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最後の言葉 その一

真壁晃一郎に拉致された日真理は……

1


 あたしが真壁晃一郎に拉致された日の翌日、事態は大きく動き出していた。


 あたしはあの日真壁晃一郎に捕まると、人気のない所まで連れて行かれそのまま車に乗せられてしまった。車内でやつはあたしの手足を縛り、目隠しをしてから車を発進させ、これまた人気のなさそうな所で停車した。

 数時間後、何の前触れもなく車が動き出した。いつ殺されてもおかしくない状況だったせいで、あたしの疲労は既にピークに達しようとしていた。


「降りるんだ、武内さん」


 真壁晃一郎がそう言ってあたしの目隠しと足枷を外した。

 目隠しを外されると、そこはまた秋葉原であった。真壁晃一郎はあたしに目の前のビルの階段を昇るよう指示した。まだ早朝で開いているはずもないこの建物にどうやって入り込んだのかは分からないけど、あたしは真壁晃一郎に脅されるがままにビルの階段を昇った。


 屋上に辿り着くと、そこからまだまだ人通りの少ない秋葉原の街並みを一望することができた。だけど、今のあたしにそんな精神的余裕など当然ありはしなかった。


 それから数時間、あたしはまた手足を縛られ、口を塞がれこの屋上に野ざらしにされていた。その間真壁晃一郎はどこかに行っていたが、あたしが逃げないよう、監視カメラだけはしっかりあたしが視える位置にセットしていった。

 夕方が近づき、あの男はようやく戻って来るとやっとあたしの拘束を解いた。そしてこう言った。


「取引の時刻は四時に決まった。そこで君の運命が確定する」


 取引と、この男は言った。わざわざあたしをここに連れだした以上、この場に誰かがやって来るのは間違いないだろう。それが誰かは、あたしには容易に想像がついた。この場にわざわざこの男にとって関係のない人物が来る筈がない。来るとしたら間違いない。シャロか江村先生以外には考えられない。


 真壁晃一郎は今度はあたしの首に腕を回し、喉元にナイフを突き付けている。それは簡単にあたしの命を奪ってしまいかねない鋭利な得物だった。

 この男は無慈悲にも坂上瞳子をナイフで滅多刺しにし、実の娘であるシャロすらも殺そうとした。こいつにとって命など何の価値もない。自分にとって都合が良いか悪いか、それしかないのだ。


 これから起こること。それは、私が最も恐れていたことだ。守ると約束したはずの子を傷つけてしまうかもしれない。いや、もうあたしが拉致された時点であの子の心は十分傷付いているはずだ。

 これ以上あの子のことを傷付けたくなんてないのに、今のあたしには見ていることしかできない……。


 徐々に足音が聞こえる。一歩一歩と音が近付くたびに、あたしの心臓の鼓動は早まっていく。足音は一つ。全速力で昇って来るその足音の主は、間違いなく、シャロのものだ。

 真壁晃一郎はあの子をここに呼び出し、いったいどんな「取引」をするというのだろうか?


 屋上へと続く扉のノブが回され、勢いよく扉が開かれる。そこから姿を現したのは、なぜかいつものメイド姿の美少女だった。

 シャロは険しい表情を浮かべている。だけど、あたしの無事を確認できたからだろうか、少しだけ安堵しているようでもあった。


「よく逃げないで来たね、シャロット」

「ぼくが日真理を見捨てるわけないよ」


 彼女なりの鋭い視線で男を睨む。

 本当は、シャロにこんな顔はして欲しくない。でも、彼女を追い詰めているのは他ならぬあたし自身なんだ。この状況を打破しなくては。シャロだけはなんとしても守らないと。シャロがこれ以上傷付くことは絶対あってはならない。


「それでお父さん、どうしたら日真理を解放してくれるの?」


 シャロが尋ねる。その表情は当然の如く厳しいままだ。

 真壁晃一郎はすぐには答えない。不快な沈黙が訪れる。太陽が徐々に地平線上に沈んでいく。西日があたしの目に突き刺さる。


「なぁ、シャロット」


 自身が作り出した沈黙を打ち破るように男が言う。


「私はね、別に好きでこんなことをしているわけじゃないんだよ」


 勝手なことを言う。


「シャロットが私の言う通りに家にいてくれさえすれば、私は今まで通り優しい君のお父さんでいられたんだよ」


 この男が言葉を発する度に不愉快さが募っていく。それはきっとシャロも同じだろう。


「なのに……シャロットはそれを裏切った……」


 ふと、真壁晃一郎の雰囲気が変わったのがわかった。あたしの心臓が猛烈なスピードで鼓動を始める。


「お前が逃げ出しさえしなければ良かったんだ!! お前が逃げたからあの女の子は死んでしまった!! お前達が余計なことをしたから殺してしまったんだ!! 全部お前達のせいだ!! お前達が全部悪いんだ!!」


 癇癪を起こした子供のように駄々をこねる。そこに理論なんてない。自分が悪いくせに人のせいにしかしない。心からこいつはクズなんだと実感する。

 しかし今怒鳴り散らしたかと思うと、今度は最大限に嫌らしい声で人の神経を逆撫でするようにこう言った。


「外に出たら、皮膚が紫に変色して、肺が破裂して、脳漿をブチまけながら死んでしまうと言ったが、本当にその通りになっただろ……? お前が着ていた『エア』の衣裳をあの子に着せたりするから、あの子がそうなったんだ。本当ならシャロットが脳漿をブチまけながら死ぬはずだったのになぁ。余計なことをするから、あの子がそうなってしまったんだ。違うかい?」

「それは……」


 シャロは今にも泣き出しそうな表情をしている。

 あたしの中でこの男に対する怒りが高まる。この男の言葉には理不尽さしかない。


「だからあの子を殺したのは私ではなくお前だ。そして、今この子を死に追いやろうとしているのもお前だ。お前がワガママだから友だちが死んでいくんだ。全部、お前のせいなんだ」


 ナイフを突き付けられている状態でも、もう我慢の限界だった。お前が殺したくせに人のせいにするな。シャロ、そんな悪魔の言葉なんて聞かなくていい。シャロは何にも悪くないんだから!

 そう叫びたかった。それであたしが死んだっていい。シャロをこれ以上冒涜することだけは許さない。しかしその瞬間、


「だけど……」


 またしても真壁晃一郎は雰囲気を変えた。


「私だって鬼じゃない。どんなに親不孝な娘にだってかける慈悲くらいは持ち合わせている」

「え……?」


 目に涙を溜めたまま、シャロが真壁晃一郎を見つめる。顔は見えないけど、やつがニヤリと笑ったのがわかった。


「もし私がこれから言うことができるのなら、この子を解放しよう。聞きたいかい?」


 シャロがゴクリと唾を飲む。でもすぐに、決意の篭った瞳で男を見据え、「教えて!」と言った。


「ここの建物は八階建てだが、ここから人が落ちたらどうなると思う?」


 わざと焦らすように男が尋ねる。

 そんなこと答えるまでもない。こんな高さから飛び降りたなら、人間は……。


「死んじゃうと、思う……」


 律儀にもシャロが答える。


「そうだ。この高さから飛び降りれば間違いなく死ぬ。例えば、こんな風にしたら、とても危ないな……」


 そう言った次の瞬間、真壁晃一郎はビルの端の方まで近付き、ナイフを突き付けたままあたしをビルの縁ギリギリの所に立たせた。

 心臓が止まりそうになる。特に高所恐怖症という訳でもないけど、こんな高さで殺人鬼に命を握られている以上怖くないわけがない。


「何をするの!? やめてよ!」

「待て!」


 駆け出そうとするシャロを制止する。


「待つんだシャロット。別に突き落とすわけじゃない。ちょっと脅かしただけさ」


 歯がカチカチ鳴る。こいつに弱いところを見せたくはないけど、こんなの我慢しろという方が難しい。それを見透かしたのか、男はあたしの耳元で囁く。


「大丈夫だよ武内さん。シャロットが言うことさえ聞けば君に危害は加えない。安心していいんだよ」


 そう言って真壁晃一郎はあたしの頭を撫でた。汚らわしい、血に染まったその手で。


「そこで何をしている!?」


 不意に下から声が響き渡った。どうやらあたしがビルの縁に立っているせいで、隣のビルにいた人が異常に気付いたらしい。

 だがそれでも、真壁晃一郎は少しも動揺せずにまたシャロへと向き直った。


「他の人間に気付かれてしまったようだから手短に済まそう。シャロット、私の元へ来なさい。そして互いに……ここから飛び立とう。そうすれば全てが終わる。シャロットも君のお母さんも、私にした全てのことを水に流してあげよう。そうすれば、私たち家族は今度こそ楽しく過ごせる。何の苦しみもない世界で、幸せな時を過ごそう」


 そう、言ったのだった。


「それって、シャロと一緒に、死ぬってこと……?」


 震える声で尋ねる。あたしにはこの男の気持ちが少しも理解できなかった。

 水に流すもなにも、悪いのは全部あんたじゃないか。あんたが今死んで苦しみのない世界が待っていると思うのか? しかもなぜあんたの勝手にシャロが巻き込まれないといけないのか?

 吐き気を催す邪悪とはこの男のためにあるのだ。この男には一ミリの正義もない。どれほどの恐怖に打ちひしがれていようとも、あたしはそれだけは確信していた。


「さぁシャロット、こっちへおいで」


 こんなクズに付き合う義理なんて、シャロには少しも見当たらないはずだ。


「……わかった」


 そのはずなのに、今シャロは「わかった」と言った。いったい何がわかったというのだろうか? なぜシャロはそんなことを言ったのだろうか? この男の言葉のどこに理解できるところがあったのだろうか?

 シャロの表情からはさっきのような険しさは消えていた。今あるのは、諦めにも似た感情であるように、あたしには思えてならなかった。


「よく言ってくれたシャロット。お父さんは嬉しいよ」


 今さらな父親面で男は言う。

 シャロが近付く。待つのは破滅しかないのに、なぜあんたは歩を進めることができるの?


「シャロ!」


 堪え切れず、ナイフを突き付けていられようが関係なく叫ぶ。するとシャロは、今まで見た中で一番優しい顔をしてあたしに笑いかけた。「安心して日真理。ぼくは大丈夫だから」。そんな言葉が、彼女の表情からは想像できた。

 シャロは諦めてしまったのか? あたしのせいで、こんな男に屈してしまったのか? だとしたら、あたしはいったいどうしたらいいのだろうか?

 シャロを守りたいのに、このままじゃ、あたしのせいでシャロは……。


 シャロが更に近付く。距離はもうほとんどない。しかし、その時だった。


「やめろ真壁!」


 突然の声に全員が振り向く。そこにいたのは、他ならぬ江村先生だった。この異常な緊張感のせいで誰も彼の足音を聞いていなかったんだ。

 江村先生は尚もこちらに向かって声を荒げる。


「真壁! これ以上罪を重ねるな! 武内さんを放して、早く自首するんだ!」

「私は罪など犯していない。間違っている人間に報いを与えたにすぎん。江村、お前の出る幕などない!」


 江村先生の言葉にも真壁晃一郎はあまり動揺の色を見せない。しかしそれでも、ほんの一瞬、彼はあたしの首元からナイフを少し離した。

 その一瞬、僅かな隙をついたのは、江村先生でもあたしでもなかった。


 シャロは両手でそれを構えていた。メイド服にはとても似つかわしくない無骨なそれを小さな手で握りしめ、目と銃口はしっかりやつの右手だけを捉えていた。


 あたしが声を上げる時間もない。当然、真壁晃一郎がそれに気づく時間など皆無だ。


「日真理を、返して」


 シャロは多分、小さな声でそう言ったのだと思う。そしてそれを合図に、真っ黒な拳銃は火を吹いた。

 耳をつんざく程の爆音。そして、まっすぐ進んだ銃弾は、あたしの命を脅かし続けていたやつの右手を直撃した。


 声にならない男の絶叫。そして取り落とされるナイフ。飛び散る鮮血。そして、


「日真理! 今だよ!」


 目の覚めるようなシャロの叫び。あたしの混乱しかけていた意識は急速に覚醒し、あたしはやつの拘束から抜け出した。


 「待て!」と、男は言ったのかもしれない。でも何も聞こえない。あたしの神経はただ一人、最も大切なあの子だけに向いていた。それ以外はあたしにとってただの雑音でしかない。

 必死の形相のシャロ。そしてついに彼女は、あたしの身体を抱きとめたのだった。


「日真理ぃ!」


 泣き崩れるシャロ。守ると決めたのに。もう泣かせたりしないと決めたはずなのに。また涙を流させてしまった。

 震えるシャロの身体をより強く抱きしめる。最大限の謝罪と、会いたくて仕方なかったあたしの抑えきれない感情を込めて、あたしはシャロに謝って……


「真壁、晃一郎……」


 気付いた時には遅かった。撃ち抜かれた右手ではなく、無事な左手で、真壁晃一郎は新たなる殺意をあたしたちに向けていた。


「殺して、やる……」


 この男の殺意は、明確にシャロへと向いていた。

 その時あたしに浮かんだのは、たった一つだけの方法だった。他にもう何も思いつかなかった。きっと、もっとマトモな方法があったのかもしれない。でも今のあたしにはそれしか思いつかなかったんだ。

 息を吸う間もなく、あたしはシャロを突き飛ばした。そして、降り注ぐ殺意を、この身で……受け止めた。


「うぐ……」


 右の脇腹を一瞬にして焼けるような激痛が襲う。そして、あたしは込み上げるものを抑えられず、真壁晃一郎に向かってそのままそれを吐き出した。


「日真理!?」


 状況を飲み込めずシャロが混乱している。でもすぐに真壁晃一郎のナイフに気づき、


「いやあああああああ!!」


 絶叫を上げてしまった。

 こんな不器用な方法でしかシャロを守れないあたしをどうか許してほしかった。それでも、こんな方法でも守ると決めた人だけは守りきってみせる。消えかかっている意識の中でも、それだけは譲れない想いとしてあたしの中で残っていた。

日真理の決死の行動! 少女は守るべき者のために命を賭ける。

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