天道 (8月30日16:50~8月30日20:30)
――20XX年8月30日 16時50分 東京都内 某所にて
人通りが多い歩道の、煉瓦で舗装された並木道。
暑さと闘いながら、天道は外で待機していた。
天道は赤いネクタイを締め、グレーのベストを着用している。
クールビズを取り入れている人から見ると、ネクタイは少し異質に思えてくる。
だが、天道は上までボタンを留め、ネクタイもしっかり締めていた。
手には【ネイビーのビジネス鞄】を持っていた。
――時間ちょうど。そろそろか。
左側からまっすぐ、同じ【ネイビーのビジネス鞄】を持った男が歩いてくる。
天道は男に向かい合うように歩き、すれ違いざまに【男が持っていた鞄】と【自分の持っている鞄】を交換した。
無事に引き渡しが終わり、息をつく。
この後も複数個所を回らなければいけない。
「あっつぅ……」
天道は汗だくになりながら、次の指定先に赴くのだった。
――20XX年8月30日 17時00分 青少年特殊捜査本部 1課2係7班オフィス
一旦ミーティングを終え、各所に再度協力要請を出す。
警察から上がってきた捜査資料に、再度目を通す。
音信不通の天道に辟易しながら、今ある情報で捜査を進めていた。
少ない情報の中でこれだけ捜査ができているのは、雪平の共感覚(【色】による識別)と東雲の情報網のお陰だった。
3課1係4班リーダー、ネフィリムの協力も大きい。
東雲とかなり仲が良いからか、頼むといつも協力してくれ、そこからネフィリムと会い、話すようになった。
過去、渦雷は各課班のリーダーが集まるチャットグループを作成していた。
そこで定期的にやり取りをしていたが、ネフィリムとは課が違うため、実際に話すことはなかった。
実際にネフィリムと渦雷を繋げたのは、東雲だった。
本当に、いい班員に恵まれた。
小休憩をはさみ、再度ミーティングを開始する。
止まっている時間なんてなかった。
――20XX年8月30日 20時30分 警視庁付近の歩道にて
歩行者信号は赤。
青になるまで28秒と表示されている。
数字が減るのを見ながら、天道はここ最近の流れを考える。
どう考えてもおかしいのだ。
情報が少なすぎる。
【ネイビーのビジネス鞄】の報告もあるが、なんとか阿久津から情報を引き出そうと、天道はアポイントなしで阿久津の執務室に向かっていた。
情報を得るためには情報が必要である。
天道はその為だけに動いていた。
天道は考える。
――不可解な点が多すぎる。さすがに今回は妙や。
捜査に費やせる時間もなく、敵さんの情報がひとつも降りてこぉへん。
犯行声明は聞いたことのないグループやけど、全くの無所属のテロリストでもなさそうやし。
うちの班を表として、裏を動かすとしても、恐らく天才ハッカーの東雲がどこかから裏の動きを嗅ぎ付けてくるはずや……。後ろには3課のネフィリムも居るし。
考えているうちに、歩行者信号が青になる。
横断歩道を渡り、警視庁の玄関ホールに向かい、歩みを進める。
――まぁ、今回の件が終われば、阿久津さんは俺を1課1係の担当にしてくれはる。
苦手な天才共から離れて、今までの経歴も、得意なことも活かして仕事ができるようになる。
実は、今回の任務が降りてくる前、阿久津に移動を打診されていた。
移動先は今度新設される、1課1係11班の担当だ。
1課2係7班が悪い班だったわけじゃない。
実力があって安定している班は楽だったし、高評価や実績をたくさん稼がせてもらった。
だが、天道は体を動かす方が得意なのであって、また、天才や頭が良すぎる人間は苦手だった。
本音を言えば特殊部隊員に戻りたいし、ブランクがあってダメなら特殊部隊により近い部署に行きたい。
そんな天道にとっては、1課の2係から1係への移動は、願ってもない報酬だった。
1課1係には自衛隊の子息や、将来特殊部隊や消防士を目指す者などが集められており、訓練などやることが特殊部隊に近いのだ。
天道にとっては天国である。
阿久津に引き止められていたこともあり、1係のポストが空いたとしても、今まで動くことが出来なかった。
こっそり申請しても、阿久津が取り下げていたのである。
だが、今回は阿久津の提案。
移動先に空きがあるし、なにより新設の班だ。育てがいがある。
嬉しさで思わずスキップしてしまいそうになるが、誰が見ているかわからないため、こらえる。
警視庁の建物に入り、エレベーターホールを目指す。
ボタンを押し、エレベーターを待つ。
思ったよりすぐに来たエレベーターに乗り、阿久津の執務室のある階のボタンを押す。
――これさえ乗り切れば――
フロアにたどり着き、エレベーターを降りると、阿久津の声が聞こえてきた。
……執務室と逆方向からだ。
お偉いさんと話している場合もあるため、天道は気配を消し、こっそり様子を窺う。
「……今回もうまくやってくれたね。次は本番だろう?…ああ。私はこのまま昇進して、ひいては警視総監の椅子に座る」
電話か。
阿久津は出世街道を真っすぐ歩んでいる上司だ。
頭頂部は残念だが、采配など高い能力があり、このままいくと警視総監も夢ではないと言われている。
――まぁ、一癖も二癖もある、いけ好かんジジイやけど。
上に行く人ほど純粋な人は居なくなるのが世の常。
言いたいことはたくさんあるが、全て飲み込む。
――阿久津に引き抜かれたことは、ある種の幸運だった。
天道は本当は現場で動き続けていたかったが、上の都合で転属になったのだ。
特殊部隊員を一般の捜査官に移動させるなど、愚の骨頂であったが、ここは警察。
謎の人事ではあったが、上司の命令は絶対である。
もちろん最初は荒れた。
周囲に探りを入れると、左遷ではないようだったので、結果を出せば何とかなりそうだった。
同じように、別の上司に引き抜かれていった元同僚は、上司の不正や失態が明るみになり、閑職に追いやられて自主退職していた。
幸運――天道にとって、公安の裏の仕事は苦ではなかったため、言えることかもしれないが。
まぁ、この電話は自分には関係ないか。
上司の会話を盗み聞きする趣味もない。
欲しいのはテロの情報だ。
そう思いながら、阿久津の執務室前で電話が終わるのを待っていようと思い、踵を返そうとした――その時だった。
「――君たちは好きなだけテロを起こせばいい」
――は?
天道は聞こえてきた言葉に耳を疑った。
――なんなんだ。どういうことだ。
天道は、常に持ち歩いているボイスレコーダーをONにする。
…まさか、上司に使う日が来るとは思わなかったが。
手が震える。
「ん?…ああ。スケープゴートは接触役の天道だよ。この後裏切り者として内事に告発して、本番に合わせて私が動き、処理する。…ああ。今後のシナリオはこれで間違いないさ。よろしく」
天道も阿久津も、公安所属である。
テロを阻止するために存在している部署――公安に所属している。
つまり、裏切者を追い、捕まえる手段も自分と同じように把握しているわけで――
――やばい。
やばいヤバいやばいやばい。
天道は血の気が引きながらも頭をフル回転させる。
――今すぐに逃げないと死ぬ!!!!
天道は元特殊部隊員の経験を活かし、足音を消す。
まだ告発されていないのが救いだった。
だが、男から受け取った【ネイビーのビジネス鞄】は自分の手中にある。
中身はテロに関する情報。
恐らく、渡しに行かなければ今日中にでも追手が来ることになる。
奇しくも公安として、尾行(追尾)や尾行者を振り切る(消毒)、自分が尾行されているかの確認(点検)をしていた経験が、この逃亡の手助けとなった。
逃げやすい道は知っている。
追手の確認方法も、撒き方も知っている。
だが、渦雷とも接触しなければ詰む。
エレベーターホールへと向かった天道は、ちょうど来た下りのエレベーターに乗り込む。
エレベーター内の監視カメラに映らない角度で、渦雷にメッセージを送った。
――やるしかない。
こうして、天道は姿をくらました。
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