なんかすごいのがいた
鍵を開け、先輩がタンスごと入れるように精一杯に扉を広げた。
本当に一度もタンスを降ろすことなく僕の家まで持ってきた先輩はすごい力持ちである。
いや、昔、僕の父親も姉と母と僕を同時に持ち上げたりしていたことを薄らと覚えている。 時々部室に遊びにくるマッスルな先輩、戦部先輩も色々なものを軽々と持ち上げていた。
男性というのはだいたい力が強いものなのだろうな。 力が強いと聞いた覚えもあるし、女性より力があるのは常識か。
それでも、先輩の十分の一ほどしか背負っていない僕はフラフラとなっていたのだから大したものであると言えよう。
ただ単に僕が非力であるのもあるだろうけど。
「すごいですね」
素直に先輩を褒める。
タンスを先輩の部屋に置いて、僕も鞄を近くに降ろす。
「いや普通だろ。 新も俺ぐらいの歳になったらこれぐらい普通に出来るもんだから」
「先輩の年齢まで後一年ないんですけど。
……先輩ってよく僕の年齢忘れてますよね。 一個下ですからね?」
「えっ、あっ……そうだったな?」
「何故確信を持って同意してくれないんですか」
ブツクサと、先輩に対して文句を行っている間に、もう12時になっている。
ご飯を食べるのは普段より遅かったから、今から用意しても少し早いぐらいだろう。
いつもより動いた分だけ早く食べても大丈夫か。
先輩が鞄から荷物を取り出して並べ、僕の家の中でプライベートな異空間を生み出しているのを見ながら話しかける。
「僕、お昼ご飯用意してきますね」
「あっ、新。 見てこれ」
「話聞く気ゼロですね」
先輩が手に持っていたのは小型の水槽のようなもの。 いや、そのまま水槽だ。
中に入っているのは緑色の球体。 確か……北海道の湖にいる……。
「これマリモっぽいだろ? マリモっぽく藻を丸めただけの模造品なんだよ」
「それになんて反応したらいいのか分かりません」
「欲しい?」
欲しがる要素が一切ない。 というか、何のために持ってきたのだろうか。
「いりません」とバッサリ切って、台所にご飯の用意をしにいく。
何を作ろうか。 せっかく先輩がいるのだからちゃんとしたものを振る舞いたいけれど、何せ一人暮らしをしているだけあり、腐らせないように冷蔵庫の中はいつも少ない物しか入っていない。
先輩は僕の倍は食べることを考えると、いつもの三倍作ることになるが、三日分の食材、昨日の夜も合わせれば六日分の食材が必要なのである、そんな腐らせてしまいそうなほどの食材を常備している訳がない。
そもそも、僕は食には大して興味がないために食材も最小限の使い切り分ぐらいしか買わないのだ。
色々言い訳したが、端的に言って材料が少ない。 かき集めたら普通に足りるだけの分量こそあるが、一つ一つの野菜は細かい量しかなく、適当にサラダとか言って盛り付けるにしても量が少ないのに種類が多すぎて不恰好だ。 それにサラダには向いていない野菜の方が多い。
沢山の種類の料理を少しずつ作ってもいいけど、なんか「うわー、めっちゃ張り切ってるよ」と先輩に思われるのはすごく恥ずかしい。
実際張り切っている節はあるけど、そう思われるのは絶対に嫌だ。
どうしようかと頭を悩ませているところで、また先輩に食べたい物を聞けばいいやとなった。
作れる料理の方が遥かに少ないが、それでも先輩ならやってくれると信じ、先輩の部屋に行った。
「先輩食べたい物ありますか?」
「んー、じゃあカレーで」
それならいける!
昨日の肉じゃがといい、先輩が僕に気を使って簡単に作れるものばかりチョイスしているような気がしてきたが、きっと気のせいだろう。
カレーも少し時間がかかるが、この前買った圧力鍋があれば早く楽々具材の芯まで火を通すことが出来る!
出来ればもっと時間をかけて丁寧に作りたいと思ったが、お腹を空かせているであろう先輩が待っているかもしれないので少し急ぎ気味で作り終えた。
先輩はカレーの匂いに釣られたのか、完成してすぐにやってきた。
盛り付けはまだ出来ていないので急いでご飯をお皿に入れたときに、ご飯が全然足りないことに気がついた。
先輩分ぐらいはあるので問題はないが、僕だけカレーをご飯なしで食べているのは不自然か。
今からご飯炊くのにも時間がかかる。 どうしようかと頭を悩ませていると、先輩がやってきた。
「昨日も思ったけど作るの早いな」
「あ、ありがとうございます」
褒められた。 作るのは早いかもしれないけどミスをしてしまった。 仕方ない、多少不自然でもご飯なしでもいいか。
先輩の分を盛り付けて、先輩に手渡し、飲み物とコップを一緒に机に持って行った。
僕の分は仕方なくカレーだけお皿にを入れて、スプーンを二本持って机に置いた。
「あれ、ご飯いらないの?」
カレーだけのお皿を見て先輩が尋ねる。 僕は適当に答えて、いただきますと手を合わせた。
そういえば、いつものように辛口のカレーだったけど先輩は大丈夫だろうか。 辛いのが苦手な人かもしれないことを失念していた。
数分で食べ終えた先輩は、まだまだ食べてる途中の僕を見ながら話始める。
「とりあえず、今日は何をすればいいのか分からないから適当に動き回ろうと思う」
そこで、だ。 と勿体つけてるのか格好つけてるのか分からない表情で、先輩は提案する。
「ここは敢えて三手に別れて探索しよう」
「一人どこから現れたんですか」
「あえて新を分身させて後ろに……」
訳の分からないことを言い出した先輩を無視して食べ終わる。
外に出る前に洗い物を済ましてしまおうと食器を運ぶ。
「俺が洗おう。 働かせっぱなしでは悪いからな」
「嫌ですよ。 だって先輩、僕のスプーン舐めるじゃないですか。
それより、探索するってどうするつもりですか?」
「舐めねえよ! おそらく。
そりゃ適当に変わってるところに行くとか。 一応、俺ん家の周辺の浮いてる土地に行くのは避けるが」
先輩と離れて動き回って安全だろうかということを考える。 先程のお出かけも特に何事もなかった、タンスを背負った先輩が注目を浴びて恥ずかしかったぐらいの物だ。
探索なんて難しく考えずに近所を散歩して、小さな秋を見つけたらいいのだろう。 いや、小さな秋ではなくて小さな異世界だけど。
「んぅ……まぁ先輩の歩幅に合わせるのも大変ですからいいですよ」
子供も出歩ける程度の治安であると考えると、僕が一人で歩いても危険はないだろう。 所々なんかすごいことになっている以外はいつも通りなのだ。
問題は先輩と一緒にいれないことだ。 遊ぶ約束もしていたのに、とは思うけど、この状況で言う気にはなれない。
「じゃあ、俺は適当に探ってくるよ。 新はどうする?」
「任せっきりも悪いので僕も適当に見てまわります。 買い物にもいかないとダメですから」
あと、先輩がいない間に洗濯だけしておこう。 洗濯機使うとちょっとうるさいし。
干すのは後回しでもいいよね。 ……このまま先輩がいるようなら乾燥機も買ってしまおうかな。
先輩が出て行くのを見送ってから、洗濯機を回して、洗濯機が止まるまでの間に昨日ではしきれなかった場所の掃除をしておく。
適当に自室の中に部屋干ししてから外に出た。
まだまだ明るい空は青く晴れているが、日がやけに赤く見える。
「よし、とりあえず買い物でもしますか」
行きすぎて店員のおばちゃんに顔を覚えられてしまったスーパーに行くことに決めて、脚を動かす。
家を出て数歩、曲がり角を曲がったところに……猪人間、オークがいた。