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時の伝書鳩  作者: 夜光哉文
第一編
3/54

第二部・下


 「それじゃ、行ってきます」

 相宮実とその家族は、玄関で向かい合い、別れの挨拶を交わした。皆、笑顔だった。当日、見送りをするなという要求があったため、家族が来られるのはここまでである。

 みのりは扉を開ける。振り返り、家族の顔を目に焼き付けて、家を出た。

 ——行ってきます。

 今一度、みのりは心の中で言った。

 昨日の写真と謎の木箱を含めた、思い出の詰まったバックを背負いながら、みのりは地図を睨んでいた。

 ——随分と人気のないところに集合するんだな。ああ、そうか、鴉田が天道都市の場所は完全非公開とか言ってたか。それなら、見送りができなかったり、戻って来られなかったりするのも理解はできる。

 集合場所にたどり着けるか不安だったみのりだが、大きなバスを目印に、案外簡単に合流することができた。

 「遅いよ、相宮。おはよう」

 真が歩き寄ってくる。

 「……おはよ」

 「随分とテンションが低いね?こんなめでたい門出に」

 「もともとこう。昨日は演じてただけ」

 「そういえばそうだったね。まだ少し引きずってるのかと思ったよ」

 「それもあるけど……鴉田は引きずってないの?」

 「もう大丈夫かな。切り替えは大事さ。ところで、そのシュシュ……」

 「ああ、これ?」

 みのりは夏帆と買ったシュシュを触った。

 「華やかで綺麗だね」

 「でしょ?ワンポイントは派手な方がいいんだ」

 夏帆の言葉を借りた。

 「あの、相宮みのりさんですか?」

 真っ黒な服を着た女性が話しかけてきた。

 「はい、そうですけど」

 ——他にも同じ真っ黒な服着た人いるし、スタッフの人かな。

 「では、本人確認をしますので少々お付き合いお願いします」

 彼女はみのりの生年月日や住所など、簡単な質問をした。

 「ありがとうございました。それでは、全員集まりましたので、バスに乗車をお願いします」

 荷物を渡し、バスに乗り込む。中はかなりゆとりがあり、椅子もふわふわとしていて座り心地が良かった。

 「すごい高級な感じだね」

 「歓迎されてるんだよ」

 「いいのかな、何もしてないのに」

 「何もしてないのは君だけさ」

 「ぐ……それ結構心にくるんだって」

 周りの人々の並々ならぬ様相を見て、さすがのみのりも少し引け目を感じていた。

 全員が一通り席に着くと、スタッフの一人が前に立ち、話し始めた。

 「皆様、本日は天道都市の派遣ということで、誠におめでとうございます。今からこちらのバスで向かうわけですが、ご存知の通り、天道都市の場所は国家機密となっています。それにともない、皆様に協力していただきたいことがほんの少しございます。まず、携帯電話の使用はお控えください。次に、移動中はこのアイマスクをしていただきます。何卒、よろしくお願い致します」

 スタッフは、黒いアイマスクを配り始めた。それと同時に、バスのカーテンを閉めていった。

 ——なるほど。徹底してるな。

 みのりは感心しながらアイマスクをつけた。例に漏れずそれも質が良く、とてもつけ心地が良かった。

 「それでは、出発します」

 バスがゆっくりと動いた。

 「これは要するに、寝ろってことだよね?」

 隣に座っている真が言った。

 「そうじゃないかな」

 「昨日ワクワクして全然寝れなかったからちょうどいいや」

 「私はたっぷり寝てきたからどうだろ」

 無論、みのりは爆睡した。居眠りは彼女の得意技である。出発から三分で夢の中だった。

 次に二人が起きたのは、昼食を兼ねた休憩の時だった。

 「お手洗いは外にありますのでご利用ください」

 真が席を立った。

 「先トイレ行かない?」

 「いいよ」

 外は他に車一つない、森の中のパーキングエリアだった。

 「ここ、どこなんだろう」

 真が携帯電話を取り出す。

 「あ……圏外だ」

 「携帯電話の使用はお控えください」

 トイレの前に立っていたスタッフが真に言った。

 「そうでした。すみません」

 バスに戻った二人は、配られた弁当を食べ始めた。

 「これ……半端なく美味い!」

 真が目をキラキラさせる。それは、二人が今まで食べてきたどの弁当よりも上等だと言い切れる物だった。

 二人は一心不乱に食べ進めた。しかし途中、真が手を止めみのりの方を向いた。

 「なあ相宮、つかぬことを聞くけど、俺のこの椎茸入りの煮物と君のそのカツを一切れ交換するつもりはないかい?」

 みのりはため息をついた。

 ——どうも、私の周りは嫌いなものを押し付けてくる奴が多いな。

 「それ、本気でいけると思って言ってるの?」

 「いや、だって君残してるから……」

 「好きなものは取っておく派なだけ。ほら、それ食べてあげるから。苦手なんでしょ、それ」

 「ああ……うん、ありがとう」

 真が少し照れくさそうな顔をする。彼の箸からみのりの弁当箱へ煮物が移された。それを口へ運ぼうとした時、みのりの頭の中には関節キス、という言葉が浮かんだ。

 ——いやいや、もう十五歳なんだから、こんなの普通だから。気にしない、気にしない。

 気にしたみのりだった。

 「目的地にはあと少しで到着します。ですので、アイマスクはつけなくて大丈夫です」

 バスは再び走り出し、薄暗いトンネルに突入した。そこは緩い傾斜になっており、地下に向かっていることがわかった。

 トンネルの突き当たりには駐車場があり、バスはそこに駐車した。

 「皆様、お疲れ様でした。この後、軽い集会がございますので、移動の方をよろしくお願いします」

 みのりは荷物を受け取ると、緊張と高揚が混ざったような様子の真を横目に、スタッフの後ろについて行った。スタッフは白く重厚なドアの前に立ち、金属チップの入ったカードキーを取り出すと、側にあるカードリーダーにかざしてドアを開けた。その先には、真っ白なタイルが続いている、いわゆる研究所、というような雰囲気の廊下が続いていた。

 「うおー!すげー!」

 真は幼い少年のように言った。

 「別に騒ぐほどすごくないでしょ……」

 ——ここのことについては、憧れきってるんだな。それだけすごいこと……なんだよね。

 未だ、天道都市の価値については曖昧だった。

 それから、二人はしばらくその中を歩いた。中は迷路のように入り組んでおり、何度も左へ曲がったり、右へ曲がったりして、みのりにはもう駐車場に戻れそうもなかった。

 少し足に疲れが見え始めた頃、二人は円形で体育館ほどの広さの大広間に出た。真ん中にはとても太い円柱が立っており、それは天井が見えないほど高く続いていた。

 奥に見えるドアが開いた。そこからぞろぞろと白衣を着た人達がこちらへ歩いてきた。よく見ると、日本人でない、様々な人種の人々が大勢混ざっていた。

 彼らがこちらへ着くと、集団の中心を歩いていた三十代くらいの、メガネをかけた女性が口を開いた。

 「皆さん、ようこそ。ここの所長をしています、桂律です。どうぞ、短い間ですが、よろしくお願いします」

 彼女はクールなトーンで言った後、会釈をした。

 「さて、この施設についてですが、ここは使者に選ばれました、皆さんを天道都市へ転送するために存在する場所です。転送、と言いましたのは、今から見てもらいます、あそこにあるものを使って移動をしてもらうためです」

 彼女は円柱を指差した。すると、そこに模様のように入っていた溝が開き出し、丸い空間を形成した。中は白と青の光が渦巻いていた。

 「これは、瞬間空間転移装置、いわゆるワープ装置です。これらを作動させ、メンテナンスをするのが我々研究員の仕事であり、皆さんを無事天道都市へ送り届けるのが使命です」

 まるで漫画や映画かのような状況を前に、みのりも含め使者達はおお、と声を上げた。

 「はい、ありがとうございました。出発は明日の朝を予定しております。ですので、只今から皆様が今日宿泊されるお部屋の方へご案内いたします。

 みのり達は、入ってきた通路を後戻りし、再び何度か左右へ曲がった後、番号が書かれたプレートがついた扉の並んだ廊下に導かれた。スタッフは、施設に入ってきた時のようにカードで扉を開け、一人ずつ使者達を中へ入れていった。

 「こちらが、相宮様のお部屋でございます」

 真の次に、みのりの順番が回ってきた。

 ——こいつが隣にいるのか……。

 考えようとしたのも束の間、みのりの意識は他へ移ることとなった。それは部屋の中のことで、殺風景な外とは打って変わってとてつもなく豪華な内装に目を奪われたからだった。しなやかで彫刻のような造形美の椅子。見るからに座り心地が良さそうなベッド。みのりの家の二倍の大きさはあろうかというスクリーン。それぞれが暖色の照明に包み込まれた一体感のある部屋は、さながら一流ホテルのようだった。

 「それでは、ご夕食時になりましたら再度お呼びいたしますので、ごゆっくりお過ごしください」

 「はあい」

 テンションの上がっていたみのりは、その言葉を聞き流し、早速ベッドに飛び込んだ。

 「ふおぉ……」

 期待を上回るベッドの感触に、みのりは顔をうずめた。それから三分後、満足したみのりはむくりと起き上がった。

 ——さて、夕食の時になったら呼ばれるとか言ってたけど、それまで何しようか。暇だし、あいつの部屋でも行ってやるか。

 しかし、部屋のドアは閉まっていた。みのりは外と同じカードリーダーに目をやる。

 ——そっか。カードがないと行き来出来ないか。まあ、向こうとしてはうろつかれても迷惑だよな。

 みのりは若干の閉塞感を感じながら、渋々部屋の奥へ戻った。

 ——となると、残った選択肢はテレビくらいか。

 テレビをつけると、画面には『受信不可』の文字が映し出された。

 ——そういえば圏外じゃん、ここ。

 「え?じゃあ何のためにあんの、これ」

 思わず声が出たみのりだったが、チャンネルを回していると、一つだけ番組を放送しているものを見つけた。

 「何このアニメ……学校探偵タケル?とりあえず、見てみるか……」

 三十分後、みのりの顔は困惑に満ちていた。

 「何これ…….」

 みのりからすると呆れ返るほど単純なストーリーだったそのアニメは、彼女にとって時間の無駄だったと思えるほどつまらないものだった。

 「はあ……もういいや」

 彼女はテレビを消すと、椅子に座って背もたれに体を預けた。そのまま、彼女は天井を見上げ、大きく息をついた。

 ——最近忙しかったから、久しぶりだな。こうやってぼうっとするの。

 以前は当然のように過ごしていたこの時間が、ひどく懐かしく感じた。

 ——まさか、こんなことになるなんてな。

 目に映る非日常の風景が、さらに実感を無くした。

 ——でも、私以外の人は、使者に選ばれたのを噛み締めるみたいに、活き活きしてる。まるで自分に心酔しているかのよう。私は完全にアウェーなんだよな。もちろん、やる気はあるつもりなんだけど……なんか違うんだよな。

 そこまで考えたところで、このままではネガティブになってしまうと思い、みのりは考えるのをやめた。

 それから数時間、みのりがちょうど空腹を感じてきた頃に、戸は鳴った。

 「相宮様、ご夕食の支度ができましたので、お部屋の外までおいでくださいますよう、お願いします」

 玄関からカチッと音が鳴る。

 ——すごい敬語しっかりしてるよな。そんなに敬われる覚えはないけど。

 そんなことを思いながら、みのりは外へ出た。

 スタッフに案内された食堂の中では、料理人が目の前で調理をするバイキング形式で食事が用意されていた。

 「おーい、相宮ー」

 すでに席に着いている真が手を振る。彼の皿にはすでに料理が盛られていた。

 みのりは真の隣に座る。

 「口に食べカスついてるよ」

 「ええ?こりゃ失礼」

 真が紙ナプキンで口元を拭く。その間に、みのりは真の皿の中を覗いた。

 ——肉料理ばっかり。こいつ、結構子供っぽいところあるよな。

 「ほら、君もとっておいで。昼のお弁当より美味しいよ」

 「ああ、うん」

 みのりは野菜、肉、魚などをバランスよく皿に盛り付け、席に戻った。

 「いただきます。ん、本当に美味しい。でもなんか、やっぱり申し訳なくなるな」

 みのりは料理を飲み込み、呟いた。

 「どうして?」

 「やっぱり、私は何にもしてないから……」

 「ああ、そうだったね。大丈夫、俺達はこれから貢献をするんだから。君も頑張るつもりなんだろ?」

 「そうだけど……」

 ——やっぱり、すごい自信だよな。

 「ところで、鴉田って向こうでやりたいことっていうか、特にできる事ってないの?」

 「うーん、そうだな、もちろん得意なのは勉強だけど、その中でも理科とか数学みたいな理系科目が得意だね。だから、将来的には、科学者みたいな方面に進もうと思ってるよ」

 「具体的には?」

 「なんだろう……プログラミングとか面白そうだなって思ってるけど。そう言う君は?」

 「私はまだ全然かな……寝るのは得意なんだけど」

 「何それ」

 音楽をやってみたいと言うのは、少し恥ずかしかったので濁した。

 「ふう……食った食った。俺、ちょっとトイレ行ってくるね」

 先に食べ終えた真は、部屋に付属しているトイレに向かっていった。

 真の姿が消えると、場内にはアナウンスが流れた。

 「——使者の皆様にご連絡です。お食事が終わりましたら、ご入浴の時間となりますので、入り口の方まで、お集まりください——」

 程なくして、真は席に戻ってきた。

 「ただいま。なんか放送あったみたいだけど、なんだって?」

 「次はお風呂だから、入口に集まってだって」

 「わかった。ありがとね」

 そう言って真は席を離れた。みのりもすぐに食べ終え、入口へ向かった。

 「着替えはこちらの方で用意しますので、どうぞごゆっくりおくつろぎください」

 スタッフの言葉を背に、浴場に入る。中には大きな浴槽に加え、泡風呂やサウナ、水風呂など様々なものが用意されていた。

 みのりは入浴する前に体を洗っていた。すると、みのりと同年代かそれより少し上くらいの人物が話しかけてきた。

 「隣、いいですか?」

 「ああ、はい」

 二人は少しの間、静かに体を洗っていた。

 「お名前、何て言うんですか?ああいや、突然ごめんね。ここに来てからほとんど人と喋ってなかったから、お話ししたいなって」

  ——途中から敬語やめたな。

 「えっと、相宮みのりです。あなたは?」

 「私は樋口冬。みのりさんは何をして選ばれたの?モデルとか?」

 「い、いや、そんなんじゃなくて……本当に何にもしてないんですけど……」

 静かに否定したみのりだったが、彼女は確かに、モデル、という言葉に顔を綻ばせた。

 「えー、そんなはずないでしょ。まあ、言いたくないことって誰にでもあるもんね」

 二人は体を洗い終え、湯に浸かった。

 「冬さんは、どうして選ばれたんですか?」

 「私は、ある文学新人賞で最優秀賞を取ってね、本を出したんだ」

 「そうなんですね。ちなみに、どんな本ですか?」

 冬香の言ったタイトルは、それなりに本を読んできたみのりでも知らないものだった。そんなみのりの様子を見て、彼女は言葉を付け加える。

 「まあ、知らないか。私もまだまだだなー。足集利莉愛って名前でやってるんだけど」

 ——あしゅりりめ?すごい名前だな。

 「みのりさんは何もしてないって言ってたけど、向こうに行ってやりたいことみたいなのはないの?」

 「えっと、私、音楽がちょっとできるかもしれないなって思ってて」

 真の前では言えなかったことが、彼女の前では言えた。

 「冬香さんはやっぱり小説……ですか?」

 「もちろん!向こうで一番の小説家になってみせるんだ」

 みのりはそんな彼女の横顔を見る。

 ——この人も同じ、自信に満ちた目をしてるな。

 それから、みのりは冬香が高校二年生であるということ、天道都市へ行くために恋人と別れたということなど、何ということはない会話を交わして風呂から上がった。脱衣所に出ると、至ってシンプルで、真っ白な着替えが用意されていた。

 「それじゃあね。おやすみ」

 白い服に身を包んだ二人は廊下で挨拶をする。

 「明日、九時頃にお呼びします。朝食を摂った後、そのまま天道都市の方へ向かいますのでよろしくお願いします。それでは、ごゆっくりおやすみください」

 部屋に戻ったみのりは、一直線にベッドへ駆け込んだ。

 ——モデルと間違われちゃった。

 みのりはニヤニヤしながら、シーツを顔へあてがう。

 ——ああ、もうこれ以上ないってくらい、胸がいっぱいだな。今、本当に幸せ。

 しばらくの間、その時間を噛み締めた。

 ——幸せ……幸せ…………幸せ?本当に?

 一人の時間が、彼女をネガティブにした。

 ——いいや、幸せなのは間違いない。だけど、やっぱり違和感だらけだと思う。でも、他の皆は使者に選ばれたっていう達成感と自惚れに夢中で気づいてない。気づいたとしても目を逸らしている。

 みのりは体勢を起こす。

 ——まず、一度向こうに行ってしまったら連絡が取れない、というのは絶対的におかしい。選ばれてから一週間で出発っていうのも変だ。余裕がなさすぎる。それに、場所が非公開っていうのも、こんなに高待遇なのも、この部屋から出られないことだって……いや、それよりも私には、もっと決定的な物がある。

 みのりは荷物から例の木箱からカードと紙を取り出し、天井にかざした。

 ——このカードと紙は私が選ばれる前に私の元にあった。カードは、色は違えど金属チップが入っていて、スタッフ達が持っていた物とどこか似ている。私がどうなるかわかっていてなおかつ、どうすればいいか導いてくれているみたいだ。どうしてこんなことが起きているのかはわからない。だけど、とりあえず、試してみようか。

 みのりは玄関に向かい、カードリーダーにカードをかざした。すると、ドアがカチッと音を立てた。

 ——本当に開いた。

 これにより、みのりの中で手紙に対する信用がさらに深まった。

 そのまま、彼女は廊下に誰もいないことを確認し、外に出た。

 みのりは隣の部屋の前に立って、戸を叩いた。

 「はい、何ですか?」

 中からの声は真のものだった。

 それがわかっていたみのりは、そのまま驚くこともなくカードキーをカードリーダーにかざす。同じように鍵が開いたドアを開けると、そこには目を大きく見開いた真が立っていた。

 「相宮!どうして君がここに?」

 真にカードを見せつける。

 「なんか拾った」

 説明が面倒だったので、適当に誤魔化した。

 「まあ、大体事情はわかったよ。それで、何か用?」

 「いや、特にはないんだけど……」

 ——紙には他に何か書かれてなかったし、どうしようか。

 数秒の沈黙の後、真が口を開いた。

 「そうだな、じゃあここを探検してみない?」

 「ええ……バレたら大変そうじゃない?」

 「いいじゃん、スリリングで楽しそうだよ」

 「うーん、まあ何とかなるか」

 「よし、じゃあ決まりね」

 二人はひとまず、部屋が連なる廊下を抜けた。そこで、みのりは一つの心配事が頭に浮かんだ。

 「そういえば、帰り道覚えてる?迷子になる気がするんだけど」

 「大丈夫、俺の記憶力を持ってすれば心配不要さ」

 「ああ、そうですか」

 一応、真を信じてみることにした。

 十数分の間、二人は変わり映えのしない通路を歩いた。

 「ねえ……もう戻らない?なんにもないし」

 「うん……そうしようか……いやちょっと待って、静かに」

 真がみのりの肩を抑える。みのりの体は目の前のわかれ道に差し掛かろうとしていた。

 「な、なに?」

 「左側から足音する。バレたかも」

 真が囁き声で言った。

 みのりもその場にとどまり、聞き耳をたてる。聞こえた足音はコツ、コツ、と響く。音は二人に近づくにつれペースが早まっていく。それにつられ、二人の鼓動も加速する。しかし、音は突然、二人がいるほんの数歩前にして止まった。

 「……のぞく?」

 みのりが真に顔を向ける。

 「いや……やめとこうよ。待ち伏せされてるかもしれないし」

 そんな真の声にはお構いなしに、みのりは通路の角から身を乗り出した。

 「おい……」

 真も渋々、みのりの後ろから身を乗り出す。二人の視界の先では、黒い服を着たスタッフの男と白衣を着た研究員の女が抱き合っていた。

 その景色に気まずさを覚えたみのりだったが、それはすぐに違和感によってかき消された。男は泣いていたのだ。それも歯を食いしばり、とても悲しそうに。女もこちら側からは顔は見えないが、泣き声を漏らしていた。

 彼らは少しの間その状態を維持した。やっとのことで離れると、男はポケットから厚みのある封筒を取り出し、女に手渡した。

 ——あれは……お金かな。つい最近もらったやつ。

 女は封筒の中身を確認すると、男と一緒に目の前にある扉を開けて中に入っていった。

 終始重苦しかった雰囲気は、二人が去った後も尾を引いており、いたたれなくなったみのりと真は来た道を戻ることにした。

 「あれ、なんだったと思う?」

 みのりが前を向いたまま真に問いかける。

 「俺はお別れの一幕っぽく見えたけどね。ああ、そっちじゃなくて左ね」

 みのりは真っ直ぐ行こうとしていた。

 ——ちゃんと道覚えてやがる。

 「ねえ、ここってなんかおかしいところ多くない?さっきもなんか賄賂みたいなの渡してたし」

 「ええ?別にそんなことないでしょ。あれだってきっと、二人は恋人で、男の人の方は今日で退職で、その退職金をお裾分けしてたとか、そんなんだよ」

 「でも、それくらいのことであんな泣き方するかな」

 「ここはすごい離れたところにあるし、長い間会えなくなるからだよきっと」

 「うーん、そうかなあ……」

 「そう、考えすぎさ」

 みのりは腕を組み、唇を尖らせた。

 ——こいつはちょっと呑気すぎる。カードと紙のこと言ったら変わるかな。いや、信じてくれなさそうだよな。私の考えすぎなのかな。

 考えている途中で、みのりは部屋に到着し、就寝した。

 

 次の日、相宮実は午前七時半に起床した。時間に余裕はあるので、そのままベッドで天井を見つめる。三十分程そうした後、スッと起き上がり、洗面台へ向かった。そこで歯磨きや洗顔を済ませ、髪を結う。完成した自分の顔を鏡で見つめて、両手で自分の頬を軽く叩いた。

 ——もちろん、昨日の諸々は気になる。だけど、それも全部杞憂に終わればいい。なんだかんだで、楽しみだ。

 一晩の睡眠が、みのりを前向きにしていた。

 それから、みのりは呼び出しが来るまで、持ってきていた寄せ書きを読んで過ごした。

 「相宮様、おはようございます。鍵は開けておきますので、準備が出来次第、お部屋の外へお願いします」

 みのりは急いで寄せ書きをしまい込み、荷物を持って部屋を出た。

 昨日と同じ食堂、同じ形式で朝食を済ませ、使者達はワープ装置のある広間に向かった。そこではすでに装置の扉が開いており、その前にはスタッフと研究員がずらりと並んでいた。

 「おはようございます。ついに、出発ですね。皆さんの旅路に、幸運が訪れることを願っています」

 昨日と同様に、桂律が話を進めた。

 「さて、皆さんは今からあの光の中に飛び込むわけですが」

 彼女がワープ装置の入り口を指差す。

 「得体の知れない機械に飛び込むのは不安な方もいるでしょう。したがって、皆さんが安心して入ることができるよう、今からスタッフ一人に見本としてゲートを通過してもらいます」

 彼女が言い終えると、一人の男のスタッフが装置の入り口に向かってゆっくりと歩き出した。その背格好は、みのりには何となく見覚えがあった。

 男は入り口の目の前にたどり着く。彼はそこで、こちら側を向いた。

 ——昨日の夜に見た人だ。

 男の顔を確認して、みのりの中の大きな不安と不吉な予感が、一気に蘇った。

 「向こうでは、彼が迎えてくれますので、そのまま彼の指示に従ってください。それでは、通過をお願いします」

 男は昨日とは打って変わって、とびきり爽やかな笑顔で手を振る。それは、昨日の彼の様子を見たみのりからはひどく不気味に映った。そこから、彼女は一つの推測を経て、身の毛もよだつような凄まじい恐怖を、感じ取った。

 ——あれは、今際の笑顔だ。

 危機を感じたみのりは、一目散に出口を目指して走り出した。当然、それは周りの人間の注目を集める。

 「どうかされましたか?」

 スタッフの一人が声を掛ける。

 「え……あ……」

 その場にいた人間全員の視線に、みのりは固まってしまった。

 「相宮、どうしたんだよ?待ちに待った出発だろ?」

 真が前に出て手を差し出す。

 ——どうしよう。どうにかして逃げないと。でも、動けない。怖い。

 みのりは拳をグッと握った。

 ——みのりの決めたことだったらなんでも応援するから。だから、自分が正しいと思うことをしなさいね。

 母の言葉が、時間差で背中を押してきた。

 ——お母さん、応援しててね。

 みのりは顔を下に向ける。強く目を瞑り、荒く深呼吸をする。決心する。

 みのりは真の手を引っ張り、全力で出口へ向かった。

 「お部屋に忘れ物しちゃって!とってきます!」

 ——ああでも、どうやって部屋開けるんだろう。

 自分で言っておきながら、相手側の疑問が浮かび上がった。しかし、そんなことは気にせず、みのりは真と広間を出た。

 「おい、ほんとにどうしちゃったんだよ!」

 出口の自動ドアがしまったところで、真がみのりを引き留めた。

 「見たでしょ!あの人!昨日あんなに泣いてたのにあの笑顔はおかしいでしょ!」

 「だから!あの人の行先が天道都市だったってだけだって!」

 「絶対違う!それに、他におかしいことだってたくさんあるの。後で説明するから、今は逃げないと!追っ手が来ちゃう!」

 真がみのりの肩を抑える。同時に、彼は深呼吸をした。

 「一旦落ち着けって。本気……で言ってるのか?」

 「うん、本気。信じて」

 みのりは真の目を見る。

 数秒後、真は頷いた。

 「わかった。それで、逃げるってどこに?」

 「ここを出る。扉はあのカードで開くはず。出口までの道覚えてる?」

 「多分大丈夫。やるってなったら俺も本気出すから。もう引き返せないよ?」

 「うん。ありがとう」

 「よし、じゃあついてきて」

 真が走り出した。みのりも彼の後ろをついて行った。

 みのりは走りながら、大きな安心感と喜びを感じていた。

 ——一人じゃきっと出口まで行くのも苦労するだろうし、何より、周りから見たら明らかにおかしい私の行動を信じてついてきてくれた。よかった。

 二人は続けて走る。その間、みのりには気になることがあった。

 「……もうちょっと早く走れない?」

 「いや……勘弁してよ……」

 真が息を切らしながら答える。そんな彼に、みのりは笑い声を上げた。

 「ちょっと!ふざけてんの?」

 「ごめんごめん。でも、真面目な鴉田より笑ってる私の方が速いよ」

 「くっそう……」

 みのりが急かしたり茶化したりしながらも、真はしっかりと出口の扉へみのりを導いた。

 ——やっぱこいつ、記憶力すごいな。

 少し緩んでいた気持ちを切り替え、カードを取り出した。

 緊張感を漂わせながら、カードリーダーにカードキーをかざす。

 ——お願い。開いて。

 みのりの願いは叶い、扉が開いた。

 「よし、このままトンネルを抜ければ……」

 みのりがバスで通ってきたトンネルに入ろうとした時、真が彼女の手を掴んで引き留めた。

 「ちょっと待って。一旦、あのバスの後ろに隠れよう」

 真が駐車しているバスを指差す。

 「なんでよ」

 「多分だけど、向こうはもう異常を察知して俺達を探してると思うんだ。もちろん、ここにいるとは思われてないだろうけど、念の為こっちまで来ると思う。もし、車で追いかけられるなんてことがあったら、俺達は確実に捕まっちゃう。だから少し落ち着くまで隠れてよう」

 「確かに……わかった」

 真の考えに、素直に感心した。

 二人はバスの裏に身を置く。真は扉を見張っており、みのりはその後ろでしゃがんでいた。

 しばらくの間、みのりは真の背中を見つめる。少し痩せたその背中が、今はとても頼もしかった。

 「……みや、相宮」

 「え?ああ、なに?」

 「俺の言った通り、スタッフが車に乗っていったじゃん。見てなかったの?」

 真がドヤ顔を決めている。

 「ごめん、ぼーっとしてた」

 「ええ?君が言い出したんだろ?しっかりしてよ」

 「いや、一人じゃないって思うと、安心しちゃって」

 「あ、ああ、そうなの……」

 真は目線を逸らした。

 「それはいいとして、早速着替えよう」

 「は?なんで?」

 みのりが驚きと困惑の顔をする。

 「考えたんだけど、これから俺達は通ってきた道を戻るわけでしょ。つまり、最初に辿り着くのはここから一番近い街なわけ。そこはここと繋がりがあるかも知れない。てことは、脱走者が出たっていう情報がすでに入っててもおかしくない。そうなると、この格好してたら、一発でバレちゃうでしょ」

 「それを先に言ってよ。でも、それは一理ある。やるじゃん」

 「だろう?それじゃあ……」

 「でも私、着替えないな……」

 昨日来ていた服は、そのまま置いてきてしまった。

 「うーん、そうだな、俺の着替えはまだ何着かあるから、それでもいい?」

 「うう、まあしょうがない……」

 真は荷物から服を取り出しみのりに手渡す。

 「ええ?半ズボンにTシャツしかないの?」

 「帽子もあるよ」

 真が追加で帽子を渡す。

 「はあ……」

 「もう、そもそも君が着替えを持ってきてないのが悪いんだろう?」

 「でも、何もいらないって書いてあったから……」

 「僕だってそう思って最低限しか持ってきてないんだよ。というか、怪しいと思ってたらその辺の準備はすべきなんじゃなくて?」

 真が楽しそうに言った。

 「……着替えよう」

 みのりは諦めたように言い、お互い背を向けて着替え始めた。

 「……ねえ、もし本当に私の考えすぎで、ただ私達が脱走しただけだったらどうする?」

 「そうだな、もうやっちゃったものは仕方ないから、その時は全力で土下座しに行こう。もちろん、君も一緒だよ」

 「そうだよね……」

 「え?もしかして自信ない?」

 「いや!そんなことない。絶対おかしいんだから」

 「頼むよ。俺も巻き込んだんだから」

 「うん……わかってる」

 みのりはほんの少し窮屈な服を着替え終え、今度は真に変わって見張りを始めた。

 数十分後、車が戻って来た。二人はスタッフがいなくなったのを確認しトンネルへ向かおうとした。

 「ちょっと、着替え置いて行ったらここにいたことがバレちゃうじゃないか」

 真がみのりの着替えを回収する。

 「ああ、ありがとー」

 みのりは真をおいて先を歩く。

 「もう……」

 真はみのりの着替えを素早く片付け、彼女の後を追った。

 二人はトンネルの中を並んで歩く。

 「ねえ、さっき言ってたおかしいことっての教えてよ」

 みのりは真にカードと紙のこと、これまでの疑問などを説明した。

 「なるほど……それは確かにおかしいと思っても無理はないね。でも、どうしてあのタイミングで逃げ出そうと思ったの?」

 「さっきも言ったけど、あの人の笑顔、なんかスッキリしすぎてて不気味だったから……」

 「ふむ、そこは結構主観なんだね」

 「そうなんだけど、それが私の中で立てた仮説の決定打になって……」

 「仮説、というと?」

 「あの機械の先では、人が死んでいるんじゃないかって」

 真は驚いた顔をする。

 「ええ?それは話が飛躍しすぎじゃないか?」

 「よく考えてみて、向こうに行ったらもう二度と連絡が取れないんだよ?それなのに、一週間しか期間を与えられてない上に、どこに行くのかもわからない。その理由もろくに説明されてないし、その考えに行き着くのも自然じゃない?だから、あれは死に際の笑顔だと思ったんだ」

 「まあ、わからなくはない……けど、それをする理由がないじゃないか。優秀な人達を手に描ける理由が」

 「逆に、言わない理由もないでしょ?なら後ろめたいことがあるんだよ」

 「それもそうか……それで、これからどうする?」

 「うーん、まずはどこかに避難したいけど、そのままのこのこ帰るわけにもいかないよな……」

 「そうだね。人が死んでるかもって話をしておいて、そのままほったらかしにするのもおかしな話だよね。とりあえず、ここを抜けたらバスや電車でここから近い大きめの都市に移動しよう。もし追われたとしても、それなら簡単には見つからないよ」

 「わかった。そこでどうするか考えよ」

 その後、二人はしばらく口を結んで歩いた。

 二人は一時間ほど歩き、やっとのことでトンネルを抜けた。

 「流石に疲れた……」

 みのりが力ない声で呟いた。

 「そうだね……そろそろ行きで止まったパーキングエリアに着くだろうから、そこで休憩にしよう」

 二人はパーキングエリアに到着すると、まずは用を足しにトイレに向かった。

 みのりは用を足した後も、疲労した足が動かずしばらく個室に籠っていた。すると、外からぞろぞろと足音が聞こえてきた。

 みのりは動揺しながらも息を殺した。

 ——きっと使者の人達だ。二日連続できてるってことは、もしかして毎日なのかな。そうすると、もし私の予想が合ってたら今までどれだけの人が犠牲になったんだろう。

 みのりは耳を澄ませ、中に人がいなくなった後、バスが発車する音が聞こえるまで、個室の中で待機した。

 外に出たが、周りに真の姿は見当たらなかった。そこで、みのりは男子トイレの入り口で声を出してみた。

 「鴉田、バス行ったよ。いるなら出てきて」

 言い終えると、凄まじい勢いで一つの個室のドアが開き、真が出てきた。

 「あっぶなかったなー!毎日来てるなんて思いもしなかったよ。でも、逆に他のタイミングだったら確実にバレてただろうから、結果オーライだったね」

 「確かに。そうかも」

 「でも、あの弁当思い出しちゃったなー。一つ盗みたいくらいだったけど」

 「呑気だな……人里ついたらまずはご飯だね」

 「そうだね。よし、そうと決まれば出発だ」

 それから、二人は再び歩き出した。

 足の疲れが最高潮に届く寸前、ようやく見えてきたのは限界、と呼べるような集落だった。

 「やっとついたけど、すごいところに出たな……」

 「だね。でも、ここなら携帯が繋がるから安心したよ」

 真は携帯電話を覗く。

 「随分な僻地に来たみたいだね。それで、ここを抜けるには——そうだな……ここには電車は通ってないから、まずはバスで近くの駅まで移動しよう」

 「わかった」

 二人はバス停に行き、寂しげに一つだけ置かれているベンチに腰をおろしながらバスを待った。

 「ちょうど後十分くらいで来るみたい。逃したら次は三時間後だよ。運がいいね」

 真が携帯電話を触りながらながら言った。

 「よかった。ところで、バスってどうやって乗るの?」

 「ええ?とんだ箱入り娘だね」

 「おそらく私とその言葉は対極だと思うけど……」

 真はみのりにバスに加えて電車の乗り方についても説明を始めた。

 真の話が終わった頃、二人の隣に一人の年老いた男が座ってきた。

 「あんたら、見ない顔だな。どっから来たんだい?」

 真は被っていた帽子を深く被り、みのりにも同じことをした。

 「ちょっと乗るバス間違えちゃって、今から戻るところなんです」

 真がいつもより低い声で言った。

 「おお、そうかい。こんな田舎にきちまって運が悪いねえ。ところで、隣にいるお嬢ちゃんは坊やのお姉ちゃんかい?」

 「いや——」

 「あ、はい。そうです」

 みのりがいつもより高い声で言った。遮られた真は不服そうな顔でみのりを睨んでいた。

 バスが到着し、二人は並んで席に座った。

 「さっきなんであんな嘘ついたんだよ」

 真が不貞腐れ気味に言った。

 「はたから見たら私の方が大人に見えたみたいだったから。そんなことで怒ってたら余計子供に見られるよ?」

 みのりが楽しげに言った。真はばつが悪そうに唇を尖らせた。

 「でも実際、鴉田って結構背が低いよね。私より少し小さいくらい?」

 「別に低いわけじゃない!君の背が高いんだよ。それに俺の方が高いし……たぶん」

 「じゃあ、バス降りたら背比べしよう?」

 「いやだね」

 「それは敗北宣言と同じだけど」

 みのりは笑顔で真に顔を向けた。

 眠りについていたみのりが目を覚ましたのは、バスが目的地の駅に到着した時だった。真に起こしてもらい、下車をする。彼と背を比べようとしたが、ことごとく拒否された。

 二人は近くにあった飲食店に入り、遅めの昼食を始めた。

 「さて、これからのことだけど、まず電車に乗って言っていた大きめの都市に行く。その後はどうしようか」

 先に皿を空にした真が言った。

 「うーん、まずは宿泊するところの確保じゃない?というより、それしかできないと思う」

 「それなんだけど、俺達二人ではホテルとか入るのは難しいと思うんだよね」

 「そっか、中学生だけじゃ泊まれないか。ましてや、いかにも中学生な見た目の鴉田が一緒だし」

 「……」

 真が俯いた。

 「ご、ごめん。まあつまり、ホテルはダメもとで、他の手段を考えようってことだね」

 真が顔を上げる。

 「……そうだね。とりあえず、野宿は嫌だから……」

 「民泊させてもらうってのが第一候補だね」

 「うん。だから、まずは泊めてくれそうな言い訳を考えよう」

 「そうだな……家出しきたって言うのは?」

 「普通の大人なら家に帰そうとするだろうね……」

 「親が蒸発したって言うのは?」

 「すぐに警察とかに連絡が行くだろうね。あっという間に嘘ってバレちゃうよ」

 「うーん、じゃあどうしよう」

 「引越しの途中なんてのはどうだろう。両親は荷物を運ぶために車で行って、俺達は電車で行って合流するはずだったんだけど、財布を失くして引越し先に行けなくなった。両親の迎えを待つにも、明日までかかりそう。だから、宿泊できるところを探してるって感じで」

 「それは確かに良さそうだけど、親に連絡とか入らない?」

 「そうなったら親に正直に事情を話すのもやむを得ないかな。その時は相宮、君の両親に連絡してもらってもいいかな?」

 「わかった。やっぱり、頼りになるね」

 その言葉は、とても自然に出たものだった。

 「え?あ、ありがとう……」

 真がもじもじしている間、みのりは上を向いて真のプランを咀嚼していた。

 「……でも待って、引越しってことは、必然的に私達は兄弟って設定にならない?」

 「確かに……それは考えてなかったな……」

 我に帰った真と物言いたげなみのりの目が合い、沈黙が流れた。

 「……わかったよ。弟ね弟。じゃあちゃんと君が説得してね」

 「別に何も言ってないけど」

 「でもそういうことでしょ?」

 「そう。正解」

 「はあ……」

 真はまたも悔しそうな顔をした。

 二人で電車に乗ろうと切符を買おうとしている際、真は財布を覗きながら眉を顰めていた。

 「あんましお金がないな……」

 そんな真を見て、みのりはふと思い立ち、母からもらったお金を取り出して彼に見せつけた。

 「お母さんにもらったんだ。こんな時だし、使わせてもらおう?」

 「もちろん、君がいいなら。お母さんに感謝だね」

 「うん。これがなかったら詰んでた」

 二人はちょうど混んできた電車に揺られ、目的地に到着した。外はすでに薄暗くなっており、二人はその足で近くのホテルへ向かった。

 「ここからはお姉ちゃんって呼んでね」

 ホテルの入り口でみのりが冗談混じりに言った。

 「はいはい……」

 真はもううんざりだ、という顔をして答えた。

 みのりはフロントへ恐る恐る声を掛ける。

 「す、すみません、今から二人宿泊したいのですが」

 「はい、少々お待ちください……一つ空き部屋のツインが見つかりましたので可能ですよ」

 ——お、もしかしたらいけるかも。

 「ですが、未成年の方だけではご宿泊できません。親御様の同意込みでご予約を入れてもらえれば話は別ですが……」

 ——やっぱりか。まあ、粘れるだけ粘ってみよう。

 「わ、私十八歳ですけど」

 みのりは声を上擦らせながら行った。

 「年齢を確認できるものはございますか?」

 「えっと……ないな……」

 「でしたら——」

 「ちょっと待ってください」

 みのりが諦めかけた時、隣で様子を見ていた受付の男が言葉を遮った。

 「お二人はご姉弟ですか?」

 「あ、はい。私が姉で、彼が弟です」

 「そうですか。まあ、お客様は十八歳にも見えますし、今回だけ特別に宿泊を許可します」

 「え?あ、ありがとうござます!」

 意外な展開に、みのりは喜びと驚きが混ざった声で答えた。

 その後、二人は簡単に受付を済ませ、部屋へと向かった。

 「ラッキーだったね」

 みのりが呑気そうに言う。

 「うん、良かったけど、俺が考えたプランが無駄になったのは少し悲しいな。それにしても、どうしてあの人は許可をくれたんだろう」

 「私の大人の演技が上手かったんだよ」

 「いや、たじたじだったよ」

 「まじか……恥ずかし……」

 「だから不思議だよね。うーん、謎だ……」

 

 みのりと真が過ぎ去ったフロントにて、最初に二人を相手していた受付の女がもう一人を睨んでいた。

 「先輩、なんであんなことしたんですか?どう見ても十八歳には見えなかったじゃないですか」

 「うーん、青春を応援したくなったから?」

 「真面目に答えてください」

 「大真面目なんだけどなあ……俺、明日でやめるじゃん?だから、ちょっとくらいルール違反してもいいかなって。もちろん、理由はどうであれ、あそこで引き止めるのは俺達大人の仕事だよ?でも、最後くらい子供達の青春の手助けをする大人になりたいなー、て」

 「バレて大目玉喰らうのは私なんですからね」

 「それはまあ、退職祝いくらいに思ってさ……」

 「あーあ、せっかくこの前欲しいって言ってたやつ、退職祝いにあげようと思ってたのになー」

 「できればそれももらえると……」

 彼は女の前で手を擦り合わせた。 


 みのりと真が部屋がツインだということの重要性に気づいたのは、二人が部屋に着いてからだった。

 「一緒の部屋で寝るのか……」

 気まずい空気が流れる。

 「と、とりあえず、色々済ませようか」

 二人は、荷物を整理したり、風呂に入ったり、無心でやるべきことを済ませた。

 「さて、じゃあこれからについてだけど」

 二人は椅子に座り、買ってきた菓子類をつまみながら向き合う。

 「まずは、真実を突き止めたい」

 「そうだね。だけど、そのためにはあそこに戻って調査しないと始まらないよ」

 「うん。出入りはカードがあるから大丈夫だとして、どこに行けばいいか、どうしたら見つからないか、問題はたくさんある。それについて話し合おう」

 それから、二人は調査計画を立て始めた。


 「よし、こんな感じでいいね」

 「うん……」

 みのりが眠そうにあくびをした。

 「じゃあそろそろ寝ようか……」

 言い終えたところで、二人の間で気まずさが蘇った。

 真が電気を消し、二人はゆっくりとそれぞれのベッドに入っていった。

 いつもは数十秒で眠りにつけるみのりも、今夜ばかりはなかなか眠りにつけずにいた。

 「ねえ」

 みのりが声をかけた。

 「なに?」

 しかし、真の返答が返されることはなかった。

 夜の密室、すぐに手の届く距離で、二人は大きな緊張と、少しの恐れを抱きながら、半分をじっと意識を持ち、もう半分をやっとの睡眠で過ごした。


 みのりが目を覚ましたのは、正午が迫る午前中、真に起こされた時だった。

 「おはよう、相宮」

 「ああ、おはよう鴉田。今何時?」

 「もう昼前だよ」

 「そっか……まあそうだよな……」

 二人は急いで準備をしてホテルを出た。部屋は二日間取っているので、チェックアウトの必要はなかった。

 まず、二人は近くのショッピングモールに向かった。


 「調査に必要なものだけど、向こうに行くとき、中で調査しているとき、脱出するときに分けてそれぞれ考えよう」

 昨晩の真の言葉である。

 「向こうに行くときと脱出するときは簡単だね。食べ物と飲み物を持っていけばいい」

 みのりが返答した。

 「そうだね。まあ、大体二日分くらいの飲食物を持っていこう。じゃあ、次は中で調査するときの物だね」

 「そもそも、調査した後はどうしよう。もし黒だった場合、機械を破壊とかするのかな。水掛けたりして」

 「随分と原始的だな……まあ、普通は証拠の映像とか集めてメディアに公開とかじゃない?それなら一発だよ」

 「なるほど。じゃあ、ビデオカメラとか録音機とかが必要ってこと?」

 「いや、それらはケータイでできるよ。だから、中で見つからないようにするときとか、見つかったときに捕まらないようにできる物が必要になってくるね」


 二人は最初に食品コーナーに向かい、日持ちが良い栄養食をメインに買った。

 その後、雑貨コーナーにて、二人は相談をしながら必要なものを揃えようとしていた。

 「白衣、マスク、サングラス……よし、これで変装は大体大丈夫だね」

 「これ、本当に効果あるのかな……」

 「まあ、研究員の人にはすぐバレるだろうけど、スタッフの人とか、使者の人は欺けるんじゃないかな」

 「どうかな……年齢的に。見つからないことを最優先に考えて、それは気持ち程度に思っておいた方が良さそう」

 「確かに、そうだね。さて、次は護身用グッズを見に行こう」

 しかし、真が探しているものはなかなか見つからず、お目当ての物を見つけるためにしばらく店内を歩き回った。

 「あった。催涙スプレー!これを顔に当てればしばらく目が開けられない!」

 「どんな成分が入ってるの?」

 「唐辛子の成分が入ってるみたいだね」

 「うわ、絶対喰らいたくない」

 二人は会計を済ませた。

 「ねえ、次本屋行ってもいい?」

 「いいけど、どうして?」

 「ちょっと気になる本があって……」

 本屋の奥に眠っていたそれは、樋口冬もとい足集利莉愛が書いた本だった。

 「もしかしたら、この人ももう……」

 その本を買い、二人はショッピングモールを出ようとした。

 突然、みのりが駆け出した。その先には、装飾品の類が売っているコーナーがあり、彼女が向かった場所には耳飾りが並んでいた。

 「やっぱり、君もこういうの興味あるの?」

 「うーんなんだろ、私、修学旅行とか言ったことないし、遠出したところで買い物、みたいなのしたことなくて……」

 「ああ、なるほど。キラキラしたものに吸い寄せられたのか。それは遠出した小中学生の男子によくある現象だよ」

 「ええ?これそんな感じなの?もっと趣深い感じだと思ってたのに……しかも私女子だし……」

 「しかも、買った場所ではあれだけ輝いていたのに、家に帰った途端全く輝きがなくなるんだ。俺もよく経験したよ。しかし、それで人は成長するのさ」

 真が腕を組みながら得意げに言った。

 「でもこれ装飾品だよ?そんなことになるかな?」

 「買ってみるといいよ」

 「うん。耳に穴が空いてないから、イヤリング買う。鴉田もお揃いの買おう」

 「お揃いのものって、女用のやつを買うの……?」

 「もちろん。私が買うからさ。というか、今日の買い物も宿泊料金も、全部私がお母さんからもらったお金で出してるし」

 「まあ、買うだけなら……」

 「よし、じゃあどれにしよう……」

 みのりは少し悩んだ末、綺麗な色付きの玉がついたイヤリングを選んだ。

 「ねえ、どの色がいい?私は赤がいいと思うんだけど」

 「そうだな……俺は青がいいと思うけど……君、赤色好きだね」

 真がみのりのシュシュを見ながら言う。

  「うん、髪のと一緒にしようと思って」

 「えー、そこは青と赤で対照的にした方が良くない?」

 「そう?」

 「だから、俺が赤いので、相宮が青いのでいいんじゃない?」

 「色も揃えようよ」

 「こだわるなあ……ええと、じゃあわかった。赤と青を一セットずつ買って、お互い赤一つと青一つにすればいいんじゃない?」

 「いいねそれ。そうしよう」

 みのりはそれらを買い、真に赤と青のイヤリングを一つずつ渡した。

 「ほら、つけてみて」

 「やっぱりつけるの……?」

 真は渋々イヤリングを耳に付け始めた。

 「よし、どう?」

 「お、結構似合ってる」

 イヤリングをつけた真は、中性的な顔立ちも相まってかなり様になっていた。

 みのりも続いてイヤリングを付ける。

 「よし、これでお揃い」

 昼も終わりに近づく頃、二人は未だ食事を摂ってないことに気がついた。

 「この辺にどっかいいお店ないかな」

 みのりが真の携帯を覗いた。

 「よし、ここにしよう」

 みのりは即座に店を決め、歩き出した。

 「どうしてここにしようと思ったの?」

 「うーん、なんかオシャレだから」

 食事を済ませた二人は、すでに用事が済んでいるので街を出歩いていた。

 「何かしたいことある?」

 「えーっと……」

 ——買い物はしたし、次はプリ……いや、それは飛ばそう。

 「鴉田、ちょっと携帯で地図見して」

 みのりは真の携帯を見ながら、目的地に向かった。そこへ着くと、彼女は得意げな顔をして指を刺した。その先には『カラオケ』と書かれた看板があった。

 「ここ行こう」

 「カラオケか……好きなの?」

 「この前ちょっと行ってね。また歌いたくなっちゃった」

 「ふーん」

 二人は受付を済ませ、部屋に入った。個室による気まずさは、昨日の夜によってなくなっていた。

 みのりは意気揚々と曲をセッティングし、懸命に真へ披露した。しかし、あまり調子が出ず、本人としては少し不満の残る出来だったが、真は目一杯の拍手をみのりに送った。

 「すごいよ相宮!君にこんな特技があったなんて!」

 「あ、ありがとう。じつはさ……この前、私やりたいことなんてないって言ってけど、本当は歌手みたいなこと、やってみたいなって思ってたんだ……」

 「いいね!応援するよ。嬉しいなあ」

 「嬉しいの?」

 「いや違くて、今まで隠した本音を聞けたのが嬉しくってさ」

 「あ、そ、そうなんだ……」

 その言葉を聞いたみのりは、冷静なフリをして唇を尖らせた。

 カラオケを出ると、外はすでに日が落ちており、二人はそのままホテルに戻った。

 入口に入ると、昨日二人の宿泊を許可した受付の男が呼び止めてきた。

 「ちょっと、お二人さん」

 「は、はい。なんですか?」

 みのりがどきりとして返事をする。

 「これ」

 男が渡してきたのは中くらいの大きさの紙袋だった。中を確認してみると、酒の缶が二つ入っていた。

 「あげあるよ」

 「え……でも俺達、まだ二十歳じゃないんですけど……」

 「うーん、そうだなあ、旅をする若者への贈り物ってことで!ルール違反する経験も大事だよ」

 「でも——」

 「ありがとうございます」

 みのりが遮り、真を引っ張っていった。

 「ちょっと!あそこは断らないと、ダメでしょ」

 真がみのりを引き止めようとしながら言った。

 「全く、これだからルール違反の経験がない奴は……」

 「さすが、ルール違反のプロフェッショナルが言うと違うな……まあ、よく考えたらもうすでにだいぶルールを破ってるし、別にいいか……」

 真はそのまま引っ張られながら、みのりは足取りを軽くさせながら、部屋に戻った。


 受付の女が、昨日と同じように男を睨んでいた。

 「……完全に悪い大人ですね。もう犯罪者ですよ」

 「ルール違反する経験っていうのは、俺達にとってもなんだよ」

 「達って言わないでください。先輩だけです」

 「ええ?口を出さなかったってことは共犯ってことじゃなくて?」

 「違います。弱みを握っただけです」

 「タチの悪いこと考えるなあ……ところで、今日飲みに行かない?もちろん、君の奢りで」

 「俺の奢りで、みたいなテンションで言わないでください」

 「だって今日はめでたい退職日。奢ってもらうしかないでしょ」

 「何かにつけて退職祝い退職祝いって言って、ほんと、図々しい人ですね」

 「まあ、それは否定しないけど。それで?行く?」

 女は少しだけ、そっぽを向いた。

 「行かないわけないじゃないですか……」


 「よし、これでいいね。それじゃあ……」

 真がバッグに荷物を詰め込み終えた。

 「飲もう!」

 みのりが元気良く答えた。

 冷やしていた酒を取り出し、二人は両親の真似をして缶を開け、中身を一気に口の中へ流し込んだ。

 「……にがあ」

 二人の顔は同じようにしわがよった。

 「ビールってこんなに苦いんだね……大人はどこが美味しくって飲んでるんだろう……」

 「よし!買ってきた食べ物で中和しよう!おつまみってそういうことだったんだ!」

 「どう考えてもおかしいけど、それが合ってるようにも思えてきた……」

 二人はなんとか缶の中を空にし、就寝の準備に入った。

 ベッドに入ると、みのりは昨日とはまた違った感覚があることに気づいた。

 ——枕が冷たい。顔が熱いんだ。それに、鼓動も早い。

 呼吸を整えようとしたが、効果はなかった。

 「ねえ」

 しばらくすると、昨日と同じようにみのりが真に声をかけた。

 「なに?」

 「鴉田ってさ、変な嘘ついてるよね」

 昨日は留めた言葉が、簡単に流れ出ていった。

 「え?どういうこと?」

 「最初に会った時、皆に流されてる気がするーとか言ってたけど、他の人の話だと全然そんなことなかったし、むしろ一匹狼っぽかったよ」

 「誰だよ……そんなこと言ったの……まあ、確かに少しだけ取り繕ってたかもしれないな……」

 「どうしてそんな些細な嘘を?」

 「すごくしょうもない理由なんだけど……」

 「いいよ、別に」

 「あの時さ、天道都市を見つけた理由みたいに話してたじゃん?でもじつは、天道都市のことはずっと前から知ってたんだ。俺があんまり親と仲が良くないのは知ってるでしょ?だから、早く親元を離れたくて、本当は天道都市の使者になるために必死で勉強してたんだ」

 「なるほど。でも、なんでそんなことを?」

 「カッコ悪いじゃん……」

 「えー別にそうでもないでしょ。かわいい」

 みのりは自分のベッドを出て、真のベッドに座った。

 「そういえばー、うちのクラスの子使って私に告白させてなかった?」

 みのりは不敵に笑い、真に視線を送った。

 「君、酔ってない?顔が真っ赤だよ」

 「一本飲んだだけで?ないない。ほら、話を逸らさない」

 「うん、確かにあれは俺が手を回したんだけどさ……」

 「なんでそんなことしたのー?」

 「ほら、君そういう経験ないだろうから、させてあげようかなーって」

 「余計なお世話だよ全く。てか、そんなこと言って、鴉田だってじつはモテてなかったんじゃないの?」

 「そ、そんなはことないさ」

 「えー?でも鴉田嘘つきだからなあ」

 真もみのりの隣に座った。みのりは手を後ろについて、天を仰いだ。

 「私さ、小学校中学年くらいの時に、学力診断テストみたいなのをやったんだよね」

 「……うん」

 真は静かに耳を傾けた。

 「私、それで満点取ったんだー。全教科。最初は皆褒めてくれてたんだけど、誰かそれを妬んだのか私がカンニングしたんだって難癖をつけてきてね、先生にすっごく怒られたんだ。今思えば、私がカンニングして満点だったら他にも満点の人がいないとおかしいんだけどね。ちっちゃかった私はそんなことわからないし、抵抗の手段もなかった。だから、皆嫌いだーって一時期膨れてたんだけど、そしたら周りの人がもっと関わってくれなくなって、私ももっと嫌いだーってなっちゃったんだよね」

 「随分コミカルな話し方だね……なるほど、それで君は不良になっちゃったんだ」

 「そう。私もしょうもないでしょ?」

 「いやいや、俺の方が」

 「はあ?私の方がしょうもないし」

 二人は顔を見合わせ、お互いに笑い合った。

 「あーあ、鴉田がついてきてくれてよかったなあ」

 「そう?」

 「うん。だって色々作戦立ててくれるし、脱出する時だってすごく頼りになった。多分私一人だったら捕まってるよ。ねえ、なんで一緒に来てくれたの?」

 「ええと、それは……」

 「なんで?ねえ、なんでー?」

 「……わかってないよな、君は、もう……」

 「わかってない?どういうこと?」

 突然、真がみのりに顔を近づけた。顔の中で、一番柔らかい部分同士が触れ合った。みのりは息を止め、抵抗をせずに、真の熱を受け入れた。

 「……こういうこと」

 距離が離れ、向き合う。真の大きい瞳が、みのりを吸い寄せた。

 「お前だって、顔赤いじゃん……」

 真はその言葉を聞くと、慌てて顔を隠した。

 「さ!寝よ!明日は寝坊できないよ!」

 みのりはおもむろにベッドへ戻り、布団をグッと握りしめた。

 ——お姉ちゃんより先に、キスしちゃった。

 酔いは覚めたが、それよりも顔は赤くなった。

 興奮が冷め、ようやく意識が沈み始めた頃、遠くに、しかし確かに真の声が聞こえた。

 「おやすみ、みのり」


 翌日、先に目を覚ましたのはみのりだった。彼女は寝ぼけた頭を治し、真っ先に真を起こしにいった。

 「ううん……もう朝か……」

 「おはよう、まこと」

 真は驚いた表情を見せ、すぐさま恥ずかしそうな表情を見せた。

 「聞こえてたのかよ……」

 「ほら、返事は?」

 向き直った真の顔は、すっきりとしていた。

 「うん。おはよう、みのり」

 二人は簡単に支度を済ませ、早々にチェックアウトをした。

 「そういえば、お世話になった受付のお兄さんいなかったね」

 「ああ、確かに」

 「お礼の一つでも言えればよかったんだけど……」

 若干の口惜しさを覚えながら、二人は近くの飲食店へ入った。そこで朝食を食べながら、計画の確認を始めた。


 「さて、じゃあ本題。中に入ってからの計画をしよう」

 「うん」

 「まず、俺達の目的は真みのりを確かめた後、証拠となる映像や音声などのデータを集めることだね」

 「証拠となる映像や音声って?研究員の人をとっ捕まえて取り調べでもするの?」

 「相変わらずの力技だね……そうじゃなくて、そこにある文章を調べて写真を撮ったり、重要な会話をしているところに張り込んで録音したりじゃない?」

 「となると……あのでっかい機械がある広場の奥から研究員の人達出てきたよね。なら、その奥に行けば色々ありそう」

 「だね。あと桂律って人、あの人が所長だから、要チェックしよう」

 「了解。乗り込む時間はどうする?やっぱり夜?私達が探検した時の時間帯、全然人いなかったよね」

 「思えばあれはだいぶ軽率だったな…….うん、普通はそうなんだけど、あえて昼から夕方にかけての時間に行くっていうのはどうかな」

 「え?自殺行為じゃない?なんで?」

 「というのもさ、中に人がいなかったとはいえ、夜に外の警備がないとはいえないじゃん?しかも、あんまり遅くに行っちゃうと、研究員の人達が帰っちゃう可能性もあるよ」

 「そうか……でも、そんな時間帯にうろちょろするのはもっと無理じゃない?」

 「そこでなんだけど、一度使者の人の部屋に行って仲間を作らない?」

 「と言うと?」

 「侵入したらまず使者の人達の部屋に入って、そこで事情を話して協力してもらうってこと」

 「ふむ……それは面白そう」

 「そこを拠点にしてしまえば好きな時間に出入りできるし、もしうまくいかなくても部屋に隠れてそこで一晩過ごすこともできる。どう?」

 「つまり、入ったら一目散に宿泊部屋を目指して、使者の人を何とか説得して、夜に調査に行くって感じ?」

 「うん」

 「そもそも、そこまでたどり着けるかな?道覚えてる?」

 「そこは抜かりなく。覚えてるうちに書き写しておいたから」

 「ナイス。それでいこう」

 

 確認を終えた二人は、電車に乗るために駅へ向かった。

 「この次の電車に乗れば大体時間通りに着くね」

 「うん」

 みのりは真と目を合わせようとした。しかし真はそれを拒んだ。そんな彼を、彼女は面白そうに見つめていた。

 二人は電車を降り、バスへ乗り継ぎ、二日前脱走した時経由した集落へと戻ってきた。

 「こっからまた歩くのか……」

 真が前へ踏み出そうとする。

 「あ、ちょっと待って」

 みのりが真を引き留めた。

 「なに?」

 「イヤリングしてこ」

 「え?何でよ」

 「うーんと、決意表明的な?二人して同じ物を身につけたら気合い入る感じするでしょ?」

 「ああ、まあいいけど、これつけてると耳が痛くなるんだよなあ……」

 二人はイヤリングをつけ、ようやく出発した。

 途中休みながらも、無事誰にも見つからずに入口のある駐車場まで到達した。

 「大丈夫?周り誰もいない?」

 真が車の影に隠れながら囁く。二人は変装の途中だった。

 「うん。いけそう」

 二人は手早く扉を開け、内部に侵入する。すぐに真の書いた地図を開き、足音が出ないようにしながら早歩きで進んだ。

 もうすぐで使者の宿泊部屋が連なる廊下に着こうという時、突然曲がり角から一人のスタッフが飛び出してきた。二人は隠れる余裕すら無く、その場に固まってしまった。

 「あ!お疲れ様です!」

 しかし、スタッフは二人を気に留めることもなく横を走り去っていった。

 「ほら、変装は大成功だったでしょ?」

 「まあ、それはそうかもだけど、それより忙しすぎて私達を意識する暇もないって感じだったような……」

 「ともかく、先を急ごう」

 二人は目的の廊下に着いた。しかし、そこで二人はある小さな問題に気づいた。

 「部屋、どこにしよう」

 「どこでもいいよって言いたいところだけど、案外大切かもね……」

 「でも、早く選ばないと」

 「それなら、元俺の部屋か元君の……いや、元みのりの部屋のどっちかにしよう」

 「了解。じゃあ私の部屋で」

 真が言い直したことについては、あまり触れないことにした。

 みのりはいい人でありますように、と願いながらみのりが宿泊した部屋にカードキーをかざす。開錠した扉にノックをし、返事を待った。

 「はーい」

 出てきたのは、柔らかい眼差しが印象的な、お姉さん、というような雰囲気を醸し出した女性だった。

 「あの、突然で申し訳ないのですが、部屋に入れてもらってもいいですか?」

 真がマスクとサングラスを外しながら言った。女は何かを察したかのような素振りを見せ、手招きをした。

 ——よし、当たりっぽい。

 みのりは変装を解きながら、部屋に入った。

 「まー座ってよ」

 「あ、ありがとうございます」

 女は冷蔵庫から飲み物を取り出し、座った二人に差し出した。その後、彼女は二つしかない椅子に変わってベッドに腰を下ろした。

 「私は巧。そっちは?」

 「鴉田真です」

 「相宮実です」

 「真くんとみのりちゃんね。あなた達、白衣を着てはいるけど研究員の人達の物と違うし、スタッフにも見えない。そもそも若すぎるし。何かある人達なんだね?」

 「そうなんです。俺達、ここに侵入してきて、匿ってもらえる場所を探していて……」

 「へー、諜報員?みたいでかっこいいね。にしても、バッグも背負ってるし、耳飾りもしてるしで、よくバレなかったねえ」

 「ここに来るまでに一人にしかすれ違わなかったんです」

 「その一人が鈍感で良かったね。そんで、何をしにきたの?」

 「じつは……」

 二人は協力して事情を説明した。

 「……とまあこんな感じなんです」

 「ふむ。要するに、天道都市というのは名ばかりで、そこでは人が死んでいるかもしれない。真実を調査するとともに、黒だった場合の証拠を集めたい。それには一旦拠点を作っておくととても役立つ。それで、偶然私の部屋が選ばれたってわけだ」

 「はい。そんな感じです。それで……協力してくれますか?」

 「いいよー。手伝ってあげる」

 「やった!ありがとうございます!」

 真が喜んでいる傍らで、みのりは中途半端な表情をしていた。

 ——今までの使者の人は、天道都市に対してある種信仰のようなものを感じていたけど、この人は私みたいにそれがないのかな。

 「みのり?どうした?」

 「ああいや……ありがとうございます。でも、こんなにあっさり信じてもらえるとは思ってなくて……」

 「私も天道都市については少し怪しいと思ってたからねー。さあ、作戦を立てちゃおう」

 「やりましょう!」

 真は無事仲間を作ることができて安心したのか、さっきよりも元気が出ていた。

 「先ほど話した通り、俺達は使者の夕食、入浴が終わった後の時間を狙います。具体的に言うと二十一時から二十三時くらいですね。おそらく研究者達がいるであろう広場の奥へ行き、人がいない部屋をみのりのカードで開けて証拠を集めます」

 「それって私も行ったほうがいいかな?」

 「巧さんはバレた時にかかる損害が大きいので行かない方がいいんじゃないですか?それに、三人だと目立つと思います」

 「確かにそうだけど、行ってみたいなあ……」

 「そうですか……わかりました。行きましょう」

 「やった」

 「収穫がなかったときはどうしますか?」

 みのりが発言した。

 「俺達はこの部屋で一晩隠れてようと思ってるんですが、巧さんはどうします?」

 「そうだな……私は明日にはもう向こうに行っちゃうし……」

 「え!行っちゃうんですか?死ぬかもしれないって話をしてるのに」

 みのりが素早く言葉を返した。

 「そ、そうだった!じゃあ私も隠れたほうがいいかなあ?」

 「そうしてしまうと、巧さんが居なくなってしまうことになりますね……」

 「というかそもそも、どこに隠れるつもりなの?あまり隠れられるような場所はなさそうだけど?」

 巧が部屋を見渡す。

 「ベッドの下とかどう?」

 みのりが提案した。

 「うん。隠れるならそこが良さそう。でも、流石に三人は無理があるし、いっそのこと、ここに隠れるのは諦めて、もう一度脱出するのはどうかな?」

 「夜は警備があるかもしれないって言ってなかった?」

 「三人で隠れるよりは全然良いでしょ」

 「まあ、そうか……」

 「じゃあ、収穫があろうとなかろうと、調査が終わったらここから出るってことでいいですね。時間は真夜中にでも」

 「はーい。じゃあ時間まで英気を養おうか」

 巧はそう言って、ベッドに寝転がった。そんな彼女を、みのりは値踏みするようにじっと見つめていた。

 やがて時間が経ち、巧は夕飯に呼び出された。

 「石黒様、ご夕食の支度ができましたので、お部屋の外まで、おいでくださいますよう、お願いします」

 真とみのりはその声を聞いて息をひそめる。

 「あ、そうだ。夕飯とってきてあげようか?」

 巧の囁き声を聞いた途端、真が目を輝かせ、大いに頷いた。彼女はグッドサインを出し、部屋を出ていった。

 部屋の外で物音が無くなったことを確認すると、みのりが今まで溜めてきたものを発散するかのように、話し始めた。

 「ねえ、あの人怪しいって。今からでも逃げ出さない?」

 「またまた……本物のお姉さんを見たからって嫉妬してるだけじゃ?」

 真が怪訝な顔をする。

 「だってあんな簡単に私達の話を信じるはずないし、その後も普通に天道都市へ行こうとしてたじゃん!」

 「落ち着けって、そんなの直感的なものじゃんか。そんなのじゃ疑えないよ」

 「確かに勘だけど……」

 「ほら、だから俺らは大人しくあの美味しいご飯を待ってればいいんだよ」

 「信じて。お願い。この計画だって元は私の勘から始まったんだし」

 「そうだけどさ、今回はもっと感覚的なものだし、俺だってあの人を裏切りたくないし……」

 「だったら——」

 みのりは身を乗り出し、今度はみずから、真に昨夜の仕返しをした。そのまま彼の手を握り、上がる体温を、肌で感じた。

 「ねえ、信じて」

 「……ずるいよ……」

 赤面した真が、口を拭いながら言った。

 「よし、じゃあもう調査を始めよう。きっとスタッフも使者も今は夕飯で忙しいはずだから、人はいないはず。素早く移動しよう。もし人に見つかったら……そのときは一目散に逃げよう」

 「わかった」

 二人が荷物を手に取ったとき、出口の方からコンコン、と音がなった。

 「真くーん?ほら開けて?ご飯とってきたよ?」

 続けて巧の声が聞こえた。

 「マジかよ……もう帰ってきたのか……」

 「どうする?捕まっちゃう」

 真はほんの少しの間顎に手を当て、答えを出した。

 「よし、ここは俺が時間を稼ぐから、みのりはそのうちに隠れて」

 「え?じゃあ真はどうするの?」

 「まあ俺は一種の賭けだな。巧さんが裏切り者なら捕まるし、そうじゃないなら捕まらない。それだけ」

 「捕まったらどうするの?」

 「そうだなあ……ずっと君のこと信じてここまできたんだから、引き続き信じて待ってるよ」

 真は笑顔で言い、玄関へ向かった。

 「巧さん?随分と早くないですか?」

 真がドアの前に立ち、巧に問いかけた。

 「私って食べるの早いんだ」

 「そうですか。でも、どうやって抜け出してきたんですか?夕食の後は入浴のはずですが」

 「それは……トイレ行くって言ったんだ」

 「食堂にトイレがあるはずなので、それはできないと思います」

 「ちぇ……もうめんどくさいなあ。疑ってるの?早く開けてよ」

 「それはできません。もうみのりはここにおらず、彼女がカードキーを持っているので」

 「ああそう。わかった。もういいわ」

 扉が開く音が聞こえた。

 「さっすがみのりだなあ……」

 真はその言葉を残し、気配がなくなった。

 しばらくの間、部屋の外では騒がしい音が続いていたが、やがてそれも消え、みのりは一人ベッドの下に取り残された。その中で、彼女はうち震えながら、これからのことを考えていた。

 ——流石に、今出るのは自殺行為だ。でも、あの人が帰ってきてそのままやり過ごせる自信もない。外に出たらどうしよう。真を探すか、逃げるか。調査どころじゃない。というか、やっぱりあの人は嘘ついてたんだ。真が連れて行かれたってことは、やっぱりここはおかしいんだ。でも、今はそんなこと考えてる場合じゃない。

 みのりは思考を重ねていたが、そのうちに巧が帰ってきてしまい、選択の余地は無くなってしまった。

 みのりはより一層息をひそめる。

 最初は黙っていた巧だったが、じきに大きな声で独り言を口にした。

 「なんか、さっき聞いた話によるとー、皆でみのりちゃんを探したけど、見つからなかったらしいんだよなー。監視カメラにも映ってないって言ってたし。どこいったんだろうなー」

 ——気づかれてるな。

 みのりの手が震えた。ケロッとした態度で演技をしていた巧に恐怖を覚えていた。

 「てゆーか、二人ともおバカだよなー。二人とも顔が割れてないわけないのに。それに、監視カメラとかあるって考えないわけかね。私が部屋を出た瞬間、スタッフの人達が集まってきたよ。これで私は向こうでの評価が上がってウキウキだなー。そういえば、真君最後は私が演技をしてたって気づいてたっぽいけど、なんでわかったんだろう。真君信用し切ってる感じだったよなー。てことはみのりちゃんが気づいたのかな?でも、みのりちゃん真君に引っ付いてるだけっぽかったけど、よく気づいたよなー」

 巧の「引っ付いてるだけ」という言葉がひどく気がかりだった。

 ——そうだよな。やっぱり真に頼ってばっかりだよな。さっきだって、機転をきかせて助けてくれたし。

 「さて、そろそろ確認しますか。ベッドの下に隠れるって言ってたよなー。まあ、そのまま馬鹿正直に隠れるのはどうかと思うけど——」

 ——まずい。バレる。

 ——信じて待ってるから。

 真の言葉を思い出した。

 ——あいつが待ってくれてる。あいつに恩返しがしたい。期待に応えたい。考えろ。

 その時、バッグの開いた隙間から、催涙スプレーが顔を覗かせた。

 ——これしかない。成功するかわからないし、何より怖い。だけど、自分で始めたことだろう?腹を括れ。

 「ここしかないもんね」

 巧がベッドの下を覗いた。その瞬間、みのりが彼女の顔めがけて催涙スプレーを噴射した。飛沫はしっかりと巧の顔を捉え、彼女は大声を上げながらひるんだ。

 「何これ!痛い!おい!ふざけんなよまじで!ぶっ殺してやる!」

 巧が本性を表した。

 「私達を裏切った罰です」

 捨て台詞を吐き、急いで鍵を開けて部屋を出た。しかし、先のことを考えていなかったみのりは頭を抱えた。

 ——どうしよう。早くしないと見つかる。逃げる?いや、いち早く真を助けたい。考えろ。

 みのりはなんとなく真の描いた地図を開いてみた。だが、それが彼女にひらめきを与えた。

 ——そうだ!真と探検した夜に見たカップルの女性。恋人をなくしたあの人なら助けてくれるかもしれない。あの二人が入っていった部屋。あそこに向かおう。

 みのりは今一度大きく深呼吸し、駆け出していった。


 みのりが奔走している一方、真は机と椅子だけが置かれた真っ白な部屋に一人、座らせられていた。

 腰が少し痛み出した頃、部屋に研究員が数人入ってきた。彼らは真の前方に立ち、威圧するように見下ろした。

 「鴉田真さん。今回の件についていくつか質問させてもらいます」

 真の目の前に立っている男が冷たい声で言った。

 「まず、あなたはどうして逃げ出そうとなどと思ったんですか」

 「……みのりに、一緒に行こうって言われたから……」

 真は無愛想な態度で言った。

 「みのりというのはあなたと行動を共にしていた相宮実さんのことですね。次に、どうして逃げ出すことができたのか。つまり、あのカードキーをどうやって手にしたのか。教えてくれますか」

 「……言わない」

 「……はい。では、ここに何をしに戻ってきたのですか」

 「……言わない」

 男は舌打ちをした。

 「相宮みのりはどこに行きましたか?」

 「……言わない」

 男はため息をついた。

 「鴉田さん。私達は何も制裁を加えようってつもりはないんです。もちろん、今回の騒動についてしっかり謝罪をすれば天道都市にも招待して差し上げます。何が不満なんですか?」

 「……」

 「相宮みのりさんねえ……」

 男は手元にある資料を見た。

 「特質能力、無し。選考理由、著しい素行不良のため。備考、当人は小学三年生の頃から学業その他学校生活を拒絶しており、直そうとする意思も見られない。その頑強な姿勢を評価し、これをもって天道都市に召集する。こんな底辺みたいな人間のどこが良いんですかね。大方、不良の偏った思想にほだされて非行に走ってしまったんでしょう」

 「違う!」

 真が声を荒げた。

 「確かに、あいつは学校ではかなり有名な不良だった。だけど、そんなあいつのはいつも堂々としてて、凛としてた。おまけにスタイルも良くって、正直一目惚れだった。だから、天道都市に行く前に勇気を出して話しかけに行ったんだよ。口実作ってさ。それで話してみたら、ほんとに頭の切れる奴でさ、もっと好きになったよ。そんで、別れが悲しいなって思ってたら、使者に選ばれたんだよ。びっくりしたけど、めっちゃ嬉しかった。それからは、あいつはどんどん力を発揮していって、何度も助けられた。あいつは……俺の好きな相宮実は、すげー奴なんだよ!悪く言うな!」

 「やれやれ……すっかり心酔してるな……若気の至りだな。あーあ、こんな可愛い耳飾りまでしちゃって……」

 男が真のイヤリングに触ろうとする。

 「触るな!」

 男が怯んだ。

 「これはみのりがお揃いだってくれたものなんだよ!そんな汚い手で触らせるか!せっかくみのりと最高の関係になれそうなんだ。絶対二人で帰る。俺は彼女を待つ。これ以上言うことはない!」

 「生意気なクソガキが……こいつだけ先にぶち込んでやりますか?」

 男が周りに提案する。

 ——ぶち込む?あの機械にか?

 男は周りに了承を得ると、真の腕を強く掴んできた。

 「あなたは先に天道都市に行って教育を受けてもらうことにします」

 「今の発言でそれは無理があるだろ」

 「うるさい!早く来い!」

 男はついに声を荒げ、真を引っ張ろうとした。すると、突然扉が開き、金属音が部屋中に響き渡った。

 「あ?なんだ?」

 研究員達が音の原因を確かめようと後ろを振り返る。次の瞬間、パチンという破裂音が鳴り、白いモヤが現れ、研究者達を覆った。そんな彼らはすぐに悲鳴を上げ、咳をしながら手で目を覆った。

 研究者達より後方にいた真は、すぐに目を閉じて守ることができた。しかし息を吸うと、猛烈な喉の痛みと共に咳き込んでしまった。

 ——これは……催涙ガス?もしかして。

 真が期待した通り、その数秒後にさっきとは違う、しなやかな手に腕を引っ張られ、そのまま部屋を出た。

 部屋から移動したことを確認した真は、安心して目を開けた。視界の先には、予想通りみのりと、目の前には短髪で白衣を着た女性が走っていた。

 「助けに来たよ」

 みのりがにっと笑った。

 「信じた甲斐があったよ」

 真も同じように笑い返した。

 「随分、情熱的だったね」

 「ええ?うそ、聞こえてたのかよ……どこら辺から?」

 「うーん、多分ほとんど全部?」

 「もっと早く助けてくれよー!恥ずかしいじゃんか」

 「ごめんごめん。でも……嬉しかった」

 「そ、そう?良かった……」

 「ちょっと、お二人さん。そういうのは後にしてくれるかな?」

 白衣の女が横槍を入れた。

 「あ……すみません。みのり、この人は?」

 「研究員の要さん。二人で探検した時抱き合ってた女の方の人だよ。私のこと助けてくれたの」

 「抱き合ってた女の方って……まあいいか。鴉田真くんだね?」

 「はい。助けていただきありがとうございました」

 「うん。それで、これからのことなんだけど、とりあえずうちの所長である桂さんのところに行って話をしにいくってことでいい?」

 要がみのりに聞いた。

 「はい。お願いします」

 「そんな簡単に話してくれますかね?」

 真が要に尋ねた。

 「わからない。でも、ここは今日みたいなことがいずれ起きると思う。だから、変革を要請するっていう意味でも、彼女の元へ行った方がいいと思うんだ」

 「確かに、今のこの制度には、疑問を持つ人も多いでしょうし。そういえばみのり、要さんとはどういう経緯で協力者になってもらったんだ?」

 「ああ、それはね……」


 要の部屋に向かっていたみのりは、何度かスタッフと遭遇したが、使い方を覚えた催涙スプレーで、捕まるのを回避していた。

 ——向こうも必死なんだろうけど、こっちはもっと必死だから。許して欲しいな。ごめんなさい。

 そんなことを思いながら、彼女は目的の部屋の入り口まで辿り着いた。

 みのりは慣れた様子でカードキーを使って開錠した。

 ——このカードにも相当お世話になったよな。結局最後まで誰が、どんな目的でくれたのかわからなかったけど。でも、これがなかったら私は今頃……くれた人には本当に感謝しないと。

 彼女はカードをギュッと握り、心の中で礼をした。

 みのりはカードから目の前に視線を移す。映ったのは、無骨だが生活感のあるワンルームだった。その中に、要はいた。

 「あ……あなた……」

 みのりと目が合った要は驚いた顔をした。

 「あの!助けてくれませんか!」

 みのりが力強い声で言った。それを聞いて、要は慌てた様子で唇に人差し指をつけた。

 「し!周りにバレちゃうでしょ。とりあえず入って」

 みのりはハッとし、急いで彼女の部屋に入った。

 「相宮みのりさんね。どうやって入ってきたはかはいいとして、あなたを助ける?私は捕まえる側だと思うんだけど……」

 要は酒の缶を片付けながら言った。

 「一昨日、男の人と抱き合ってたの見ました。しかも、その方を失ってしまったんですよね?」

 「え!見られてたんだ……なるほど、だから彼が飛び込む前に逃げ出したんだ。しかし、そこまでわかってるのか……そりゃ、私のとこまでくるよな……でも、よくそれだけでここがおかしいって確信できたね?」

 「いや、冷静に考えたら誰でもわかると思います。だけど、他の使者の人達はブランド力が高すぎる天道都市の使者に選ばれた、という自惚れで疑う余裕なんてないんだと思います。私にはそれがなかったので……」

 「なるほど。面白い考えだね。あ、もしかして君、理由がわからないで使者に選ばれた口の人?」

 「はい。そうですね」

 「だからか……でも、それでここまで来れたのはすごいよ。そんで、私と会ってどうするつもりなのかな?」

 「一緒に反逆しましょう!」

 「反逆?具体的に何を?」

 「ええと、本当は天道都市なんて無くて、人が死んでるってことの証拠を集めて、メディアに公開するんです」

 「なるほどね……でも、ここは国家ぐるみで運営されてるから、報道される前に揉み消される思うよ」

 「そ、そうなんですか……じゃあどうしたらいいんだろ……早く真も助けたいし……」

 「ああ、捕まっちゃったもう一人の子か。きっと、私は今、あなたを助けてあげて、彼を奪い去ったここに対して抗議の声を挙げるべきなんだろうけど、どうしても脱力感が抜けないんだよな……」

 「そうですよね……あの、もしよかったら、どうしてそうなってしまったのか聞かせてくれませんか?」

 「うーん?まずはそうやって仲良くなる作戦かな?」

 みのりはギクリとした。

 「い、いえ。そんなんじゃないです。単純に、どうして大切な人を失うっていう悲惨なことになったのか知りたくて……」

 「ほんと?まあいいや。ちょうど誰かに話したかったことだし」

 「ありがとうございます」

 「うん。それでまず、あのでっかい機械がワープ装置じゃなくて人間を処理する焼却炉的な装置ってことは知ってるでしょ?」

 「え?そうなんですか?てっきりどこかにワープしてから人が死んでいるのかと……」

 「違うよ。そもそもワープ装置なんて存在しない。あったら全世界で使われまくってるよ」

 「確かに……でも、そんなむごたらしい機械だったんですね。あれ」

 「ええ。そして、それを知ってるのは私を含む研究員だけなんだ。つまり、スタッフは天道都市があるって信じてる。しかも、優秀なスタッフは天道都市へ行くことができるって言われているの」

 「彼が飛び込んだようにですか……」

 「うん。スタッフは使者に選ばれたくても選ばれなかった人が集ったものだから、皆仕事を頑張るんだ。天道都市なんてないのにね。まあ、私達にとってはやる気のあるいい捨て駒なわけ」

 「皮肉ですね……」

 「そんな中、私はあるスタッフと恋仲に落ちた。あなたもご存知の彼。スタッフとは馴れ合うなって言われてたけど、そんな警告じゃ男女の関係は止まらない。私の彼との関係はどんどん深くなっていった。だけど、彼の立場はスタッフ。犠牲者になるのも時間の問題。だから、私は彼に真実を話した。私が妊娠したっていう話のついでにね。一緒にここから離れて新しい生活を始めよう、そういう風に思ってたんだけど、その話は誰かに聞かれてたみたいで、二人して摘発されたんだ。もちろん、二人とも仲良くあの機械にぶち込まれる予定だったんだけど、彼はなんとか私とお腹の子を生かそうと交渉してくれた。それで、私はそのままここに残って、彼は目一杯の演技をして機械の中へ飛び込んでいった。ほんの少しだけお金を残してね」

 ——だから、あの時お金を渡してたんだ。

 「こんな感じ。どう?」

 「妊娠してるのに、お酒飲んで大丈夫なんですか?」

 「そこかよ……お酒くらい許してよ。それに、初期は飲んでも大丈夫だから。もうちょっとないの?そっちから聞いたのに」

 「自分の話だっていうのに、結構冷静だな思いました」

 「まあ、自業自得だからさ、悲劇のヒロインでいられないんだよ。それに、お腹の子のためにもこれから頑張らないといけないし……」

 「強いんですね。でも、そもそもどうして人間をあの機会に入れなきゃいけないんですか?」

 「それは私にはわからない。ここについての詳しい情報は国家機密だから。私達が知っているのはあの機械が人の命を喰らっているということだけ。全部知ってるのは所長くらい」

 「じゃあ、その所長さんに話を聞きに行きましょうよ」

 「話してくれるわけないでしょ」

 「でも、現に私達がこうやって騒動を起こしてるし、再発しないようにするために話してくれるんじゃないんですか?」

 「まあ、私達には話してくれるかも知れないけど、あなた達はどうするの?行っても捕まえられるでしょ」

 「私達も騒動を起こした当事者として話を聞きに行きます。結構いいヒントになるんじゃないですか?再発防止のための」

 「それで生き残ろうって?」

 「まあ、そういう感じです」

 「もし話を聞けたとしても、計画してたみたいにメディアに告発とかはできないと思うよ?」

 「それはもういいです。相手が国なら諦めるしかありません。きっと、国が関係してるってことはとてつもない理由があるんでしょう。気になるじゃないですか。単純に」

 「そう……結構やるね。あなた」

 要は少し考えた後、明るい様子でみのりを見た。

 「よし、手伝ってあげる。なんか面白くなってきちゃった。私の名前は要。よろしく」

 要が手を差し出す。みのりはその手を握った。

 「は、はい。ありがとうございます。よろしくお願いします」

 「さて、じゃあまず、もう一人の子を助けちゃおうか。場所は知ってるから、あとはどうやって助けるかだけど……その前に、あなた、どうやってここまでスタッフを退けてきたの?」

 「えっと、これを使って……」

 みのりは催涙スプレーを取り出した。

 「物騒なもの使ったんだね……だけど、それ最高。私も科学者の一人だからね。ここにあるもんとそれ使っていいもの作ってあげるよ」

 「いいもの?」

 「催涙ガスをばら撒く爆弾。これ使って助けに行こう」

 「おお。めっちゃワクワクしますね、それ」

 二人の作戦会議は続いた。


 「……とまあこんな感じ」

 「やっぱり、君はすごいね」

 「でしょ?でも、そもそもは真があそこで身代わりになってくれなかったらできなかったし……」

 二人は満足気に顔を見合わせた。

 「ほら、所長の部屋についたよ。まあ、制御室なんだけど、実質所長の部屋みたいなもんだから……」

 説明しているうちに、目的地についたようだった。要がカードキーを使い、ドアを開ける。中にはたくさんのモニター、ボタンがついている大きな機械があり、所長である桂律はその前にたたずんでいた。

 「いらっしゃい。相宮実さん、鴉田真さん。そして要」

 彼女の口調は、思いのほか柔らかだったが、最後の要を呼ぶ声だけは少し低かった。

 「よくここまで辿り着いたわね。それで、御用は何かしら?この機械を破壊するとかはやめて欲しいんだけど」

 「なんかラスボスみたいだな……」

 真がボソッと呟いた。

 「いえ、そんなんじゃなくて、私達はここに隠されている秘密を知りたくて……」

 律の不思議な圧力に、みのりは若干けおされていた。

 「よかった。私もここまで来れたらあなた達に話してあげようと思っていたの。それにしても、よく一番仲間になってくれそうな職員を見つけられたわね?傷心中で問題児の要を」

 「あ、あはは……」

 要は怯えた様子で愛想笑いをした。

 「まあ、こんなところで男遊びしてる奴の話は置いておいて、話しましょうか。天道都市というものの全てを、真実を。少し長くなるけど、いい?」

 「はい。もちろんです」


 まず、ことの始まりを知ってもらうには、フランスという国について説明をしないといけないわね。知ってる?フランスって名前の国。まあ、知らないわよね。だって今は存在しないんだから。そう。昔は存在したの。世界でもトップレベルに美しい文化を持っていて、世界で最も権威のある五カ国の一つにも選ばれていたわ。しかし、なくなってしまった。原因はなにかわかる?戦争?内乱?いいえ、違うわ。爆発よ、爆発。日本の約1.5倍の面積があったフランスが一つの爆発で物理的に、抉り取られてしまったの。もちろん、世界は大混乱を喫したわ。たくさんの人が死に、経済にも大きな影響が出た。当然犯人探しも行われた。そんな最中、それに関連してさらに事件が起こったわ。日本で爆弾が見つかったの。フランスで爆発したものと同じもの。その上、起爆したら地球が滅亡する規模の物だったわ。世界は急いでこれに対する会議を開いた。これが五百年前の話。その頃に起こった国際会議といえば?そう、総題の調和ね。じつは世界平和なんてのは表向きで、実際はこのことだったわけね。それがどんな内容だったかっていうと……いえ、先にその『爆弾』について話しましょうか。

 爆弾を作ったのは、源甲斐修という名前の日本人の研究者よ。彼は生前、その時代最高の研究者と言われるほど優秀でかつ、温厚で理性的な人格者で多くの人間から慕われていたそうよ。それだけに、なぜ事件を起こしたのかは未だ判明していないわ。彼はフランスでしばらく研究をしていたみたいで、だからなのかわからないけど、爆発で国民と一緒にこの世を去ったわ。国一つを巻き込んだ無理心中だなんて、ほんといかれてるわよね。こうして、彼から事情聴取なんかはできなかったわけだけど、じつは彼はまだ生きていたの。まあ、正確にいうと、爆弾の『付属品』に彼の脳内データがインプットされていたってことだけど。それで、この付属品っていうのが諸悪の根源なわけなんだけど、それなら本体って言ったほうがいいのかしら?この本体は爆弾を起爆させられる権限を持っている機械で、私達はその機械もとい源甲斐修の指示に従わないと地球が滅亡するっていう状況になったの。そして、彼が指示してきたことはこうよ。『人間として高い能力を持つもの及び極端に異質な人間を生贄として捧げること』段々わかってきたかしら?総題の調和っていうのはこれをどうするかっていう会議だったわけね。結果、フランスの存在を完全に抹消。天道都市という虚偽の存在を作り、源甲斐修の要求に該当する人材を収集する体制を構築。主にこの二つの決定がなされたわ。まあ、世界はフランスに関する情報をもみ消したり、天道都市のことについて広めることに集中することになったから結果的に戦争は無くなったのだけど、世界はそれに匹敵する恐ろしいものを持たされてしまったわ。

 さて、もうわかったわね?私達がワープ装置と呼んでいるあの機械が使者達が生贄となる入り口なの。使者が本当は死者だってっていうのはただのくだらない偶然だけど、彼らは世界が存在するために必要な犠牲なのよ。もちろん、私を含めこのことを知っている人達も目の前で将来有望な人材が死んでいくのを見過ごすのはとても心苦しいわ。でも、今の私達にはどうすることもできないのよ......。


 「そんな……本当にどうしようもないんですか?」

 真は力なく肩を落としていた。

 「もちろん、何度もハッキングをしたり、爆弾を不活性化しようと試みたけれど、少しでもシステムに異常があれば爆弾が爆発するプログラムがなされていて今の私達では手出しができないわ」

 「じゃあせめて、使者の人達をどうにか誤魔化すことはできないんですか?今まで努力した結果がそんな結末なんて、悲しすぎますよ……」

 「残念ながら、内部では源甲斐修が使者達をそれぞれ評価していて、それは不可能なの。だから、我々は少しでもその罪を償うためにここの設備を最高級にして、最大限施しをしているつもりなんだけどね……そんなんじゃ足りないわよね……」

 律が一つため息をついた。

 「でも実際、優秀な人材がいなくなっていってるというのはとても深刻な問題で、二百年前、百年前と比べて明らかに人々の能力の平均値が下がってきているの。そして、源甲斐修はこれについてある提案をしてきた。彼の計算によると、五百年後には世界中の人間の能力がほぼ均一化するらしいわ。つまり、人と人との差がほとんどなくなるってことね。だから、そうなった時、彼は生贄に能力の高さを不問にする代わりに、生贄自体の量を増やすと言ってきたわ。ほんとにわがままよね。これを受けて、我々はそれに対する準備のために、さまざまな政策を進めることになった。まず、彼が言っていた人間の能力の均一化に対して、教育の簡素化、具体的には、大学をなくして最終学歴を高校までにする。あとは中学時における外国語の取り扱いの取りやめ、部活動の強度の引き下げなんかが挙げられるわね。次に、新しい生贄を集めるために、天道都市が完成したことにして、満七十歳以上の全ての人を対象にすることに決定したわ。これらの政策はこれから段々と浸透していくでしょう」

 「七十歳以上の人全員……なんて規模……」

 「そんなにたくさんの人、あの機械だけで入るんですか?」

 「入らないでしょうね」

 「え?じゃあどうするんですか?」

 「あの機械はここだけじゃないのよ。世界中で生贄が捧げられるように、あれを複製したものがあちこちにあるのよ。ちなみに、日本でも十数箇所あるわ。合計すると、一日二千人くらいの使者が亡くなっているわ……」

 「そんなに……」

 「ちなみに、爆弾があるのはここなの」

 「え!じゃあここが本拠地ってことですか?」

 「そう。だから、世界でも最高クラスの権威を持つ研究者が集まっているわ。それなのに要ときたら……」

 「ひぃ……所長は、日本でも十番目くらいに偉い人なんだよ……」

 要がみのりと真に囁いた。

 「じゃああんまり逆らえないですね……というか要さん、こんなすごいところであんな問題起こしたんですか?確かに要さんの自業自得かもしれないです……」

 「はは……まさか中学生に言われてしまうとはね……」

 要は恥ずかしそうに呟いた。

 さっきまで前を向いていた律が振り返り、みのり達の方を見た。

 「これから話すことは、あなた達にとってかなり重要になるからしっかり聞いてくれる?本題と言ってもいいわね」

 みのりと真は固唾を呑んで耳を澄ませた。

 「先程の政策に加えて、あと一つ決まったことがあったの。それは、使者の中から一部の人を選び、一般人とは区切ったところで繁栄させ、高い能力を持つ人材を一定数に保つ計画、通称リメイト計画。リメイトっていうのは、該当する人々の呼び名のことで、リメイニングタレント、残った才覚ってことね。これから普及していくでしょう。それにあなた達をそのリメイトに推薦したいんだけど、いいかしら?そうしたら、今回の騒動をもみ消してあげられるんだど……」

 「それは是非!あ……でも……」

 みのりは待ってましたと言わんばかりに返事をしたが、途中で自信がなさそうに俯いた。

 「どうしたの?」

 「その……私って生贄の中でも『極端に異質』な方の生贄ですよね?そんな私がそんなのに選ばれてもいいんでしょうか……」

 律は意外そうに目を見開いた。

 「もちろん、確かにあなたは『極端に異質』な方だったけれど、天道都市の違和感に気づいてここまで辿り着くことができたわ。ここではそんなこと初めてよ。あなたが優秀だって証明は、それだけで充分よ」

 「そうだよ。俺なんてそもそも、君がいなかったら俺は今頃あの世に行ってるんだし」

 真が加勢する。

 「そっか……じゃあ」

 みのりと真はお互いの顔を見合わせ、頷いた。

 「わかりました。お願いします」

 「ありがとう。あと、最後に一つ、もう話も聞き飽きたと思うんだけど、聞いてくれる?」

 「はい。全然大丈夫です」

 「じつはさっき、私達にはどうすることもできないって言ったけれど、それは現状の話で、あの機械は将来止められるかもしれないのよ。というのも、今から六百年後、源甲斐修が一度だけチャンスを与えると言ってきたの。条件は、自分の子孫を連れて来ること。その人を見て判断し、合格なら爆弾は不活性化し、不合格なら爆弾が爆発する、ということらしいわ。今、政府は該当する人物を探し出し、処理をしようとしている。政府はそのギャンブルに反対なのよ。でも、私はそうは思わない。確かに、リスクは大きすぎる。だけど、このまま世界があんなものに束縛されているなら、いっそ滅んだ方がマシとさえ思っているわ。だから、あなた達にはまずそのリメイトとして力を持ってもらい、源甲斐修の子孫を見つけ出し、政府に見つからないように保護して欲しいの。政府は彼らを探し出すのに苦戦しているわ。日本にいるとも限らないみたい。別にあなた達の代である必要はないわ。この思いを繋いで、一緒に世界を変えましょう」

 「はい!」

 「はい!」

 みのりと真は同じタイミングで返事をした。

 「ありがとう。あと要!あなたも聞いていたんだから、二人の手伝いをしなさい」

 「え!じゃあ私もそのリメイトに……」

 「そんなわけないでしょう?あなたはずっとアシスタントよ」

 「えー、そんなあ……」

 要はガックリとうなだれた。

 みのりと真は、お互いの手を強く繋いだ。

 「ねえ、俺達ってさ……」

 真がみのりを横目で見た。

 「最高の関係ってやつ?まあ、あんなことまでしたし」

 「あ、ああ。そうだね。なんかその言い方恥ずかしいな……」

 「ねえ、真ってさ、何度か付き合ってたことあるって言ってたけど、あれ嘘でしょ?」

 「え?な、なんで?」

 「なんか好意を向けられるの慣れてない感じしたし。ほら、私の勘ってよく当たるし?」

 「う……まあ、そうなんだけど、いっぱい告白されたのはほんとだから!」

 「うわ、何そのアピール。むしろ見苦しいよ」

 「こ、この話は一旦やめよう」

 真は一度目を逸らし、一息ついてから、向き直った。

 「これから、苦労することも多いだろうけど、一緒に頑張ろう。よろしくね」

 「そうだね。よろしく」

 相宮実と鴉田真のイヤリングが、より一層輝いた。


 第三部


 「あたしの名前は鴉田圭よ」

 彼女は誇らしげに微笑み、耳についたイヤリングを揺らした。


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