過去との決別
マラディとの会談が終わり、彼等が帰国したその日の夜にオードリックはルヴェリエ別邸に住むリディアーヌの元を訪れていた。
エレオノールの隣に座り頭を撫でている。
その前に座るのはベルトランとフェリシエンヌで、ベルトランはその溺愛ぶりに少し呆れつつ、フェリシエンヌは微笑ましいとばかりに穏やかに見守っている。
「おい。エレンが困っているだろう。そろそろ本題に入れ」
「いいではありませんか。やっと一息つけるんですよ。可愛い娘を可愛がって何が悪いのです?」
「お前のそれはやり過ぎだ。俺もエレンと会うのは久し振りなんだぞ」
二人は何故がバチバチと睨み合う。
エレオノールはどうしていいか分からず大人しくされるがままになっている。
「お二人共、エレンが可愛いのは分かりますけれども、そろそろ本題に入ってはいかがです? エレンが困っていますよ」
「そうだな」
先程までのにらみ合いが嘘かのようにすっと真面目な雰囲気となった。
「既に帰国の途に着いたが、マラディから外交官が来ていた」
「はい」
そう言われてもエレオノールにとってマラディから外交官が来ていたと言われてもそれが自分とどのような関係があるのかと不思議に多い首を傾げる。
「理由はヴィルヘン元侯爵の処遇の報告が主だ」
嫌な名前を聞き無意識にビクッと肩が揺れる。
その様子を見てまた怒りが沸き起こるがそれを堪えて話を続ける。
「エレンに害を与えていた者は今頃マラディの牢獄で朽ちている。奴に与えられたのは服毒死で即死ではなく、悶え苦しむ毒だ。だからと言ってエレンが味わった苦しみがなくなることはないし、私としても生ぬるい刑に満足していない。だが公にエレンは私の娘だと公表していないため、エクラタンのやり方ではなく、マラディの法だから致し方ない」
そこでいったん言葉を切りエレンを労わる様に見つめるオードリックはまたエレオノールの頭を撫でた。
「エレン、これであの愚か者はいなくなった。エレンを苦しめた者はもういない」
その言葉を聞いた彼女は表情ひとつ変えなかった。
だが、つーっと一筋の涙が頬を伝った。
本人は気付いていないようだが、オードリックは静かにその涙を拭った。
「あ、れ⋯⋯?」
エレオノールはそこで初めて涙を流していることに気がついた。
オードリックは何も言わずにそっと娘を抱きしめる。
エレオノールは自分が何故涙が出たのか理解できず、戸惑っていた。
「私、別にあの人達の事、なんとも思ってないです」
「そうか」
「一人でいる時も、殴られている時も、ずっとずっとこんな事何でもないって思ってた」
「⋯⋯」
一瞬黙り込み背を摩っていた手が止まったことにエレオノールは気付かない。
周囲がしんと異様に張り詰め殺気に満ちたことも気づかないまま続ける。
「過去よりましで雨が当たらない寝るとこも食べる物もあったから⋯⋯だから侯爵家で過ごしていたときは平気だった」
今エレオノールが話している事は全て過去形だ。
これだけで彼女がエクラタンに来てどれだけ心が癒されたのかが良くわかる。
それを分かっていないのは本人だけだった。
だからこそ自分がなぜ泣いているのか、マラディで過ごした時間がどれだけ悪意に満ち虐げられて過ごしてきたのか、話を静かに聞いている三人の心は怒りでいっぱいだった。
何よりもその環境から一刻も早く救い出せず、何よりもみすみす攫われてしまった事への自分達への憤りが大きい。
「それなのに、どうして涙が出るの?」
ぐすぐすと泣き続けるエレオノールをぎゅっと抱きしめる。
「エレン、そのような境遇で辛くないわけがない。痛くないわけではない。雨風がしのげる部屋があろうと、暴力を振るわれ悪意ある言葉と環境に置かれていては誰だって疲弊する。例え過去の記憶があろうとも、現在を生きているのだから過去とは違う。平気なはずがない。エレン、心を偽らなくていいんだよ。平気なふりをしなくていい。大丈夫。誰もエレンを責めたりしないし笑わない。大事な私の娘。よく聞きなさい。泣きたいときは泣いていい。大丈夫だ。私が必ず護る。もうお前を奪われるような事はさせない」
オードリックは娘に言い聞かせるようにそっと、だけど力強く言葉を紡ぐ。
それを聞いたエレオノールはぎゅっと父に自ら抱き着いた。
「私、もう赤ちゃんの時みたいにやられたりしません」
そうぽつりと呟いた。
まさかの言葉を聞いて一瞬ピタッと三人共固まったが、その後オードリックはくつくつと笑い始めた。
「ふはっ! 私の娘は相当な負けず嫌いだな! は、はははっ! 誰に似たんだ?」
「お前だろう」
「ふふっ、陛下によく似ておられますよ」
ベルトランは呆れたように、ころころと笑いながらフェリシエンヌは楽しそうに話す。
「泣くどころか涙を引っ込めてそんな事を言うんなんて! 流石私達の娘だな。強いな、エレンは」
「まだまだ弱いです」
「あの弛み切った騎士団を圧倒しておいてよく言う」
「あ、あれは、制限があったからで! だからっ!」
「因みに報告を聞いた後で、うちの騎士団の訓練内容を見直すよう命を出した。その上で今まで以上に厳しい訓練を課すように命じてる。それは教養も同様にだ」
今迄の騎士団の訓練内容は知らないけれど、他人事のように大変だなぁと心の中で呟いた。
あの差別は無くなればいいと思う。
「お父様」
「どうした?」
「泣いてしまってごめんなさい。あの、侯爵家の事、教えてくださってありがとうございます」
「いや、聞きたくないだろうけど、事実を知ってすっきりさせた方がいいだろうと思って勝手に話したんだ。先にエレンにどちらがいいか聞けばよかったかな」
その言葉に頭を振って赤い目をしながらにこりと笑って改めにお礼を言った。
「あの⋯⋯この間の件はどうなったのか、お聞きしてもいいですか?」
「あぁ、エレンを攫った連中の事か」
「少し気になっただけで、無理には聞きません」
そう話す彼女の表情は言葉通りそこまで気にしている素振りはないが、自分が攫われた事案だからか、それとも魔人が関わっているからか少なからず気にはなっているようだ。
あの連中を直接尋問したのはリュシオルだ。
彼はあの見た目に反してえげつないから予想通り、奴等は簡単に吐いた。
と言ってもやはり下っ端だからか大した情報は持っていなかった。
けれどあの魔人は違う。
禁術で作られた人と魔獣の掛け合いで生み出された者は作り手の術者の思い通りに魔術を組み込み造られている為に簡単に情報が引き出せない。
というのが一般的だが、リュシオルにそれは通用しない。
禁術を使用することなくそれを無効化するすべを持っているから今回もリュシオルの手で暴かれている。
その内容は決して娘に聞かせる内容ではない。
その記憶の大半が元々人である記憶が凄まじく悲痛なものだからだ。
今は術者に従っているが根底にある想いはただ一言「死」のみだった。
その部分を隠して彼女に話せる部分を伝える。
そうはいっても、捕らえた魔人はエレオノールを攫ったものとは別人で、魔人の中でも優劣があるのか捉えたものは下っ端だった為にそれほど多くの情報は無く、組織の情報すら持ち得ていなかった。
得られた事といえば、エクラタンでは活動する者達は下っ端が殆どだと言うこと。
大きく動かず様子を伺っているということ。
今回に関しては、この間の避暑地での出来事が原因で下っ端は下っ端なりにやられた事への仕返しを企みルヴェリエ公女を狙い、あわよくば公女を人質に金銭を要求するつもりだったと言うから残念すぎるその企みに、話を聞いていた本人は何の感情と浮かばなかった。
「馬鹿の考えることは理解できんな」
「エレンの実力の認識不足でしょう」
「今回の誘拐劇は奴等の組織とは何ら関係がないということだ」
「私、役に立てませんでしたね」
ポツリと呟くエレオノールに他の三人はその言葉を聞き咎めた。
「エレン、奴等が馬鹿なだけでエレンが役に立ってないとか言う話ではない」
「それに、エレンがいなければ他の子供達が誘拐されていただろう。エレンはあの子らの恩人と言えるぞ」
「そうよ。エレンが率先して危ない事に足を踏み入れる必要はないわ。貴女に何かあったらと思うと気が気ではないもの」
「エレンはなまじ強いだけに何でも対処してしまいそうで怖いな」
大人達はエレオノールをどのように評価しているのか。
当の本人は何故かしゅんと俯いている。
「あの⋯⋯」
「どうした?」
「私は足手まといですか?」
「「は?」」
オードリックとベルトランは仲良く声を揃えてエレオノールを見遣るが見られた本人はますます小さくなっている。
「もう、貴方達ほもう少し言葉を選んで下さいな。今のを聞けばエレンだって嫌な思いをするでしょう? 褒められてるとは思えないわ」
「あー、すまない。決してエレンが役に立たないとか足手まといとか思っているわけではない。その逆だから困っているんだ」
「どういう事ですか?」
その逆って一体どういうことだろうと首を傾げるエレオノールを見て他の三人は内心その仕草が可愛くて悶えていたが勿論エレオノールはそんなこと知る由もなく、なんの反応もない三人を不安そうに見つめていると、「こほんっ」とごまかす様に咳払いする。
「エレンは自分で解決しようとするだろう? それに考える力も行動する力もある。それは過去の記憶がありそれに基づくからだろうが、それでもエレンはまだ子供だ。頼ってほしいというのは親心だ。俺達がそう思っている事を少しでもいいからエレンには心に留め置いてほしい。そして、相反しエレンが強かで犯罪者に容赦のなく手を下せる事に心強くも思っているのは確かだ。だが、それと同時に子供らしく俺達を頼ってほしいとも思っている。この複雑な親心はまだエレンには分からんだろうがな」
ベルトランは肩をすくめる。
確かに過去は十六で命を落とし、今はまだ九歳の子供であるエレオノールにはベルトランが言ったように親心は分からない。
だけど、ベルトランが言ってくれた言葉は素直に嬉しくて知らずの内に微笑んでいた。
嬉しそうにするエレオノールを見てオードリックとベルトランも釣られて微笑む。
やはり我が子の嬉しそうな顔は何者にも代えがたいものだ。
そしてこの笑顔をいつまでも絶やすことなく過ごして欲しいと願う。
その為にもあの魔人の出処を、鬱陶しくも飛び回るハエを、闇ギルドとハエの繋がりを暴き全ての憂いを取り除かなくてはならない。
そちらはまだ時間がかかりそうだが、取り敢えずはエレオノールに対し虐待を行っていた元ヴィルヘン侯爵一家を処分出来た事は大きな一歩といえよう。
これで彼女のトラウマも少しずつ癒えてくれれば言うことはないが、それもおいおいだ。
オードリックは嬉しそうに微笑んでいる彼女を見て自身も嬉しそうに笑った。
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第六章の完結となります。
次回更新まで暫くお待ちくださいませ。
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また2026年もよろしくお願いいたします(ꈍᴗꈍ)
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