第三部
「あたしの名前は鴉田圭よ」
彼女は誇らしげに微笑み、耳についたイヤリングを揺らした。
「え!鴉田って、あの鴉田?」
僕は驚きのあまり叫び声を上げた。鴉田家と言えば、リメイトの中でも最古参で、数えきれないほどの偉人を輩出している、最も権力を持っているとされる名門だ。
「そうよ。そのあたしが言ってるんだから、信憑性も増すでしょう?」
「うん。でも、クラスメイトはどうしてあんな反応だったんだろう。多少悪い子でも、鴉田家だったら飛びつくと思うのに」
「周りには別の名前で通ってるからね。森本圭って名前で。というか、あたしが悪い子?あなた達が出来の悪い子なだけじゃない」
「またそんなこと言って……もうちょっと優しくなれないの?」
「モブに向ける優しさなんてないわ。それより、これからより詳細な話をするから、ちゃんと聞きなさい」
「詳細な話って、世界を救うっていう?」
「そうよ」
そこから僕は、天道都市なんて存在しないこと、本当は世界を滅亡させるかもしれない爆弾で、なくすためにはそれを作った人の子孫である僕の子孫の力が必要だということを聞いた。
「嘘だ……天道都市がそんな場所だったなんて……」
あまりの衝撃に、僕は絶句し、肩を落としていた。
「無理もないわ。今までユートピアと聞かされてきたものが、本当はディストピアだったなんて、聞くに堪えないものでしょうからね」
「でも……どうして僕の祖先はそんな凶悪なものを作ったの?」
「それは未だにわかっていないわ。ちなみに、開発者の名前は源甲斐修という名前よ」
「おさむさん……どうしてそんなことしたんだろう。僕だったら絶対しないのに」
「あなたにはそんなことする能力も度胸もないでしょう」
「もう——」
言い返そうとしたところで、学校のチャイムがなった。
「あ、教室戻ろっか」
「ええ。じゃあ明日、計画の打ち合わせをするから、あたしの家に来なさい。そこでお父さんに会ってもらうわ」
「君のお父さんってことは……結構偉い人?」
「まあそうね。でも大丈夫、優しい人だから」
「そっか、それはよかった」
じつを言うと、その質問よりも圭の家に行く、ということの方が気がかりだった。
きっと、すごい豪邸なんだろうな。
それから、僕と圭は教室に戻った。ドアを開けると、皆が一斉に僕達のことを見てきて恥ずかしかった。
「おい、どうだったんだよ。転校生と」
務がニヤニヤしながら囁いてきた。
「別になんでもないよ……」
「なんでもないなら言ってもいいじゃん」
「い、いやあ……」
そういえば、言い訳を何も考えてなかった。
言葉に詰まっていると、ちょうど教室のドアが開き、先生が入ってきた。
「おはようございます」
「ほら、先生きたよ務。席戻りなよ」
「ちぇ」
務は不満そうな顔をして席へ戻っていった。
「さて、今日は席替えですね。順番にくじを引いてください」
先生が紙袋を取り出した。
今日は席替えだったっけ。やった。
僕が引いた席はちょうど真ん中の辺りで、務とは席が離れてしまった。
皆が席を移動して、周りの生徒達とコミュニケーションをとっている時、一人の生徒が先生のところへ向かっていった。彼は身体、性格共にひ弱で、いつも皆から気を遣われている子だった。
先生は彼との話が終わった後、務を呼び出した。
務は先生と楽しそうに会話した後、僕の方を見て、手招きをした。
「どうしたの?」
「なんか、森本さんが隣で怖いから席変わって欲しいんだって。それで俺がいいんじゃないかって言われたんだけど、佑の方がいいんじゃないかって思って」
「なんでそうなるんだよ」
「そんなのもちろんねえ……」
務が僕を意地悪な顔で見つめる。
「だから本当になんでもないって」
「またまたー。俺も近くの席行くからさ、隣になってあげてよ」
「そこまで言うなら……しょうがない」
渋々、席を変わってあげた。
「あら?あなたに変わったの?」
圭はいつも通り何も気にしていない様子で言った。
授業が始まると、圭は当たり前かのように眠りについた。
クラスメイトは圭が寝ているのに慣れていたので、もうほとんど彼女に目は向けなかった。しかし、今授業をしている理科の先生だけは、彼女に注目していた。
そっか。ここ最近理科の授業が無かったから、転校してきてから初めての授業なんだ。
やっぱり、先生は痺れを切らして難しい問題を圭に当てた。
「森本さん。この化学反応式を解いてください」
僕は圭を起こした。
「またあたしが解くの?」
やっぱり、圭はいとも簡単に問題を解いて席に戻った。先生は何も言えなかった。
「すごいよね。かっこいいよ」
ふと、なんとなく彼女を褒めてみた。
「は、はあ?別にあたしはすごくないし、お前らがしょぼいだけだし……」
思いのほか、嬉しそうな反応をしたので、会話を続けてみた。
「あの問題さ、僕解き方わからなかったから解説してくれない?」
「ええ?あたし朝早かったから眠いんだけど……どこがわからないの?」
「えっとね……」
彼女は、案外乗り気で教えてくれた。
「だから、そこを2にしたらそこが合わなくなっちゃうでしょ?小さな数で合わなかったら数を大きくするんだって」
「ふむふむ……じゃあここを4にすれば?」
「そうそう。よく出来ました」
「やった。ありがとね。えっと……ここでは森本さん?」
「どうってことないわ。それと、ややこしいから圭でいいわ。それじゃ、あたしは寝るから」
「う、うん……圭さん」
「圭でいいわ」
彼女が目を瞑る瞬間、うっすらと、微笑んだ気がした。
そのまま時間は過ぎ、給食の時間になった。
僕は彼女の皿の中に注目した。
「……野菜食べないの?」
「いい?野菜ってのはカロリーがないのよ。つまり食べなくてもいいってこと」
「いや、他の栄養はたくさん入ってるでしょ……」
「うるさい。そんなに野菜が大事ならあなたのプリンと交換してあげるわ。ほら」
圭が野菜の入った皿を突き出してきた。
「嫌に決まってるでしょ。子供っぽい屁理屈捏ねてないで食べなよ」
「誰が子供よ!あなたの方が子供でしょうが!」
近くにいた務が笑った。
「森本さん、楽しそうだね」
「楽しくなんかない!もうあなたでもいいから交換しなさい!」
「残念。俺は佑側につかせてもらうよ」
「どう考えても森本さんがおかしいよね……」
もう一人、クラスメイトが僕側についてくれた。
「な……」
圭は赤面し、それ以降黙ってしまった。
給食、掃除も終わり五時間目、授業は家庭科で、内容は裁縫だった。
「今日はボタンをつける練習をします」
僕は裁縫が得意な方なので、出された課題はすぐに終わってしまった。
「おい佑、ここからどうすんの?」
暇だった僕は、裁縫が苦手な務に教えていた。
依然として、圭は机に顔を付けて眠っていた。
「よくそんなに寝られるね……やらないの?」
圭はむくりと体勢を起こす。
「うるさいわね。やるわけないじゃない」
「でもこれ終わるまで居残りだよ?」
「はあ?そんなに暇じゃないんだけど。あなたがやりなさい」
「いや、さっきから先生、け、圭のことずっとみてるから無理っぽいけど……」
圭がため息をついた。
「……わかったわ。裁縫セット貸しなさい」
「いいけど、大丈夫?裁縫できる?」
彼女はなぜか、不意に深呼吸をした。
「できるに決まってるじゃない」
圭は渋々、裁縫を始めた。
彼女が裁縫を始めて数分後、僕は苦笑いをしていた。
圭はまったく裁縫ができなかったのだ。そもそも針に糸を通せないし、基本的な玉結びや玉留めも勿論できない。こんな状態でボタンを取り付けられるわけがなかった。
「だから!この通りやってるでしょ!なんですぐにほどけるのよ!」
「圭の場合は場所がおかしいんだよ……そこをじゃなくもうちょっと内側をしっかりと押さえて……」
「やってるってば!ああイライラする。この——あっ!」
圭は勢い余って自分の指に針を突き刺してしまった。
「いったあ。最悪……」
「大丈夫?保健室行かないと」
「場所わからないんだけど、連れてってくれる?」
「うん。今保健委員の人に……」
あ、そういえば保健委員は僕と席を交換したあの子だった。
「やっぱり、僕が行くよ」
「そう?じゃあお願いするわ」
僕達は保健室へ向かった。
「あら、指に針刺さっちゃったのね。今止血して絆創膏貼ってあげるからね」
保健室の先生が優しい声で言った。
しかし、先生が絆創膏を持ってきた瞬間、電話が鳴ってしまい、先生はそちらに行かざるを得なくなった。
「悪いんだけど、一緒に来た君、やってくれるかな?」
「はい。わかりました」
僕は圭の指にティッシュを押し込んで止血をした後、絆創膏を貼ってあげた。
「ねえ、もうちょっとやっぱりもうちょっと周りに優しくできない?」
「言ったでしょ。モブに対する優しさなんて——」
「それ、本心?なんかそう言ってる時、すごく悲しそうだよ?」
よく聞くと、彼女は僕達を馬鹿にする時、言葉にためらいがあるように感じたのだ。
「何言ってるの?本心よ。本心。それより、明日の集合時間を決めましょう」
「わかった。お昼くらいに行けばいいかな?」
「そうねじゃあ、車で迎えに行くから、校門前集合で。九時くらいに迎えに行くわ」
「え!そんなに早く?」
「そうよ?だってうちはここから車で三時間かかるんだもの。今日なんて起きた時まだ日が出てなかったわ」
「そうなんだ……なんか、ごめんね。そりゃ眠いよね。僕もそのくらいの時間に起きたら一日中寝てそうだもん」
「わかってくれればいいのよ」
彼女は少しだけ、表情をほころばせた。
「お二人さん。具合はどうですか」
務がドアを開けて入ってきた。彼は僕達の荷物を持ってきてくれていた。
「森本さん、今日はもう帰っていいってさ。部活も行けないでしょ?」
「ええ。そうさせてもらうわ」
「佑、お前はどうする?」
「僕も帰ろうかな。明日用事もあるし」
「そっか。佑が行かないなら俺もいいや。帰ろうぜ」
僕と務は帰路についた。
「さあて佑、今日森本さんに呼び出された理由を言ってもらおうか」
今回はもう大丈夫、何せ理由を考えてきたから。
「なんか圭のお母さん、僕のお母さんと知り合いみたいでさ、明日挨拶に行くんだ」
「ええ?佑のお母さんがリメイトと知り合い?ほんとかなあ?」
「ほ、ほんとだよ……」
もちろん、圭から話してもらったことを言えるわけがない。天道都市では本当は人が死んでいる話や、僕がそれを止めるために必要なことも。
ちょっと待てよ。おばあちゃん、おばあちゃんは?おばあちゃんはあと少しで死んじゃうってことじゃないか!
気づくと、僕は務のことなんか気にせずに、夢中で家に向かって走っていた。
「おい、急にどうしたんだよ!」
おばあちゃんのことが気になり過ぎて、今は務にかまっている暇なんてなかった。
僕は全速力で家のドアを開けた。
「ただいま!おばあちゃんは!」
「あらおかえり。そんなに慌ててどうしたの?」
「おばあちゃんは?」
「ええと……そういえばおばあちゃん、朝に出かけてくるって言ったっきり帰ってきてないわね。帰って来るまで待ったら?」
「うん」
しかし、いくら待てども、おばあちゃんは帰ってこなかった。日が落ちたあたりで、流石にお母さんも異変を感じたのか、僕とおじいちゃんと一緒におばあちゃんを探しに行った。
「全然見つからないね」
僕は疲れた声で言った。
「このままひょっこり帰ってきて、私達の杞憂に終わればいいんだけど……もし明日までに帰ってこなかったら、警察に行きましょう」
僕達は一旦家に帰って、遅めの夕飯を食べることにした。
「おばあちゃんはね、佑の事誰よりも可愛がってたのよね」
お母さんは料理をしながら呟いた。
「お嫁に来た私にもすっごく良くしてくれて……いっつも自分は二の次で、皆のこと考えてて……ああでも、一回だけとても頑固になったことがあったわね」
「なに?」
僕には見当がつかなかった。
「それはね、佑が生まれて名前を決めようって時よ。絶対に佑って名前にするって言ってきかなかったの。私達は全員それに押し負けて、佑って名前になったのよ」
「そうなんだ……」
僕の名付け親って、おばあちゃんだったんだ。
結局、おばあちゃんは僕が寝る時間になっても帰ってこなかった。
次の日、僕は圭が迎えに来た車に乗っていた。車は、よくお金持ちが乗っている細長くて黒い車……というわけではなかったが、どう見ても高級車で、乗り心地も素晴らしかった。
「どうしたの?なんか元気ないじゃない」
私服の圭が話しかけてきた。
「おばあちゃんが昨日から行方不明でさ……」
「ああ、何か知ってるかもしれないって言ってた人?心配ね。早く見つかるといいわね」
「うん。というか、そんなこと言えたんだ」
「はあ?人のことなんだと思ってるのよ」
「ふふ……」
「何笑ってんのよ」
「いや、いつも通り君を見て、なんだか安心したっていうか」
「何それ。変なの」
それ以降、僕達は圭の家に着くまで眠って時間を潰した。
「ほら、あれがうちの家よ」
広い広い駐車場から歩いていき、見えたのは家、というよりも屋敷、それもショッピングモールくらいの大きさの建物だった。
「なんというか、想像通りなんだけど、それでも圧倒されちゃうな……」
「まあ流石にあたしもあれはだいぶでかいと思ってるわ」
「迷子にならないかな……」
「大丈夫、ちゃんと案内するわ」
僕は圭の案内で屋敷に上がった。中にはエスカレーターや自動ドアなど、ところどころ利便的な部分があったが、大本は木で建てられた、なんとも古風で落ち着いた雰囲気の内装だった。
「ほら、ここがお父さんの部屋よ」
家の中とは思えないほど長い間歩いた末、僕と圭は一際重厚なドアに到着した。
彼女がドアをノックする。
「お父さん、例の子を連れてきたよ」
「ああ。入っておいで」
中から聞こえたのは、低くて聞きやすい、それでいて柔らかな声だった。
確かに、優しそうな感じだな。
圭はドアを開けて部屋の中に入った。僕もそれに続く。
「いらっしゃい」
さっきと同じ声を出した人物に、僕は驚愕した。その人は、父親と呼ぶにはあまりにも若々しく、お兄さんと言われても全く不思議ではない程だった。おまけにかなりの美形で、とてつもないオーラを放っていた。
さすが圭のお父さんだなあ。
「源甲斐佑くんだね?」
彼はおもむろに口を開いた。
「は、はい」
僕は若干緊張しながら答えた。
「圭の父の鴉田令だよ。よろしくね。今回は協力を引き受けてくれてありがとう」
「いえいえ。こちらこそよろしくお願いします」
「ほら、ここにかけて」
僕が座ると、圭の父はお茶と茶菓子を出してくれた。
「早速だけど、圭から概要は聞いているかな?」
「はい。大体聞いてます」
「よかった。じゃあこれからもっと詳しいことを説明するね。ああその前に、圭、もう戻っていいよ」
「あ……えっとね……」
圭はその言葉を待っていたかのように反応した。
「その……あたしも一緒に連れてってくれないかなって」
圭はいつもの態度とは程遠く、小動物のようだった。
「ここからはわたし達に任せてもらって大丈夫だよ」
「あ、あたしももっと役に立ちたいの」
「圭は良くやってくれたよ」
「でも……お願い!」
「困ったな……何か欲しいものがあるなら買ってあげるよ?」
「そういうことじゃなくて……あたしももうちょっとで高校生になるし、もっと深く関われたらなって……」
圭の父はため息をついた後、さっきよりも低い声を出した。
「申し訳ないんだけど、私から言わせれば中学生も高校生も、大学生だってあまり変わらない子どもさ。子どもができることは、自分が思ってるより少ないよ。圭ができることはもうやってもらったから、君に頼めることはもう残ってないんだ。わかってくれたら、部屋に戻ってくれるかな?」
「は、はい……」
相変わらず口調は柔らかかったが、そんなことを忘れさせるくらいの圭の父の凄みに、圭は折れてしまい、逃げるように部屋を飛び出していった。
「うちの圭がごめんね。さて、話の続きをしようか」
「え、あ、はい……」
今さっき目の前で見た光景に、僕はすっかり怖気付いてしまった。
「佑くん知っての通り、わたし達の目的は源甲斐修の作った爆弾、私達はキャンドと読んでいる、それの無力化だね。そのためには、源甲斐修の子孫である君の力が必要不可欠なんだ」
「はい。聞いてます。でも、どうして僕なんですか?僕以外にも家族はいるのに……」
「それはね、キャンドが最も直近の子孫を送り込むように言ってきたからなんだ」
「キャンドがですか?」
「そう。キャンドは源甲斐修の脳みそのデータを持ってるんだ。いわば源甲斐修そのものと言ってもいいね。だから、意思があって、指示をしてくるんだ」
「なるほど……」
「そんなキャンドが指示してきた爆弾を無力化する方法。それは佑くんがキャンドに接触することなんだ」
「接触ですか?触ればいいんですか?」
「ふふ、そうだな、接触というのはこの場合、意思疎通をするってことかもしれないね。きっとキャンドのところに行けば導いてくれるよ」
「そ、そうですよね。すみません」
僕はひどく緊張していたため、圭の父に合わせて愛想笑いをする余裕もなかった。
「接触ができる期間は明日から一週間、佑くんはその間にキャンドに接触しなくちゃいけない」
「ええ!明日から一週間ですか?どうしてそんなギリギリに僕に打ち明けたんですか?」
「そうだよね。でもそれにもちゃんと理由があってね。じつはこれは国に秘密でやっていることで、政府は佑くんとキャンドの接触をさせようとしていないんだ。何が起こるかわからないって言ってね。だから政府は佑くんを探していて、見つかったら捕まっちゃうところだったんだけど、わたし達が見つからないように長年佑くんの家族を守っていたんだ。それから、これは本当に申し訳ないと思ってるんだけど、もし早い段階で君達に言ったとして、気が変わってしまって政府の方についてしまったら台無しになってしまうと思ったわたし達は、佑くんにギリギリまで言わないことにしたんだ。これって信頼してないってことになるよね。本当にごめんね……」
圭の父は深々と頭を下げた。さっき子供と言っていた中学生の僕に対しても、そういった腰の低い姿勢を見て、やっぱり彼は優しい人なのでは、と思い直した。
「いえ、全然大丈夫なので、気にしないでください」
「そう言ってもらえると本当に気持ちが楽になるよ。ありがとう。それじゃ、これから作戦の内容を教えるね。と言っても佑くんがやることは簡単なんだけどね。まず、さっきも言った通り国は佑くんを探していたんだけど、今ここに佑くんがいる通り失敗した。だから、万が一にでも佑くんが接触しないようにキャンド本体の警備を強化することにしたんだ。そのセキュリティはとても強固で、わたし達だとしてもとても入れたものじゃない。正面から行ったらね」
「じゃあどうするんですか?」
「もちろん手は打ってあるよ。キャンド内部にはわたし達と古くから関わりの深いスパイがいるんだ。その人は天道都市の最高責任者をやっている、桂月、という名前の人だ」
「かつらるなさん、ですね」
「うん。佑くんは彼女と合流して案内してもらい、キャンドと接触を図る。日時は明日の早朝、今日の夜にはもう出発する予定だよ」
圭の父が席を立って、僕の手を握った。
「これを話した上で、改めて、佑くんに協力をお願いしたい。もちろんリスクだってある。失敗したら捕まってしまうかもしれない。それでも、わたし達のため、世界のため協力してほしい。どうかな?」
もちろん、僕は協力するつもりだ。だけど、それよりも今は、他のことが気になった。
「ちょっとだけ考えたいんですけど……圭の部屋を教えてもらってもいいですか?彼女と相談したいんです」
「あ、ああ構わないよ。確か、この部屋を出て左に向かった突き当たりに圭の部屋はあったはずだよ」
圭の父は少しだけ、不服そうな態度をとった。
僕は部屋を出て、彼の言った通り廊下の突き当たりにある部屋まで歩いていった。
ドアの前に立つ。何かの音が聞こえた。耳を澄ませると、それは圭の歌声だということがわかった。
扉をノックしてみる。彼女は歌うことに集中しているのか反応がなかった。だから、僕は思い切ってドアを開けて中に入ってみた。
部屋の中は、外とは打って変わってパステルカラー色で、ぬいぐるみやブランケットがたくさん置かれた、なんともファンシーな部屋だった。
圭はブランケットをマントのように羽織り、ヘッドフォンをつけ、僕に背を向けて歌唱をしていた。
彼女は歌い終えると、ヘッドフォンを外しながらおもむろにこちらを向き、僕を見た瞬間、顔が真っ赤に染まった。
「はあ?なんで無断で入ってきてんのよ!ノックくらいしなさいよ!」
「いや、ノックしたんだけど、気づいてなさそうだったから……」
「だからって普通許可なしで入る?ありえない!」
言った後、彼女はその場にへたり込んだ。
「ああもう最悪……見られたくないもの全部晒された気分だわ……」
圭はブランケットで頭を覆った。しかし数秒後、ひょっこり顔を出して僕と目を合わせた。
「それで何しにきたのよ。笑いに来たんだったら出てってよ」
「なんで笑うの?」
「だって、お父さんとの会話で恥かいっちゃったし……あたしの部屋の中とか、歌ってるところ見られたし……」
「いや全然。むしろ君のこと知れて親近感が湧いたよ」
「……なんか腹立つ」
「ええ、なんでよ。ところで、さっき何の曲歌ってたの?」
僕は圭の隣に座った。
「鴉田みのりって人の曲。名前くらい聞いたことあるんじゃない?」
「あ、知ってる。鴉田家のだいぶ昔の人じゃなかった?ご先祖様想いなんだね」
「別にそんなんじゃないわ。本当にすごく歌が上手いのよ!しかも鴉田家の始祖の人で、夫の真さんと並んでリメイトの黎明期に大活躍した人なの!今の鴉田家があるのもこの二人のおかげだし、ほんと尊敬するわあ……」
「そ、そうなんだ……」
圭は元気を取り戻すどころか、いつもよりも元気になっていた。
「でもなあ……」
と思ったら今度は力なくため息をついた。
彼女の言葉が続きそうだったので、僕はそれを待つことにした。
「……あたしね、歌手になりたかったんだ。みのり様に憧れてね」
彼女が口を開いた。
「様付け……」
「悪い?」
「いいや全然。続けてよ」
「うん。でリメイトで歌手になりたいって人はたくさんいて、将来結果を残せるような人はあたしより年下でも結果を残してるような子ばっかりなの。だけど、あたしはそうじゃない。この年齢で諦めさせられちゃった。というか、あたしはリメイトの中では何をやっても平凡、いや、中の下なの。だから、実力社会のリメイトの中じゃ、皆に見向きもされなかった。いえ、名門の鴉田家出身だから、失望されたんじゃないかしら。だから、あなたを呼び出す任務を言い渡された時は嬉しかった。まだあたしも見捨てられてないんだって。まあ、調子乗ってあんなこと言って、それで結構傷ついてるんだけどね……」
そこまで行ったところで、圭はハッとした。
「ああ、もう最悪……あなたにこんなこと話しちゃうなんて……」
彼女は気を紛らわせるためか、テレビをつけた。放送していたのは『学校探偵タケル』だった。
僕と圭はしばらくそれを見た。
「これ、面白いよね」
番組が終盤に差し掛かったところで、僕は久しぶりに口を開いた。
「はあ?全然面白くないじゃない。こんなのバカが見るもんよ」
「ええ?そうかな?」
自分の好きなアニメが否定されて、少し悲しかった。
「だって前半の展開と後半の展開が噛み合ってないし、犯人だって何のヒントもないまま突発的に出てくるじゃない。そのまま当たり前みたいな薄っぺらい教訓垂れて、何の面白味もないわ。それに笑いを取ろうとしてるところだって普通に滑ってるし——」
「すごい分析力だね。なんか圭が中の下だなんて、到底思えないけどな」
「ほんとよ。あたし、どんな成績でも、普通より上取ったことないもの」
口ではそう言っているが、僕には圭が嬉しそうに見えた。
圭がテレビを消した。僕は話を進めることにした。
「圭はさ、僕と一緒に行きたいの?」
すると、彼女は一呼吸おいて答えた。
「……別に……もうどうでも良くなったし……」
「それにしては随分名残惜しそうだよ?」
「……行きたい」
圭は悔しそうに、唇を尖らせた。その言葉を持っていた僕は、身を乗り出してある提案をした。
「だったらさ、僕と一緒に圭のお父さんに交渉へ行こうよ。きっと僕も一緒にお願いすればわかってくれるよ」
「……あなたからそんなふうに助けられるのは、ほんっとうに癪だけど、いいわ。行ってあげる」
いつもの強気な圭に戻った。良かった。
僕達は圭の父の部屋に行くために、廊下を歩き始めた。
「じつはね、明日あたしの誕生日なのよね。五月十四日。まあ、うちの人は最近天道都市関連で忙しいから、気づいてないかもしれないけど」
「え!おめでとう。皆気づいてないなんてそんなことある?きっと明日になったらお祝いしてくれるよ!」
「そう信じたいけれど、去年もあんまり祝われなかったのよね」
「じゃあ、その時は僕がお祝いしてあげるよ」
「そ、そう……」
圭が柔らかく返事をした。ちょっとは喜んでくれただろうか。
「じゃあ、僕から話し始めるから、圭はそれに続いてね」
「わかったわ」
僕達は圭の父の部屋の前に到着した。僕はドアをノックしようとした。しかし、扉の奥では誰かと会話をしている圭の父の声が聞こえた僕は、何となく、その話を聞こうとしてしまった。
「……ああそうだね。それでいこうか」
「わかりました。ところで、圭はこれからどうするんですかね?もう役割も終えましたし」
「圭の好きにさせたらいいさ。最も、彼女の才能じゃ、リメイトの中では何一つ上手くいかないだろうけどね。まあ、元より源甲斐佑をおびき寄せるためだけの餌として、彼と同じ年齢に産ませた子だから、もうそれ以上何も望んではいないよ」
僕はドアをノックしなかったことをとても後悔した。そうすれば、この話を中断できていただろうから。
圭に目をやると、彼女は真っ黒に染まった目を大きく見開き、呆然としていた。
僕に見られていることに気づいた彼女は、悔しそうな顔をして、来た道を戻っていった。
どうしたら良いかわからなくなって立ち尽くしていたが、それでも圭の父の会話は続いており、僕の耳に流れ込んできた。
「役割を終えたと言えば、要さんの所とはどうするんですか?」
要?要って務の苗字だよな。
「要さんのところは……先祖から代々受け継がれてきた長い付き合いだったね。よくぞ源甲斐家を今まで保護し、見守ってくれたよ。これまた圭と同じく源甲斐佑と同年齢で産ませた監視役の要……務君だっけ?彼にも何か支援をしてあげて、それからはもう要家とは関わりを絶っても良いだろう」
え……?務さえ僕を監視する為だけに産まれたの……?そっか、だから圭とも顔見知りで、仲良くやれてたんだ。じゃあ、今まで付き合ってくれたのも、全部偽りの関係だったってこと?嘘だ。
あまりに衝撃の事実に、いたたまれなくなった僕は、とりあえずここを離れようと思ったが、未知の場所に一人の僕に、思い当たる行き先は一つしかなかった。
圭の部屋しかない、か。
再び目の前に映った圭の部屋のドアは、さっきよりも冷たく、重厚に感じた。僕は意を決して戸を叩いた。しかし、またも返事は返ってこなかった。
「開けるよ……?」
中では、散らばっていたブランケットが一ヶ所に集まり、そこからおそらく中にいるであろう圭の啜り泣く声が聞こえてきた。
「……笑いに来たんでしょ。出てってよ」
僕の存在に気づいたようだ。
「そんなことないよ。僕だって……」
「出ていって!」
彼女が声を荒げた。
そうだ。僕も確かに簡単には立ち直れないくらいの事を知った。だけど、今は圭の方が辛いよね。僕がしっかりしないと。務の話は後にしよう。
圭はゆっくりと体を起こすと、涙で濡れた目元を拭った。
「知ってたわよ……愛されてないことくらい。あたしに何かできる才能なんてないことも。あたしよりできない子をモブ扱いして見下してカッコつけて……本当のモブはあたしだっての。おまけにいつまでもこんな子供っぽい部屋と趣味で……こんな最低なやつが役に立ちたい?おこがましいにも程があるわよね。もうほんっと、自分が嫌になるわ……」
圭は全てを諦めたように笑い、ため息をついた。
僕は彼女にかける言葉が見つからなかった。きっと、今どんな事を言っても傷を広げるだけだろうから。
リメイトという冷たい実力社会の中でも揉まれ、傷心している圭。彼女がして欲しいことは何だろう。というか僕に何ができるだろう。誕生日を祝うこと?いいや、それは今じゃない。そうだ、きっと圭は今、リメイトのこと、天道都市のことなんて考えたくもないはず。だったら、今僕ができるのは圭を先導してあげること。少し勇気がいるけど、これしかない。
僕は腹を括って口を開いた。
「ねえ圭、逃げちゃわない?」
「ねえ圭、逃げちゃわない?」
その言葉を聞いた時、私は驚いた。今まで言われるがまま、ルールを破るなんて知らなかったような佑がそんなこと言うなんて思わなかったから。
「逃げるって言ったって、どこに?」
「それは……うーん、とりあえず僕の家に?」
「何のために?」
「だってこのままここにいたって、圭は悲しいままでしょ?僕、天道都市へ行くなら、元気な圭と一緒に行きたくなっちゃったもの。だから、一旦ここを離れて一休みしてから、また来よう?」
「でも、佑を受け入れてくれる猶予は一週間しかないのよ?時間がないの」
「僕にとっては、圭との時間の方が大切だもん」
「ああ、そう……」
よくそんな恥ずかしいこと言えるな。
しかし、そんな私もその言葉に少し照れてしまい、そっぽを向いてしまった。
「よし、それじゃあ、早速ここを出よう」
「ええ?ちょっと待ちなさいよ。まだ何も準備してないわ」
「うん?何の準備が必要なの?ああ、お泊まりするから着替えとか必要か」
「うそ、私あなたの家に泊まる予定なの?」
「もちろん、ここから逃げるんだから」
「移動手段はどうするのよ。ここからあなたの家まで三時間かかるのよ?お父さんの許可なしに車は出せないし」
「それなら電車で行こう」
「あたし電車乗ったことないんだけど」
「ええ?すごい、天然の箱入り娘だね」
「何それ、むかつく。あんまり調子に乗るんじゃないわよ」
「ごめんごめん。あと、僕乗り方知ってるから大丈夫だよ」
「……わかったわ。じゃあちょっと待ってて」
佑に流されるまま、準備を始めた。
私は、佑のことを止めなくていいのだろうか。しかし、佑は紛れもない私のためにやってくれていることだ。止めるのも申し訳ないか。
「……ところで、お金は持ってるの?結構長い距離移動するんだから、それなりにかかると思うけれど」
「あ、確かに。僕お金持ってきてないや。うーん……貸してくれない?」
「はぁ……無鉄砲なんだから。わかったわ。貸してあげる」
私は財布をバックに入れようとした。
「おお!なんかすごい高級そうな財布だね。どれくらい入ってるの?」
渋々、中身を見せてあげた。
「これ……全部一万円だよね?てことは二十万円くらいあるじゃん!さすがにセレブだね……」
前までの私だったら誇らしく鼻を鳴らしていたと思うが、今はただ、そんな自分に虚しくなるばかりだった。
「よし、じゃあ行くよ」
身支度も終わり、佑がドアを開け、周りに人がいないか首を振って確認していた。
ああ、あれを持っていこう。
「ごめん。ちょっと忘れ物」
「オッケー」
私は引き出しの一番奥から小さな木箱を取り出した。これはいつもつけているイヤリングが入っていた物で、昔からお守りのように扱ってきた。
「よし。行きましょ」
木箱をバックの中に大切に仕舞い込み、私達は部屋を出た。
私達は誰にも見つからないように家を出ようとした。しかし、意識してみると家の中にはかなり人が多く見つからないようにするのは至難の技だった。それもそのはず、家の中には使用人や大勢の家族(正確には私とは直系でない親戚も含まれている)が住んでいるので、至る所に人がいるのだった。
時間をかけてやり過ごしたり、見つかった時は誤魔化したりして、ようやく家を出ることができた。
「最寄りの駅は……うん、この大通りをまっすぐいけば着くわ」
「よし、行こう」
佑が意気揚々と前を歩き出した。
佑はどうして、私をこんなに気にかけてくれるんだろうか。出会って大して時間も経っていないのに。
「ねえ、佑」
「うん?」
佑がこちらに振り向いた。思えば名前で呼んだのは初めてかもしれない。別に恥ずかしかったわけではないが。佑には名前で呼ばせているし。
「なんで天道都市のことじゃなくて、あたしのこと優先してくれたの?」
「えー、そんなこと言われてもな……友達が目の前で泣いてたから、そっちを優先しただけだよ」
ああそうか、こいつは単純明快なだけだ。使命だなんだってのはどうでもよくって、ただ泣いていた私に手を差し出してくれただけだ。それにしても、あんな醜態を晒しておいて、友達だと思ってくれてるのか。嬉しいな。
駅に到着した。あまり立ち寄ったことのなかったそこは、とても大きな駅だった。
「なんかいっぱい電車があるけど、どれに乗ればいいの?」
「ちょっと待ってね。今調べるから」
佑が路面図と睨めっこをしながらぶつぶつと独り言を呟き始めた。
「えっと……これでここまで行って……そこから乗り換えして……」
何だか面倒くさそうだ。それに結構混んでもいるし。ああそうだ。
「新幹線使わない?」
「え、いいの!新幹線高いよ?」
佑は目をキラキラさせた。
「別に足りないわけじゃないなら全然大丈夫よ」
「やった!」
私はスキップをしている佑と共に新幹線のコーナーに向かった。予約はしていなかったが、運良く自由席を取ることができた。
いざ乗車してみると、何だか気分が高揚してきた。本格的に逃避行が始まった気がして。
それから、私達は駅弁を食べた後、車内販売で買ったトランプでポーカーを始めた。
「……チェックで」
「んじゃあたしベットで」
「……コールで」
「よし、じゃあ手札開けましょう。はい、佑がツーペアであたしがフルハウスね。あたしの勝ち」
「えー、また僕の負け?圭運良すぎない?」
「いやいや、ポーカーは駆け引きの技術も必要よ。あなたツーペアだと毎回チェックとかコールして中途半端に攻めるじゃない。見え見えよ。実力不足ね」
「ちぇ。次、次行こう」
次のゲームが始まった。
さて、イレブンのワンペアか。これは攻めようか。
「レイズで」
「……コールで」
佑はその後、さっきと同じように中途半端に攻めてきた。
さて、同じ攻め方をしてきたか。さっきの私の話を聞いたわけだから普通これはブラフのはず。だけど裏をかいてじつは良い手札を持っている可能性だってある。問題は、こいつがそんなことできる度胸とずる賢さがあるかだけど……うん、ないな。
「オールインで」
「……フォールドで。もう!何で!」
「バレバレだっての。ふふっ」
ああ、楽しいな。
あのまま、佑が声をかけてくれなかったらそのままだっただろうな。どうしようもないって自暴自棄になって、苦しんでるだけだっただろうな。自分で苦痛を背負いこむだけで、自分のために動かなかっただろうな。思えば、本当に言われるがまま、ルールを破るなんて知らなかったのは私だったのかもしれないな。
私は佑の顔をチラリと見た。
なのにこいつはここぞって時に思い切ったことしやがって……なんかムカついてきたな。
それから目的地に着くまで、私は腹の中から湧いてきた怒り、というより嫉妬を晴らすためにポーカーで佑をボコボコにした。
「くっそう……この借りはいつか返してやるから……」
「望むところよ。さて、新幹線降りてきたけど、次は——」
言いかけたところで、突然私の携帯電話が鳴った。見ると、それは父からの電話だった。
どうしよう……うーん、ちょっと怖いけど、まあいいか。
私は携帯の電源を切り、佑に向き直った。
「大丈夫?出なくていいの?」
「いいの。それで?どこ行けばいいの?」
「次は一本電車乗って、そしたらうちの近くの駅に着くよ」
「わかったわ」
私は初めての電車に揺られ、ようやく佑の住んでいる街へ着いた。そのまま佑の家まで歩いて行き、私は宿泊許可を取っている佑が戻るまで家の前で待機していた。
「……いいの?ありがとう!お母さん」
中の会話が聞こえてくる。どうやら許可が取れたようだ。よかった。
「それで、おばあちゃんは……?そっか……」
また佑の祖母の話か。きっとまだ見つかっていないのだろう。
「お待たせ。大丈夫だってよ」
佑がドアから顔を出した。
「良かったわ。それじゃあ、お邪魔するわね」
家の中に入ると、すぐ目の前におそらく佑の母であろう人物が立っていた。
挨拶しないと。
「えっと、か——いや、森本圭です。突然押しかけてしまい申し訳ありません。お邪魔します」
流石に、ここは仮名の方がいいか。
「全然大丈夫よ。そんなにかしこまらないでちょうだい。それにしても、あの佑がこんなに可愛い女の子を連れてくるなんてねえ。しかもリメイトの子なんでしょう?明日は雪でも降るんじゃないかしら」
「恐縮です」
「さ、上がって上がって」
リビングに招待され、荷物を下ろして椅子に座ったところで、佑の母はお茶と茶菓子を出してきた。
「ほら、くつろいでね」
随分と歓迎されているようだ。きっと私が佑の彼女か何かと勘違いしているのだろう。全然構わないが。
「さて、佑も帰ってきたところで、お母さんはちょっと席を外そうかしら」
佑の母が言うと、佑は何かを察した様子で席を立った。
「あ、僕も行くよ」
「佑は圭ちゃんとお留守番しててちょうだい。それじゃあ、夕飯の時間には戻ってくるわね」
佑の母はそう言い残し、足早に家を出ていった。リビングには、私と佑だけが残った。
「ポーカー!続きやろ!」
「今日はもうたくさんやったでしょう?何だか疲れちゃったわ。また明日ね」
「そっか。じゃあ僕課題やろうかな」
「そう。あたし休憩してるから、わからないところあったら聞きなさい」
「うん。ありがとう」
佑は机にワークブックを広げ、宿題に取り掛かった。
私はソファーに腰を移し、深いため息をついた。
佑がペンを走らせている音だけが部屋に響く。その音を背景にしながら、私の部屋よりも狭いくらいの、夕日でオレンジ色に塗られたリビングで、ただのんびり座るだけ。それだけで緊張の糸がほぐれ、心に安らぎが訪れた。
うちもこれくらい居心地が良かったらな。私の家はいつも殺伐としてて、気が休まるのは自分の部屋くらいだったよな。
ひたすらにぼーっとしていると時間はあっという間に過ぎ、まもなく日が落ちたころ、佑の母が佑の祖父だという人物と一緒に帰ってきた。
「ただいま。ああ、君が佑のお友達だね。話は聞いてるよ」
「森本圭です。お邪魔しております」
「おじいちゃん、どうだった?」
「見つからなかったよ……」
「じつはね、僕の妻、おばあちゃんが行方不明でねえ……」
佑の祖父がこちらを向いた。
「ちょっと!お義父さん、あまり言わない方が……」
佑の母が慌てた声を出した。
「そうだったんですね。すみません、そんな時にお邪魔しちゃって……」
一応、知らない体で話を合わせた。よく考えたら、佑は家族が失踪したということを簡単に喋って、迂闊すぎやしないか。
「ごめんね、気を遣わせちゃって。それより、今ご飯にするからね。ちょっと待っててちょうだい」
佑の母がエプロンに手をかけた。
「あ、あたし手伝いますよ」
「あら、いいの?じゃあお願いしようかしら」
そうして、私は佑の母と夕飯を作り始めた。
「これ、洗っちゃいますね」
「後で私がやるから大丈夫よ」
「いやでも、やることないので」
「そう?洗い物なんてやらなくていいのに……良い子ね」
「いえいえ、そんなことないですよ。ふふふっ」
佑の母は、祖母のこともあるだろうに明るく接してくれて、私はそれに甘えることにした。
「いただきます」
食べ始めた料理は、いつもの何倍も、何十倍も暖かく感じた。そのせいか、いつもならよける野菜にもすんなりと箸が伸びた。
「佑、今日は圭ちゃんと何してきたの?」
佑の母が嬉しそうに聞いた。
「ええ?い、言えないよ……」
「佑くん、とってもかっこよかったんですよ」
おどけて言ったが、それは割と本心だったかもしれない。
「あらー?圭ちゃんにそんなこと言わせるなんて、佑も隅におけないわね」
「ちょっと、二人ともからかわないでよ……」
私と佑の母は目を見合わせて笑った。
その後、楽しげな雰囲気のまま食事は終わり、私は風呂に入っていた。
毎日、こんな生活ができたらな。きっと私にはそっちの方が合ってる。
今までの自分の生活と比べる過程で、私は天道都市のことを思い出してしまった。
やっぱり、佑には使命を果たしてもらうべきだと思う。だけど、まあ、今はいいか。明日また考えよう。
程なくして就寝の時間が近づき、私はリビングでそのまま眠ることになった。
「圭ちゃん、今お布団持ってくるから、ちょっと待っててね」
「ありがとうございます」
敷かれた布団は、ごく普通で、何一つ欠落がないように見えたが、私からすると、致命的な欠陥があることに気づいた。
ブランケットが……ない……あれがないと寝れない……。かなり恥ずかしいけど、背に腹はかえられない。
「あの……大きめのタオルみたいなの……ありますか?抱き枕でも……いいんですけど……」
きっと、私の顔はいつもしてる赤いイヤリングくらい赤くなっていたのだろう。佑が気まずそうにこちらを見ていた。こっち見んな。
「うーん……ゆうが子供の頃使ってたのがあったかしら。ちょっと探してくるわね。それにしても、圭ちゃんも子供っぽいところあるのね。可愛いわよ」
「あはは……ほんとお恥ずかしいです」
佑の母が部屋を出ていった。
佑は依然としてこちらを見ている。
「……うるさい」
「何も言ってないじゃん」
「視線がうるさいって言ってんの!」
「ああ、ごめん。それより、見つかるといいね。僕のお下がり。ふふっ」
「笑うな!早く部屋戻りなさいよ!」
「はあい。おやすみね」
佑は楽しそうに部屋を出ていった。まったく……佑のくせに、むかつく。
少しして、佑の母が戻ってきた。
「あったわよ。これでいい?」
手渡されたのは、緑色でサイズのちょうどいいブランケットだった。
「はい。ありがとうございます」
「よかった。それじゃあおやすみ」
「おやすみなさい」
私は電気を消し、もらったブランケットを携えて布団に入った。
早速触り心地を確認してみる。顔に擦り付けたり、首に巻いてみたり、抱いてみたり。
うーん。まあ及第点かな。お気に入りのがあったらいいんだけど、まあ、ないよりは全然マシ。
結局、私はブランケットをハグしながら、眠りについた。
次の日、私は佑の母が奏でる包丁の音で目を覚ました。
「あら?起こしちゃったかしら?おはよう」
「んあ、おはようございます」
なんとなく、携帯をのぞいてみた。しかし、私はすぐに後悔することになった。
通知百四十件!流石にまずいな……。
昨日は放置していた責任と罪悪感が、一気に蘇ってきた。
「とりあえず、お顔洗っていらっしゃい」
「はい」
私は洗面所で顔を洗ったり、歯を磨いたりして、リビングに戻った。
キャンドが佑を受け入れる期間は今日から一週間。私はとんでもないことをしでかしているのかもしれない。
椅子に座って、百四十件の通知を開くかどうか、私は憂鬱になりながら検討していた。
「あの、お母さんは天道都市について、どう思っていますか?」
なんとなく、聞いてみた。
「うーん、難しいこと聞くわね……私達からしたら、生まれた頃からあるものだから、どうもこうもないんだけど、でも、周りの人達は、年がかさむにつれ、生きていくモチベーションになってるって言ってたわ」
なるほど、確かに毎日を生きている中で、誰でも人生の目標持てることはいいことなのかもしれない。そうやって、騙されているのが一番幸せなのかもしれない。そうしていれば、頑張れるのかもしれない。
「でも、おばあちゃんが天道都市に行きたくないって言って、元気をなくした頃、天道都市なんてなければいいのに、って思ったわ。私もおばあちゃんとはまだ一緒にいたかったからね。その時初めて思ったの。別に特別な何かが起こらなくても、このままの生活が続いたらなって。ああ、急にポエムみたいな事言ってごめんね」
「いえ、素晴らしいと思います……」
ああ、やっぱり天道都市なんてなくなった方がいい。佑に言わないと。
朝食が終わった後、佑に話しかけた。
「ねえ佑、ちょっと話したいことがあるんだけど……」
「うん?じゃあ散歩がてら外に行こっか。いつも歩いてるルートを紹介するよ」
話す内容を頭の中で整理しながら、佑の背中を追いかけた。
ついたのは、私が佑に天道都市の真実を明かした、学校のそばにある公園だった。
佑は公園の小山に腰を下ろした。私もそれにならって彼の隣に座った。
「それで、話って?」
「えっと、佑にはやっぱり、うちに戻って使命を果たして欲しいなって」
佑は少し考えた後、答えた。
「でも、そうしたら、圭は報われないよね?」
「どういうこと?」
「だって、僕を誘き寄せたら、圭は用無しだって言われたんだよ?そんなの悲しすぎるじゃん……」
「あたしは大丈夫だから。あなたがしていることは、あなたが思っているより重大なの。ほら、これ見て——」
私が携帯の通知を見せようとした瞬間、佑が私の携帯を取り上げた。
「ちょっと!なにすんのよ」
「もし僕が戻って使命を果たしたらさ、圭はまた泣いちゃうんでしょ?僕、そんなの見てられないよ」
「どういう事?なんでそうなるの?」
「だって圭のお父さん言ってたじゃん。好きにさせたらいいって。それって見捨ててるって事でしょ?そうしたら絶対、圭はまた上手くいかなくて泣いちゃうって事だよ」
「佑は関係ないじゃない。それとこれとは話が別でしょ」
「だけど……とにかく!僕は聞かないから。それから、携帯は没収ね。圭に余計な情報が入るといけないから」
きっと、こいつは私を傷つけたお父さん達へ抵抗しているつもりなのだろう。だけど、何の為に?こいつは私が好きなんだろうか。
「でも、ずっとこのままこうしてるわけにもいかないでしょう?お父さん達はすぐにあたし達の場所を突き止めてくるわ」
「その時は、僕達を探してるっていう、政府のところに行こうと思ってるよ」
佑はニッと笑った。陽光を後ろから覗かせている彼の笑顔は、ひどく不敵に映った。
佑は、とてつもなく残酷な選択をしているということに、いつになったら気づくんだろう。そして、そんな彼に、どうして私は強く言えないのだろう。ああそうか、私の方だったんだな。嫌だな。
話を終えた私達は、コンビニへ寄って買い物をした後、また別の公園まで歩いていき、そこにあるベンチに腰を下ろした。
「はい、これ圭のアイスね」
「うん。ありがとう」
私達は、そのままアイスをかじりながら、そよかぜを受けていた。それは散歩で火照った体にはとても心地よく、悩み事を全て忘れさせる勢いだった。
やっぱり、このままでもいいかな。
ぼーっとそんな考えが出てきた瞬間、私はかぶりを頭を振って、ため息をついた。
このままがいいなって思って、それじゃダメだって思って、またこのままでいいなって思って、一貫性がないな、私は。
「ねえ、どうしてあたしなんかのために、そんなに躍起なってくれるの?」
ネガティブになった私は、自分でもめんどくさい、と思うような質問をしてしまった。
「うーん。じつはさ、僕、自分がそんな世界の命運を握ってるキーパーソンって実感が全然ないんだよね。僕が天道都市に行くことに反対だって言ってるところもあるみたいだし、そんなにホイホイついて行っていいのかなって。何より、あんなに冷たい圭のお父さん何だし、信じるのも怖いんだ」
案外、理性的だな。
「だから、選択を迫られるギリギリまでは、圭との時間を大切にしたいなって。ちゃんと答えになったかな?」
「あたしのこと好きすぎでしょ……」
「そうかも」
ちょっとは否定しなさいよ!まったくこいつは……そういうところだっての……。
私が反応に困っていると、佑は呑気にも伸びをした。
「さて、そろそろお昼だし、家に戻ろっか」
「ああ、うん」
家に戻ると、佑の母が昼食を作っていた。
そういえば、何もしてないのにタダで泊めてもらって悪いな。
「あの、これ……」
私は財布から万札を取り出し、佑の母に差し出した。
「ええ?もらえないわよそんなの」
「でも、タダで泊めてもらって悪いので……」
「いい?子供が連れてきた子からお金もらうなんて恥ずかしくてできないわ。何なら、非常識とか思っちゃってるくらい。流石にそれは言い過ぎかしら?まあともかく、それはしまってちょうだいよ。それと、うちだったらいくらでも泊まっていいから」
きっと、この人は息子である佑と同じで、ひどく純粋で、底なしの善人なんだ。
そんな二人に救われているのと同時に、それに甘えていていいのだろうかという葛藤が、私の中にはあった。
昼食を食べ終え、また家事の手伝いをしようかと考えていたところに、今度は佑が話しかけてきた。
「ねえ、午後は僕の部屋で遊ばない?」
「いいわよ」
「やった。あと、務呼んでもいい?要君」
そういえば、佑にとっては、務は親友だったな。
「いいわよ」
私は佑が務を呼びに行っている間、先に部屋で待機していた。
ここが佑の部屋か。小さめのテレビに勉強机、ベッド。いわゆる、ごく普通の部屋だな。
二人が来るまで、部屋のものに触れて回ったり、大きく息を吸ったりして、時間を潰した。
「ただいま、圭」
「森本さん、一日ぶりだね」
佑と務が部屋に入ってきた。
「あれ、あなたと最後に会ってからそんなに経ってないのね。それで、何して遊ぶ?」
「三人でゲームしない?」
「いいよ。圭はどう?」
「いいけど、あたしはそのゲームのやり方知らないから、最初は後ろで見てるわね」
佑と務はテレビの前に座ってテレビゲームを始め、私はその後ろでベッドに腰を掛けた。
「佑、その敵倒しといてくれる?」
「任せて。務、回復アイテムちょうだい」
「オッケー」
さすが、長年一緒にいるだけあって、ゲームの動きはとても息が合っているように見えた。
務は、今までどんな気持ちで佑と接してきたのだろうか。生まれながらにして佑が異変を起こさずに育つように監視する役割を与えられて。佑を縛り付けるために縛り付けられて。佑や周りを憎んではいないのだろうか。
もちろん、目の前に映る務には、そんなものは一切感じられなかった。
「ねえ」
佑と務がゲームを始めて三十分程経ち、そろそろ二人に加わろうかと思った頃、佑が突然、落ち着いた声を出した。
「二人はさ、ずっと前から、お互いのことを知ってたんだよね?」
「ええ?……ふぅ、そんなことないわよ?」
私はドキリとした。
「ごめん。森本さん、いや鴉田さん。ちょっと二人で話がしたいんだけど、いい?」
務がこちらを見た。
「ああ、ええ、はい」
私は逃げるように部屋を出た。
ああ言ったということは、佑は務が私達の協力者であることを知っているのであろう。そして、務は話をつけるつもりだろう。それをするには新参者の私は邪魔すぎる。退けてくれて助かった。
私は息を殺して、ドアの近くに身を潜めた。
圭が部屋を離れた後も、僕達は依然として肩を並べてゲームを続けていた。
務が話を切り出すまで口をつぐんだ。それはとてもドキドキする時間だった。
「鴉田さんさ、嘘つく時深呼吸するんだぜ?わかりやすいよな」
「ああ、そういうことだったんだ」
僕は返事を最小限に、務が本題に入るのを待った。
「それで、佑は俺が鴉田家からの回し者って知ってるんだよな?」
「うん。たまたま聞いちゃって」
「知った時、どう思った?」
「そうだな……もちろんショックだったけど、なんか……改めて今日会って、自信が出てきたな」
「自信、というと?」
「僕と務の関係はそんなものだけじゃない。きっと、この騒動が終わっても、僕達はこのままずっと親友でいるんだって自信……かな?」
「何だよ佑……カッコイイこと言いやがって……考えてきたこと言う必要なかったじゃん」
務は嬉しそうに、口を抑えた。
「まあでも、ちょっとだけ、聞いてくれよ」
「うん」
「佑、確かに俺は、いや、うちの家族は代々、上に命じられてそっちの家族と付き合ってきた。世間の目に晒されないようにしたり、絶対に世代を途切れさせないようにしたり、色々してきた。ずっと罪悪感があったんだ。許してもらうつもりはないけど、今までずっと騙しててごめん」
「いいよ。許さないわけないでしょ。というかそもそも、務は命令に従ってただけなんだから、何にも悪くないじゃん」
「ありがとな、佑」
「うん。ああでも、僕が圭に呼び出された時、全部知ってたくせにからかってきたよね?タチ悪いなあ」
「それはまあ……親友として当然のことをしたというか……」
「なにそれ、変なの。何はともあれ、これからもずっと親友だよ」
「おう!」
当然、僕達は顔に笑みを浮かべた。
私は佑の部屋のドアの前で、男の友情?というものを目の当たりにしていた。
「鴉田さん、もう入ってきてもいいよ」
ぎくりとした。部屋の前にいることがバレていたんだ。
嘘をつこうかとも考えたが、二人には私が嘘をつくときの癖がわかっているようだったので、素直に部屋に入ることにした。どうにかしなきゃな、嘘つくときに緊張しちゃうの。
「ただいま。二人とも、なかなかカッコ良かったわよ。さて、それじゃあ一緒にゲームしましょっか」
それから、私達は三人でゲームをして過ごした。
「ところでさ、二人は鴉田家の現状についてどれくらい知ってるの?」
突然、務がヒヤリとする話を振ってきた。
「いやあ……もう怖くって、全然知ろうとしてないわ。やっぱり、大騒動になってる感じ?」
「そうみたい。皆で血眼になって探してるらしい。じつは、今見つかってないのは俺のおかげなんだよ?ここには帰ってきてないって言って。感謝してくれよね」
「ありがとう。さすがね」
落ち着いた返事をしながらも、私は内心焦っていた。
もうそろそろ、時間的にも限界だろう。どうにかしないとな。佑には決断してもらわなくちゃならない。
そもそも、私はどうしてもらいたいんだろう。ずっと、天道都市という存在をなくすべきだと言われてきたが、本当にそれは正しいのだろうか。確かに人が死んでいる訳だけど、それ以外に大きな弊害があるわけじゃないよな。無くなったらそれはそれで問題がたくさん発生するんじゃないだろうか。だったら今のまま七十歳になったら知らず知らずのうちに死んでいくのがいいのかな。いや、それは倫理的にどうなんだろう。もう、わかんないや。
考えるのをやめた私は、目の前のゲームを楽しむことに集中した。
「ああ務、そろそろだよ」
窓の外がたそがれてきた頃、佑が務に呼びかけた。
「りょーかい。鴉田さん、とりあえずゲームはここまでにしよっか」
「ええ、だいぶやったし、そうね」
「よし、じゃあ俺と佑は用事があるからちょっと席外すけど、ここで待っててくれる?」
「かまわないわ」
二人は部屋を出ていった。
用事って一体なんだろう。朝の体操とか、犬の散歩とか、そんな感じの習慣的なものだろうか。それとも、佑の祖母を探しに行ったとかだろうか。だったら私も手伝いにいけばよかった。ああでも、この街をほとんど知らない私は足手纏いか。ほんと、天道都市のことといい、佑のおばあちゃんのことと言い、とんでもない時にお邪魔しちゃったな。
私は佑のベッドで横になった。
ここに来てから、初めて一人になったな。じゃあ、音楽聴こうっと。
ポケットからいつも携帯しているイヤフォンを取り出した。いつものプレイリストをスタートした。もちろん、プレイリストの中にはもちろん鴉田実の曲しか入っていない。
ああ、いつ聞いても、みのり様の声は素晴らしい。強い歌声もしなやかな歌声もなんのその、全てが一級品。いつ聞いても夢心地に引き込まれてしまう。私が音楽の道を諦めたのも、みのり様という遠すぎるものが好きだったのかもしれないな。そう思うほど、惚れ惚れとする歌声だ。ああ、すてき。
「……けい……圭!」
「うん?なに?」
目を開けると、前にぼんやりと佑が映った。どうやら寝てしまっていたようだ。
「ああごめん、寝てた……」
私はイヤフォンを外しながら、ベッドを降りて立ち上がった。
「ご飯だよ。早く行こう」
「ああ、もうそんな時間なのね。今行くわ」
外はもうすでに、日が落ちていた。
「うん。早く早くう」
佑のテンションはいつもより高く、颯爽と部屋を出ていった。
何だあいつ。変なの。
階段を降りていくと、リビングの電気がついていないことに気づいた。
怪しく思って、忍び足で扉に近づいた。
ドアノブに手をかける。そっと、扉を開けた。すると、パチン、という音が部屋中に響き、それと同時に部屋の電気がついた。
「誕生日おめでとう!」
目の前にはクラッカーを持った佑と務が、豪勢な料理が並んだテーブルのそばには佑の母が立っていた。
「えええ?急にどうしたの?」
私は驚きのあまり、何度もキョロキョロしてしまった。
「だって圭今日誕生日って言ってたじゃん。誕生日パーティーだよ!」
「よし、じゃあ歌おうか。せーの!」
三人は誕生日の歌を歌い始めた。
「はあっぴばあすでーとぅーゆー。おめでとー!圭」
「こんな時に……なにしてんのよ……よそ者のあたしに……」
嗚呼、このまま、ここで生活できたら。毎日、誰とも比べることなく、ゆったりと過ごして、たまにこんなことしてくれる友達や知り合いがいて、そのまま、ずっと。
私は涙が止まらなかった。それは、自分の劣等感から逃れるために、この人達を見下していた、そんな自分が惨めになる、そういう涙だった。
「ありがとう……ほんとに……」
私達は食事を始めた。
「そういえば、佑のおじいさんはどこに行ったの?」
「えっと、自分は邪魔だろうって言ってどこかに行っちゃった」
「そうなのね……全然気にしないのに……悪いことしちゃったわね」
私達は食事を終え、務を送り届けるため、彼の家の前まで来ていた。
「ねえ、鴉田さん。ちょっと」
別れ際、務が私に向かって手招きをしてきた。
「なに?」
務は顔を私の耳に近づけた。
「突然、ウチと鴉田家の人達、主に君のお父さんと連絡が取れなくなったらしい。もしかしたら、俺が嘘ついてるのバレたかも。注意して」
せっかくいい気持ちでいたのに、嫌なことを思い出してしまった。それに、状況は結構悪いらしい。
私は帰ってきた風呂の中でため息をついた。
佑を説得するのは難しいだろうし、もし説得できたとしても、絶対お父さん怒られて(というか遠回しに傷つくようなことを言われて)、ウチの人達からは白い目で見られるんだろうな。嫌だなあ。だからと言って逃げるっていう選択肢を選ぶのもどうかと思うし……どう転んでも私が大変な目にあうな。責任投げたいな。
私は風呂から上がって、イヤリングの箱を握った。それが、私が迷った時の癖だった。
そういえばこれ、一体誰のなんだろう。昔、物置を探検してたら見つかったんだけど。
箱を開けて、中を隅々まで観察してみた。持ち主の名前らしきものは見つからなかったが、違和感は見つけることができた。
考えたこともなかったけど、これ、底が高すぎるよな。めくってみよう。
敷かれた布を取り払うと、私は驚いた。中にはもう一組同じイヤリングと小さく畳まれた便箋、金属チップが埋め込まれたカードが入っていた。
「すご……こんななってたんだ」
とりあえず、便箋を開いてみた。
未来の私達の子供へ
こんにちは。鴉田実です。見つけてくれてありがとう。この手紙が私鴉田実と夫鴉田真の子孫の元へ届いていることを信じています。
あなたの時代では、私はどんな人間として言い伝えられてますか。全くもって存在を認知されてないと、少し悲しいです。最近、歌手業がうまくいってるものですから、少し自信がついてきたんです。
さて、自分の話はこれくらいにして、お願いがあります。それは天道都市のことについてです。今、天道都市はどうなっているでしょうか。順調に、なくす方向へ進んでいるでしょうか。それとも、無事になくなったでしょうか。もし、天道都市を残さんという風潮になっているのならば、どうか、それを逆転させてほしい。天道都市をなくすということは、永遠変わることのない私達の願いだから。夫の真なんてそのためだけに仕事をしています。だから、お願いします。
責任の丸投げも終わったところで、最後は書きたいことをちょこっとだけ書いて閉めます。
同封しているイヤリングは、私と真が使っていたものです。気に入ったら使ってください。それでもし、あなたに相応しいと思うパートナーがいるならば、ぜひ渡して一緒に使ってあげてください。そうして生きていくうち、もう充分だと思ったら、この箱にそれをしまって、できればあなたの手紙も添えてあげて、次の人に見つかるまでどこかにしまっておいてあげてください。
あなたの時代の鴉田家はどんなふうになっているんでしょうか。想像するだけでも楽しいです。
私は、どんなあなたも好きです。あなたの決めたことだったら何でも応援しています。だから、自分が正しいと思うことをしてくださいね。
鴉田実
P.S.鴉田真です。もし、某施設の中でピンチになったら、このカードを読み取らせてください。きっと、助けてくれるはずです。
手紙を読んで、私のテンションは舞い上がっていた。
これ、みのり様と真様のだったの?しかも私に向けた手紙とカードまで……このカードは真様のとっておきの最終兵器みたいだし、肌身離さず持っていよう。皆に自慢しようか、秘密にしておこうか、迷うなあ。
ふと鏡を覗くと、私は顔がとんでもなく浮ついていることに気がついた。頬を叩いてそれを治すと、私はあるモチベーションが上昇していることに気がついた。
やっぱり、私が佑を説得しないとダメだ。みのり様、応援していてくださいね。それで……このイヤリングを……うん、そうしよう。
私は佑が風呂を上がるのを待って、声をかけた。
「ねえ佑、ちょっと夜風にあたりに行かない?」
「うん。いいよ。お母さん、ちょっと近くまで散歩してくるね」
「気をつけなさいよ?」
「はーい」
私は佑の前を歩きながら、話を切り出すタイミングを伺った。
「ねえ圭、こんな感じに呼び出すってことは、天道都市のことについてだよね」
向こうからきっかけをくれた。
こいつは妙に勘が働くからな。もちろんこれも想定内だ。
「まあまあ、とりあえずこれ受けっとってよ」
私は佑の方へ振り向いて、イヤリングを手渡した。
「これって、圭のイヤリングじゃない?」
「じつはもう一つ同じの持ってたの。お揃いよ?」
「え、いいの?やった!」
佑はあからさまに喜んだ。しめしめ。
「それで、あたしはもうほんっとうに大丈夫だから、一緒に帰って天道都市を終わらせに行きましょう?」
「いや、圭が良くなっても、それとこれとは話が別だよ。どっちがいいのかわからないって言ったじゃん」
「そう。確かにわからないわよね。実際、ウチと国では意見がわかれてる。あたしも考えてみたけどわからなかった。そんな難しい問題なんだから、私達にわかるわけないじゃない。そうでしょ?」
「それは……」
「どうせどっちが良いかわからないなら、後味のいい方にしましょうよ。あなたが天道都市を無くしてくれたら、うちとの関係も良好よ。だから、今度はうちに招待するわ。近くには名所もたくさんあるから、一緒に観光しましょ?要君も招待して。だから……ね?」
「うーん……確かに僕が考えても解決するわけじゃないし、そうしようかな……」
「よし、良い選択ね」
ふん、チョロいな。
「それじゃ、家に戻って携帯取ってきてくれる?あたし、今から電話で手配するから。明日もう迎えにきてもらって良いわよね?」
「え、明日は学校が……」
「こんな時に何言ってんのよ。猶予は一週間だって忘れちゃった?」
「そうだった。ズル休みするしかないね」
佑はきびすを返し、家に戻っていった。
きっと、さっきまでの私だったら、ごもっともな主張を並べ立てて、パッションで説得しようとしただろうな。まあ、ドラマチックなのが好きならばそうするのが正解だろうけど、佑にはこっちの方が有効だ。
程なくして、佑が私の携帯を持って戻ってきた。
「はい。ごめんね、突然奪っちゃって」
「全然大丈夫よ。じゃあ、あたし電話してから戻るから、先に帰ってていいわよ」
「ここに居て話聞いちゃダメなの?」
「ダメよ。今からいっぱい嘘つかなきゃいけないんだから、佑が隣にいたら緊張しちゃうじゃない」
「ええ……圭嘘つくの下手だし、大丈夫かな……」
「いいから、任せなさい」
「はいはい。わかったよ」
私は佑がいなくなったのを確認し、久しぶりに触った携帯で父に電話をかけた。
「圭!よかった、今どこにいるんだ?」
流石のお父さんも焦っているみたい。この前よりは全然怖くない。問題ない。
「もしもし、お父さん?今?今は佑の家にいるけど」
「どうしてそんなところにいるんだ?やっぱり、要のところは嘘をついてたみたいだね……」
「あたし達がここにいる理由は自分の胸に聞いてみたらわかるんじゃない?」
「何が言いたいんだい?」
「うーん、あの日、あたしに心ないこと言ったり、要家は用済みだって言ったりしたから裏切られちゃったんじゃない?そんなふうに思ってたら、当然だと思うわよ?」
「なるほど……そういうことか……ところで圭、君、なんか変じゃないか?」
「ええ?そうかしら。ところで、佑がね、本当にキャンドをなくすのは良いことなのかって疑問に思ってたわよ?もしかしたらこのまま、政府に身を出してしまうかもしれないわね」
「それは困った……それはやめさせてくれないかな?」
「うーん、あたしにできるかしら……あたしは佑をおびき寄せるためだけの餌だから、そんな自信ないわね」
「……」
電話の向こうで私を厄介がっている父の姿が簡単に想像できた。
少し間が開いたので、私は息を整えて口を開いた。
「あーでも、あたし佑のこと落としちゃったっぽいからあいつを意のままに操れるかもしれないわ」
「おお、それはすごいね。是非お願いしたいんだけど……」
「ええ?それってあたしが必要って……ことお?」
父のため息が聞こえた。
「あたし、お父さんの謝罪が欲しいなあ。酷いこと言ってごめんなさいって」
「ああうん、わかったよ。ごめんね」
「気持ちがこもってないわね」
「申し訳なかった。ごめんなさい」
きっと、お父さんはどう言っても気持ちがこもることはないだろう。だから、これくらいで勘弁してやろう。
「うーん、しょうがないから許してあげるわ。じゃ、佑には私から言っておくから、明日佑の家まで迎えにきてちょうだいね。あ、もちろん、あたしもついていくからね」
「了解したよ。ありがとう」
私は電話を切った。そうしてすぐに、身を震わせた。
「くぅー!緊張したー!でも、興奮しちゃった」
これで完全にお父さんに見放されちゃったな。前まではお父さんに認められたいだなんて思ってたけど、今はどうでもいい。何も怖くない。なぜなら今はみのり様が後ろにいるから。私の正しいと思うこと、それを周りの目を極力気にしないで自分がおもしろそうだと思うことに注力する、ちょっと長いかな。
何だかスッキリした私は、スキップしながら佑の家へ戻った。
「あの」
就寝前、私は佑の母へ話しかけた。
「二日間ありがとうございました。明日で家を出させてもらいます」
「そうなのね。いつでもいらっしゃい。あと、明日は佑がズル休みするって言ってたけど、一緒にどこかへ行くのかしら?」
「まあ、そんなところです」
「そう。楽しそうね。いってらっしゃい」
「はい!」
楽しさはあるかわからないけど、見つけられるように頑張ろう。
私は嬉々として布団に体を滑り込ませた。昨日より、ブランケットが体に馴染んでいる気がした。
圭の家の車が迎えに来たのは、朝食をとってから少し時間が経過した午前中だった。
この前と同じく長い道のりを経て、圭の家につく頃には昼過ぎになっていた。
僕達は圭の父へ挨拶をするために、前回と同様に彼の部屋へ向かっていた。
「圭のお父さん、怒ってないかな……大丈夫かな……」
「まあ……怒ってはいるかもね」
僕の胸の中は何を言われるのだろうとヒヤヒヤしていたが、反対に圭は堂々と、胸を張って歩いていた。
「でも、佑を怒ることはできないだろうし、もし何か言われても、あたしが守るし大丈夫よ」
「ええ?圭にそんなことできるの?この前お父さんに怖気付いてたのに」
「あたし反抗期になっちゃったからもう無敵なの」
「それって宣言するもの?」
「さあ?まあするってことにしておきましょう」
圭の父の部屋の前に到着した。
圭が戸を叩く。
「どうぞ」
「お邪魔します」
僕は会釈をしながら部屋に入った。
「ああ、佑くん、また会えて嬉しいよ」
圭の父が僕に微笑みかけた。
「ここに来てくれたということは、やっと協力してくれる気になったんだね?」
「はい」
「あたしのおかげね!」
「ああそうだね。ありがとう」
圭の父が圭に冷ややかな目つきを送った。
「それで……佑くんには明日の早朝にはキャンドと接触してもらいたい。したがって、今日の夜には車で出発してもらう予定だよ。申し訳ないけれど、車の中で眠ってもらうことになるんだけど、許してね」
「わかりました。大丈夫です」
「もちろんあたしも一緒よ!」
「ああ、全然構わないよ。それと、出発までの間、佑くんが退屈しないように一緒にいてあげられるかな?」
「はーい。任せて」
僕は圭に腕を引っ張られながら、部屋を出た。
「なんか、怒ってるというより圭に呆れてるって感じだったね」
「諦めたんでしょうね。教育しようだなんて気はさらさらないだろうし、所詮、自分のことしか考えてないただの自己中よ」
「おお、反抗期だ」
「でしょ」
僕達は一緒になって笑った。
「それで、まだ出発まで時間があるみたいだけど、何して過ごす?」
「そうねえ……ウチを案内するなんてどうかしら?この前は全然滞在しなかったわけだし」
「いいね!そうしよう」
「決まりね。どこから紹介しようかしら……まあ、あたしの部屋からでいいか」
僕達は圭の部屋の前まで歩いた。
「一度侵入されてるけど……入る?いつ入られても恥ずかしいんだけど」
「せっかくだし入ろうかな」
「はあ……どうぞ」
圭は渋々といった感じでドアを開けた。当然だが、中の様子は一昨日と変わっていなかった。
「相変わらず可愛い部屋だよね」
「子供っぽいっていう皮肉かしら?」
「そんなことないよ……というか、よく見ると部屋にもトイレついてるんだね」
「一応、階ごとにあるにはあるんだけど、一々行くには遠いからね。各部屋についてるのよ」
「そうなんだ。じゃあ次行こっか」
僕達は下の階へ行くため、階段を降りていた。
「そういえば、どの階に誰が住んでるとか、そういうのはあるの?」
「えっと、あたしの部屋がある二階は今の当主であるお父さんの直系の家族が住んでるわ。他の階にはそれぞれ親戚の家系が住んでる」
「親戚の人もいっぱい住んでるんだね」
「そうね。一応、名門の鴉田家ですから。もちろん、ここ以外に住んでる人もたくさんいるわよ。ちなみに、真ん中に行けば行くほど地位が高いって感じになってるわね」
「そっか、圭のお父さんは真ん中の部屋だったもんね。うん……圭の部屋って一番端っこだったような?ってことは圭は一番下っ端なの?」
「言うんじゃなかった……」
「ごめん……」
圭は不機嫌になるかと思ったが、そんな様子は全く無く、どちらかというと楽しんでリアクションをしているように見えた。
圭のうんちくを聞きながら足を進めている途中、僕はある違和感に気づいた。
「そういえば、この前と違って全然人がいないね」
「今日は月曜日だから当たり前でしょう?子供は学校行ってるし、大人は仕事してるわよ」
「ああそっか。ところで、圭は学校だとどんな感じなの?」
「うーん、佑の学校にいた時と変わらないかしらね」
「え、じゃあずっと寝てるの?」
「いや、授業はちゃんと受けるけど、他が一緒って感じかしら」
「じゃあ友達いないの?かわいそう」
「ぐ……佑に哀れまれるなんて、なんたる屈辱。でも、これには理由があるのよ」
「どんな?」
「皆に褒められたい、結果を出して認められたいっていう願望が強いからなのか、全員かなり周りに対して敵対的なのよ。かなり打ち解け合わないと友達にはなれないし、もうすでに二、三人でグループを作って固まってるから一度一人になったら終わりなのよ」
「でも圭は鴉田家だから、自然と人が集まったりしなかったの?」
「だったら友達がいないわけないでしょ。むしろその逆ね。どっちかっていうと鴉田家なのに全然できないのかよって陰で笑われてたと思うわ。て言わせんなし」
「あはは、ごめん。ところで、圭はうちの学校に転校したことになってるけど、すぐに元の学校に戻るの?」
「どうかしら。特に決まってないわね」
「だったらそのままウチの学校にいなよ。そんな息苦しいところよりも絶対楽しいよ」
「そうね……今はもう別に周りに勝ちたいだなんて思ってないし、あり……かな」
「やった!じゃあ僕も手伝うから、友達たくさん作ろう」
「いいアイデアね。頼りにしてるわよ」
「任せて」
僕達はその後もお喋りしながら屋敷の中を歩き、回り終える頃には外が暗くなり始めていた。
「ふぅ……足が疲れちゃったよ。こんなところに住んでるなんて考えられないよ」
「まあ慣れね。さあ、そろそろ準備もしなきゃ行けないだろうし、ご飯にしましょうか」
「わーい!もうお腹ぺこぺこだよ。ああでも、食堂は見当たらなかったけど、どこでご飯食べるの?」
「それはね……もうちょっとだけ歩くわよ」
僕達は屋敷を出て、すぐ隣の建物に入った。
「ここはウチに併設してる食堂とか銭湯とかがある建物よ。一般人でも入れるわよ。ちなみに、鴉田家の人は無料で使えるわ。佑もあたしが知り合いだって言ったら無料で使えるわ」
「いいの?」
「ゲストだからね。当然よ」
僕達は適当な席に座り、食事を始めた。
「なんか、すごい自由な感じなんだね」
「そうね。それに家族が多いからなのか、一家団欒みたいなのが全くないのよね。別に皆で遊びに行ったりしないし。行きたいなら仲良い人達で勝手に行けって感じなのよね」
「ああ……つまり、家の中でも、友達みたいなのを作んなきゃいけないってこと?」
「ええ。それであたしはご存知の通り素直じゃなくて人付き合いが苦手だから……」
「大体一人なんだね。なるほど、ここでそんな生活してたら寂しくって性格ひん曲がってちゃうのも頷けるよ」
「誰の性格がひん曲がってるですって?」
「やべ、口が滑った」
「覚えてなさいよ」
「あはは。お手柔らかにお願いします」
いつの間にか、圭へ初対面では言えないような事を言えるようになっていた。仲が深くなったというより、圭が変わった、という方が適してるように感じた。
食事を終え、僕達は銭湯に向かった。
「はい。これ佑の着替えね。フロントにもらったわ」
「いいの?なんかもらっちゃってばっかで悪いな」
「何言ってんのよ。あなたのお母さんにもとても良くしてもらったし、それのお返しだと思ってもらえればいいわ。あと、鴉田家の財力舐めないでくれる?これくらい出費のうちに入らないっての」
「ほんと?じゃあお言葉に甘えて」
「それじゃ、くつろいで」
風呂の中は屋敷に合わせているのか、木材を基調としており、視覚的にも心地良かった。
僕は風呂を上がった後、椅子に座って休憩していた。
三十分程経って、圭が戻ってきた。
「やばい。後ちょっとで出発時間みたいよ。急がないと」
「ええ?圭の風呂が長いせいじゃない?僕の二倍くらい入ってたよね?」
「はあ?女の子の入浴時間にケチつけるとかありえないんですけど。この長い髪を洗ったり乾かしたりするのに時間かけるのよ。他にも肌のケアとか、歯磨きとかして、これでも急いできた方なのよ?」」
「え、歯磨きしたの?」
「ええ、これからはそんな時間ないからね」
「僕してないじゃん。今からでも……」
「時間ないって言ったでしょ。ほら、行くわよ」
「ちぇ」
僕は渋々圭の後ろをついていった。
「あ、そうだ」
突然、圭が振り向いた。
「どうしたの?」
「イヤリング持ってる?」
「うん。持ってるけど」
「せっかくあげたんだから、一緒につけましょう?」
「いいね」
僕はイヤリングをつけようとした。
「これ、どうやってつけるの?」
「ええと、その留め具を外して……違う違う。もういい、あたしがつけるわ」
圭が迫ってきて、イヤリングをつけてくれた。
「よしできた。これで準備万端ね」
圭から、自然な笑みがこぼれていた。
外に出ると、車がすでにスタンバイされていた。その車はここに来る時に乗ったものよりかなりグレードが高く見え、圭の父の大きさを感じた。
「それでは行こうか、佑くん。あれ、その耳飾りは……どうしたんだい?」
「これですか?圭にもらいました」
「ふーん……」
圭の父は不服そうな顔を隠しきれていなかった。
やっぱり、今僕と圭が仲良くするのを良くは思ってないんだ。
それがわかるように、乗車した車の中の空気はひどく、とても気まずくなっていた。
僕はそれから逃れるために早々に目を閉じ、眠ることにした。
「佑くん、佑くん。ついたよ」
まだもう少し寝ていたいというところで圭の父に起こされた。隣の圭はまだ寝ていたので起こしてあげた。
車を降りて周りを見渡すと、そこは見渡す限り山の中だった。
「こっちだよ」
圭の父の後ろをついていった。
「こんなところにあったんだね」
隣の圭に話しかけた。
「あたしも初めてくるわ。でも、こうやって木々に隠れた場所にあるなら、見つかる心配がなくて合理的ね」
歩いていくと、奥の方に洞窟が見えてきた。その手前には小さな人だかりができている。きっとあそこが目的地だろう。
「ちょっと待っててね」
圭の父はそう言って、前の集団に混ざっていった。
少し経って、彼が一人の女性を連れてきて戻ってきた。
「彼女が桂さん。中を案内してくれるよ」
「桂月です。よろしくね」
「ルナさん。よろしくお願いします」
「よし、じゃあ行こうか。それと……」
圭の父が圭の方を向いた。
「圭、君はこの辺で待っててもらって……」
「は?何言ってんの?行くに決まってるじゃない」
「そうは言っても、これは子供の遊びじゃないんだ。どうかわかってくれないかな?」
「だったらどうしてあたしが行っちゃダメなの?逆に、お父さんが行かなきゃいけない理由はなんなの?案内だったらそこの桂さんがしてくれるんでしょ?」
これはなかなかだな。僕は黙って見守っていよう。
「わたしには一連の出来事を見届けなくてはならないんだ。それと、もしもの時に佑くんを導くことができる」
「佑がお父さんみたいに腹が黒い人の言うこと聞いてくれるかしら?それに、佑と一晩過ごしたあたしの方が上手くコミュニケーション取れるわよ?」
圭が挑発するように微笑んだ。
「いい加減にしなさい。あんまりわたしを困らせないでくれ。君の居場所がなくなっても知らないよ」
「居場所がなくなる?そんなの元からあったかしら?別に見放してくれたっていいわよ?明らかな差別をしたっていい。そうしたら鴉田家の名誉を汚すいいネタになるでしょうから」
「はぁ……何を言っても引き下がらないんだね?」
「もちろん」
圭は胸を張って答えた。
「わかった。ならわたしの代わりに行っておいで。実際、桂さんがいるから心配はいらないだろう」
「え……」
「それでは桂さん、申し訳ないけど子守をお願いします」
「はい、わかりました」
圭の父は軽々と来た道を戻っていった。
圭は拍子抜けしたのか、キョトンとしていた。
「マジ……?」
「よかったね。圭」
「うん……でも、なんかあっさりしすぎてたっていうか……」
「もしかしたら、あなたのお父さんは意外とあなたのことを考えていたのかもね」
ルナがこちらに寄ってきた。
「そんなことないですよ。あたしに酷いこと言ってたんです」
「だったら、それをお父さんなりに反省しているのかもしれないね。さあ、あまりグズグズはしてられないから、行きましょ」
僕達はルナとその周りの数人に続いて洞窟に入った。
「参考までに聞くけど」
中を歩いている途中、ルナが口を開いた。
「君はキャンドについてどこまで知ってるの?」
「えっと、それは人間を生贄に捧げないと世界を破壊してしまう爆弾で、作った人の子孫である僕が接触することでなくなるってことくらいです」
「ふむ。では、君が接触することで出てくるリスクはわかる?」
「ああえっと、政府の人は何が起こるかわからないから、僕と接触させたがっていないっていう話ですか」
「うそ、教えてもらってないの?」
「何がですか?」
「君とキャンドが接触して、拒絶されてしまったらキャンドは爆発してしまうんだよ?あの人教えてなかったんだ……信じらんない」
「それって結構、ヤバくないですか?」
その話を聞いて、唐突に鳥肌が立った。
「そうなんだ。これはリスキーな計画なんだ。それでも、君はやるのかい?」
「やります。ここまで来ちゃいましたから」
僕は腹が決まっていたので、即答できた。
「さらに責任重大になったわね。頑張りなさいよ、佑」
「うん」
僕達は隠し扉のようなものから研究所のようなところへ入り、監視の目を掻い潜りながら足を進めた。
「着いた。ここが制御室だよ」
そこには、周りよりも一際特別感を放っているドアがあった。
ルナはカードを取り出し、それを隣にある読み取り機にかざしてドアを開けた。
「あれ、あのカード……」
圭が呟いた。
「カードがどうかした?」
「ああいえ、なんでもないわ。行きましょ」
ドアをくぐって中に入った。目の前には沢山のモニターがついていて、その下にはボタンが沢山ついている機械があった。
これが天道都市の本体か。
ルナがそれを幾分触って、僕の方へ向いた。
「準備できたよ。ほら、おいで」
「はい」
僕は機械の元へ踏み出した。唯一光が灯っている画面があった。それを目の前にする。文字が浮かび上がった。
——アナタがゲンカイユウさんですか?
はいといいえの選択肢が出た。もちろんはいを押す。
——こちらに手をかざしてください。
手の形をした枠が出てきた。
これに手を置けば、終わるんだ。なんか、案外あっけなかったな。なんか、冒険っぽくアクシデントみたいのが起こったり、途中で道を阻むボスみたいなのが出てきたり、勝手にそういうのを期待してたのかも。まあ、こんなもんか。
僕は枠に手を置いた。画面からゲージが出てきてローディングを始めた。
気づくと、ルナ達は僕から離れて後ろから見守っていた。僕の近くには圭だけが残っていた。
どうしたんだろう。そんなことを思いながら画面に目をやると、もうゲージが埋まる寸前だった。
ゲージが満タンになった。すると突然、画面が真っ赤になって大きなアラームが鳴った。
「え!なに?これ?」
僕は動揺しながら後ろを向いた。
「これ、もしかして失敗した感じじゃない?」
圭が言った。
「じ、じゃあ……」
「爆弾が作動して、世界が終わっちゃうってことかしら?」
嘘だ。まさか失敗するだなんて思ってもいなかった。これは僕の責任?軽率な僕の。なんとか止める方法はないのかな。どうしよう。
しかし、僕の心と身体がともに荒ぶっているうちに、アラームが鳴り止んだ。
「と、止まった……?」
「嵐の前の静けさかしら?」
なんだか、圭はむしろ楽しそうに見えた。
「わかってくれた?」
さっきからずっと黙っていたルナが、やっと口を開いた。
「あなた達がしようとしているのはこういうことなんだよ?」
「ああ、なるほどそういうことか」
圭が落ち着いた様子で答えた。
「え?どういうこと?全然わかんないんだけど」
「つまり、桂さんは裏切ったってことよ。それで、今のアラームは偽物ね」
「そうなんですか?」
僕はルナの方へ向いた。
「まあ、そんなところだね」
「お父さんも詰めが甘いわね。こんなやらかししちゃって。あなた達は政府側に寝返ってたってことでしょ?」
「その通り。私達桂家はだいぶ昔から政府と意見が一致していた。しかし、私達と政府は源甲斐佑を探し出すことができなかった。やっとこうやっておびき寄せることができた。そうしてこの部屋に入れることができれば、あなたと確実に交渉、保護することができる」
「いや、拘束、捕獲でしょ」
圭が言った。
「上手いこと言うね。だけど佑くん。あなたはこのダミーの部屋でキャンドに拒絶される絶望を味わったでしょ?あなたとキャンドが接触すればこうなる可能性があるんだ。そんなことできるわけがない。リスクが大きすぎるんだ。わかってくれるね?」
「そう……ですね」
僕はルナの元へ歩き出そうとした。
「はあ……?佑、あなた何してんの?」
圭が僕の腕を掴んだ。
「何って、降参だよ。どの道、この状態じゃ絶対抵抗できないじゃん」
「何それ。つまんない。まっすぐあたしのために動いてくれたりとか、あたしを信じてくれたのはなんだったんだし。もうちょっと抵抗するとか、天道都市をなくしたいっていう意志を貫き通すとか、もっと色々あったでしょ」
「なんか……ごめん……」
確かにそれも一理あった。圭はきっと、僕に期待をしてくれていたんだ。それをこんなにすんなり諦めてしまったら、失望されてしまうのも無理はない。カッコ悪いな。
僕達はルナ達に囲まれ、部屋を出ようとした。その際、大人達は僕と圭の手に手錠のようなものをかけようとした。
「ちょっと!こんな大人数で寄ってたかってそんな束縛までしようとしてんの?信じられないんですけど。それが大人のすること?」
圭の抵抗のおかげでそれはされずに済んだ。
僕達はゆっくりと部屋を出た。その時、圭が耳打ちをしてきた。
「佑、あたしのこと、導いてくれてありがとう。すっごく嬉しかった。こんなあたしが、変わるきっかけをくれた。それでね……」
その後は、よく聞き取れなかった。
「ごめん、もう一回言ってくれる?」
「え、ああ、うん。えっと、それでね……今度は、あたしが導いてあげたいなって!」
「う、うん。ありがとう。でも、どうしてこんな時に?」
「そりゃもちろん、今やるからに決まってるでしょ」
「それってどういう……」
突如、圭が僕の肩を抱いた。
「あたしはまだ諦めてないってこと。見てなさい。今からこの状況を打開してあげるから!」
圭はポケットからルナが使っていたものと似たカードを取り出し、素早くそばにあった読み取り機にかざした。すると、読み取り機はビー、と音をたて、画面に『緊急移動プログラム』という文字が映し出された。
「やっぱり、真様はこの時のために、あたしにカードを託したんだわ!」
喜んでいた圭だったが、もちろん周りは黙っていなかった。
「あなた達、何勝手なことしてんの?」
大人達が、僕達にジリジリと近づいてきた。
「なんにも起こってないけど?ただ子供騙しなんじゃないの?」
「はあ?そんなわけ——きゃ!」
圭の言葉の途中で、僕達が立っていた床が唐突に消え去り、僕と圭はそのまま落下した。
中は真っ暗だったため、僕は数秒間、落下するだけの感覚を味わった。着地したところの元にはクッションのような緩衝材があり、怪我はしないで済んだ。
「やった!成功したわ!」
「本当に打開しちゃうなんて……どうしてこんなことができたの?」
「このカードをくれた人が、ピンチになったら使えって言ってたから、これだ!って思って。まあ、全然確証はなかったんだけどね」
「あんなに自信満々だったのに?メンタル強いね。失敗したらめっちゃ恥ずかしいことになりそうだけど」
「うまくいったんだからいいでしょ。それより、ここからどうしたらいいのか、考えましょ」
「それなんだけどさ、僕、怖いよ。失敗したら世界が滅亡しちゃうんだよ?」
「はぁ……確かに、あんな風に失敗する様を見せつけられたらそう思うのも無理はないわ。だけどね、成功した時の意義だって大きいの。あなたならできるって、確信してるわ」
「でも……」
「迷ってるの?」
「うん、まあ……」
「そんなのあなたらしくもない。あたしは……あたしはあなたのまっすぐなところが好きなのよ。だから、あたしのこと信じてよ!」
圭が僕の方を向いた。暗いながらも、目が合ったのがわかった。
僕はその目としっかり向き合った。あることに気がついた。圭の瞳の奥に、怯えのようなものが見られたのだ。
しかし数秒後、圭はそれを隠すためなのか目を閉じてしまった。
口ではいつも通り強気だけど、圭も心の中ではためらいがあるんだ。なのに、それを押し込んで僕を動かそうとしてくれている。期待に、応えてあげたいな。
「わかった。僕、行くよ。天道都市を、なくすよ」
圭はパチっと目を開けた。
「あ……うん。その意気よ。もし失敗しちゃってもあたしのせいにすればいいわ。あたしはお父さんのせいにしちゃうから!」
「うん。そうするよ」
僕が答えたのと同時に、周りの電気がついた。明るくなったことで、僕達はエレベーターのような室内にいることがわかった。
「なるほど……だから、緊急移動プログラムだったわけね」
圭が立ち上がり、中を見て回った。
「ここに、行き先のボタンがたくさんあるわ」
そこには施設のものであろう地図があり、そのところどころにボタンが重なっていた。
「きっと、僕達が押すべきなのはこれだよね」
僕が指差した場所、それは地図の中心、『本体』と書かれたボタンだった。
「ええ。心の準備はできてる?」
「もちろん。覚悟は決めたよ」
僕はそのボタンを押した。エレベーターが動き出す。そのまま一分くらい動いた後、ピンポーン、と音を立ててエレベーターは止まった。
扉が開いた。外に出ると、目の前には大きな円柱があった。
「これが天道都市の本体……さっきの部屋にあった機械とは程遠いスケールね」
「だね。それで、ここにもモニターがあるね。さっきみたいに、ここで認証を受ければいいのかな?」
「そうだと思う——うん?」
ドンドンと後ろから叩く音が聞こえた。
「後ろから警備の人が入ろうとしてるんだわ。幸い、このエレベーターが盾になってくれているみたいだけど、あんまり時間はなさそうね」
僕は急いでモニターを触った。ありがたいことに、画面はそれに応えるように容易に起動してくれた。
——あなたが、私の子孫ですか?
はいを押す。
——あなたの下の名前を教えてください。
画面上にキーボードが出てきた。ひらがなで『ゆう』と打ち込んだ。
——下のくぼみに、手を入れてください。確認します。
下を見てみると、確かに、手が入りそうなくぼみがあった。
「なんか、真実の口みたいね」
「何それ?」
「ああ……知らないのね……ならなんでもないわ」
僕はくぼみに手を入れた。中ではもぞもぞと何かが手を撫でてきて、少しくすぐったかった。
「確認が取れました。ありがとうございました。どうぞ、中へ入ってください」
手を引き抜くと、目の前の壁に亀裂が入って、奥から白い光が漏れ出てきた。中に入れそうだ。
「さすが、すごい機能ね」
「ワクワクするよね。さあ、入ろっか」
「ええ」
中へ入った。そこは外から見た通り、光に包まれた、非現実的な空間だった。
進んでいくと、ポツンと、一人の人間が立っていた。彼は生身ではなく、映像のようだった。
「これは……ホログラムかしら?」
「正解。いらっしゃい。私の子孫、ゆうさん。それから、君は鴉田のところの子だね」
「お……喋った。あなたが、源甲斐佑さんですか?」
「うん。そうだよ。よろしくね。それから、そっちの女の子も」
「鴉田圭です。よろしくお願いします」
「うん。佑さんを助けてくれて、ありがとうね」
「いえ、それほどでも……」
「見ていたからわかるよ。君がいたから、彼はここまで来れたんだ」
「見てたんですか?」
「うん。君が言った通り、僕はただのホログラムに過ぎない。実際はここの中枢の機械なんだ。だから、ここで起こったことは見て、記録してあるんだ。まあ、みずからなにか手を出すことはできないんだけどね」
「そうなんですね」
「うん。さて、ゆうさん。改めて、よくここまできてくれたね。君の名前の漢字はどうやって書くのかな?」
「えっと……にんべんに右です」
「そうなんだね。意味はわかる?」
「そういえば、知らないです」
「助ける。または助け、という意味だよ。今の君にピッタリだね。こうやって、世界を助けに来たんだ」
「世界を助ける……そうだ。僕は、受け入れてもらえたんでしょうか。それとも、拒絶されてしまうんでしょうか」
「ああ、それが一番、君達が気になるところだよね。では、本題に入ろうか。ちょっとだけ、話を聞いてくれるかい?私の話だ」
「はい」
「はい」
僕達は返事をした。
私、源甲斐修はフランスという国にいた研究者だった。まあ見ての通り、純日本人だが。フランスは私が研究者として活動していた時の、第二のホームという感じだったね。そこで私は、主に時間の研究をしていた。そこでの研究が煮詰まってきた頃、突如として世界が混沌とし始めた。詳しい説明は省くけど、世界中が戦争を始めたんだ。その被害は私のところにも届いてきた。
日本の子供から、たくさん身内が亡くなったという情報が来た。私の周りでも、知り合いが何人も亡くなった。私は心の底から、世界平和を望んだ。だから、私は残りの人生を全て費やして、ある計画を実行することにしたんだ。それは、世界が一つにならざるを得ないくらい脅威的な物を作って、世界を協力させ、平和にしようという計画だ。そうして作ったのがこの機械だ。世界を滅ぼしてしまう爆弾。生贄を捧げ続けないと爆発してしまう爆弾。順番はこうだ。まず、これよりも小規模な爆弾をフランスを消滅させ、世界を震撼させる。どうしてフランスを消滅させたかって?実は、フランスはその戦争の起点であり、主戦場だったんだ。だから、フランスをなくしてしまうのが、戦争を止めるのにも効果的だと思ったんだ。愛する国を手にかけるのは、とても心苦しかったけどね。続けるよ。そうして、この爆弾の脅威を世界に認知させる。そこから、私は世界中から生贄を要求し始める。幸いなことに、これがうまくいって、今の世界はとても平和みたいだね。生贄が人間である理由?そうだね。そこも説明しないとね。この計画を遂行するためには、もちろんたくさんの課題があった。人間を生贄にした理由は、その課題を解決するために必要だったからだ。その課題は主に二つ。一つは当時の人口増加による社会問題があったということ。当時、人口増加が原因で、様々な問題が発生していたんだ。よく考えたら、戦争の引き金となったのも、それかもしれないね。二つは世界が一度体制を整えたとして、その後に安定してそれを維持できるのか?ということ。これは歴史から学んだ教訓だが、どんな大国でも終わりがあるものなんだ。それと同じで、どんな完璧な体制を作ったとしても、いつかは終わりが来てしまうと、私は危惧したんだ。つまりどういうことかというとね、たとえ一時世界が平和になったとしても、時間が経てばそれが崩れてしまうのではないかと、私はそう思ったってことだ。この二つの課題がどう結びつくか?一つ目は簡単だね。人口が多すぎるのだから、単純に減らせばいい。だから、この機械で人間を生贄にして、人口のコントロールを行うことにした。二つ目は少し複雑だね。さっき、大国には終わりが来ると言ったけど、それと同時に新しいものもできるものなんだ。そしてそれには必ず、立役者が存在する。国のリーダー、革命家などだね。そこで、私は彼らのような危険因子がいなければそれが起こる可能性を限りなく下げられるのではないかと考えた。ではその危険因子を取り除くにはどうしたらいいか。まずは彼らがどういう共通点を持っているかを考えた。彼らは大抵の場合賢く、突出した能力を持っている。そして、一般とはかけ離れているものを持つことが多いとわかった。要するに、『極端に異質』ってことだね。このことから、私はそれに該当する人物を片っ端から生贄に選び、危険因子を取り除くように計画した。結果、人々の能力は均一化し、従順になっていったんだ。つい百年前、これによってあらかた危険因子が取り除けたと判断した私は、人口のコントロールのために高齢者を生贄にするという、今の状態に変化したんだ。
「すごい……なんて大きな規模……」
あまりに壮大な話に、僕は聞き入ってしまった。
「なるほど……だから使者を募っていたのね……」
「よく知っているね。こうして、君達もご存知天道都市という虚偽の存在を作って、世界は生贄を収集する体制をつくたんだ。そして嬉しいことに、計画は上手くいっている、と現状は言えるね。戦争はなくなり、人口はとても安定していて、年齢層のバランスも良い。能力による格差が少なくなったおかげで平等な生活レベルが実現し、貧困で苦しむ人もいなくなった」
「どうしてそう言えるんですか?」
「この機械は世界中に生贄を捧げてもらうための端末装置があるんだ。そこからの情報を得ていて、世界の実情をだいたい把握することができるんだ」
「では、どうしてうまくいっているのに、佑を呼び出したんですか?」
「うん。要点はそこだよね。私が佑さんを呼び出した理由、それは——」
僕は耳を澄ませた。
「それは、この世界が本当に正解なのかわからなくなったからだ。こうやって私が徹底管理した世界に、存在価値があるのだろうかと思ってしまったんだ。残酷なことを行い、成功したのに、それを価値がないと思ってしまった自分は、倫理観が欠けているのではないかと思ってね。だから、私の子孫である君に聞きたいんだ。この機械を消滅させるべきなのか、現状維持をすべきなのか、はたまた爆弾を起動させるのか……君はどうすればいいと思う?」
「僕が選ぶんですか?」
「うん。まあ、そういうことになるね」
あまりに自分の大きな役割に、僕は唇を噛んだ。
「わかりました。聞きたいんですけど、もしこの機械を消滅させたら、今とどう変わるんですか?」
もちろん、消滅させる選択を取りたいが、この人の話を聞いて、慎重に考えたいと思った。
「うん。きっと、さっき述べた問題が起こる確率が高まるだろう。戦争が起こる、人口が不安定になる、能力による格差が出てきて生活レベルが不平等になるとか、他にもたくさんある。逆に、より良くなるものだってたくさんあるはずだ。教育のレベルが上がり、皆が大学へ通えるようになるかもしれない。今の日本は国から仕事を割り振られているが、自分が好きな職業に就けるようになるかもしれない。未来のことだから、どうなるかはわからないけどね」
「つまり、今のリメイトの生活に近くなるってことかしら?」
「それは言い得て妙だね。それに伴って、おそらくリメイト自体がなくなってしまうだろう。思えば、リメイトにはお世話になったものだよ。ここの周りで何か面倒事が起きた時、いつも彼らが対応してくれたんだ」
「そうなんですね……」
僕は圭のことをいちべつした。リメイトのような世界になるということは、きっと彼女のように傷つく人間も増えるんだろう。
「もしそのままにするとして、爆発する危険性はあるんですか?」
現状維持という選択をする場合、一番のネックはこれだった。
「ないよ」
「え!ないんですか?」
「うん。じつを言うと、もとより爆発させる気はなかったんだ。一応、脅威を知らしめるために爆弾自体はあるんだけど、私も良心が残っていたみたいでね、人間だった頃に私単身では爆弾を作動させないようにプログラムしていたんだ」
「そうなんだ……よかった」
頭の中には、現状維持、という選択肢も浮かんできた。
「佑……あなたまさか、このまま何もしないで帰ろうってわけじゃないでしょうね?」
「話聞いたでしょ?ちょっと考えさせてよ」
「考える余地なんてないわ。あたし達鴉田家は五百年以上という途方もない年月をこの機械をなくすという目的のために費やしてきた。それがやっと叶うの。やっと、ここまで苦労してたどり着いたじゃない。あたしの前で、ちゃんと、天道都市をなくすって、言ってくれたじゃない!」
「そう……だけど……」
突然修がふふふ、と笑った。
「何がおかしいんですか」
圭がちょっと不服そうに聞いた。
「いや失礼、とてもうるわしい光景だ、と思ってね。迷っている佑さんに、圭さんが自分で決めたことをわがままに、がむしゃらに貫く姿勢。勇気を出して、佑さんを導いた姿はとても感銘を受けたよ」
そうだ。圭はここに来る前からずっと、勇気を出して気張ってくれていたんだ。それなのに僕は、一度決めたことについてまごまご悩んだりして、みっともないな。
「決めました。ここは、この機械は、なくなった方がいいと思います」
「うん。わかった。今の君達を見ていて思ったよ。私さえ消えれば、世界は良い方向へ発展していくだろう」
「自分がいなくなることが、悲しくは、怖くはないんですか?」
「いいや、私は機械だからね。そういう感情は排除できる」
「そうなんですね。それでは、ありがとうございました」
僕は深々と頭を下げた。
「ありがとう?どうして?私は感謝をされるようなことをしていないよ?」
「いいえ。形はどうであれ、あなたは今僕達が生きている時代を住みよくしてくれました。あなたのことはてっきり悪のラスボスかなにかと勘違いしてました。疑ってしまってごめんなさい」
「そんなこと言われるとは思わなかったな。君は良い子だね」
修は少し間を置いた後、咳払いをした。映像に咳は必要ないと思うので、きっと話を変えるための合図だろう。
「さて、本当なら今すぐ私の機能を停止させて、君達を帰したいところだが、君達にはやってもらいたいことがあるんだ」
「やってもらいたいこと……ですか?」
圭が不思議そうな顔をする。
「うん。さっき、私は元々時間の研究をしていたと言ったのを覚えているかな?」
僕達は頷いた。
「そして、その時間についての内容っていうのがタイムマシンを作るというものだったんだ」
「おお。完成したんですか?」
「うん。おかげさまでね」
「え!すごい!どこにあるんですか?」
「この施設内にあるよ」
「なら、タイムスリップできるんですか?」
「できるよ」
「さすが……その時代で一番と言われていた研究者ね。千年以上も前にタイムマシンを完成させていたなんて……それで、その話とあたし達にしてほしいことと何が関係あるんですか?」
「うん。私はここで起きたことをずっと観測してきた。その中で、タイムマシンを使わないと説明がつかない事象、特異点とでも言うべきかな、それを観測したんだ。私の他にタイムマシンを完成させたという情報は入っていないから、今の所私だけの技術なんだ。つまり今こんな風にして対面できるようにするには、私がこれから過去へ時間旅行をして特異点を作らないといけないわけだ。君達にはその手伝いをして欲しいんだ」
「ぜひ!」
僕はとてもワクワクしながら頷いた。
「圭は?」
「もちろん。そんな面白そうなのやらないわけないじゃない」
「うん。二人ともありがとう。で、この特異点が二つ。それぞれ説明していくね。まず最初に、これは私自身が作り出した特異点なんだけどね、佑さん。ここに入ってくる時何を聞かれたか覚えているかな?」
「モニターから聞かれたことですか?えっと、本人かっていう確認と、名前を聞かれました」
「うん。じつはこの中に入るためのパスワード、それは君の名前だったんだ」
「ゆう……ですか?」
「うん。私が目指した、ユートピアの先頭からとってゆうにしたんだ」
「だったら、ゆうとでも良かったのでは?」
圭が聞いた。
「僕が女の子でも大丈夫なようにじゃない?」
「うん。正解」
「ちぇ、佑に指摘されちゃったわ……」
圭は唇を尖らせた。
「そういうわけで、このまま放っておいても君が佑という名前になる確率は天文学的数字だろうし、名前が佑となるようにに君の名付け親に伝えなくてはならない」
「どうしてそんなややこしいことを?」
「未来から伝えれば、どこかに情報が漏れる心配がないからだね」
「なるほど」
「うん。それで、君の名付け親はわかるかな?」
「えっと、確か僕の名前をつけたのはおばあちゃんってお母さんが言って——あ!」
「どうしたの?」
「おばあちゃんは全部知ってたんだ!僕が使命を持っていたこととか、天道都市がどういうのなのかとか。だから元気がなかったし、失踪したんだ!」
「なるほど……確かに、そう考えるのが妥当ね」
「決まりだね。では、若き日の君の祖母のところに行って、天道都市のこと、孫にゆうという名前をつけてほしいということを伝えよう」
「はい!」
「続いて、今度は君の番だね」
修が圭の方を向いた。
「あたしですか?」
「うん。その昔、君の先祖である鴉田真さんと相宮みのりさんが来たんだ」
「ええ!」
圭のテンションがとんでもなく上がったように見えた。
「二人は使者に選ばれていたが、見事異変に気づいて、生贄になることを避けられたんだ」
「さすが高尚で聡明なお二人。そこから晴れて鴉田家初代のリメイトになって活躍するんだわ!」
「うん。だが二人が異変に気づいてここから脱出する際、おかしな物が映ってね。それが君がさっき使ったカードだった。相宮みのりさんはそのカードを使って、窮地を脱していたんだ」
「つまり、みのり様はさっきの緊急移動なんちゃらを使ったってこと?」
「いいや、緊急移動プログラムが備えられたのはそれよりも後だから、それ以前だとそのカードはマスターキーとして機能するよ。さっき読み取った時に中身を解析したんだ」
「何はともあれ、あたしがみのり様のところへ行ってこのカードを預けて用途を説明するってこと?本物に会えるんだわ!」
「申し訳ないが、最初、彼女はあのカードがマスターキーだということをわかっていなかった様子だったから、情報を与えないで、あのカードを渡しただけだと思うんだ。だから、対面はしないほうが良いと思う。あまり関わってしまうと、それはそれでタイムパラドックスが起きてしまうかもしれないからね」
「うそ。そんなの嫌よ!」
「圭、それで君自体がいなくなっちゃったらどうするのさ。ここはおとなしくいうこと聞いておこうよ」
圭はしばらく口をつぐんでいたが、しばらくして、諦めたようにため息をついた。
「はぁ……わかったわよ……」
「ありがとう。行こうか。ついてきておいで」
僕達は修の後ろを歩いて行った。周りがふわふわしているので、上下左右どう進んでいるかわからなかった。
歩いていくと、だんだん一つの扉が見えてきた。修が目の前に立つと、それが開いた。
「とりあえず、私が行けるのはここまでだ。とりあえず、二人にはこの先をまっすぐ行ってもらいたい。タイムマシンが見えてくるはずだから、そこまでいって、カバーを外して欲しい」
前にはさっきまでいた研究所のような廊下が続いていて、現実に引き戻されたような心地になった。
またしばらく歩いていくと、今度は黒色のシートを被った、とても大きな物体が目に入ってきた。
「タイムマシンって、これのことかしら?」
「そうだと思う。じゃあこれとって見てみようか」
二人でシートを取り払ってみた。物体の正体は大きな車だった。
「なんか……アンバランスな車ね」
その車は車体の割に乗車する空間が狭く、前方が長く伸びていた。
「仕方ないだろう?タイムマシンを詰め込んでいるのだから」
「うお、しゃべった。って修さん?」
「うん。この車体に意識を移したよ」
「なるほど、その姿では過去で何かアクションをするのは難しいから、あたし達に手伝ってほしいってことだったんですね」
「うん。そういうこと。さあ、中に入って」
中は二人乗りだからか思ったよりも席が広かった。
「今言った通り、これがタイムマシンだ。もちろん、車としての機能も備えているよ」
「車型のタイムマシン……なんだか映画かなにかありそうね……」
「え、もしかして知ってるのかな?私が生きていた頃に認知されていた映画に出てくるものを参考にしたんだが……」
「いや、全然知らないですけど。でも、確かにタイムマシンで車の移動能力がついていたら便利ね」
「では、一旦外に出てからタイムトラベルをしよう」
車のエンジンがかかった。
「これ、僕達は運転できないですよ?」
「ああ、私が運転するから大丈夫だ」
「一目につくときはどうしたら?中学生が運転してるって見られちゃいますよ?」
「外から見たら大人が運転しているように映像を出しておこう」
「すごい技術力ですね……」
言った通り、車はそのまま走って行き、次第に森の中へ出た。空はすでに、明け方になっていた。
「では、時間が近い方から、佑さんが生まれる前、二十年ほど前で良いかな?行くとしよう」
車のエンジンが大きく音をあげた。そのまま一分程経つと、徐々に周りが光に包まれていった。
光が消えていき、周りが見えるようになった。
「ついたよ」
見渡すと、そこは移動する前と全く同じ場所だった。
「え?何も変わってなくないですか?」
「まあ、ここは今までに誰にも入られたことのない場所だからね。変わっていないんだよ。それじゃ、この頃の君の祖母の住所を教えてくるかな?」
「確か、僕の家に昔から住んでたはずだから……」
僕は今の家と全く同じ住所を言った。
「了解したよ。では二人とも、到着するまでしばし休憩していてくれ」
「わかりました」
隣で圭があくびをした。
「あたし寝足りないから、ちょっとばかし寝るわね」
「僕もそうするよ」
目的地についたようなので、修に口頭で起こされた。時間はすでに、昼下がりになっていた。
「あたしは行かない方がいいかしら?」
僕が車から降りようとしているとき、圭が呟いた。
「そうだね。なるべく余計なことはしないほうがいい。佑さん、一人で大丈夫かな?」
「はい。頑張ります」
僕は家がある場所に向かって歩き出した。歩きながら街を見渡した。どうやらタイムスリップしたのは本当のようで、そこは自分の知っているはずの街だったが大きく違和感があった。
家についた。それは僕の時代と何一つ変わっておらず、安心感を覚えた。
僕はインターフォンを押す心の準備をするために家の前で棒立ちしていた。
「あの、どうかされましたか?」
振り向くと、そこには紛れもない、おばあちゃんがいた。僕が知っている彼女より幾分若いが、見間違えることはないだろう。
「おばあちゃん……なんか、久しぶりだね……」
「え?何を言ってるんですか?」
「僕は未来から来たあなたの孫なんです」
「は……?」
おばあちゃんは口を大きく開けて硬直していた。
当たり前の反応か。どうやったら信じてくれるだろう……そうだ。
僕は手当たり次第、おばあちゃんについて知っていることを言ってみた。
「どう?少しは信じてくれたかな……?」
「うん……確かに、どことなく息子に似ている気がするし、本当に孫なのかもしれないけれど……どうして私に会いに来たの?」
「それはね……」
僕は天道都市のこと、僕の使命のこと、孫の名前をゆうという名前にして欲しいということを伝えた。
「天道都市が……そうだったんだ……」
「きっと、五年程後にお母さんに子供ができると思うんだ。それが本当だったら、僕のこと信じて、ゆうって名前にしてね」
「わかった。未来の私はあなたと上手くやれてたかな?」
「もちろん!おばあちゃんはすごく優しくしてくれたよ!大好きなんだ!」
「それは良かった」
「うん。ありがとう!おばあちゃん。じゃあね!」
僕は手を振っておばあちゃんと別れた。
なんか、意外とあっさり終わったな。帰ったらおばあちゃん見つかるかな。天道都市もなくなるわけだから、まだ一緒に暮らせるよね。
僕は車に戻った。
「どうだった?」
圭が身を乗り出して聞いてきた。なぜか、圭がさっきよりも元気になっているように見えた。
「大丈夫そうだったよ」
「よし、次は圭さんの番だ。相宮みのりさんが天道都市に行く前の一週間、約六百年前に行くよ」
「かなり飛びますね……」
そのせいなのか、再び行ったタイムトラベルではそれなりに時間がかかった。
「よし、成功だ。ここが六百年前だよ」
流石に、外の様子は全く違った。
「このまま、相宮みのりさんの家の近くまで行くよ」
「場所がわかるんですか?」
「彼女は使者に選ばれていたからね。個人情報が登録されているんだ」
不思議と、移動にはほとんど時間がかからなかった。
「もうついたんですか?」
「ああ、君の街と同じところみたいだよ」
「すごい偶然ね」
「ね。で、今度は僕がお留守番だね」
「いいや、ついてきて」
「どうして?」
「だって、今から人の家に不法侵入してこのカードを置きにいくのよ?協力してちょうだい」
「そう聞くと結構難しいね」
「でしょう?ほら、行くわよ」
僕達は修に正確な位置を教えてもらい、そこへ向けて歩き出した。途中、圭が歩みを止めた。
「どうしたの?」
「コンビニ寄ってもいい?このカードに手紙を添えたいんだけど、そのための便箋が欲しいのよ」
「いいよ」
僕達はコンビニに入った。思いがけず、それはなかなか楽しいものだった。
「見て!これ売ってるよ!五百年以上前から売ってたんだ。これ」
「ほんとね。でもほとんどは知らない商品ばっかりでワクワクするわね」
予定にはなかったが、かなりの間長居してしまった。
「あ、ちょっと待って」
便箋、ペン、カードと便箋を入れるための入れ物を持って会計をする時、圭が硬直した。
「なに?」
「お金使えるかな……」
「そっか、今のお金使えないかもしれないのか。死活問題じゃん!」
案の定、お金は使えなかった。
「大丈夫?」
どうにかならないかと立ち往生していると、後ろから声をかけられた。声の主は、三、四十代くらいの女性だった。
「お金が使えなくて、ちょっと困ってて……」
「なら、私が払う?」
「え……でも、悪いですよ」
「何言ってんの。あなた達子供でしょ?助けさせてよ」
彼女はそう言って、半ば強引に会計を済ませた。
「あの……ありがとうございました」
「いいっていいって。そんなことより、二人はどういう状況なの?学校は?みのりと同じ学年かしら」
「え!みの——」
僕は圭の口を塞いだ。ここは僕が話した方がいいだろう。
「みのりさんっていうのは娘さんですか?」
「ええ。ちょっと不良な子なんだけどね」
「そうなんですね。じつは僕達、とある理由で旅をしてまして……今日はずっと歩いてきてヘトヘトなんです」
厚かましいとも思ったが、目の前の人が目的地の住人かもしれないという幸運を逃すわけにはいかないと思った。
「あら、だったら少しウチで休んでいく?」
「え!いいんですか?」
少し罪悪感を覚えたが、計算通りだ。
「良いわよ。じゃあおいで」
僕達は彼女についていった。
「でかしたわ。佑」
圭が耳打ちしてきた。
「でしょ。もしこの人が本当にそのみのりさんのお母さんだったらさ、圭と血が繋がってることになるね」
「そうね。ひいひいひいひいひいひいひいひいひいひいおばあちゃんくらいかしら」
「だったら、修さんは僕のひいひいひいひいひいひいひいひいひいひいひいひいひいひいひいひいひいひいひいひいおじいちゃんくらいかな」
「なんでそこ張り合ってくるのよ。ひいひいうるさいわ」
話していると、家に到着したみたいだった。そこは圭がメモしてきた住所と場所が一致しており、表札を確認すると、しっかり『相宮』と書いてあった。
「さあ、入って入って」
「お邪魔します」
僕達は椅子に座らせてもらって、その上お茶とお菓子まで出してもらった。
「二人はどうして旅をしているの?」
彼女がようやくという様子で質問してきた。
「えっと、ある場所を探していて……」
間違いではないよな。
「そこはどの辺にあるの?」
「えっと、もう確かこの近くにあるって……」
というか、ここなんだけど。
「そうなんだ。二人は中学生?」
「はい。中三です」
「学校はサボってきちゃった?」
「まあ、そうですね」
「そうなんだ。さっきも言った通り、うちにもサボりがちで手が掛る娘がいるの」
「へえ、どんな感じなんですか?」
「なんというか、無気力?何にもやらないでぼーっとしてるの。怒っても無視するし……」
「そうなんですね」
圭がとても尊敬していたものだから、てっきり立派な人だと思っていた。
「どうしたら良いか迷ってるのよね。同じ年代としてわかることとかない?」
「あの!」
さっきまでだんまりだった圭が声を出した。
「きっと、みのりさんは……今は力が出せてないだけで、本当はすごい能力の持ち主なんだと思います。だから、みのりさんが何かに目覚めるまで、長い目で見守ってあげたら良いと思います」
「そうなのかしらねぇ……でも、親心としてはとっても心配だから、何かしないとって思っちゃうのよ」
「うーん、そしたら……みのりさんのことは好きですか?」
「それはもちろん」
「だったら、それを伝えるだけでいいと思います。応援しているということを、伝えてあげてください」
「うん……ありがとう。参考になったわ。そうしてみるね」
「はい!頑張ってください!」
みのりさんに対しては、本当に正直だな。
「それじゃ、私はちょっと家事してくるから、思う存分ゆっくりしてってね」
彼女が席を外した。
「ビンゴだったね。じゃあ早速、手紙を書こっか」
圭は便箋とペンを取り出し、手紙を書き始めた。
「あ、ちょっと待って」
すぐに、僕が引き止めた。
「なによ?」
「この頃は鴉田じゃなくて相宮じゃない?」
圭は宛名に鴉田と書いていた。
「あ、本当だ。ナイス」
圭はそこをぐりぐりと塗りつぶし、隣に相宮と書き直した。
「相宮実様、突然で申し訳ありませんがお願いがあります。このカードキーを持っていってください……と」
「なんかさ、今更なんだけど、こういうの、ありなのかなあ」
「どういうこと?」
「だって過去を変えたのは僕達なんでしょ?それなのに、その変えた過去からヒントを得ていて……なんというか、そんなことができるのかなって。うまく説明できないや」
「あー、言いたいことはわかるわ。要するに、あたし達がすべき行動がわかるってのが気持ち悪いってことでしょ」
「まあそうだね」
「パラドックス的な何かね。きっと、過去が先に起こっているからとか、そんな感じよ。よく考えたってあたし達には理解できないんだし、うまく言ってるならいいじゃない」
「それもそうか」
圭は続きを書こうとしていたが、その手は止まっていた。
「うーん、書くことは書いたし、あとは何書こうかしら、あんまり余計なこと伝えちゃいけないって言われてるから……どうしましょ」
「シンプルなのでいいんじゃない?」
「そうね。頑張ってください。そして、ありがとう。大好きです、と。さあ、行きましょう」
カードと手紙を入れ物に詰めて、僕達はみのりの部屋を探し始めた。
「みのりさんのお母さんに見つからないようにしないとね」
僕達は忍足で家中を回った。
「ここじゃない?中学校の教科書とかあるし」
「そうね。ならこの辺に……」
圭は入れ物を机の上に置いた。
「よし、じゃ早いところ帰ろっか」
「いや、ちょっと待って。せっかくここまできたのに何もしないなんて……無理よ無理。せめて何か……そうだ!」
圭は突然、隣にあったベットに飛び込んだ。
「むふぉ……これがみのり様の匂い……素晴らしい」
圭はものすごい勢いでベッドに体を擦り付けた。
「えぇ……」
圭は僕の軽蔑的な視線をモノともせずに体を動かし続けた。圭はそれを、僕の体感で五分以上続けた。
「ふう……満足したわ。そろそろ行きましょうか」
圭は何事もなかったかのように立ち上がった。
「よくそんな切替できるね……」
「あんまり褒めないで」
「褒めてないよ!」
今度はみのりの母を探すために、家中を歩き回った。
「あら、もう行っちゃうの?」
「はい。ありがとうございました。この御恩は忘れません」
僕達は家を離れ、修の元へ戻った。
「では、現代に戻ろう。お別れの時間が近いね」
「ええ、そうね……」
圭は突然、寂しそうな顔をした。
みのりさんに会いたかったのかな。
「ねえ、やっぱりみのり様を見に行ってもいいかしら。見るだけ!見るだけだから!」
まるで僕が思ったことが聞こえたかのように、圭は言った。
「うーん、まあ見るだけなら。佑さん、同行して圭さんを制御してくれないかな」
修は渋々と言った感じで答えた。
「わかりました」
「よし!じゃあ行くわよ」
「どうやって見に行くの?」
「そりゃもちろん、家の前で張り込みよ」
「えー、大変そうだな……」
僕達は適当な場所に隠れて、家の前でみのりが帰ってくるのを待った。
しゃがむのにも足が痛くなって飽き飽きしていた頃、やっとみのりらしき人物が歩いてきた。
「——んぐ!」
圭が雄叫びを上げるのは知っていたので、先に口を塞いでおいた。
「声抑えて」
「うん……あれが本物のみのり様……なんと麗しい!顔、プロポーション、歩き方に至るまで全て完璧だわ!それに——」
だんだんと声が大きくなってきたので、再び彼女の口を塞いだ。しかし声が聞こえてしまったのか、みのりは辺りを見渡した。しかし、幸い僕達には気づかないようだった。
圭は目を輝かせていたが、みのりはあっという間に家に入ってしまった。
「ああ、もう終わりね……でも満足したわ!」
しかし車まで歩く途中、圭は浮かない顔をしていた。
「どうしたの?元気なくない?」
やっぱり、話とかしたかったのかな。
「いや全然?もう思い残すことはないわ」
そう言って彼女ははにかんだが、それはどこか、空元気に見えた。
現代に帰ると、空はすでに薄暗くなっていた。
「佑さんの家は先程行ったところだったね」
家の目の前まで送ってもらった。
「じゃあ、報告とかはあたしの方で済ませとくから、今日はここでお別れね……」
「もう遅いし、またウチに止まっていったら?」
圭が寂しそうだったので、引き止めてみた。
「いや、あたしはまだ仕事が残ってるのよ」
「なに?」
「じつはまだ、私の機能は完全に停止したわけじゃないんだ。だから、圭さんに私の電源を落とす手伝いをしてもらわないといけないんだ」
修が口を挟んだ。
「なら僕も行くよ」
「大丈夫よ」
「本当に?」
「うん。大丈夫だから」
「だったら、なんで泣いてるの?」
「えっ」
圭は顔を触って自分の涙を確認した。
きっと何かあるんだ。そうに決まってる。
「もしかして、その仕事って危ないんじゃないの?」
「……」
その沈黙は、はいと言っているようなものだった。
「だったらなおさら僕も連れていってよ!水くさいじゃん。最後まで、最後まで一緒にいようよ!」
「……最後まで、一緒に……」
圭がギュッとまばたきをした。
「いやいや、ダメよ」
「なんで?これまで楽しいのも辛いのも一緒に味わってきたのに。急に背負い込もうとしないでよ。僕、どんなことでも圭と共有したいよ!」
「……やめてよ」
「やめないよ。圭は僕のことたくさん助けてくれたんだ。僕が圭を助けるのは当然じゃないか」
「やめなさいよ!」
圭が僕に迫ってきた。
「聞こえなかったみたいだから言わせてもらうけどね——」
圭はある言葉を僕の耳に放った。
「だから余計、あなたにはきてほしくないのよ」
返す言葉が見つからなかった。そう言われて、何か言い返せるのだろうか。
「大丈夫よ。絶対帰ってくるわ。絶対」
圭の顔はすでに、涙だらけでくしゃくしゃになっていた。
「信じて、大丈夫なんだね?」
声が震えた。涙をもらっていることに気がついた。
「もちろんよ。必ずまた出会えるわ」
「うん。わかった!じゃあまたね。バイバイ!」
「ええ。また!」
僕は圭を信じることにした。なぜなら、彼女は言葉の前に一度も深呼吸をしなかったから。
「では修さん、圭をお願いします。さようなら」
「うん。君とはここでお別れだね。世話になったよ」
圭が車に乗り込み、車はゆっくりと発車した。
僕は涙を拭き取りながら、離れゆく車を手を振って見送った。圭が無事に帰ってくるように。ただそれだけを、胸の中で祈りながら。
「ふぅ……」
私は車の中で、大きく息をついた。
「本当に、一緒に行かなくてよかったんだね?」
「ええ。佑にはもう、何にもとらわれずにいてもらいたいんです」
「そうか……申し訳ないね。辛い思いをさせて」
「平気です。別に、悲しいことばっかりじゃないですよ。どうせなかったことになるから言いたいことも言えたし」
「そうなんだね。ならば行こうか。長い旅路になるよ」
「ええ」
私はイヤリングを外して、それをギュッと握った。
佑、私達、繋がってるよね。
私を乗せた車は、永い間、暗闇の中を走り続けた。
「……うん。そんな感じで頼むよ」
私は佑が祖母と会っている間、車の中で次に行く未来で私がするべきことの打ち合わせをしていた。
「今から話すことは、提案というか、私の野心なのだが……」
「なんですか?」
「私はこれから、私自身を、つまり爆弾をなかったことにしようと思うんだ。もっと言うと、当時に起こっていた戦争も一緒に終わらせたい」
「いいじゃないですか。でも、どうしてそんなことをあたしに?」
「そんな軽々と言われても困るんだけど……私が言っているのは、一度この世界を無かったことにして、それから、超壮大で、超危険なミッションに挑もうということなんだ」
「ああ……そういうことですか。ですが、可能なんですか?修さんは車の体ですし、そんなんじゃ行動しようにも走ることと喋ることくらいしかできないですよね?」
「うん。だから、君に一緒に来て欲しいんだ」
「え!あたしが?」
「うん」
驚いたが、私はその提案に前向きだった。
「いいですね。ここまで来たからにはとことんやりましょうよ」
「うん……」
乗り気な私とは反対に、発案者であるはずの修の返事は曖昧だった。
「どうかしたんですか?」
「えっと、そうだな、きっと、君はあまりよくわかっていないで答えているんだと思う。さっきも言った通り、これは一度この世界を無かったことにして、危険な、命懸けでことに当たらなければならないということなんだ。つまり、佑さんとの今までの思い出が全部消えて、死ぬかもしれない中で動かなければならない、ということなんだ」
「な……」
確かに、考えてみればそうか。
「なら、一旦佑が帰ってくるまで待って、それから——」
「そのことなんだが、私は彼が同行するのを推奨しない。だから、君と二人きりの時に話したんだ」
「どうして?」
「彼は良くも悪くも、純粋でいい子すぎる。今回の場合はそれが悪く出て、彼は足手纏いになってしまうと思うんだ。私よりも君の方が彼と過ごした時間が長いから、よくわかるんじゃないかな」
「確かに……」
修の言っていることは、痛い程よくわかった。
「それに、無事成功して帰ってくることができればまた彼に会うことができると思うよ」
「でも、今までの思い出は消えちゃうんですよね」
佑と私の逃避行も、佑が私の誕生日を祝ってくれたことも。
「だったら、別に彼を一緒に連れていったって構わない。しかし、最悪の結果を招く可能性があることは留意してもらいたい」
「そう……ですよね……一応、聞いておきますけど、あたしが行かないって言ったら?」
「その場合は私一人で行くよ」
ならば、どのみち世界は変わってしまうのだろう。だったら、選択肢は一つしかなさそうだ。
「わかりました。行きます。佑を置いて。あたし一人で」
修は少し間を置いた後、答えた。
「……恩に着るよ」
しばらくすると、佑が戻ってきた。
これから、この世界線の佑と最後の時間になる。だから、しっかり元気に楽しもう。
よく考えたら、思い出は消えないな。私の中にあるもの。忘れちゃったら、また作ればいい。佑と私は、再び出会うんだから。
「よって、国際連合の常任理事国はアメリカ、ロシア、イギリス、中国、フランスの五カ国からなります。では、今日の授業はここまで。このまま帰りの会をしますね」
先生が板書を消した。
「明日は転校生が来ますね。楽しみですね。では、さようなら」
下校のチャイムが鳴った。
クラスの皆が立ち上がり、それぞれ集まっていく。僕の元にも帰り道が同じで親友の務が話しかけてきた。
「帰ろうぜ、佑」
「そうだね」
僕達は帰路についた。
目の前に、一人の少女が現れた。彼女は腰に手をついて、堂々と立っていた。なぜか、その佇まい、顔、耳飾り、全てに懐かしさを覚えた。
彼女は不敵に笑みを浮かべながら、口を開いた。
「久しぶりね。佑」