↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
PR

短編小説どもの眠り場

好きな人が冒険者になった日

作者: 那須茄子
掲載日:2026/10/25

 ギルド前の石段に、アズは座っていた。


 夕暮れの光が街の屋根を橙色に染めている。

 鐘楼が六つ鳴り、広場では露店の魔導灯が一つずつ灯り始めていた。


 その真ん中で、アズは胸元に下げた真新しい銅のプレートを、何度も何度も指で撫でていた。登録を終えたばかりの、駆け出しの証。冒険者の位でいえば、いちばん下の銅等級だ。


 ふいにアズが振り返った。

 私は慌てて顔を逸らそうとしたが、既に遅かったようだ。


「あ、リゼ」


 物陰からじっと見つめていた私に、どういう訳か気付いた。アズが子どもみたいに顔をほころばせ、私に向け銅のプレートを掲げる。


「ねぇ見てよ、これ。さっき登録してきたんだ。ついに夢が叶ったんだ」

「へぇ」


 自分でも驚くほど、冷たい声が出た。


「銅のプレート、ね。ずいぶん安っぽいわ。うちのパン屋の看板の方がまだ立派じゃない」


 アズの笑顔が、ほんの少しだけ引きつる。

 それでもアズはめげない。昔からそうだ。川に落ちても、木から落ちても、笑って立ち上がる。つまり、ちょっとやそっとじゃ折れない。


 分かっているから、私も遠慮なく言ってしまう。いや、言ってしまえる。


「まあ、最初はみんなこうだよ。これから上がっていくんだ」

「上がる前に、薬草採取でスライムに負けて帰ってくるのが目に見えるけど」

「ひどいな」

「事実でしょう。あなた、五歳のときに森で迷子になって、私が見つけてあげたじゃない。十歳のときは、ゴブリンの鳴き声を聞いて泣いてたわ」

「泣いてない」

「泣いたわよ。私の後ろに隠れて、ぷるぷる震えてた」


 本当は、違う。震えながらも、アズは最後には私の前に立った。木の枝を握りしめて、「リゼには近づくな」と叫んだのだ。結局ゴブリンは、通りかかった衛兵が追い払ってくれたのだけれど。


 思い出して緩みそうになった頬を、人差し指と親指で強く引っ張った。じんと痛む。うん、これでいい。いつもの、気の強い顔に戻れた。


 柱の陰を離れ、石段へ向かう。ちょうどアズのすぐ隣は空いていたけれど、そこへは座らなかった。人ひとり分ほど間を空け、わざと離れて腰を下ろす。抱えていたパンの紙袋が、かさりと音を立てた。


「そもそも、冒険者なんて危ない仕事でしょう。大した稼ぎにもならないのに、やたら格好をつけたがる人ばかり」

「夢があるだろ」

「夢でお腹は膨れないわ。うちの店で働けばいいのに。小麦粉の袋を運ぶ人手が足りないって、父さんも言ってたもの」

「俺にパン屋をやれって?」

「力仕事ならできるでしょう。魔物の相手よりずっと向いてるわ」

「…リゼはさ、昔から俺には手厳しいよな」

「あなたが頼りないからよ」


 嘘だ。頼りないなんて思ったことは、一度もない。


 この街の外には、私の知らない世界が広がっている。北の山脈には氷の竜が眠っているというし、東の湿地では毎年冒険者が何人も帰ってこないという。先月も、隣の家のおじさんの息子が、遺品のプレートだけになって戻ってきた。


 そのプレートは、アズの胸にあるものと同じ色をしている。

 だから、嫌なのだ。


 行かないでほしい。そう言えたなら、どんなに楽だろう。けれど言ってしまえば、アズはきっと困った顔をして、それでもきっと優しく笑うはずだ。


 好きな人の夢を、私の我儘で折るなんて、できない。嫌われてもいい。いじわるな幼なじみのままでいい。

 腹を立てて、「そんなに言うならやめてやる」と、思ってくれたなら。それでよかった。


「なあ、リゼ」


 アズが手の中のプレートを見つめたまま言う。


「俺さ、強くなりたいんだ」

「知ってるわよ。何度も聞いたもの」

「あのとき、リゼの前に立ったのに、結局何もできなかっただろ。それがずっと悔しくて」


 覚えていたのか。胸の奥が、きゅっと縮んだ。


「だから、今度は本当に守れるようになりたい。この街も、みんなも」


 アズはそこで言葉を切った。迷うように視線を泳がせて、手の中のプレートを一度握り直す。それから、呟くように言った。


「……リゼも」


 一瞬、何を言われたのか分からなかった。言葉の意味が遅れて胸に落ちてくる。その途端、胸の奥で何かが跳ねた。

 頬が熱い。夕焼けのせいにできるだろうか。紙袋を握る指に力がこもって、パンがぎゅっと潰れる音がした。


「ば、馬鹿じゃないの」


 声が裏返らなかったのは、奇跡だと思う。

 

 アズがこちらを向く気配がして、私は慌てて膝の上のパンの袋を抱え直した。今目を合わせたら、赤い顔を見られてしまう。言い返さなければ。何でもいい、いつもの調子で、可愛げのない言葉を。


 私は胸のうちから急速に脈打つ鼓動に耳を澄ませながら――――それがアズに聞こえてしまわないよう、顔を背け口を開く。


「ま、ま、守るだなんて……百年早いわ。まずはスライムに勝ってから言いなさい」

「ははっ、確かに」

「ふん。それに、あなたが大怪我でもして帰ってきたら、治療の手伝いをさせられるのは私なんだから。迷惑なのよ」

「うん、ごめん」

「謝るくらいなら、最初からやめればいい」

「それは、やめない」


 即答か。揺るぎない声をしている。


 やっぱり、止められそうにない。

 私は唇を噛んで、潰れたパンを二つ三つ取り出し、乱暴にアズへ突き出した。


「何だよ、これ」

「売れ残り。持っていきなさい。旅の途中でお腹を空かせて倒れられたら、寝覚めが悪いもの」

「売れ残り、って。これ、焼きたてじゃないか。まだ温かいし」

「うるさいわね。いらないなら返して」

「いる、いる」


 アズは嬉しそうにパンを受け取ると、大きな口でかぶりついた。頬を膨らませながら、「うまい」と笑う。いつもと同じ笑顔だ。


 私は膝の上で拳を握りしめた。


 死なないで。無事に帰ってきて。何度も何度もそう繰り返している。けれど、どれも喉の奥で溶けて消えていく。素直な言葉を探そうとするたびに、ひねり出した言葉は形を変えていく。かわりに口をついて出たのは、やっぱり素っ気ない言葉だ。


「帰ってきたら、お代はきっちり請求するから。パン代、利子つきで」


 アズが、ぱちりと目を瞬かせた。

 それから、ふっと柔らかく目を細める。


「わかった。ちゃんと払いに来るよ」

「絶対よ、約束!」

「うん、絶対!」


 隣でパンを頬張る幼なじみの横顔を見つめながら、私は心の中だけで小さく祈る。

 どうか、どうか。このいじわるな約束が、ずっと続きますように、と。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。