まっしろなまっくろ その四
4
「瞳子、良い名前だね!」
ぼくは思った通りのことを口にする。
でも……
「私は正直、あんまり好きじゃないんですよねぇ……」
瞳子は嬉しそうじゃなかった。
「どうして? カッコ良くて良い名前だと思うけどな」
「私は、もっと今時の名前が良かったんですよ……。"唯"とか"澪"とか"律"とか"梓"みたいな可愛い名前が良かったなぁ……」
「『けいおん!』じゃん! しかもムギちゃんがいないし!」
「あとやっぱりフェイラとかエアリエルとか、そういう今時の名前が良かったんですよねぇ」
「全部アニメじゃん! 普通つけないよそんなの!」
「でもでも、シャロさんはシャロットなんて可愛い過ぎる名前じゃないですか! あぁ、ホント瞳子とか嫌だわぁ! 親センスなさすぎわろえない!」
どんどん瞳子が壊れていく……。
「ねぇ、両親はどんな人たちなの?」
「両親ですか? あんなのどこにでもいるつまらない大人たちですよ。安い給料で朝から晩まで働いて、一体何が楽しいのか分かりませんね!」
瞳子は眉を釣り上げながらそう言った。
「嫌いなんだね、両親のこと」
そう呟いて、ぼくは目を閉じる。
お父さんの顔が思い浮かぶ。
お母さんの顔は、思い浮かばない。
ぼくには、お母さんはいない。
「嫌いというか、興味がないんです。あの人たちは、私の人生においてなんの価値もない。私は一日も早く独立したいんですよ」
お父さんは、ぼくに報いを受けさせてやるって言った。
だからもう、ぼくはお父さんの元へは戻れない。
独立しなくとも、ぼくには誰もいない。
だから、ぼくは……。
「この服、凄く温かいね」
「え?」
「このセーターとっても温かいよ。色もピンクで可愛い。ぼくも、こういう服が欲しかったなぁ」
「こんなの、どこにでも売っているような服ですよ? シャロさんなら、これくらい持ってるでしょ?」
「持ってないよ。お父さんはぼくにまっしろしか与えなかったから。それに、そもそもこのセーターは多分どこにも売ってないよ」
「え? どういうことですか? もう型が古いってことですか?」
気付いたのはたまたま。
可愛いけど、ちょっとだけ不格好なセーター。
それに気がついたのは、着る時にそれが髪の毛に引っかかったから、というだけ。
「これ、見てみて」
ぼくは襟元のタグを瞳子に示す。
瞳子は疑問を顔に浮かべながらも、ぼくの背中に回り込んだ。
彼女はケータイの明かりを頼りに、タグに手を伸ばす。
「あっ……」
「何て書いてある?」
「…………」
瞳子は答えない。
認めたくないのかもしれない。
嫌いなままでいたいから、見なかったことにしたいのかもしれない。
でも、想いは確かにそこにある。
これは否定できない。
「こ、この程度、た、ただのパフォーマンス、ですよ……」
「『大好きな瞳子ちゃんへ はあと』」
ぼくが欲しいものを、彼女は持っている。
彼女はそれを誇るべきなんだ。
否定してはいけないんだ。
「読まないでください!?」
瞳子はエアの格好のままそこら辺をのたうちまわっている。
「もう! なんなのよこれは!? いつもとギャップありすぎじゃないの!? いつもめちゃくちゃ素っ気なくて、冷たいのに、なんで文字の時だけベタベタなのよ!?」
「恥ずかしいんだよ、多分」
「だからってこんなのここに書きます普通!? あー! なんなのよもー!?」
瞳子は怒っているのか喜んでいるのか嫌がっているのかよくわからない複雑な様子で走り回っている。
エアの赤い髪がせわしなく揺れている。
その下から瞳子の黒い髪が少し顔を覗かせていた。
ぼくは、これでいいんじゃないかなと、こっそり思った。
「いいお母さんだよ。瞳子はお母さんに愛されているんだ。瞳子はもっと人の良い面を見るべきだね!」
「……善処、します」
瞳子はそれからしばらくの間、もごもごと何やら呟いていた。
「そうだ、忘れてた」
そんな時、ぼくは大切なことを思い出した。
「こんなことしてる場合じゃなかったんだ」
「どうしたんですか?」
「ぼく急いでたんだ。もう行かないと」
歩き出すぼくの腕を瞳子が掴む。
「ちょっと待ってください。一体何を急いでいるのですか? さっきも誰かに追われているように警戒していましたよね? 何やら大変な感じですが、私が力になれることはありませんか?」
振り返ると、瞳子は暗がりでも分かるくらい真剣な眼差しをぼくに向けていた。
でも、ぼくの問題に瞳子を巻き込むわけにはいかない。
お父さんがどこまで来ているのかは分からないんだから。
「『大好きな瞳子ちゃん』にはできることはないよ」
「だからそれやめてください! ……き、聞き捨てならないですよ、その台詞。私は今や『灼弾のエア』ですよ! 私に出来ないことなんてありません! それに、友達が困っているのを、見過ごせるわけないじゃないですか!」
その言葉に、ぼくはハッとした。
「ぼくたちって、"友達"、なの?」
「もしかして私の勘違い!?」
「そうじゃなくて、ぼく、今まで友達なんてできたことなかったから、そういうの分からなくて」
「今までって、嘘、ですよね……? シャロさんみたいな、優しくて、可愛らしい人に友達ができないわけないじゃないですか? もー、冗談キツいですって」
「冗談でもなんでもないよ、『大好きな瞳子ちゃん』」
「だからそれやめい!」
これ以上話を逸らしても無駄だと思い、ぼくはずっと家に閉じ込められていたこと、お父さんから逃げ出すために家を飛び出したこと、そのお父さんに今まさに追われていることを、掻い摘んで瞳子に話した。
「パニック!」
「落ち着いて瞳子!」
「だ、だって、なんですかその世界名作劇場なみのキツい話は!? そんな大変なことになってるならなおさら、私はあなたを一人にさせるわけにはいきません!」
「でも、このままだと、ぼくは確実に君に迷惑をかけることになるよ」
「いいんです! ちょっとの迷惑なら喜んでかけられてやります! 私が、あなたが逃げるための手助けをします。それで、もし上手くいった暁には、うちの両親にあなたを会わせます!」
「瞳子、結婚じゃないんだから……」
そして瞳子は、ぼくを助ける作戦を話し始めた。
瞳子の作戦とは?
続きます!