明日天気になれで靴が人の口に入った。明日、天地が開闢する。
先輩が食べ始めてから数分。 全く飲み物が減っていないことに気がついた。
僕は肉じゃがと野菜ジュースでも全く問題ないけれど、世間的には合わないということに気がつく。
「すみません、野菜ジュースだと食べ辛いですよね」
少し早足でキッチンに行き、新しいコップと冷蔵庫からお茶を取り出す。
麦茶しかないけれど、野菜ジュースに比べたら問題もないだろう。
「ありがと。 美味いよ肉じゃが」
麦茶を注いでいると、先輩が僕の頭に手を乗せて笑う。
僕はその手を開いた手で払いのける。
「入れてる最中に触られるとお茶溢れるでしょ。 あと、あまりベタベタしないでください」
昔見たレシピ通りに作っただけなので、変なアレンジをしたりしていないので、普通に美味しいのは分かりきっている。
先輩はレシピ通りの料理で喜ぶほど、手作りの料理に慣れていないのだろうか、実にチョロい。
テレビを眺めていたら不意に、触れたら追い出すと言っていたことを思い出した。 追い出すべきだろうか。
「なあ新」
追い出すべきかを考えていると、食べ終わったらしい先輩から声をかけられる。
器用に全部の食器を持ってキッチンに置きに行ってくれたらしい。
「どうかしましたか?」
「大したことじゃないんだけど。 俺さ、風呂入っても着替えないだろ?
ぶかぶかの裸ワイシャツならぬ、ピッチピチ、いやビリビリの裸ワイシャツはセーフだと思う?」
「一分もセーフの要素ないです。 というか、僕の服を破くのは止めてください!」
馬鹿なことを言う先輩を睨み付ける。
「とりあえず、今着てるの着なおしてください。
僕が今からお風呂のお湯を抜いてくるので、先輩はそこのソファーを二つ隣の部屋に運んでください。
今日はそこで寝てもらいますから」
「なんで風呂の湯を抜くんだよ、風呂に入らせろよ」
「だって、お風呂僕入ったばっかりですから……。 先輩飲むじゃないですか」
「流石に飲まねえよ!
ちょっと興奮するだけだ!」
先輩の言葉を無視してお風呂の栓を抜きに行く。
シャンプーなどは僕の分を使ってもらうしかないだろう。
お湯がなくなったところで、一通り洗剤を付けて湯船を洗った後に湯を張り直す。
そろそろ眠くなってきた目を擦りながら、リビングに戻る。
「それにしても、家広いよな。 一人暮らしなのに」
「まぁ、昔は四人でしたからね。 愛着もありますし。 お金に困ってるわけでもないので売ったりする必要もないですし」
先輩が机の上に手をだらりと乗せて、言う。 流石に先輩が寝れるぐらい大きなソファーを運ばせるのは大変だったか。
戻すときは一緒にしようと決めて、僕も向かいの椅子に座る。
「また調べてみたんだけど、やっぱり情報ない。
別にネットが繋がらないとかじゃないんだけどなあ」
「ん、それは妙ですね」
よく分からないけど、天変地異が起きたのだからニュースぐらいになってもおかしくはないと思う。
「なんか、違う世界にでもきたような気分ですよ」
異常な景色を見上げたあと、開きぱなしだったカーテンを閉める。
「違う世界か、そう言えば、昨日そんな話したよな」
「ああ、先輩が……下衆でしたね」
小さくため息を吐きながら、僕は昨日のことを思い出す。
◆◆◆◆◆
朝から昼間まで授業に専念して、放課後になれば部活動を勤しむのが、学生のあるべき姿の一つだろう。
学業が苦手で学校嫌いの僕もその例には漏れずに、今日も今日とて部室で部員達とどうでもいいことをするものだ。
「空亡はチェスしないのか?」
同学年の部員である田中くんだったか佐藤くんだったかが、チェスの駒を進めながら僕に話しかける。
「ん、宿題がありますので。 赤口先輩に教えてもらう前に自分で考えようと思ってるんです」
「空亡は真面目だな。 いや、部活中に宿題って真面目か……?」
首を捻る田中くん。
僕は進まない筆を握り直して、教科書を睨み付ける。
文字を読んでいるのか、教科書とにらめっこをしているのかが分からなくなった頃に、部室の扉が開いて見慣れた人が入ってくる。
「あ、先輩」
「おお、新。 いたか」
いつもは無下に扱うのに、今日はなんとなく表情が柔らかい。 何かいいことでもあったのかと思ったけれど、先輩にとっていいことってなんだろうか。
美味しいものを食べても、将棋などのボードゲームで勝っても、女の子に告白されても、テストで良い点とっても、体育で活躍しても、お金を手に入れても、いつも変わらないような気がする。
普通に笑うけれど、愛想の悪い妙な笑みばかりでちゃんと笑ったりはしていない気がする。
そんな先輩がなんとなくだけど嬉しそうだ。 珍しすぎて失礼な言葉が口から漏れ出る。
「先輩って機嫌いいときあるんですね」
「えっ、俺普段から笑ってないか?」
確かに笑っているけれど、それとは違うえみなのだ。
しかし、それを口にするのは憚られる。 まるで僕が先輩のことをよく見ているようで小恥ずかしい。
「いえ、なんてなく機嫌がよさそうなので」
機嫌がいいのは事実らしく、僕の隣にある椅子を引いて、カバンを置きながら浅く座る。
「別に機嫌がいいわけじゃないんだけどな。
ほらこれ」
先輩から乱雑に手渡されたのは、これまた乱雑に包装された箱。
店や何かで包装された訳ではないだろう。 きっと先輩がしたのだ。
そう思うと、よく分からないプレゼントでも嬉しい。
「あ……あ、ありがとうございます!
今日って何かの日でしたっけ?」
「何言ってんだよ、今日は誕生日だろ?」
「えっ、先輩のですか? すみません。 何も用意してません……」
僕の誕生日は四月だ。 先輩には祝ってもらったので、間違えて覚えられているということはないはずである。
そう言えば、先輩に誕生日を聞いてもはぐらかされてしまって知らない。
「いや、近所の土田のおっさんの」
「直接土田さんに渡してくださいよ! 僕を経由する意味ないです」
鉄板焼き屋さんを営んでいる土田さんとは、家が少し近いこともあってお店に行ったり、ばったり会えば挨拶ぐらいはするけど、あまり関わりはない。
「いやさ、飯食いに行ったら、土田のおっさんが「来週、誕生日だけどどうせ妻も夫も娘も忘れて祝ってくれないんだろうな」って愚痴ってたから」
「家庭環境が不穏ですよ。 それなら尚更土田さんに渡してあげてくださいよ」
「だから祝おうかと言ったら「いや、俺を構うぐらいなら新ちゃんに構ってやれば」と言ってたから代わりに新で誕生日祝おうかと」
「素直ですか!」
誕生日ではないのに、誕生日を祝われてどうするのだ。 先輩がふざけていることは確かだけど、上手く対処が出来ない。
プレゼントを突き返して、先輩から目を離して宿題に向き直る。
「本当は、新に似合うかと思って、つい買ってしまったんだ。 受け取ってくれ」
「そこまで言うなら……」
また渡された箱を開ける。 雑に包装されているせいで、丁寧に剥こうとしたのにところどころ包装紙が破れてしまう。
先輩が片手で持てる程で余り大きな箱ではない、似合うという言葉から身に付ける物だと思うけれど衣服を入れるような物ではなく、アクセサリー類にしては大きい箱である。
先輩の何時もの傾向から考えるに、箱の中から箱が出てくるマトリョーシカ形式で最終的には、アクセサリーが入っていると予測する。
当たらずとも遠くはないだろうと思って、箱を開ければ下駄が入っていた。
どういう意味合いなのだろう。
「え、と……ありがとう、ございます」
もっと変な物が出てくるかもしれないと考えていた分、気が抜ける。 ツッコミに控えて吸っていた空気が肺から漏れ出た。
プレゼントというには妙な物ではあるけれど、いつものような意地悪なからかいではなく、胸の当たりがむずかゆい。
「先輩が普通の物をくれるなんて、明日は雨降りですね」
憎まれ口を言えば、ほんの少し楽になる。
「まぁな、ほら、占いしてみてよ」
「下駄は明日天気になれ用のアイテムじゃないですからね?」
外を歩く用の靴を、土足禁止のところで履くのはいいのだろうか。
まだ土はついていないから大丈夫だと思い、上靴を脱いで下駄を履く。
「ん、やっぱりちょっと動きにくいですね。
背が少し高くなるのはいい……」
そう思って立ち上がると、ほんの少しだけ足元がへこむような感覚が走る。
ーーぷひぃ!
間の抜けた音が部室に響く。 幼児が履いていることのある、歩けば音が鳴るあの靴の音だ。
ーーぷひぃ!ぷひぃ!ぷひ? ぷひぃぃ!
確かめるように、数度足踏んでみる。
あぁ、これ僕の足元から出てる。
「先輩」
「おう」
「申し開きはありますか?」
「恥ずかしがってる顔が見たかった。 それだけだ」
明日天気になれと同じ要領で、先輩に向かって下駄を蹴り飛ばす。
運良くか、それとも悪くか、先輩の口の中に吸い込まれるように入っていく。
ーーぷひぃ!
「まさか、口の中に入るとは。 明日の天気はすごいことになりそうですね。
先輩に対してのみ槍が降ったりとか、炎が降ったりとか」
「なにそれこわ、この世界ではありえないから」
◆◆◆◆◆◆
「もしやあの占いのせいで……!!」
「下駄の天気占いの結果で土地が空飛ぶとか嫌だわ」