはやはり、王の心を変えさせるのが一番だろう。今の世には、弁舌を売りにして諸国を渡り歩く遊説家たちもいることだし、お前たち、誰か巧みな遊説家で、王の心を変えられるような者を知らないか?」
すると、宰相と親しくしていた太子が口を開いて言うことには、
「魏の宰相になった恵施という者がいますが、彼は言葉巧みなことで知られていました。その恵施の友人で、荘周という者が、魏との国境の近くに住んでいます。彼に任せてみてはどうでしょうか」
「それでは、さっそくその者を呼ぼう」
宰相は荘周を呼んで、千金を送って仕事を頼んだが、荘周は受け取らずに、言った。
「この金は取っておいてください。もし私が王に気に入られて、王の心を変えられたなら、これよりもっと良いものを貰えるでしょう。またもしそうならずに、王の怒りを買えば、我が身もただではすみません。そうなれば、この金が私にとって何になりましょう」
「それでは、これは取っておきましょう。しかし、この仕事はぜひ引き受けてもらいたい。この国が衰え滅びれば、あなたにも災いが及ぶのですから、これはあなたにとっても他人事ではないはずです」
「わかりました。引き受けましょう。しかし、王は私などに会ってくれるでしょうか?」
「そうですな。あなたは、剣の心得はありますか?」
「まあ、人並みには」
「それでは、あなたは剣士として、王に会うとよいでしょう。王は剣士には目がないですからな」
かくして、荘周は剣士のなりをして、宰相と共に朝廷に赴いた。王は、自らも剣士のなりをして、抜き身の剣を携えて彼らを出迎えて、言った。
「あなたは剣術の先生だということだが、私に剣を教えてくれるというのはまことかな」
「そうです」
王は喜んで、
「それでは、さっそくお手並みを見せてもらいましょう。すでに試合の相手を用意してあります。こちらへどうぞ」
と言って、彼らを試合場に導いた。
さて荘周は、試合場にやって来ると、王に言った。
「勝負には時の運ということがあります。私が死んでしまってからでは遅いですから、その前にひとつ、剣について私が知っていることを述べさせてもらいたいが、よろしいですか」
「よろしい」
「それでは述べましょう。まず、剣には三種類あります。ひとつには天子の剣、ひとつには諸侯の剣、ひとつには庶民の剣です。どれについてお聴きになりますか?」
「それでは、天子の剣について聴こうかな」
「それでは、述べましょう。
天子の剣とは、その大きさは、天下の東の果てから西の果てにまで及ぶものであり、諸国を切っ先とし、諸侯を刃とし、天の道を柄とするものであります。
ひとたびこれを振るえば向かうところ敵なく、これを使いこなせば天下を従える。これが天子の剣であります」
王は驚いて言った。
「それでは、諸侯の剣とはどういうものかな」
「諸侯の剣とは、その大きさは諸国の東の果てから西の果てにまで及ぶものであり、忠臣を切っ先とし、賢臣を刃とし、人の道を柄とするものであります。
これもまた、ひとたび振るえば向かうところ敵なく、これを使いこなせば諸国を従える。これが諸侯の剣であります」
「それでは、庶民の剣とはどういうものかな」
「庶民の剣とは、日夜、王の前で剣闘試合を行って、勝ったり負けたり、斬ったり斬られたりする者共のことであります。向かえば必ず敵があり、肉や骨を斬りますが、ひとたび死んでしまえばそれまでで、国に大事が起こっても、もはや役には立ちません。
今、王は、位は天子の位にありながら、庶民の剣を好んでおられるようですが、私は、王のためにもこれを惜しんでおります。なにしろ、周りの国々の諸侯が、天子の剣を使いこなそうと、日夜、努めているさなかのことですからね」
「……」
王はこれを聞いて、黙って何か考えこむようであった。そこへ食事が運ばれてきたが、王は上の空といった風で、いつものようには箸がすすまない。
この様子を見て、荘周と闘うことになっていた剣士は立ち上がって言った。
「王よ!こいつは、口先だけで人を丸め込もうという手合いです。天子の剣や諸侯の剣がなんだろうと、ここで死んでしまえば、それが何の役に立つものか!
おい、お前!口だけの男でないなら、出てきて俺と剣で勝負しろ!」
と言うと、剣の鞘を払って、試合場に進み出た。荘周も仕方なく、剣を抜いて進み出る。
相手は雄叫びをあげて、荘周に斬りかかる。荘周もこれを受けとめ、打ち合うこと一合、二合。三度目に斬りかかって来たところを、横に払えば、相手は勢い余って前へつんのめる。そこを剣の柄で打てば、相手は地に倒れた。
倒れた相手に剣を突きつけて、荘周が言うよう、
「いや、庶民の剣もこういう時には役に立つものだな。だが、もし私がひとつの軍団でも連れて来ていれば、たとえお前が私の十倍強くとも、どうにもなるまいが」
「勝負あり!」
と声がかかったので、荘周は剣を収め、王に向かって礼をして、
「剣について、私に教えられるのはこれくらいのものです。それでは、失礼いたします」
と言って、そこから立ち去った。
このことがあってから、王は剣闘試合を見ることをやめてしまった。そのまま、一日が過ぎ、一週間が過ぎ、一ヶ月が過ぎると、王が心変わりしたのを知って、剣士たちは皆で自決してしまった。黄宰相は、彼らをまとめて葬り、史有の屋敷のそばに塚を建てた。
さて、史有は、剣士を探して外国に行っていたが、帰ってきてみると、剣士たちがいなくなっており、屋敷のそばに塚がたっている。わずかに残っていた使用人から、自分が留守の間に何があったのか聞かされた史有は言った。
「あいつらの仇は、きっと俺が討ってやるぞ。その荘周という奴は、どこに行ったんだ?」
「彼はもう、一ヶ月以上前に立ち去りました。彼は魏との国境近くに住んでいたということですし、もう外国に行ってしまったかもしれません」
「それなら、荘周を呼んで、王を説き伏せさせたのは誰だ?」
「黄宰相です」
「やはり、あいつか……」
史有は、剣の柄を握りしめて言った。
「まずは、宰相を斬ってやる。それから荘周を、地の果てまでも追いかけて、必ず探し出して斬ってやるぞ」
そう言うと、史有は一人で、己の剣を携えて出ていった。
さて夜になって、史有が宰相の屋敷にやって来ると、中庭には明々と灯りがともっているが、周りには誰もいないし、外側の門も開いている。史有はその門を通り、内側の門に向かって歩みを進める。
すると門が開いて、中から宰相が、弓を携え、矢筒を身に帯びて現れた。宰相は呼ばわって言った。
「史有!それ以上近づけば、お前の命はないぞ!」
史有はかまわず、つかつかと歩み寄る。宰相は矢をつがえ、狙い定めて史有を射たが、史有は剣を抜くと、飛んでくる矢を空中で弾き落とした。
宰相はさらに矢をつがえ、次々と射かけたが、史有はことごとく防ぎとめ、辺りに矢が散らばった。史有は吠えた。
「どうだ、宰相!剣を知らぬお前に、こんなことができるか!」
「なるほど、こいつは確かに一筋縄ではいかぬわい。おい、お前たち、出番だぞ!」
と宰相が言うと、門の中から、弓矢を携えた手下どもがぞろぞろと現れ、一斉に矢を射かければ、史有もこれは防ぎきれずに、全身に矢が刺さって息絶えた。
宰相は息絶えた史有を屋敷から運び出し、他の剣士たちと一緒に、塚に葬った。
さて翌日になって、宰相が朝廷に赴いて、王にお目通りすると、もう剣士のなりではなく、普通の朝服をまとっている王が、言った。
「史有が死んだそうだな」
「そうです。彼は私を殺しに来たのですが、私はそれを予測していたので、待ち受けていて殺したのです」
王はため息をついて言った。
「これも、もとはと言えば、私の愚かさから出たことだが、あの頃はなぜあれほど剣に熱中していたのか、今になってみるとわからなくなってくる。
勝手ながら、史有のことを思うと、なんとも悲しく思えてくるものだ。昔はあれほど栄え、宰相のごとく重んじられていたのに、今では一人の供もなく、自慢の剣も振るえずに、一人で死ぬことになったとはな。世の中のことは、みなこのように無常なのであろうか」
宰相は言った。
「ものはみな移り変わってとどめることができず、栄えては衰え、衰えてはまた栄えて、掴まえてはおけないと申します。
それですから、つま先立っている者は長くは立てず、鋭く鍛え上げた刃は長持ちしない、というのは、極端に走ることを戒めた言葉であります。
もっとも史有は、それを分かっていて、あえてあのようにしていた、と言うより、あのようにせざるを得なかった、というように、私には思われますが」