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あたしが守るから その八

久しぶりの更新。

8


 すっかり日が傾き、足が棒のようになってしまった頃、ようやくあたしはシャロを見つけた。

 人がほとんどいない暗い路地裏で、あの子は膝を抱えて丸くなっていた。

 あたしはあの子が逃げないように、気配を殺してゆっくり近付く。でも、


「見つかっちゃった」


 先手を打って、体育座りをしたままのシャロがそう言った。

 

「隠れるなら最後まで隠れなよ」


 あたしは呆れながらシャロに近付く。シャロは特に逃げる様子も見せない。あたしはシャロの隣まで行くと、その場に腰を下ろした。


「なんで逃げたりしたのさ?」


 責めるでも(とが)めるでもなく、何気ない会話と同じようにあたしは言った。

 シャロの銀髪が夜風に揺れる。三月の夜はまだまだ寒い。あたしはシャロが凍えないようにそっとその身を寄せた。

 シャロは答えない。

 あたしもそれ以上何も言わない。

 大通の喧騒はこの路地裏にも絶えず漏れ聞こえてくる。でも、今のあたしたちを包んでいたのは波のない海の底のような静寂だった。人々の声を2人の空間が遮断する。

 しばしの沈黙ののち、ようやくシャロが口を開いた。


「怖かったから……」


 シャロの声は震えていた。

 シャロの恐れ。それが何か、あたしはもう分かっていた。

 大切な人をあんなにも残虐な方法で奪われてしまえば、元に戻らないほど深い傷を心に負ってしまうのは当たり前だ。

 改めて、あの男に対して怒りが込み上げてくる。あたしが子供じゃなかったら殴ってやるところだけど、あの危険な男相手ではそれも叶わない。それがたまらなくもどかしい。


「日真理がいなくなっちゃうかもしれないって思ったら、怖くて仕方がなかったの……」


 坂上瞳子はシャロを助けるために初めて動いてくれた同世代の女の子だった。

 そして、このあたしも彼女と同じようにシャロを助けるために行動している。

 あたしと坂上瞳子。見た目も性格も多分全然違う。でも、シャロを想っていることには違いがない。彼女のために全力を尽くしているという意味では同じだ。

 でも坂上瞳子は死んでしまった。だったら、同じように行動しているあたしもあいつに殺されてしまうかもしれない。シャロがそれを恐れたとしても、なんら不思議なことではない。

 あたしは隣のシャロの姿を見やる。

 シャロは潤んだ碧眼であたしを見つめていた。


「坂上瞳子さんみたいに、あたしがいなくなるって思ったのね」


 涙目のままシャロはあたしを見続けている。


「確かにあたしは、瞳子さんと同じようにあんたを助けようとしている。自分のために動いてくれている人が辛い目に遭うなんて、そんなの嫌に決まって……」

「違うよ」


 あたしの言葉を遮って、シャロが言った。


「違うって、何が?」

「……そんなに、単純なことじゃないよ」


 あたしはすぐには彼女の言葉の意味を理解できなかった。単純なことではないとはどういう意味なのか? あたしの言ったことと何が違っているのだろうか?


「……どういうこと?」


 あたしが尋ねる。


「同じじゃないんだよ」


 シャロが答える。


「同じじゃ、ない?」


 あたしの言葉にシャロが頷き、こう言う。


「日真理はずっとぼくのそばに居てくれた。いつもぼくを見守ってくれた。瞳子は大切な友達だけど、ぼくは日真理のことは、『家族』みたいに思ってるんだよ」


 あたしは思わず言葉を失った。シャロの口からそんな言葉が出るとは思ってもみなかったからだ。


「ぼくには、本当の意味では『家族』がいなかったから、きっとこれが本当の家族なんだって思ったんだよ。日真理はぼくにとっては、いつも頼りになるお姉ちゃんみたいなものなんだよ」

「あたしがお姉ちゃんだなんて、あ、あり得ないよ! あたしなんかに、そんな価値なんて……」


 いつだって支えられていたのはあたしの方だ。そんなあたしに、シャロの「家族」を語る資格なんて……


「違うよ」


 シャロがあたしの手を握る。その手は温かみで溢れている。


「瞳子が殺されたのを思い出した時、日真理はぼくと一緒に泣いてくれたよ。お父さんから逃げることになった時、一緒に逃げると言ってくれたよ。ぼくが寂しいと思う時はいつだって、ぼくの頭を撫でてくれたよ。だから、日真理は自分を見下したりしないで! 日真理がいてくれたから、ぼくはここまで来られたんだから!」


 そこであたしはようやく気付いた。自分がいかに鈍感だったのか、やっと分かったのだった。

 唯さんの言う通りだ。シャロはこんなにもあたしのことを想っていてくれたんだ。


「なのに、あの人はまたぼくの前に現れた。このままだと、ぼくだけじゃなくて日真理も殺される……。そんなの、絶対にいやだ! 大好きな日真理が死んじゃうなんていやだ!」


 シャロの頬を大粒の雫が伝い、地面にいくつも涙のあとを作る。

 「大好き」と、この子は言ってくれた。どうしていつも、この子の言葉はこんなにも強くあたしの心を打つのだろうか。純粋で、優しくて、温かい。いつの日からか、あたしはそんなシャロにすっかり魅せられていた。

 この子は本当にあたしのことを想ってくれていた。瞳子さんがどうとか、そんなことは関係なく、心からあたしのことを慕ってくれていたんだ。なのに、あたしは勝手に瞳子さんに嫉妬したりして、なんて愚かだったのか。

 シャロの涙は止まるところを知らない。あたしはこれ以上、あたしを慕ってくれる友達に、いや「家族」に哀しい思いをして欲しくなかった。これ以上、涙を流させたくなかった。だから、あたしは、


「日真理……?」


 シャロの小柄な身体を抱きしめた。嗚咽(おえつ)も、震えも、全部あたしが代わってあげる。そんな思いを込めて。


「あたしは死なないよ」


 言葉に揺らぎはない。もうシャロに不安を抱かせはしない。


「本当に……? 本当に日真理は、いなくなったりしない……?」


 懇願にも似たシャロの言葉。


「当たり前だよ。あたしはあんたを独りになんてしない。あたしだって、シャロのこと大好きだから、絶対にあんな男に殺されて、あんたを一人遺したりなんてしないよ」


 もう二度と、シャロに孤独を味あわせたりしない。あたしだって死にたくないし、シャロと別れるなんてまっぴらごめんだ。


「あいつから、あたしがシャロを守るから。だからお願い、あたしを信じて!」


 あたしはシャロの真っ赤になってしまった大きな瞳を見つめる。すると、ようやくシャロの目に希望の光のようなものが灯ったのが分かった。そして、強張っていた顔にいつもの彼女らしい柔らかな笑顔を取り戻し、彼女はこう言った。


「わかった。ぼくは日真理を信じるよ! 日真理は絶対嘘つかないもん! 絶対、ぼくを独りにしないって、信じるよ!」


 シャロは力強く、そう宣言してくれた。


「ありがとうシャロ!」


 あたしは嬉しくて、もう一度彼女の身体を抱きしめてやった。

 シャロも同様に、あたしを抱きしめ返してくれた。

 あたしはそれが堪らなく嬉しくて、人知れず、目元の涙を拭った。


「さ、みんなが心配してるし、そろそろ帰ろ」


 気を取り直してあたしが言う。


「うん!」


 シャロは久しぶりに見せるあの可愛らしい満面の笑みで応えた。

 あたしたちは路地裏から大通りへと出る。するとちょうどそこに、


「ひま!」


 走り回ったせいだろうか、髪の毛を乱れさせた夏海の姿があった。


「夏海! ごめん、今連絡しようと思ってたんだけど」

「もー、心配したよ! シャロちゃんだけじゃなくてひまとも連絡つかなくなっちゃうんだもん! でもよかった。その様子なら、もう大丈夫そうだね」


 夏海はあたしの後ろに隠れ気味のシャロを見て笑った。


「シャロ」


 あたしはシャロに前に行くように促す。


「あ、あの……」


 シャロはオロオロしながらも夏海の前に立った。


「なあに?」

「心配かけてごめんなさい」


 シャロは手を前に置き、頭を下げた。すると夏海はニコリと笑い、シャロの頭に手を置いた。


「次は一人で悩まないで、ちゃんと相談してよね」


 夏海はその手でシャロの頭を撫でてやる。シャロは同じく笑顔になって言った。


「うん。ありがとう、夏海」

「ひまと違って素直でよろしい!」


 あたしの顔を盗み見ながら夏海が失礼なことを言う。


「なぜあたしがディスられないといかんのか?」

「冗談だって」


 夏海は舌を出してテヘペロと笑っていた。あたしは彼女の額にチョップを食らわせた。


 あたしたち三人は連れ立ってあの場所をめざす。するとその途中、夏海のケータイにミズキさんから「何か食べるもの買ってきて!」との連絡が入ってきた。


「夏海もシャロも疲れてるだろうからあたしが買ってくよ。何か食べたいものある?」


 あたしがそう尋ねると、


「ハンバーガー!」


 間髪容れずにシャロがそう言った。さっきのことをお忘れじゃないですかねシャロさんや?


「大丈夫? 量も多いだろうし手伝うよ」


 夏海が心配そうに言う。しかしあたしは頭を振った。


「ありがたいけど大丈夫。それよりも夏海はちゃんとシャロをあそこに連れて行って。この子一人じゃ辿り着けないだろうからね」

「まぁ、確かにね……」


 夏海は得心が入ったらしく、すんなり納得してくれた。


「よろしくねぇ!」


 シャロが手を振る。夏海はそんなシャロの手を引いて歩き出す。

 あたしはとりあえず手近なハンバーガー屋を目指そうと思った。


 でも、その時だった。


「お久しぶりだね、武内さん」


 一番聞きたくなかったあの声が耳元で響いていた。そして背中には、何かが突き付けられるような感覚が広がる。声の主の方へ振り返るまでもなく、あたしの中で絶望が広がる。


「いい子だから、私と一緒に来るんだ。そうすれば、今すぐ命を取るようなことはしないから」


 そんな言葉を言われなくとも、すでにあたしに逃げ場などなかった。

 あたしは言われるがままに、真壁晃一郎が示す方へと歩き出した。

 守ると約束したばかりの子を、この秋葉原に残して……。


日真理はいったいどうなるのか……?

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