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MIRROR/EDGE-ミラーエッジ-  作者: 千堂虎雄
2/3

夜の学校

 その夜。


 カナタはコンビニ袋を片手に、住宅街を歩いていた。

 夜風は思ったより冷たく、街灯の下で自分の影が長く伸びる。


「は~、ったくよー……」


 深いため息。


「こんな時間に弟をパシリにする姉貴がいるの、うちくらいじゃねぇか?」


 唐突に「甘いものが食べたい」と言い出した姉に押し切られ、プリンを買いに出た帰りだ。

 カナタの家では、女性陣が圧倒的に強い。

 反論しようものなら、言葉より先に拳が飛んでくる。


「弟はつれぇぜ……」


 スマホを眺めながら愚痴をこぼし、ふと顔を上げた。


 向こうの歩道に、制服姿の人影がある。


「……久遠?」


 間違いない。

 久遠ミオだった。


 夜の道を、無表情のまま歩いている。


(え……こんな時間に?)


 彼女の進行方向を見て、カナタは眉をひそめる。


 まっすぐ――学校の方角だ。


(……いや、帰り道じゃねーよな)


 一瞬、立ち止まる。

 けれど、迷いは長く続かない。


「いやいや、偶然だし? たまたまだし?」


 自分に言い訳しながら、距離を取って後を追う。


 やがて、学校の門が見えてきた。

 ミオは門の前で立ち止まり、周囲を一度だけ確認すると――

 何の躊躇もなく、壁に手をかけた。


「……は?」


 次の瞬間。

 ミオは軽く身を翻し、音もなく門を越えた。

 カナタは口を開けたまま、完全に固まる。


(忍者?)


 冗談じゃない。

 ミオはそのまま、闇に沈む校舎の方へ歩いていく。


「いやいやいや、無理だろ。夜の学校だぞ? こわ」


 だが、カナタの脳内では、都合のいい想像が勝手に膨らんでいく。


(……でもさ、一人で夜の学校って、普通に危なくね?)

(怖がってたらどうする?俺が助けたら……)


 一瞬、妄想が弾ける。


(久遠、俺に惚れる可能性ある)


 カナタは拳を握った。


「よし。ここはヒーローの出番だ」


 そう言って、自分も門に手をかける。


「……俺も忍者だったわ」


 勢いだけで体を引き上げ、ギリギリの体勢で門を越える。


「……足つった」


 声を殺して悶絶する。

 しばらくその場で痛みに耐え、足を引きずりながら顔を上げた。


 すでにミオの姿は、校舎の影に飲み込まれている。

 夜の学校は、昼間とはまるで別の場所のように静まり返っていた。


「……マジで何やってんだ、俺」


 それでも足は止まらない。

 カナタは、闇に消えた彼女の後を追って、校舎へと足を踏み入れた。


 校舎は、黒い影の塊みたいだった。

 窓はすべて暗く、風が吹くたびに校庭の木々が軋んだ音を立てる。


 カナタは、無意識に喉を鳴らす。


「……ヤバ。音デカすぎだろ。俺の鼓動」


 廊下の電灯は落ちている。

 非常灯だけが、緑がかった光でぼんやりと床を照らしていた。


 ――コツ。


 足音が、やけに大きく響く。


 廊下の先に、ミオの姿が見えた。

 彼女は振り返りもせず、迷いなく進み、階段へ向かう。


 カナタは、声を潜めて呼びかける。


「久遠~? 忘れ物?」

「それとも……呪いとか?」


 冗談のつもりだった。

 返事がないのは、いつも通りのはずなのに、妙に胸がざわついた。


 階段の踊り場。

 そこには、古く大きな鏡が飾られている。

 学校の備品のはずなのに、なぜかそこだけ、空気が違って見えた。


 ミオは、その鏡の前で立ち止まった。


 背筋を伸ばし、まっすぐに立つ姿は、まるで――誰かと待ち合わせているみたいだった。


 カナタは柱の影に身を潜め、息を殺す。


(……え、なにこれ)


 ミオが、ゆっくりと鏡に手を伸ばす。


 指先が、鏡面に触れた瞬間――

 波紋が広がった。

 ガラスのはずの表面が、水面みたいに静かに揺れる。

 カナタの思考が、完全に止まる。


「……え?」


 ミオの身体が、前へ傾いた。

 引き寄せられるみたいに、自然に。


 鏡が――彼女を、飲み込んだ。


「……は!?」


 一瞬だった。

 ミオの姿は、跡形もなく消えていた。


 理解するより早く、身体が動く。


「久遠!!」


 駆け出し、鏡へと飛びつく。


 手が鏡面に触れた瞬間、冷たい感触が腕を走った。


 ――引っ張られる。


「うお!? え、待っ……!」


 まるで鏡の向こう側から、強い力で腕を掴まれたかのように。

 カナタの身体が、すっと沈んだ。

 水に落ちるみたいに、世界が裏返る。


 音も、光も、重さも――

 すべてが、反転した。

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