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時の伝書鳩  作者: 夜光哉文
第一編
2/54

第二部・上

 「よって、国際連合の常任理事国はアメリカ、ロシア、イギリス、中国の四カ国からなります。では、今日の授業はここまで。このまま帰りの会をしますね」

 先生が板書を消した。

 「明後日、天道都市への使者の発表があります。かなり優秀でないと選ばれないので、選ばれた方を光栄に思い、見習いましょう」

 クラスの皆は机に突っ伏して寝ている相宮実をちらりと見た。それは、彼女は優秀とは正反対の人間だからかもしれない。

 相宮みのりはこのクラス一番の問題児だった。いつも無口で誰の言うことも聞かず、友達もいなければ授業を受ける気もない。よく授業を抜け出してはサボっていた。

 もちろん、みのりは課題を出すこともなく、テストもいつも零点だった。

 周りの視線を、彼女は何も気にしないで動じずにいた。

 帰りの会が終わり、みのりには放課後の部活も、一緒に帰る人もいないので素早く帰っていく。

 家に到着し、ドアを開ける。中に入ると自分の部屋へと直行する。母はいるはずだが挨拶はせず、母も挨拶しない。

 前は母ともよく揉めた。学校から電話がかかってきて、それをしっかり叱ろうとしていた。しかし、みのりが一向に直そうとしないので今は母も特に関与しないようになった。今はただ、みのりの服を洗い、食事を出し、必要なものを買い与えるだけで、その関係は冷え切っていた。

 みのりは部屋に入ると、すぐさまベットに寝転がった。そのまま夕飯の時間まで寝ることもあれば、本を読むこともある。ただの暇つぶしだった。もちろん宿題には手をつけない。

 よく、みのりは有り余る時間を使って自分のこれからを考えた。

 いつも周りに迷惑をかけ、見下されるばかり。自分としても、生きることに前向きになれなかった。かといって自殺なんてする気もなく、これからどうなるだろう、結局自分も他と同じように変わってしまうのか、このまま変わらずクズのような生活をするのか、そんなふうに考え、いつのそこで嫌になって考えるのをやめるのだった。

 「みのり、ご飯」

 部屋の外から母の声がした。

 「はい」

 一日で数少ないみのりと母の会話だった。

 みのりは部屋を出て、食卓に座る。みのり、母、姉、弟の四人で夕飯を食べ始めた。

 「綾、今週の土日の予定は?」

 母が口を開く。綾というのは高校二年生の姉だ。

 「えっと、土曜日は午前中部活で、日曜は遊びに行くかな」

 「誰と?」

 「友達だよ」

 「あや姉ちゃん最近彼氏ができたって自慢してたよね」

 言ったのは小学五年生の弟の蓮だ。

 「余計なこと言わないでいいの!」

 「あら、そうなの。まあ色恋沙汰もいいけど、あんまり悪い人に捕まらないようにね」

 「はいはい」

 三人はこのような感じでいつも楽しそうに喋っている。もちろんみのりは口を開かない。そして、周りも気を遣わないで彼女をいないものとしている。全員、それが一番良いと理解しているようだった。

 みのりは一番最初に夕飯を片付けると、すぐさま風呂に入り、再び部屋に籠る。彼女にとってリビングは早く離れたいものだった。

 部屋に戻ると少しの時間本を開き、やることもないので九時半には就寝するのだった。


 午前五時、みのりは目を覚ました。

 みのりがこの時間に起床するのは、早く寝ているからというのもそうだが、何より家族と会いたくないからだった。

 起きたら歯磨き、朝食など身支度を済ませ、五時半にはもう家を出る。

 みのりは最低限、学校に行くようにしていた。これは、家でも学校でも特に居心地は変わらず、ならば学校へ行こうと考えていたからだった。しかし本当は、学校へ行かなければ本当に終わりだ、と心の中で理解していたからだった。

 校門まで着いた。しかし、そのまま学校へは行かず、学校の横にある公園へ向かった。そしていつも通り、その公園にある小山で草を背に寝転がった。

 学校とその公園は土地が高く、公園からは街全体が見渡せた。みのりはそこで時間を潰すのだった。

 ここには自分以外に誰もおらず、何も考える必要はない。この街が動き出す前の静かな、少し澱んだような空気を味わいながら過ごすこの時間が、みのりは何より好きだった。

 みのりの背後から草を踏む音が聞こえた。

 みのりは怪訝な顔をして振り返る。そこには彼女の学校の制服を着た少年が立っていた。

 「やあ、不良少女」

 彼は軽い口調で話しかけてきた。

 「だれ」

 みのりが不機嫌そうに返した。

 「同じ学校なのにわからないの?俺の名前は鴉田真だよ。相宮みのりさん」

 鴉田真。聞いたことのある名前だった。たしか、テストで一位以外の順位を取ったことがないとされるほど勉強ができ、その上なかなかのカリスマがある人気者として、友達が一人もいないみのりでも知っているほどだった。

 「なんで私の名前知ってるの」

 「そりゃ、君は学校内じゃかなり有名だからね。沈黙の不良だって。となり、いい?」

 真はそう言ってみのりの了承無しにとなりへ寝そべった。みのりはさらに怪訝な顔をする。

 「気持ち悪い。なんでこんな朝早くにいるの?」

 「随分と素直にものを言うんだな。俺はちょっと用事があってさ。それで朝早く来たんだけど、偶然君を見つけてね。前から話してみたかったから、こっちを優先しちゃった。というか、君こそどうしてこんなところにいるのさ」

 「うーん、なんだろ、言葉にしづらい。強いて言うなら現実逃避?ここなら何も考えずに落ち着けるから。わかったなら早くどっか行ってくんない」

 「おお、不良っぽい。もう少しゆっくりさせてよ。あんまり君みたいな人と喋ったことないからさ」

 「私みたいな人?」

 「そう。別に先生に抵抗するわけでもなく、本能に従ってるような天然の不良さ」

 真は意地悪そうな顔で笑った。その姿は、彼女の目にはとても人気者には映らなかった。

 「冷やかしに来ただけなら早くどっか行って」

 「ごめんごめん。でも、その様子から察するに、不良ってことには少し引け目を感じてるのかな?」

 「ああ……まあ、もう中三だし、受験とかの話も出てきて、流石に高校とかは行ったほうがいいよな……とか悩んだりはしてる」

 言った後で、みのりは自分の口の軽さに驚いた。

 「へえ、じゃあ俺が勉強教えてあげようか?」

 真が愉快そうに言った。

 「あんたに教えられるくらいなら私高校行かないわ。さあ、もうこの話終わり」

 自分の話が嫌いなみのりは無理やり話を断ち切った。

 少しの間、静寂が訪れた。そよ風が草花を鳴らす音だけが聞こえる。決して悪い雰囲気ではなかった。

 「君さ、なんでそうなっちゃったの?」

 真が切り出した。

 「あんま話したくない」

 「そっか。でもさ、なんかかっこいいよな。それ」

 「それって?」

 「自分のことをあまり話さずに、他に流されなくて、信念を持ってる動じないやつって感じ?」

 「そう?厨二病ってやつじゃなくて?」

 「自分で言うかね。はぐらかさないでも、結構すごいと思うけどね」

 「だって、聞こえのいいこと言ってるけどそれで何かできるわけじゃないし、あんたに言われると嫌味にしか聞こえない」

 「ああ、こりゃ失礼。そんなつもりは全然ないんだけど。ていうのもさ、俺、自わからなりたくて勉強できるようになったわけじゃないんだよ。うちは親が厳しくてさ、必死に従ってたらいつの間にか周りに勉強ができるやつっていうレッテルが貼られちゃって、イメージを崩したくないからそのまま勉強頑張ってさ、なんだか周りに流されてる気がしてならないんだよな」

 「ふーん。学校一の優等生様がねえ」

 「うわ。嫌な言い方」

 みのりは真を見て微笑んだ。

 「でも最近、勉強してきてよかったなって思えることがあってさ、面白そうなの見つけたんだよね」

 「なに?」

 「天道都市の使者さ」

 ——ああ、あったなそんなの。

 みのりはあやふやな記憶を探った。

 「どんなのだっけ」

 「えっと、世界が一丸となって一つの理想郷を作ろう、という考えの基、さまざまな分野の優秀な人材を集めて協力してそれを建設するっていう日本が中心に行っているプロジェクトだね。毎年それぞれの年齢からたくさんの若者が選ばれて『使者』としてそこへ行くんだ。そしてその使者に選ばれるのが中学三年生から、つまり今年からってこと」

 真は目を輝かせていた。

 「なるほど。それに選ばれるかもってこと?」

 「そういうこと。ついに俺の勉強が報われる!」

 「でも、勉強ができるってくらい簡単に選ばれるもんなの?」

 「もしかして俺のこと舐めてる?選ばれる理由は主に二つあって、シンプルに学業やスポーツ、その他様々な分野で優秀な成績を残した人物か、調査員が選考したトップシークレットの人達。条件はまだ解明されてなくて、コネとか裏口みたいなそういうグレーなやつじゃないかって言われてたりするね。まあそっちはどうでもよくて、前者の学力での基準は、全国模試で二回以上百位以内をとった人が選考範囲って言われてるね」

 「あんたはどんくらいなの」

 「聞いて驚くなよ。今まで受けた全国模試計六回、全部十位以内、しかも一位だってとったことがある!」

 「な……」

 みのりは真がどんな成績を言ってもすました顔をしてやろうと思っていたが、全国一位というのを聞いてて流石に驚いた顔をしてしまった。同時に敗北感を感じてしまう。

 「嘘じゃないよね?」

 「もちろん。成績表を見せたっていい」

 「すげえな……じゃあ、確実に選ばれるのか」

 「まあ多分ね。明日が楽しみだ」

 「明日発表なんだっけ。あ、じゃあもしかして——」

 みのりは何か閃いたかのような仕草をした。

 「用事ってそれのこと?早くきて侵入して確認してやろうって?」

 「おお、察しがいいね。その通り。もしかしたら職員室にもう結果があるかもって。でもまあ、明日までの辛抱だし、結果的に君と話せたしよかったかなって」

 「それは良かったですね。私は唯一の安らかな時間を邪魔されていますが」

 「えー、でも楽しそうだったじゃん」

 図星だった。

 「うるさい。使者だか歯医者だか何だか知らんけど早くそれになってどっか行け」

 「使者ね。ちょっとくらい面白そうって思ったんじゃない?」

 「別に。なんか胡散臭いし。理想郷なんて作ってる暇があったら私の生活を少しでも改善してほしいよ」

 「そう思うんだったら自分が変わらなきゃ」

 「ちぇ、正論言うなし」

 再び沈黙が流れた。

 「——私も、そこ行ったら変われるかな」

 今度はみのりが切り出した。

 「うん。変われる」

 真は落ち着いた声で返答した。

 「かも、じゃなくて?」

 「いや、ほぼ確実だと思うよ。だって君、負けん気強そうじゃん?話しててセンスも感じるし。あとはきっかけだけじゃん?」

 「きゅ、急に何だし……」

 みのりは顔をニヤつかせないように、唇を尖らせた。

 「じゃあ、そろそろ、失礼しようかな」

 真はゆっくりと立ち上がった。

 「君、毎日ここにいるの?」

 「ほとんど」

 「また来るね」

 「来んな」

 「まったく、天の邪鬼だなあ」

 そう言い残し、真は校舎へ走っていった。

 気づけば時間は朝礼の十分前になっていた。みのりはいつもより時が流れるのが早かった気がしたので、少しの間寝ることにした。

 起きたみのりは三時間目から学校へ行き、いつも通り過ごした。

 その間、みのりは鴉田真のことが気になっていた。

 ——君と話せたしいいかなって。

 寝ていた体を起こす。そして周りを見渡してみる。基本的に、教室の誰もがみのりのことを気に留めない。存在を意識されていない。悪いものの話が出た時だけは皆の注目を受けるのに。今日だけは、自分に対する扱いを悲しく思った。

 今までみのりにあそこまで興味を持ってくれたのは、昔の家族以外では真が初めてだった。それが、彼の頭がいいからなのか、ただ単純に気まぐれなのかどうかわからない。

 ——もしかしたら、あいつが自分で言ってた『きっかけ』になるかもしれないな。

 みのりは、真に期待していることに気づいた。それと同時に、認めたくないという素直になれない気持ちも存在していた。

 授業が終わり、先生が下校前の話をしていた。

 「さあ、明日はいよいよ使者の発表ですね。なんと、今年はこの学年から二人も選ばれたそうです」

 クラスがざわめく。その中には鴉田、という単語が多数聞こえた。

 そこで、みのりは鴉田真が使者にほぼ確実に選ばれるというのを思い出し、それに名残惜しさを覚えた。

 家に帰る前に、みのりは少しだけ真を見ていこうかと考えた。学校での真の様子が知りたくなったのだ。

 みのりは全てのクラスを見て回った。当然、真のクラスを知らないのでしらみつぶしだった。

 みのりのクラスから一番離れたクラスの前を通った時、彼女は真を見つけた。

 真はたくさんのクラスメイトに囲まれていた。きっと使者の話をしているのだろう、微笑みながら否定をする様に手を振っていた。

 自分が真を見にいったことが本人にバレるのはなんだか癪に障るため、早々に退散することにした。

 家の前まで到着した。そこでみのりはある気配に気づいた。

 ——まさかあいつがつけてきたのか?

 彼女は周りを見渡したが、誰も見つけることはできなかった。

 ——そんなわけないか。気のせい気のせい。

 みのりは家に入り、いつも通り部屋に直行した。

 彼女はいつも通り本を開こうとする。しかし、頭が他の言葉に支配されて文字が入ってこなかった。それならばと、目を閉じて夢の世界へ逃げようとした。だが、いつまで経っても眠気が迎えに来ることはなかった。

 「ああ!もう!」

 みのりは拳をベットに叩きつけた。

 ——なんであんな奴のことがこんなに気にならなくちゃならないんだ。

 みのりは悔しくてたまらなかった。

 さらにベットに拳を叩きつけた時、何かが机から落ちた。それはみのりには見覚えがない、小さめの木箱だった。

 みのりは不思議に思ってそれを持ってみる。軽かったので振ってみると、何かが入っているのがわかった。

 開けてみると、中には折り畳まれた一つの紙切れと、全体が黒く金属チップが埋め込まれた丈夫そうなカードが入っていた。

 その二つを取り出し、紙切れを開いてみる。そこには、丸っこくて整った字で文章が書いてあった。


 相宮実様

突然で申し訳ありませんがお願いがあります。このカードキーを持って行ってください。必ず、あなた達を助けてくれます。

頑張ってください。そして、ありがとう。大好きです。


 これが紙の内容だった。

 差し出し人不明の手紙にみのりは戸惑った。変哲なカードをもらう覚えも、ラブコールや感謝をされる覚えも全くない。しかし、宛名から間違いなくみのりに対するものである。

 とりあえず、みのりは家族にバレない様にいつもスカスカだった学校用の鞄に入れた。

 みのりはもう一度ベットに寝転がり、深呼吸をしてみる。なんだか、いつもとは違う、それでいて自分のものとも似ているような、そんなにおいがした。

 ——思えば、なんか今日はちょっと変だな。鴉田真に話しかけられて、こんな変な物を見つけて。

 手紙の差し出し人について考えると、みのりはいつの間にか夕飯の席に座っていた。

 席には母、綾、蓮の他に今日は父もいるようだった。

 「ねえ綾、今週の土曜日午後は空いてるわよね?」

 母が会話を始める。

 「うん」

 「じゃあ、ショッピングモール行かない?いつものとこ。お母さん今度後輩の結婚式があるんだけど昔着てた服はもう古くなって着れないのよ。だから着ていく服選ぶの手伝ってくれない?」

 「いいよ」

 「ありがとう。それで終わったら映画でも見ましょう。お父さん、車出してくれる?」

 「おう!任せてくれ」

 父が元気な声で言った。

 「僕も行きたい。お父さん、ゲーセン行こうよ」

 蓮も続く。

 「決まりね」

 「みのりはどうだ?久しぶりに行かないか?」

 「いかない」

 家族が出かけるとき、父親以外は気を遣って誘わないが、彼だけは、いつも朗らかに声をかけていた。

 「それで、綾は日曜日はデートだもんね」

 「だから違うってば」

 母はこういった話題が好きで、主に綾をよく茶化す。

 「またまた、最近帰りが遅いもの。おおかた、彼氏くんの帰り道に合わせているんでしょう?」

 綾は黙った。どうやら図星の様だった。

 それを見て父や弟が笑う。

 「ほらね、お母さんわかっちゃうんだから。それで、どこまでいったの?キス?」

 母はにやけ顔でからかいを続ける。

 「キスは……まだ……」

 「おお、そうなのか。お父さんとお母さんが付き合ってた高校生の時なんて……」

 「お父さん、そこまでよ」

 母が話を遮った。父が笑い声を上げた。

 「そういえば綾、大学は決まったか?まあ、まだ決めなくてもいい時期だとは思うが」

 父が話題を変える。高校二年生の綾は大学進学を考えているようで、最近大学についての話が出るが、その度みのりはヒヤッとするのだった。

 「そうそう、まだ具体的には決まってないんだけど、方向性は決まったよ」

 「そうか、それはよかった!どんな方向性なんだ?」

 「それはまだ秘密」

 みのりはここまで聞いたところで夕飯を食べ終わり、部屋へ戻った。

 午後十一時、みのりは未だ寝付けずにいた。

 ——今年はこの学年から二人も選ばれたそうです。

 先生の言葉を思い出す。真がそのうちの一人だと仮定して、真レベルの人間がもう一人いるということになる。そんな人間いただろうか。みのりに思い当たる節はなかった。一体どんな人間なのだろう。

 午前零時、みのりは流石に眠くなり、眠りに落ちた。

 午前七時、みのりは目を覚ました。普通だったら余裕のある時間だが、みのりにとっては大寝坊だった。もちろん、理由は明白である。

 みのりは急いで支度しようとしたが、この時間にあの場所に行ってもしかたないだろうと考え、ゆっくり行くことにした。

 みのりが部屋から出ると母が台所で料理をしていた。

 「あら?今日は遅いのね、みのり。おはよう」

 「あ……お、おはよう」

 母からの挨拶など久しぶりに聞いたみのりは、驚きのあまり口ごもった。

 「時間ある?あるならお母さんが朝ごはん作ってあげるよ」

 「あ……じゃあお願い」

 母としばらくまともな会話をしなかったせいか、返事の前に「あ……」と言ってしまう。

 みのりはテーブルに座りながら母の料理をしている様子を見る。

 「卵焼き甘いのとしょっぱいのどっちがいい?」

 「甘いので」

 卵がフライパンに注がれ、ジュワっと卵が焼ける音だけが部屋に響く。

 「みのり、昨日なんかあったでしょ」

 「え……あ、うん」

 「お、当たった。さすがお母さん」

 再び卵を焼く音だけが響く。

 「お母さんもお父さんもね、しっかり大学卒業して、レールを歩んできた人生だから、みのりにいい人生を送ってもらおうとすると、叱ることしかできないのよ。でも、叱ったところでみのりは変わらないでしょう?」

 「突然なに」

 「いや、もしその何かがみのりの中できっかけになるなら、手放してほしくないなって。お母さんじゃ大してみのりの手助けをしてあげられないけど、みのりにはいい人生を送ってもらいたくて。頼りないお母さんでごめんね」

 みのりは返答に困った。

 「もしこれから、何か助けてほしいこととかあったら、遠慮なく言ってね。お母さんはどんなみのりでも受け入れてあげるから」

  冷え切っていたと思われた関係は、みのりの思い違いだったようで、母は勇気を出してそれを伝えてくれたらしかった。

 「ありがとう」

 母の言葉に、みのりも素直に返事をした。

 「あ、もしかして、手紙とカードってお母さんがくれたの?」

 木箱のことを思い出し、聞いてみた。

 「なんのこと?」

 どうやら違う様だった。

 「ああ、あの子達かしら」

 「あの子達?」

 「いや、なんでもないわ。ほら、朝ごはんできたよ」

 みのりの前に母が作った朝食が置かれる。卵焼きを食べてみると、しっかり甘い。いつも食べている母の料理が、今日は一段と美味しく感じられた。

 「行ってきます」

 母に挨拶をする。母とここまでのコミュニケーションをしたのは相当久しぶりだった。

 通学路にはいつもより周りにたくさん人がいて、雰囲気が違う。周りの環境のせいか、普段より疲れやすい気がする。

 午前八時二十分、登校時間としてはかなりちょうど良い時間に学校へ着いた。

 下駄箱で靴を履き替え、教室へ行こうとすると、みのりの目の前には鴉田真が写った。

 「おいおい、今日いなかったじゃないか。退屈しちゃったよ」

 真はみのりを見るや否や話しかけてきた。彼女は彼を睨む。

 「しかも職員室に侵入しようとしたけど入れなかったし」

 真はお構いなしに続ける。

 ふと、周りを見てみるとかなりの視線がこちらへ注がれていた。それに何か囁かれている気がする。

 みのりはその空気に耐えられず、真を無視して教室へ向かった。

 一時間目の授業を終え、いつものように一人で休み時間を過ごしていると、近くにいた二人組の女子の会話が聞こえてきた。

 「ねえねえ、相宮さんが朝、鴉田真君に話しかけられてたらしいよ」

 「嘘、いいなあ。私も不良になっちゃおうかな」

 「ちょっと、やめなよ」

 自分に対する噂話の中で、真が人気者だということを再認識したみのりは余計に腹が立ち、そこからは耳を塞いだ。

 そこからは昨日の寝不足が影響しているのか、簡単に時が進み、最後の授業も終わりとなった。

 「さあ、今日は待ちに待った使者の発表ですね。今回この学校からは二人選ばれていますが、その二人はまだ私も知りません。」

 先生が言った。クラス内が騒然とする。

 「発表方法としては、それぞれのクラスで、この封筒に入っている紙を三時半ぴったりに取り出し、発表するという形になっています」

 現在時刻は三時二十八分。発表まで残り二分となった。

 みのりとしては、鴉田真の他に誰が選ばれたのか早く知りたかった。

 発表まであと一分、クラスが静かになり、緊張に包まれる。

「発表まで、あと十、九、八、七……」

 先生がカウントダウンをする。

 「三、二、一、発表します」

 先生は封筒を開け、出てきた紙を開く。

 「今年度、天道都市への使者に選ばれた人物一人目は二年A組、鴉田真さんです!」

 クラスが盛り上がる。しかし、ここまでは予想がついていたようで、そこまで大きな歓声は上がらなかった。

 「さあ、続いて二人目です」

 先生が封筒に入っていたもう一枚の紙を取り出す。

 「発表します。今年度天道都市への使者に選ばれた人物二人目は……」

 紙を開いた途端、先生の目が大きく見開いた。

 「——二年G組、相宮実さんです……」

 「——は?」

 みのりが驚きのあまり目を見開いた。

 クラスが一瞬沈黙する。みのり含めクラスにいる全員が理解できていない様だった。

 「えええええええ!」

 少し間をおいて、クラスの皆が大声を上げる。

 そしてその驚きは他のクラスでも起こったようで、他の教室からも絶叫が起こっていた。

 クラスの皆がみのりの元へ集まる。

 「なんでなんで?相宮さんってなんかすごいことしてたの?」

 「いや、相宮さんって前から自分を貫いてる感じでかっこいいと思ってたんだよねー」

 たくさんのクラスメイトの言葉がノイズのように放たれる。

 「いや、あの……」

 みのりはこんな経験がなかったため、硬直してしまった。

 「みなさん、静かにしてください。相宮さん、詳細が書かれた書状をお渡ししますので取りに来てください」

 先生が場の空気を制した。

 「先生、本当に私なんですか?何かの間違いとかじゃなくて……」

 みのりが書状を受け取りながら尋ねる。

 「うーん、私も混乱していますが、向こうに手違いはないと思いますね。だから、おそらく確定じゃないかなって思いますけど」

 「わ、わかりました……」

 「それではみなさん、席についてください」

 皆は一応席に着くが、視線はみのりに注がれていた。

 「相宮さんにあまり迷惑をかけないように。それでは、さようなら」

 先生が挨拶をした瞬間、クラスメイトはさっきと同じ様にみのりに飛び込んでいった。

 みのりもそれがわかっていたようで、その集団をするりとかいくぐって即教室から出ていった。しかし、クラスの外にもたくさんの生徒が待ち伏せており、完全に鬼ごっこ状態だった。

 彼女は危機察知能力に長けているようで、生徒達の集団を颯爽と避けていく。一瞬真はどうなっただろうという考えが頭をよぎったが、今は自分のことで精一杯だった。

 みのりはやっとの思いで家に着いた。久しぶりにかなりの距離を走ったので息が切れている。

 幸運なことに、追尾からは逃れられたようで、周りに人はいなかった。

 みのりは急いで部屋に入り、状況を整理しようとした。

 そのためにまず、先生からもらった書状を読む。どうやら選ばれたのは本当のようだった。

 以下は、書状の内容をまとめたものである。

・天道都市へ行くのは発表されてから一週間後

・一度天道都市行ったら二度と戻ってくることができない

・天道都市では家族含め外部との連絡が取れない

・辞退をするなら特別な手続きが必要

・出発の際、見送りはできない

 読み終える頃には、みのりの呼吸は落ち着いていた。同時に、いくつもの疑問が頭に浮かぶ。

 ——行くことが前提になってるけど……それほど必要とされてるのかな。でも、一度向こうに行ったら戻ってこれない上に外部と連絡取れないってのは絶対おかしいよな。そもそも、なんで私が選ばれたんだろう。選考理由は載ってないし。

 みのりは不安だった。今までやるべきことから逃げてきた彼女にとって、真のような人間が多数いるところで上手くやっていける自信がなかった。

 ただ、みのりは内心喜んでもいた。自分が必要とされている上に、真や母が言っていた『きっかけ』に出会った気がしたからだ。

 天道都市についての問題が山積みにある中、目前に迫っている問題として、家族に伝えなければならない、というものがあった。

 ——一体どういう風に伝えよう。家族はどんな反応をするかな。家族は行くことに賛成かな、反対かな。みのりはいつもと同じ様にベットに寝転がり考える。昨日と違い、いつもの匂いだった。

 「みのり、ご飯」

 みのりはハッと目を覚ました。この大切な時に寝てしまった様だった。

 「はい。ところでお母さん、今日学校から電話あった?」

 母の様子からおそらくきていないだろうとは思ったが、一応確認しておくことにした。

 「え?別にきてないけど。何かやったの?」

 「いや、きてないならいいや」

 「そう?悪さもほどほどにするのよ?」

 ——自わから家族に伝えろってことか。

 みのりは緊張して食卓に着く。夕飯を口へ運ぶが、朝とは反対に味が感じられなかった。

 母、姉、弟も何か言いたげなみのりの様子を察知してか、少し気まずそうにしている。

 「あ、あのさ……」

 みのりは意を決して口を開いた。他の三人は黙って次の言葉を待っている。

 「私、天道都市の使者に選ばれた……」

 掠れた細い声で、みのりは言った。

 「えええええええ!」

 三人が驚きの声をあげる。今日二度目の反応だった。

 「ほんと?あんた何したの?まさか何かあったってそれのこと?何かの間違いじゃないの?」

 母が慌てた声で質問攻めをしてきた。

 「いや……選ばれたのは……ほんとみたい……なんで選ばれたのかはわかんないけど」

 みのりは絶え絶えに言う。家族に圧倒されていた。

 「お母さん、一旦落ち着こ。まずは……おめでと?」

 綾が母を抑える。

 「そ、そうね。みのり、おめでとう」

 「みのり姉ちゃんすげーじゃん。おめでとう」

 蓮も続いた。

 「あ、ありがとう。今、紙持ってくるね」

 みのりは部屋から書状を取ってきて家族に見せる。

 「相宮実ってほんとに書いてある。嘘じゃないね」

 綾がまじまじと書状を見つめる。

 「え、うそ。行くの来週なの?早すぎじゃない?」

 母が気づいた。

 「しかも一回行くと二度と戻れない?連絡も取れない?おかしくない?」

 「それは私もそう思う。じゃ、ちょっと落ち着きたいから」

 「え、ちょっとみのり!」

 みのりは逃げ出すように部屋に入った。

 しばらくすると、玄関からドアの開く音が聞こえた。

 ——来る。みのりは察した。

 「えええええええ!」

 リビングの方で父の叫ぶ声がする。本日三度目の再放送だった。そして、みのりの部屋の方へ大きくて速い足音が近づいてくる。

 「みのり、使者えらばれたって本当か!すごいすごいすごい!」

 仕事帰りとは思えない程に元気な父がドアを開け、みのりの部屋に突入してきた。

 「う、うるさい……」

 父の声は今日聞いたどの叫び声よりもうるさかった。

 「いやあ、本当にすごいな、みのり。一体何したんだ?色々お父さんに聞かせてくれよ」

 父はとてつもなく興味津々の様だった。

 「私もわかんなくて……」

 「そうかそうか。でも嬉しいなあ、娘が天道都市の使者だなんて。早く皆に自慢したいよ。向こうに行っても頑張れよ!」

 「え?」

 「なんだ。行くんじゃないのか?」

 「うーん……」

 「もちろん、選ぶのはみのりだが、お父さんは行ったほうがいいと思うぞ。子供に選ばせるのも親の務めだが、子供の背中を押すのもまた、親の務めだからな」

 そう言って、父は嬉しそうに部屋を出て行った。

 みのりは行くか、行かないか、という問題について考える。一度行ってしまうと戻れない、外部と連絡が取れない、という情報が行かないという選択を後押ししていた。

 ——うん、変われる。

 真の言葉を思い出した。

 ——あいつと話したら、決められるかな。明日あの場所に行こう。

 みのりはそう思い、その日を終えた。


 午前五時、みのりは目を覚ました。

 早速支度をしようとリビングに向かうと、そこには母がエプロンをして台所に立っていた。

 「おはよう、みのり」

 「なんで起きてるの?」

 「いや、みのりがいつもこの時間に起きてるってのは知ってたから、昨日みたいに朝ごはん作ってあげようと思って。ほら、他の準備してきちゃいなさい」

 「わかった」

 みのりは準備を終え、昨日と同じように朝食を作っている母を見ていた。

 「みのり、行くの?」

 「まだ、わかんない」

 それをこれから決めに行くところだった。

 「やっぱり、行った方がいいよね。昨日お母さん、きっかけがどう、て言ってたし……」

 「そうなんだけどね、お母さんは行ってほしくないなって思ってるのよね。一貫性がないこと言ってごめんね」

 「いや、全然大丈夫だけど……」

 「そりゃ、みのりがあの天道都市の使者に選ばれたのは嬉しいけど、一度行ってしまったら連絡も取れなくなるなんてねえ。嫌よ、そんなの」

 「でも、つい最近までろくに話してなかったじゃん」

 「いや、あれは気を遣ってたのよ?みのりは今干渉してほしくないんだろうって。それに、家族なんて、近くにいてくれればそれでいいのよ」

 「お母さん……」

 みのりは、今まで家族を嫌ってきたことを恥ずかしく思った。

 「行ってきまーす」

 朝食を食べ終え家を出る際、母に元気よく挨拶をした。

 ——行かなくてもいいかな。

 通学路を歩きながら考える。母にああ言われ、心は天道都市に行かない方へ傾いていた。

 しかし、まだ真と話していないみのりは、早足で公園へと向かった。

 公園に足を踏み入れると、そこにはすでに真が佇んでいた。

 「おい!相宮!君選ばれたんだってね!」

 足音で気づいた真が駆け寄ってきた。

 「そう、なんでかね」

 「またまた、不良ぶって本当はなんかしてたんでしょ。ちゃっかりしてるなあ」

 「いや、本当に理由がわからないんだよ」

 「うーん、じゃあんなんでだろう……あ、もしかして君、やった?」

 「え?どういうこと?」

 「この前選考理由がわからない人達がいるって言ったじゃん。もしかして、グレーなことやったんじゃないかって」

 「やってないし。そもそもグレーなことってなに」

 「まあ、そうだよね……でも、よかったじゃないか。これで変われるよ」

 「いや、私まだ行こうかどうか悩んでる」

 真は驚いた顔をした。

 「正気か?行かなかったら絶対後悔するって」

 「だって、周りの皆とはもう会えなくなるんだよ?悲しくないの?」

 「いや、俺はそれよりも使者に対する情熱が勝るね」

 「家族にも会えないんだよ?」

 「家族もねえ、あんまり良い関係じゃなくてさ……」

 「そう……」

 つい最近まで家族が好きではなかったみのりには、真を否定することはできなかった。

 「でも、君と別れるのは悲しいなあ」

 「え?なんで?」

 「だってせっかく君と仲良くなれたから」

 「別に仲良くなってないですけど」

 「えー、ひどい。まあ、本音としては、せっかく使者に選ばれた君を、近くで見ていたいんだ。だってさ、今から君がめちゃくちゃ成長して、どんどん功績を残していくところを想像してみたら、すごくワクワクしない?同期として俺らが一緒に活躍してさ、それってすげーかっこいいじゃん」

 「活躍する前提なの……」

 言いつつ、その言葉を受けて、みのりの心が今度は天道都市へ行く方へ傾いていた。

 「だから、一緒に来てほしいな。大丈夫。君ならできるよ」

 真が立ち上がり、みのりに手を差し出した。彼の後ろには陽光が輝いていた。

 みのりはこれまでにない、胸の高鳴りを感じた。母親の温かい言葉さえ吹き飛ばすような高揚。いつの間にか、真の手を握っていた。

 「わかった。まあ……よろしく。鴉田」

 「ああ、よろしく。相宮」

 そう言って、真は微笑んだ。

 二人にはまだ時間が余っているので、いつもみのりがしているように過ごすことにした。

 みのりと真は公園の小山に寝転がっている。

 「このまま何もしないの?」

 「うん」

 真が伸びをした。

 「確かに、風が心地よくて気持ちいいけど、暇になっちゃいそうだな。俺なら勉強するかも。あ、向こうで勉強の遅れ取り戻さないとね」

 「う……やっぱり行くのやめようかな」

 「おいおい。前も言った通り、いつでも俺は手伝うからさ、そこは頑張ってよ」

 「はあ……善処します」

 「よろしい」

 みのりは若干の憂鬱に、ため息をついた。

 「そういえばさ、先生にもらった紙に見送りができないって書いてあったんだけど、なんでだろう」

 「おそらく、天道都市の場所がバレない様にするためだね。天道都市の場所は完全非公開なんだ」

 「そんなこと聞くと、やっぱりなんだか胡散臭いな」

 「それは君が簡単に選ばれてしまったからだよ。天道都市の使者にはたくさんの有名人や天才と言われる人々が選ばれ、派遣されている。だから信用があるんだ。君はこれからそんな所に行くんだ。もっと自覚を持って欲しいね」

 みのりは唇を尖らせた。

 「そうですね、あなたはとても努力が必要でしたけど私は必要ありませんでしたので」

 「くそう、そう言われるとなんか敗北感あるな……」

 みのりは勝ち誇ったように鼻を鳴らした。しかし、すぐさま自分の言っていることの惨めさに気づき、彼女は肩を落とした。

 「相宮、昨日周りの人をどう対処した?」

 真が話題を切り替えた。

 「普通に逃げた」

 「いいなあ、俺なんて昨日五時近くまで学校から出られなかったよ。でも、これから一週間、ずっと逃げてるわけにも行かないだろう?」

 「それは思う。どうしようかな」

 「せっかくの機会だから、周りの人と関わってみたら?」

 「何を突然」

 「いや、君は中学に上がる前から不良だったって聞いたからさ、ろくに中学生活を謳歌できなかったんじゃない?だから、これから天道都市に行くまでの六日間、今までやれなかったことやったらいいんじゃないかって。俺も手伝うからさ」

 「うーん、やってみる……か」

 「よし。じゃあ早速、やりたいこと言ってみなよ」

 「えっと、まずは……」

 みのりと真は話し合い始めた。


 「こんなところかな」

 みのりは一通り話し終えると、両手を地面につけ、そこに重心をかけた。

 「わかった。じゃあ、今日準備をお願いするとして、今日と明日余るけどどうする?」

 「いや、特にないけど」

 「じゃあさ、俺に君の生活を教えてくれない?」

 「どういうこと?」

 「君の生活に興味があってさ、俺も君と同じ様に過ごしてみたいんだ」

 「なにそれちょっときもい。別にいいけど、多分面白くないよ」

 「き、きもい……?まあいいや、教えてよ」

 二人はもう少しだけ話した後、学校に向かった。


 一日目

 みのりと真は準備を頼むため、二人でみのりのクラスに向かった。

 教室に入ると、クラスが静まり返る。そして、黒板には『相宮実』と『鴉田真』の相合傘が書いてあった。

 「お、噂の相宮みのりが旦那を連れて登場だぜ」

 クラスの中にいた一人の男子が言った。

 「お、おい、なんだよこれ」

 真が慌てた声で近くの女子に聞いた。

 「な、なんか森田くんが相宮さんと鴉田くんのことをよく思ってないみたいで……」

 その女子はおどおどしながら返した。そんな中、みのりが大きくため息をついた。

 「別に私のこと嫌いな人なんてごまんといるでしょ。気にしなくていんじゃない」

 その声はみのりが発したとは思えない、堂々とした大きな声だった。

 「それで、こいつと一緒に来たのは皆にお願いがあったからで……」

 みのりは黒板を消しながら真と一緒にやりたいことについて話し始めた。途中、先生が入ってきて、先生にも話を聞いてもらった。

 二人が話を終えると、今度は真のクラスへ行き、今日は真はみのりのような生活をするが大目に見てほしいということを伝えた。


 学校が始まった。

 一時間目、真は眠くもないが机に頭をつけ目を瞑っていた。

 ——まず、一時間目は寝る。周りのことなんて気にしない。

 みのりの言葉だった。

 しかし、いつも授業を受けている真に見慣れているクラスメイトは彼のいつもと違った行動に何度も目を向ける。真には周りを気にしないことなどできず、眠れなかった。

 二時間目、音楽の時間、音楽室への移動教室。しかし真は音楽室に行かなかった。

 ——移動教室の時はチャンス。誰もいないから机をつなげてベッドにできる。でも時間に気をつけて。皆が戻ってくる前に直さないと気まずい。

 真は渋々机をつなげてそこに寝転ぶ。そして、バッグを枕の代わりにした。

 その時は誰もいないおかげか眠れたが、起きた時にはすでに教室内に数人帰ってきていた。そして、みのりの言った通り、相当気まずい雰囲気を味わった。

 三時間目、真は急いで机を飛び出し、教室の外へ飛び出していった。

 ——移動教室の後は教室を抜け出すことが多い。誰にも抜け出していくのが見られないから。

 真は飛び出していったは良いものの、どこへ行けばよいかは聞いていなかったので、居場所を探すのに苦労した。

 まず、屋上に行ってみようとするが鍵がかかっていて行けなかった。その次はあの公園に行こうとしたが、行くには必ず通らなけらばならない校庭に体育の授業でたくさんの生徒がいるためいけない。最終的に行き着いたのはトイレの個室になり、その中で真は屈辱を感じた。

 四時間目、真は教室に戻っていた。

 ——四時間目は絶対教室にいる。次は給食だから。四時間目の後に教室に戻ってきて、給食のためだけに戻ってきたと思われたくないから。

 ——ろくに授業を受けないくせに、給食だけはしっかり食べるのか。というか、給食のためだけに戻ってきたと思われるでしょ。

 そんなことを思いながら、真は眠りにつこうとする。しかし、依然として眠れなかった。

 給食の時間、真の席は他の生徒と距離が離れていた。

 ——給食は周りの人と離れてる。皆が勝手に離してるだけだけど。

 真は周りが勝手に机を離すわけではないので、渋々みずから距離をとった。

 昼休み、真は図書室にいた。

 ——昼休みは図書室にいる。同じクラスの人が少ないから。

 ——やっぱり、同じクラスの人に見られるのは嫌なんだな。

 退屈凌ぎのために本を読もうと本棚を見ていると、後ろにみのりが現れた。

 「調子どう?鴉田」

 「最悪。君がこんなに大変な生活をしてたとはね」

 「どんなところが大変?」

 「どんなところって注目浴びすぎじゃないか。これなら普通に授業受けてた方が全然マシだと思うけどな」

 「慣れれば楽だよ」

 「そうかい。ところで、教室抜け出した後ってどこにいけばいいんだ?」

 「普通に学校外」

 「考えが及ばなかったな……」

 「どこにいたの?」

 「……トイレの個室」

 みのりが笑った。

 「なんか惨め。おもしろい」

 真は少しだけ赤面し、言い返す。

 「そういう君だって給食だけ食べるってのはどうなんだ?恥ずかしくないの?」

 「何もしなくても腹は減る」

 「強敵だな、こりゃ」

 真はため息をついた。

 真とみのりは昼休みを過ぎても図書室に残っていた。

 ——五時間目は司書の先生が必ずいないから図書室で過ごしてる。真は周りを見渡したが、本当に先生はいない様だった。

 「相宮、君は今日どうだった?」

 みのりはその言葉を聞くと、ため息をついた。

 「本当に大変。まさかここまでとは……」

 みのりは今日のことを話し始めた。


 一時間目、全員がみのりのことを見ていた。いくら周りを気にしないと言っていた彼女でも、全員に見られると話は変わってくるようで、眠れなかった。

 二時間目、なんと先生が最悪のアイデアでみのりへの質問コーナーなるものを始め、大いなる苦しみを受けた。しかし、クラスメイトはみのりの事情を大体把握したようで、少しは興味が収まった様だった。

 三時間目、移動教室。いつもの通りサボろうと教室にいると、あろうことか担当の先生がみのりのことを呼びにきた。そして授業を受けさせられた。

 四時間目、みのりは疲れて寝ていたが、先生がコミュニケーションを図ろうと何度もみのりに質問を当ててきた影響でろくに眠れなかった。

 給食の時間、またも先生はみのりにとって苦痛になることを企て、みのりを中心にして給食を食べるという暴挙に出た。その時に食べる給食の味は味がしないどころか不味いとさえ言えるものだった。

 そして、昼休み、やっとのことで逃げ出し、今に至る。

 「散々だった……」

 「当たり前でしょ。というか、逆になんで今までと同じように過ごせると思ったんだよ……」

 「確かに……ところで、明後日の準備はしてくれた?」

 「いい感じに手配してあるよ。でも、意外だったな。君があんなこと言うなんて」

 「ちょっと恥ずかしいけどね……」

 六時間目、みのりも真も他の時間と同じ様に過ごし、その日の学校を終えた。

 みのりは家に帰ると、綾と蓮の帰宅を待ち、三人を集めた。

 「お母さん、綾ちゃん、蓮くん」

 綾ちゃんとは、昔からのみのりから綾への呼び名で、蓮くんも同様、弟に対しての呼び名である。

 「私、天道都市の使者になることにしたよ」

 母は少し悲しそうな顔をしたが、すぐさま笑顔になった。

 「いってらっしゃい、みのり」と母。

 「頑張ってきなよ!」と綾。

 「みのり姉ちゃんのこと忘れないから!」と蓮。

 「ありがとう……」

 みのりの長らく放置されていた涙腺が、久しぶりに刺激された。

 その日の夕飯で、みのりは綾に話しかけた。

 「綾ちゃん、あのさ……」

 「なに?みのり」

 綾は元気に答える。

 「綾ちゃんの服……貸してくれない?」

 「うん?いいけど……なんで?なんかあんの?」

 「じつは……」

 みのりは事情を話した。

 「なるほど……めっちゃいいね、それ!」

 「そうだ、そんなことしないで、明日みのりも一緒にショッピングモール行かない?買ってあげるわよ」

 母が提案した。

 「確かに。ウチの使うより新しくみのりの好きなもの買った方がいいよ」

 「いいの?」

 「もちろん、みのりを送り出すんだから、悔いを残さない様にしなきゃ。いくらでも買ってあげる」

 「ほら、お母さんもそう言ってるし、いこ?」

 「皆が言うなら……うん。ありがとう」

 夕食後、父が帰ってきた後、みのりは天道都市に行くというのを伝えた。

 「いやー、お父さんはこんなに誇らしい娘を持って幸せ者だよ。お父さんの分までよろしくな!」

 みのりは頷いた。

 

 二日目

 午前中、みのりは真と一緒に図書館に来ていた。

 「ねえ相宮、君はいつも図書館にいるの?」

 真は囁き声でみのりに話しかける。今日は真がみのりの休日を体験するという日だった。

 「午前中は大体そうかな。ああそういえば、午後は予定が入ったから無しになった。まあ、午後は元から何もしないけど」

 みのりも同じ様に小さな声で返す。

 「了解。あとこれ」

 そう言って真は『中学歴史』と書かれた参考書をみのりに差し出した。

 「ありがとう。頑張る」

 「楽しみにしてるよ」

 真は立ち上がり、本棚に行く。それにみのりも続いた。彼が本を一つ抜き取ろうとした時、みのりが声をかけた。

 「ああ、それ序盤面白くないから読むだけ損だよ」

 「知ってるの?」

 「偶然」

 「じゃあ、おすすめの本は?」

 「これかな。短編集だから読みやすい」

 みのりはある本を指差した。

 二人は席に戻り、みのりは参考書、真はみのりの選んだ本を読んでいた。

 真は時々チラッとみのりの方を見てきた。その様子に、みのりは痺れを切らして声をかけた。

 「なんか用?」

 すると、真が慌てたように答える。

 「い、いやあ、わからないところとかないかなって」

 「歴史は覚えるだけだから大丈夫」

 「そ……それは良かった」

 二人は読書を続けた。

 時間は午後に差し掛かり、みのりはショッピングモールへ行くため真と別れ、家に帰った。

 「さあ、行くぞ!」

 みのりが家に入るや否や父が大きな声を張り上げる。誰にでも朗らかな態度をとる父は、みのりが使者になる前から、彼女に対する態度は変わらなかった。

 ショッピングモールに着くと、まず最初に家族でフードコートで昼食をとった。

 みのりと蓮、母はラーメン、綾と父はハンバーガーを買ってきた。

 「みのり姉ちゃんメンマ食べてー」

 蓮が言った。

 「蓮、好き嫌いしない」

 綾がそう言ってハンバーガーにかぶりつく。

 「うえ、これピクルス入ってんじゃん。みのり、食べてー」

 綾がハンバーガーからピクルスを取り出し、みのりのラーメンに入れた。

 「あや姉ちゃんこそ!しかもラーメンに入れてるし!」

 そう言いながら蓮もメンマをみのりのラーメンにそっと入れた。

 「もう、何してんのアンタら。ほらみのり、嫌だったらお母さんに寄越していいからね」

 隣の席の母が言う。

 「いや、別に大丈夫」

 「ほんと、みのりは好き嫌いがなくて偉いわね、じゃあ」

 そう言った母は、きくらげをみのりのラーメンに入れ始めた。

 ——お前もか。

 母にそんなことは言えないので、みのりはその言葉をスープと共に飲み込んだ。

 食事を終えると、蓮と父はゲームセンター、みのりと綾、母は服屋に行った。

 「お母さん、結婚式の服はいいの?」

 みのりは服を見ながら尋ねた。

 「いいのよ、結婚式はまだまだ先だから。それより、これなんてどう?」

 母は服を持ってくる。

 「お母さん!花柄で紫色のワンピースなんてババ臭すぎるでしょ!」

 綾が口を出した。

 「そう?花柄可愛いじゃない」

 「もうちょっと服自体の柄は抑えた方がいいって」」

 「そんなの着てみなきゃわかんないわ。ほらみのり、試着室行きましょ」

 そこからは、母と綾が持ってきた服を着ては脱いでを繰り返した。何度か綾と母が衝突している場面もあったが、最終的に二人が納得する物が見つかり、それを買った。

 次に靴、装飾品、バッグなど、やはり母と綾が衝突することもあったが一通り買い揃えた。もはやその二人の買い物だった。

 みのりが振り回された疲れでベンチに座っていると、ゲームセンターから帰ってきた蓮が話しかけてきた。

 「みのり姉ちゃん、ほんとにもう会えなくなっちゃうの?」

 幼い蓮に対して、その質問に答えるのは少し腰が重かった。

 「そういうことになるかな。一緒に居られなくてごめんね」

 「大丈夫だけど、寂しくなるなあ……」

 その答えは、本人が意識しているかはわからないが、みのりに心残りを残させないかつ、傷つかないように気が遣われた発言だった。

 「でも、なんで行くことにしたの?」

 「そうだな、一緒に行く人と気が合ったからかな」

 「みのり姉ちゃんはその人に恋してるんだね」

 「え?」

 みのりはその言葉に驚いた。それを受けて、彼女は真との関係を考えてみたが、いまいちよくわからなかった。

 「いや、恋に恋してる綾ちゃんとは違うから」

 「恋に恋……?まあいいや、その人と喧嘩しない様に仲良くね!」

 蓮は無邪気に笑った。

 その後、家族全員で映画を見た。内容は、ファンタジー要素のある高校生のラブストーリーで、退屈はしない話だった。

 映画を見終わると、みのり達はレストランで夕食をとり、家に帰った。


 三日目

 みのりは綾に髪を結ってもらっていた。

 ——女子っぽいことがしたい。みのりがそういうと、真は驚いた顔をした。それならばと、真の人脈を使い、女子力に定評がある人を集め、遊びに行く、というのがこの日の予定だった。

 「みのりはいいなあ、背高いし、美人だし」

 綾がみのりの髪を編み込みながら呟く。そう言う綾は背が低く、童顔で美人というより可愛らしい、という印象だった。

 「というか、なんでウチの服借りようと思ったのさ。絶対入らないでしょ」

 「確かに……」

 午前十一時、みのりは待ち合わせの場所の駅前に到着した。彼女は髪の一部が編み込まれているヘアスタイル、水色のワンピースに銀色のネックレス、少しかかとが高い洒落たサンダル、という格好だった。

 待ち合わせの場所には三人、輝かしいオーラを醸し出している女子がいた。そして、みのりは他のもう一人に目を向ける。

 「なんでお前がいんの」

 そう言われたのは真だった。彼は目を見開いている。

 「い、いやあ、なんか面白そうだからついてきちゃった。なかなか様になってるじゃないか」

 「帰れ」

 「えー、せっかくここまできたのに……離れててもダメ?」

 「それだと余計気持ち悪いでしょ」

 「まあそうか……」

 その時、女子三人組の一人が笑った。

 「なんか、真君って相宮さんといると全然感じが違うね!」

 「確かに。相宮さんの前だといつもの雰囲気を全然感じないっていうか」

 もう一人が続いた。

 「初めまして、相宮さん!いや、みのりちゃん!今日はよろしくね!みのりちゃん、ほんと可愛いよ!」

 最後の一人が元気よく言った。みのりは少し圧倒されてしまった。

 「よ、よろしく……」

 「それじゃあみのりちゃん、早速ご飯食べに行こうか!それから真君、流石についていくのは無粋じゃない?」

 ——無粋、か。気が遣えてて、良い言葉だな。

 「そうだね……帰ることにするよ」

 真はトボトボと歩いていった。

 「それじゃ決まり!みのりちゃん、行こっか!」

 みのりは手を引っ張られ、三人組についていった。

 最初に訪れたのは、内装が木で作られつつ、モダンな雰囲気を感じさせるカフェだった。

 「みのりちゃん!ここはパンケーキが美味しいから皆で頼も!」

 そもそも昼食にパンケーキを食べるという概念すらないみのりだったが、数あるメニューの中からなんとか一つを選び注文した。

 「そういえばさ、まだ皆の名前を教えてもらってないんだけど、教えてもらっていいかな?」

 みのりはやっとの思いで切り出す。未だ、髪型でしか判断できなかった。

 「私は夏帆!」

 唯一茶髪の女子が言った。

 「うちは玲那!」

 リボンの髪飾りをつけている女子が言った。

 「芽衣はめいだよー」

 ベレー帽をかぶっている女子が言った。

 みのりは心なしか、彼女達の名前さえも圧倒的にオシャレに感じた。

 しばらくお互いについての会話を交わした後、これでもかと装飾が施された色鮮やかなパンケーキが届けられた。すると、三人は揃って携帯を取り出した。

 「あれ、みのりちゃん携帯持ってないの?」

 茶髪の夏帆がみのりに問いかけた。

 「持ってないな……皆何するの?」

 「写真撮ってSNSにあげるんだよ!いいねとかついて楽しいよ!」

 「みのりちゃん撮ってあげるよ。ほら、ピース!」

 リボンの玲那が携帯の電源をこちらに向けてくる。みのりは慌ててダブルピースをした。

 携帯からカシャ、という音が鳴った。

 「お、いい感じー」

 ベレー帽の芽衣が玲那の携帯を覗き込む。玲那がその写真を見せてきた。それは、加工が入っているのかとても綺麗な自分の姿が映っており、自分の服装や髪型も相まってみのりはなんだか満足感を得られた。

 みのりは撮影会を終え、やっとのことでパンケーキを食べ始めた。

 「そういえばさ、あいつって学校だとどういう感じなの?」

 「あいつって真くん?」

 「うん」

 「そうだなー、これっていう友達はいないけど皆から好かれるって感じかなあ」

 「そうそう、すっごい頭良くて、自分をしっかり持ってる感じだけど、ちゃんと優しいみたいな」

 「結構お節介なところもあるけど、そんなところに女子が惚れちゃうんだよねー」

 「友達はいないの?」

 「うーん、誰とでも喋るけど、いつも一緒にいるっていう友達はいないかなあ」

 「結構一人でいることも多いよねー」

 ——くっそう。あいつ結構かっこいい感じでやってるのか。でも、なんか、芯を持ってて、周りに流されてるって感じじゃないよな。

 みのりには、真が話していた自己像とは相違があるように感じた。

 「次さ、皆で雑貨屋に買い物に行こ!」

 みのりが考えているうちに、次の話題が出てきた。話がどんどん切り替わる。

 食事を終え、話の通りに近くの雑貨屋へ寄った。

 「これどう?みのりちゃんに良くない?」

 夏帆がみのりの頭に真っ赤なシュシュを近づけてきた。

 「ちょっと派手じゃない?私にはあんまり……」

 「ワンポイントは派手な方がいいよ!」

 「そうかな……じゃあ買おうかな」

 上手いこと口車に乗せられている気がしたが、今はそれが心地よかった。

 「これめっちゃ可愛くない?」

 玲那が謎のストラップを指差した。みのりにはよく可愛さがわからなかった。

 「じゃあ、これ皆で買おうよ!お揃い!」

 ——やっぱり、お揃いってのは特別なのかな。

 みのりは流されるままシュシュとストラップを買った。

 雑貨屋の前にはゲームセンターがあった。夏帆がそれを見た途端、再びみのりの手を引っ張った。

 「プリクラ!プリクラ撮ろ!」

 みのりが生まれて初めて撮ったプリクラは、自分が宇宙人になったのではないかと思うほど、目が大きくなっていた。

 ——私には合わないな。

 写真を見ながら、みのりは心の中で呟いた。

 「これって、どうすれば……?」

 「お財布に入れたり、道具に貼ったりするんだよー」

 みのりはなるほどと思い、プリクラをそっと財布に入れた。

 ゲームセンターを出ると時間は午後三時前、まだ帰るには早い時間だった。

 「最後に、カラオケ行かなーい?」

 芽衣が口を開いた。

 「お、いいねー。みのりちゃんもそれでいい?」

 「もちろん。歌なんて小学生以来だな……」

 みのりにとってカラオケは、少し入りにくい雰囲気がある場所だった。入るために心の準備をしていると、これまた夏帆がみのりの手を引っ張り、受付を済ませてくれた。

 「みのりちゃん、何歌う?というか、何歌える?」

 部屋に入り、玲那が早速みのりへとマイクを向ける。

 「最近の曲とかはあんまり……でも、最近の曲の方がいいよね」

 「なんでも大丈夫だよ!でも、もし最近の曲歌いたいなら私達が歌ってる間に覚えたらいいよ!」

 玲那は携帯とイヤフォンをみのりに差し出した。

 「このプレイリストが最近の流行ってるやつかな」

 三人が歌っている間、みのりはプレイリストを回して自分の気に入る曲を探した。みのりが音楽をしっかりと聴けるよう、カラオケの音量は下げられていた。

 数十分後、みのりは曲を決め、何度もその曲を繰り返し聴き、歌う準備が整った。

 「歌う曲、決まったよ」

 「お、なになにー」

 みのりは曲名を指差した。

 「お、この曲を選んだかー。早速歌ってよー」

 みのりはマイクを持ち、歌い始めた。その曲を選んだのは、ノリの良さがありつつ綺麗さも兼ね揃えている曲調が気に入ったからだった。

 声を張り上げて、感情を込めて歌った。上手いかどうか、周りがどう思うか、そんなことは忘れていた。

 ——歌うのって、楽しいな。

 歌い終えると、みのりは三人の注目に気づいた。その沈黙に不安になる。

 「——みのりちゃん、すごい!上手!」

 「歌手デビューだねーこりゃ」

 「アンコール!アンコール!」

 「ええ、お世辞?」

 「本当だよ!もう一曲歌って!」

 みのりは頬を緩め、もう一曲歌う準備をしようとしたが、終了を告げる電話が鳴った。

 「あ……もう終わりかー。みのりちゃん、延長しちゃダメ?」

 夏帆が残念そうに呟いた。

 「ごめん……ちょっとやらなきゃいけないことがあって」

 「そっか……じゃあ今度向こう行く前にもう一度聞かせて!約束!」

 「うん。いいよ」

 みのりは求められているということを、素直に喜んだ。

 四人はカラオケから出て、お別れの挨拶を始めた。

 「皆、今日はありがとう。でも、どうして遊んでくれたの?」

 「うーん、それは真君に頼まれたからだけど……」

 「あいつ信頼あるな……」

 少しだけ、真のことが鼻についた。

 「でも、みのりちゃんすっごく可愛いし、歌上手だったし、すっごい楽しかったよ!本当にこのまま友達になりたいくらい!」

 みのりは顔を下に向ける。浮ついた顔を見られたくないからだった。

 「あれ、みのり?」

 「あ、綾ちゃん。やっぱりデートだったんだ」

  彼氏と思しき人物と並んでいる綾が話しかけてきた。

 「この子達が遊んでくれたんだね。ありがとうねー。みのりの姉の綾です」

 綾は三人に向かって頭を下げ、三人もそれを返す。

 「ほら、これがうちのみのりだよ」

 綾が彼氏に言った。

 「天道都市の使者に選ばれたっていう綾の妹さんね。こんにちは」

 「あ、こんにちは」

 みのりは軽く頭を下げた。

 それぞれが少しの雑談を挟んだ後、みのりと綾は一緒に帰路に着いた。

 「皆かわいい子ばっかりだったね」

 「うん、しかもすっごく良い子で、すっかりエスコートされちゃった」

 「ふーん。じゃあもうちょっと遊んでくればよかったのに。晩御飯一緒に行くくらい大丈夫だと思うよ?」

 「いや、ちょっと勉強しなくちゃいけなくて……」

 「えええ!!!あのみのりが勉強?」

 綾が叫ぶ。その声は父の叫び声に匹敵するほどだった。

 「明日学校で特別日程みたいなの組んでもらったから、それの予習しなきゃいけなくて」

 「そうと決まれば早く帰ろう!わからないものがあったらなんでもお姉ちゃんに聞いていいからね!」

 綾は歩調を早めた。仕方なく、みのりもそれについていった。

 

 四日目

 みのりは朝早くから学校の机に座り、参考書を開いていた。

 ——テストで満点取りたい。

 みのりは少し無謀だと思いながらも発言した。

 真の提案は、覚えるタイプの教科を一つだけ選び、先生にテストを作ってもらい、みのりが勉強し、それで満点を取ってもらう、というものだった。彼女はその提案を受け入れ、選んだ教科は歴史だった。

 みのりが参考書に集中していると、徐々にクラスメイトが登校してくる。その中で一人、ある女子が話しかけてきた。

 「相宮さん、昨日夏帆ちゃん達と遊びに行ったの?」

 「うん。なんで知ってるの?」

 「SNSに上がってたんだよ。相宮さん、すごいね。あの三人は皆が羨む学校一のカリスマなんだよ」

 みのりは昨日の昼食の時に写真を取られたのを思い出す。確かに三人は輝いてはいたが、そこまでのレベルだというのは知らなかった。

 教室の扉が開き先生が入ってきた。丁度、みのりは指定された範囲が終わったところだった。

 「おはようございます。本日は相宮さんの要望で一時間目と二時間目は歴史の授業、三時間目はそこの部分のテスト、四時間目は採点並びに返却です」

 一時間目が始まると、先生はすぐに質問をみのりに当ててきた。

 「相宮さん、質問です。五百年前に開かれたある国際和平会議によって現在に至るまで戦争が起こっていません。この会議の名前はなんでしょう」

 「総題の調和です」

 「正解です。ちゃんと勉強していますね。ちなみに、天道都市プロジェクトはこれと同時期にスタートしました。そして、完成するのも今から五百年ほどだと言われています」

 ——すごく気長だな。

 みのりはもう、ここには帰ってこれないということを再び認識した。

 先生はその後も積極的にみのりに質問をぶつけた。

 ようやくテストの時間となった。

 ——今の所わからないところはないな。

 みのりは絶好調で問題を解き進める。しかし、最後の問題で手が止まった。

 問五十 今季、この学校で天道都市の使者に選ばれた二人の名前を漢字で書きなさい。

 ——これは歴史じゃないでしょ。

 心の中で文句を言いながら自分の名前を書いたが、もう一つの名前を書くのに手が止まった。

 ——カラスってどっちだろう。

 意外にも、みのりはカラスという漢字を知っていた。しかし、鴉田か烏田かというところで迷っているようだった。

 鴉と書いて消し、烏と書いてまた消し、それを二、三度繰り返した後、結局、鴉と書いた。

 四時間目、みのりはテストの返却を待っている間、緊張と苛立ちを覚えていた。

 ——あいつの名前の所、一番不安だな。というか、何であいつのせいでここまで緊張しなきゃならないんだ。

 「相宮さん」

 先生がみのりの名前を呼んだ。こういう時の先生は感情を隠すのが上手く、表情ではどんな結果かわからなかった。

 「よくできましたね。ですが……」

 テスト用紙が先生からみのりの手へ渡る。

 九十九点。バツ印が付けられていた所には『鴉田誠』と書かれていた。

 先生が黒板に『鴉田真』と書いた。

 「みなさん、鴉田とはこう書きます。それから、相宮さんの下の名前は漢字一文字です」

 「この問題がなかったら満点だったんですけど……入れないで欲しかった……」

 みのりがぼやいた。

 「でも、もしかしたら相宮さんや鴉田さんが、将来本当に教科書に載っているかもしれませんよ?」

 そう言われると反論できず、その怒りは真に向いた。

 学校が終わり、険しい顔で下駄箱に佇むみのりに、真が話しかけた。

 「お、相宮、テストどうだった?」

 みのりは真を見るや否や彼の肩を押した。無防備だった真は体勢を崩し、尻餅をついた。

 「な、なんだよ一体」

 驚いた顔をしている真に、みのりはテスト用紙を突きつけた。

 「一番下を見ろ。お前のせいで満点逃した」

 真はみのりのテスト用紙に目を凝らす。

 「なになに?使者に選ばれた人の名前を漢字で書け?なんだよこの問題。しかもこれ、苗字じゃなくて名前間違ってるじゃないか。簡単な名前なんだから、そっちが悪くない?」

 「そうだけど……満点取りたかった。ねえ、今からでも改名しない?」

 「そんな無茶苦茶な。ほら、帰ろうぜ」

 二人は並んで歩き出した。

 「明日の回る順番、決めた?」

 真がみのりに問いかけた。

 「そういえば決まってないな」

 「じゃあさ、どっかで一緒に決めない?」

 「いいよ?でもどこで?」

 「それっぽくファミレスにでも行こうか」

 「お金は?」

 「こっそり持ってきてるんだ」

 二人は近くのファミレスに向かい歩き出した。その最中、周りを歩いていた生徒にジロジロと見られ、二人の間に気まずい沈黙が流れる。

 「なんか俺達付き合ってるみたいだね」

 真のその言葉で少し空気が和んだ。

 「最悪。並んで歩くなよ」

 「連れないなあ。俺、結構モテるんだよ?」

 みのりは数日前に書かれていた相合傘を思い出した。

 「そういえば、鴉田って彼女とかいたことあるの?」

 「中一の頃に二度三度。でもまあすぐに別れちゃったな」

 「そりゃまたなんで」

 「えーっと……なんか特別扱いしてくれないからだってさ。それからは面倒臭くなって、告白は断ってる」

 「モテる男は辛いな」

 「そう言う君は絶対ないだろうね。絶対。というかそもそも、男子とほとんど喋ったことないでしょ」

 「そんなことない……小三くらいまでは」

 「マジ?半分冗談だったんだけどな。君は今十五歳で小学三年生が九歳だとするともう五年間、そうすると人生の三分の一も男子と喋ってなかったのか!」

 明確に数値化されると、改めて自分の凄さに気づいた。

 「男子どころか女子ともまともに会話してないかも」

 「よく今まで生活できたな……」

 そこまで話したところで、二人はファミレスについた。

 注文は、みのりがパフェ、真がチーズケーキ、二人で一つのフライドポテト、二人とも頼んだドリンクバーだった。

 「そういえば昨日も甘いもの食べたな……」

 みのりは昨日の色とりどりのパンケーキを思い出す。出てきたパフェは昨日ほど派手ではなかったが、ボリュームはあった。

 「なら他の頼めばよかったのに。あの三人と食べたの?」

 「うん。めっちゃカラフルなパンケーキ食べた。そうれはそうと、鴉田は友達と遊ばないの?」

 「いや、それよりも相宮との親睦を深めた方がいいかなって」

 「ああそっか、友達いないんだったね」

 「はあ?なんでそうなるの?」

 「昨日あの三人が言ってたよ。結構一人でいることが多いって」

 「ち、違うし。そもそも、友達ゼロ人確定の君には言われたくないね」

 「どんぐりの背比べってことね。それより、明日回る順番決めよう?」

 「同類にしないでよ……まあいいや。まず何やりたい?」

  二人は話し始めた。店を出る頃には黄昏時になっていた。

 

 五日目

 授業が終わりを迎えた放課後、みのりは体操服に身を包んでいた。

 ——部活色々周りたい。

 みのりが一番最初に出した案だった。

 中学二年生になってからは体育の授業を全てサボっていたため、体操服を着るのは久しぶりで、いつものゆとりある制服とは違い、少し窮屈だった。

 「やあ、相宮」

 みのりが集合場所の体育館前にある柱に寄り掛かっていると、体操服のジャージを着た真が声をかけてきた。

 「ああ、鴉田。行こうか」

 「うん、そうだね」

 みのりは真の違和感に気づいた。彼女から見た真の顔はいつもと違っていた。表情は変わらないが、何かが違う。

 ——違うのは……目線?

 みのりはハッとして周りの生徒を見る。彼らは全員長袖のジャージを身につけていた。

 「ジャージかして」

 「えー、なんでよ」

 「だって皆ジャージしてるし。なんか浮いた感じになってるし」

 「貸したら俺が浮くってことはわかってるのかな……?」

 「もちろん」

 「はあ……まあいいけど」

  真は渋々ジャージを脱いでみのりへ差し出した。

 「行こう」

 みのりはジャージを着ながら体育館に入る。最初に二人が向かったのは体育館の二階にある卓球場だった。

 二階に上がると、二人は卓球部の顧問へと挨拶し、彼が示した卓球台へ向かった。

 「十一点マッチで二回勝負ね」

 真が言い、サーブを放つ。しかし、その球はネットへ引っかかりみのりのエリアに届くことはなかった。

 「あれ、ミスった。サーブミスはそっちの得点だから今俺が零点で相宮が一点ね。サーブは二回交代だからもう一回行くよ」

 再び真がサーブを放つ。真のエリアで一度跳ねたボールは今度はみのりのエリアを通り越して行き、またもみのりが一点となった。

 「俺サーブ苦手なのかなあ。まあいいや、次は相宮のサーブだよ」

 みのりは周りの卓球部員のサーブを見てから真似をする。放ったサーブはほぼ毎日練習している卓球部員ほど鋭くはなかったが、しっかりとみのりのエリアで跳ねた後、真のエリアについた。真はそれを打ち返そうとするが、盛大に空振り、点差は三点となった。

 みのりはもう一度同じようなサーブを打った。二回目だからか真はラケットに球を当てることに成功した。しかし、その球は勢いが強すぎて遠くに飛んでいってしまった。

 少し気まずい顔で真の方へ振り返ると、彼はすでにサーブを打とうとしており、みのりは慌てて身構えるが、そのボールが届くことはなかった。

 「……サーブミス無しにしない?」

 「……まあしょうがない」

 みのりは初めて真に同情の感情を抱いた。

 サーブミスによる失点が無くなったのは良いものの、その後も真は得点を取られ続け、結局十一対零でみのりが第一試合を勝利した。

 「おい、ラブゲームはマナー違反なんだぞ!」

 「知識だけは豊富だな。そもそも、まともに打ち返せない奴に得点をあげられるわけないだろ」

 「く……もうもう怒ったからな!ボコボコにしてやる!」

 そのゲームはもちろんみのりが勝利した。もちろん十一対零で。

 「つ、次は陸上部だったよね。グラウンド行こうか」

 意気消沈している真に、珍しくみのりの方から話しかけた。みのりが触れられないほど、真は卓球が下手だった。

 次に向かった陸上部では、真と二人で百メートル走をすることになった。横に並んでいる彼は、凄まじい気迫でスタートを切ろうとしていた。

 スタートすると、最初の方は真の方が少しリードしていたものの、後半になっていくにつれペースが落ち、最終的にみのりが勝つこととなった。

 ——もしかして。

 二人は次の美術部へと向かう。

 美術部ではりんごのデッサンをした。真が描いたものは丸ですらない、鉛筆で書かれた暗黒だった。

 ——もしかして。

 二人は次の吹奏楽部へと向かう。

 吹奏楽部ではみのりはトライアングル、真はカスタネットを渡され簡単なリズムをとりながら一緒に演奏する、ということになった。演奏が始まると、真は教えてもらったリズムとはどう考えても異なっているリズムを隣で奏でた。

 「もしかしてお前、勉強以外は相当弱い?」

 「うわあああ!せっかく今までうまく隠せてきたのに!」

 最後のバトミントン部へ行く途中、真が絶叫する。

 「……せめて馬鹿にしてくれよ」

 「馬鹿にできるほどのレベルじゃない……」

 「うわああん!」

 真が再び絶叫する。

 「そ、そういえばさ、バトミントンだけは最後にしたいって言ってたけどどうして?」

 このままでは可哀想だと思い、みのりは話題を転換した。

 「それは俺が唯一そこそこできるスポーツがバドミントンだからさ!最後は絶対勝つ!」

 さっきとは打って変わって自信のある声で真が答えた。

 卓球と同じような流れでバドミントンが始まった。

 真がバドミントンをできるというのは本当のようで、しっかりとみのりの元へレシーブが返ってきた。

 しかし、一戦目は二点差でみのりが勝ち、二戦目は真が先にマッチポイントになったが、みのりもそれに追いついて同点となった。

 「デュースは無し!これで終わり!」

 そう言って真はサーブを打つ。そのラリーは長く続き、二人共息を切らしながら打ち返していた。

 みのりはシャトルを打ち返す時、ネット越しに真の顔を見る。それは、これまでで一番真剣なものだった。その顔に気を取られていると、みのりは空振りをしてしまった。

 案の定、真は大きく喜んだ。

 ——まあ、最後くらい勝たせてあげるか。

 みのりは、勝負に勝つよりも満足した気がした。

 「俺の勝ちだね!」

 「一戦目私が勝ってるの忘れた?」

 「あ……そうだった……」

 真はあからさまにげんなりする。その様子を見て、みのりはにっと笑った。

 「まあ、今日楽しかったし、お礼ってことで鴉田の勝ちでいいよ」

 「いいの!やった!」

 真は小さな子供のような笑顔を浮かべた。

 帰りの準備をしている際、みのりは真にジャージを返そうと彼を探していた。真を見つけると、彼はある男子と話しており、話しかけづらい雰囲気だったので最初の集合場所である体育館の入り口で待つことにした。

 「相宮さん、ちょっとこっちきてくれない?」

 震えた声で話しかけてきたのは、さっき真と話していた男子だった。よく見ると、彼はみのりの斜め前の席の生徒で、みのりとは小学校から同じだった。

 「いいけど」

 みのりは彼の後ろについて行きながら自分が呼び出された理由を考える。真と話していたので、明日のクラスについてとかだろうか。

 人気のない体育館裏に着いたところで彼は立ち止まり、みのりの方へ向いた。

 「あ、あのさ……」

 彼は俯きながら口を開く。

 「なに?」

 「相宮さんと鴉田くんは付き合ってないんだよね?」

 「う、うん。付き合ってないけど。なんで?」

 みのりは慌てた声で言った。四日前に教室でからかわれた時とは違い、みのりの心は騒然としていた。

 「いや、鴉田くんのジャージ着てたから……」

 「だったらどうしたの?」

 「付き合ってる人は、体操服のジャージを交換し合うんだよ」

 ——そんなややこしい文化があったのか。

 みのりはため息をついた。

 「これはたまたま借りただけ。付き合ってないよ。それで、本題は?」

 「えっと……す、好きです!」

 「は?え、う、嘘でしょ?だって私達、小学校は同じだけど一言も喋ったことないじゃん!」

 予想外の言葉に、みのりはうろたえた。

 「そう……だけど、相宮さんのこと小学校の頃からいいなって思ってて、でも相宮さんもう向こうへ行っちゃうから、想いを伝えなきゃって。それで……明日だけでも一緒にいてくれないかな?」

 いわゆる告白、というものにみのりの心臓は加速した。そんな自分自身に彼女は驚いた。それは、今まで数多くの本を読み、たくさんの告白シーンを見てきたみのりにとって、平凡な告白程度では動じないだろう、と高を括っていたからだった。

 しかし、そんなみのりの答えは決まっていた。

 「ごめん。嬉しいけど、明日はもうやることが決まってるから」

 そう言うと、彼は意外にも、明るい顔をした。

 「そうだよね。こっちこそごめん!」

 彼は逃げるように走り去っていく。

 「結局、名前すら思い出せなかったな……」

 彼の後ろ姿を見ながら、みのりは呟いた。

 陰でその様子を見ていた真は、軽く頷き、その場所を後にした。

 

 六日目

 「おはよう、皆」

 午前七時半、家族と人数分の朝食が揃った食卓に、みのりは座った。

 「よし、揃ったわね。じゃあ、いただきます!」

 相宮一家は母に続いて挨拶をした後、朝食を食べ始めた。

 ——最後の日は、普通の『クラスメイト』として接してもらえますか?

 五日前、みのりがクラスメイトに言った言葉だった。それは、みのりが普通の中学生活を一度もしてこなかった、というものあるが、それを遠ざけてきた自分と向き合いたかったからだった。

 朝食を食べ終えたみのりは、制服を着て、教材の準備をしようと鞄を開ける。すると、一週間前に見つけた謎の木箱が出てきた。

 ——そういえばこれ、何だったんだろう。

 今まで入れるものがなかったので何となく鞄に入れていたが、スペースを圧迫していたため、それを取り出し、家族にバレないよう、ベッドの下に隠した。

 「行ってきます」

 「うん。行ってらっしゃい。みのり」

 家族が玄関で見送りをする。全員、安心したような、優しい笑顔だった。

 最後の通学路は、案外普通と変わらず、気づくと半分程の地点まで着いていた。

 「やあ、相宮」

 後ろから真が声をかけてきた。

 「おはよー!鴉田」

 「あれ、随分とご機嫌な挨拶だね。何かあった?」

 「忘れた?今日私は普通の女子なのだ」

 「流石にそのテンションはきついよ……」

 「あ、そう?じゃあ少し女子度を落とすね」

 「エアコンの温度みたいに言うなよ」

 真はみのりの隣で並行する。すると、後ろから聞き覚えのある男の声が聞こえてきた。

 「おい、今まで普通から逃げてきたやつがいまさら普通として扱ってくださいだって?調子良いこと言ってんじゃねえよ、バーカ!」

 六日前、みのりをからかった男子だった。

 「おい、よせよ。相宮のことが気に入らないならほっとけばいいじゃないか」

 真が言い返した。それを聞いた彼は真の方へ顔を向けた。

 「ああ、気に入らない。お前らはほっといても目障りなんだよ。そのストレスを少しでも和らげようとしてるんだよ。そもそも、お前はこいつの何なんだ?偽善者ったらしくこいつのそばにくっつきやがって。気持ち悪いぞ、正直」

 その言葉に真は怯む。その様子を見て、みのりが口を開いた。

 「真君は私のパートナーだよ。すっごく親切だし、尊敬してる。あなたの気持ち、わかるよ。そりゃ、私みたいなのが急に特別扱いされて色々してるのは気に入らないよね。むしろ、今まであんまり言わないでくれてありがとう。でも、本当に後一日だから、私のわがままを許してもらっていい?」

 みのりは彼に上目遣いをした。

 「あ?何だそれ。気色悪い」

 彼の声に、周りの注目が集まる。それを見て、みのりは再び口を開く。

 「うーん……残念。ところで、私達は明日でいなくなるからどう思われてもいいんだけど、あなたはいなくならないでしょ?周りの目、大丈夫?」

 集まった注目は、みのりでも真でもなく、彼へのもので、彼は完全にその場で浮いていた。

 彼は周辺を見渡し、状況を理解したのか舌打ちをして逃げていった。

 「どうだった?」

 「真君……パートナー……」

 「ねえってば」

 真はハッとした。

 「ああ、すごかったよ」

 「女子っぽかった?」

 「うーん……女子っぽかったというよりは、腹黒女って感じだったような。ところで、俺のこと庇ってくれたみたいだけど、あれ何割くらい本当?」

 「二割……いや、一割くらいかな?」

 「やっぱり腹黒じゃん」

 それから、二人は学校に着くまでの間、昨日の部活の話や持ってくるのを忘れた真のジャージの話など、他愛のない会話をした。

 ——こんな感じだったかな。

 みのりは小学校の頃を思い出そうとしたが、よく覚えていなかった。

 教室のドアを開けると、皆がみのりの方へ顔を向けた。

 「おはよー」

 その中の一人が挨拶をする。それは、数日前に夏帆達について話しかけてきた女子だった。

 一人が挨拶をすると、続々と挨拶が押し寄せてくる。どうやら、クラスメイトの大半は乗ってくれているようだった。

 「おはよ」

 そんな様子を見て、みのりも笑顔で挨拶を返した。窓際でみのりのことを横目で見ていた意地悪な彼には、精一杯のいたずらな笑顔を向けてやった。

 「今日は相宮さんが学校にいる最後の日です。みなさん、悔いが残らないよう過ごしましょう」

 先生が言い、最後の学校生活が始まった。

 一時間目、ピカピカの教科書とノートを開いて、真面目に授業を受けようとするみのりがいた。もちろん、彼女が内容を理解できるはずもなく、終始黒板を睨むだけだった。

 二時間目、教科書とノートはまだ開いていたが、コクリ、コクリ、と首を縦に振り、眠気と戦っているみのりがいた。

 三時間目、もう教科書とノートは開いておらず、みのりの意識は夢の中にいた。おまけに、いつもはしないはずのいびきまでかいている。

 「相宮さん……相宮さん!」

 「ほぇ……?」

 みのりは気の抜けた声を出し、間抜けな顔を上げた。それと同時にクラスに笑いが起こった。

 「最後だからしっかり授業を受けるんでしょう?」

 「す……すみません……」

 みのりは後頭部を撫でながら、へらへらして言った。

 「どうですか?授業を受けてみて。大変さがわかりましたか?」

 先生も楽しそうだった。

 「うーんと……ちゃんと授業を受けようとして寝ると、めっちゃ気持ち良いです!」

 クラスにどっと笑いが巻き起きた。

 ——今まで皆嫌いだったのに。

 この時ばかりは、クラスに溶け込んでいる感じがした。

 そのまま和やかな空気で授業は終わり、次の音楽のためにクラスメイトは移動し始めた。

 クラスメイトのほとんどは二人組以上で歩いており、みのりはなんだかそれが恋しくなった。

 「相宮さん」

 みのりが立ち尽くしているところに、後ろから声がかかった。

 「ああ、朝一番に挨拶してくれた……」

 同じクラスだが、名前が出てこなかった。

 「菜乃花だよ。宮本菜乃花。音楽室まで一緒に行かない?」

 「うん、よろこんで。宮本……さん?」

 「菜乃花でいいよ」

 「わかった。私もみのりでいいよ」

 みのりと菜乃花は歩き始めた。最初、二人の間には会話はなく、みのりは質問を考える。

 「菜乃花は部活入ってるの?」

 これが導き出された質問だった。

 「軽音部入ってるよ」

 この学校には、中学校にしては珍しく軽音楽部があった。

 「担当は?」

 「ボーカルだよ。あんまり上手じゃないけど」

 「へぇ……あ」

 それを聞いて、みのりはあることを思い出した。

 「そういえば……あれほんとにやるのかな。一応できるようにしてきたけど」

 「え?」

 「ああ、いや、何でもない……こともないかも」

 「なにそれー」

 菜乃花の声は、友達と話しているかのように楽しげだった。

 音楽の授業は瞬く間に終わりが近づき、まもなくチャイムが鳴った。すると、勢いよく教室のドアが開かれた。そこには、みのりが一緒に遊びに行った三人がいた。

 ——あ、ほんとにきた。

 みのり以外のクラスメイトは驚き、ざわついている。

 三人はまっすぐにみのりの元へ向かい、皆の前に立たせた。

 「ちょっと、なにしてるの?あなた達」

 音楽の先生がピアノの席から立つ。

 「先生、この曲弾けるー?」

 いつも通り語尾を伸ばす芽衣は、お構いなしに先生に楽譜を見せる。

 「どれどれ……多分大丈夫だけど……何するの?」

 「それはね……玲那、準備できた?」

 「うん。オッケー」

 そう言って玲那はみのりの前にスタンドマイクを置いた。

 「みのりちゃんに今から歌を歌ってもらいます!」

 夏帆が全員の注目を集めた。

 「ええ?どういう風の吹き回し?」

 「みのりちゃんね、すごく歌がうまいの!それで、皆の前で披露してもらおうと思って!で、先生には伴奏をお願いしたくて。いいですか?」

 「馬鹿なこと言ってないで、教室戻りなさい」

 先生がなだめるように言った。

 「でも今日でみのりちゃん最後なんだよ?いいでしょ?ね?ね?」

 夏帆は先生に詰め寄る。

 「はあ……わかったわかった。でも、これで上手じゃなかったら大恥かかせることになるからね」

 「大丈夫!みのりちゃんすっごく上手いから!」

 ——これが学校一のカリスマ……?さすが。

 先生は渋々イントロを弾き始めた。注目はみのりに集まる。

 ——流石に緊張するな。はっきり言って、いきなりこんなことをするのは異常だと思う。最悪の結果になるかもしれない。でもいい、今日が最後だから。はっちゃけちゃえ。

 みのりはしっとりと歌い始める。曲はこの前歌ったミュージシャンのもの。あんまりノリのいい曲って雰囲気じゃないから、メロディーが綺麗なバラード系。目を瞑って、精一杯綺麗に歌うことだけを意識して、歌う。歌う。

 一番が歌い終わり、目を開けてみる。皆、ぼうっとした顔でみのりを眺めていた。それが自分の歌に聞き入ってくれているのか、はたまた突然始まった謎のイベントに対して困惑しているのか、彼女にはわからなかった。

 二番に突入するとみのりの緊張はほぐれていき、今度はしっかり目を開いて歌った。歌声は勢いを増すばかりだった。

 最後のサビ、曲が一番盛り上がる山場、みのりの頭の中にひとつよぎるものがあった。

 ——ああやっぱり、歌うのって楽しい。だから、皆の前で歌っていられる。

 心地よい爽快感の中、みのりは歌い終えた。すると、クラスメイトから大きな拍手が巻き起こった。しかし数秒後、みのりは急に羞恥が復活したのか、赤面しながら教室を飛び出していった。

 「確かに上手いわね……」

 音楽の先生が呟いた。

 「ねー、すごいでしょ」

 「でも不思議な子ね。あんな度胸もあって可愛い子なのに、何が不満で今まで学校生活を拒絶してきたのかしら」

 「それなー」

 「ちゃんと敬語使ってよ。あとほら、早く教室に戻って」

 「はーい」

 三人とクラスメイト達は、みのりについての話をしながら、ぞろぞろと教室へ戻っていった。

 一方、みのりは一人ぼっちの教室の中、心臓を鳴らしながら頭の整理をしていた。

 ——拍手が起きたってことは成功ってことでいいのかな。良かった。だとすると、やっぱり私は、歌が得意なのかもしれない。向こうに行ったら、そっち方面に手を出してみようか。

 みのりの心は浮かれており、それは顔にもだらしなく表れていた。

 突然、ピシャリと教室のドアが開いた。クラスメイト達が帰ってきたのだ。当然、扉の前にいる生徒はみのりの顔に注目がいく。しっかりと目が合った。みのりの顔は途端にさっきのように真っ赤になり、慌てて机に顔を伏した。

 その後訪れた給食の時間、みのりは今日の出来事のせいかいつもより腹が減っており、周りより早く完食したが、まだまだ満足していなかった。

 そんな中、周りを見渡してみると、斜め前には昨日謎に告白してきた彼と目があった。当然、気まずい空気が流れる。それに耐えきれず、視線を落とすと、彼の皿の中に主菜の唐揚げが残っているのをみのりは発見した。

 ——利用してやるか。ちょうど疑問もあるし。

 「ねえ、ちょっと」

 「え?あ、うん、何?」

 話しかけられるのを想定していなかったのか、彼は少し驚いて答えた。

 「昨日のあれ、本気じゃないよね?」

 「い、いや……」

 直接的な質問を投げかけられ、返答に困っている様子だった。

 「全然本気には見えなかったんだよなあ」

 「なになに、何の話してんの?」

 周りの生徒達が話に入ってきた。

 「それはね……」

 「ちょっと!やめてよ……」

 彼が慌てて止めに入った。

 「真面目に答えてくれないと言っちゃうよ?」

 「うん……わかった。確かに本気じゃなくて、ある人に頼まれたんだ。その人が誰かは言えないけど」

 「何のために?」

 「なんかわかんないけど、気遣いだって言ってた」

 「よく引き受けたね……」

 今の会話で、みのりはある人が誰であるかを確信した。彼と話していた真である。

 ——本当に余計なお世話だな。確かに、告白なんてされたことなかったけど。

 少しだけ、真の思惑通りになっているような気がして癪だった。

 「やっぱりなんか気に食わないから言っちゃおうかな。じつはね……」

 「勘弁してよ。どうしたら言わないでくれる?」

 「お皿に唐揚げが残ってるなあ。もう言わないでもわかるよね?」

 「最初からこれが目的だったんだ……」

 こうして、みのりは二つ目の唐揚げにありついたのだった。

 給食が終わると、クラスメイトは掃除の準備を始めた。みのりはいつもこの時点で図書室へ逃げていたため、掃除をするのはかなり久しぶりだった。

 自分の持ち場を確認し、該当箇所へ行くと、意地悪な彼が気だるそうにほうきで床を掃いていた。

 「——げ」

 彼がこちらを向いた。

 「——げ」

 奇しくも彼は同じ声を出した。

 みのりはすぐさま他の生徒の所へ逃げるように駆け寄り、自分の担当を聞いた。

 みのりの担当は床を雑巾で拭くことのようで、彼が掃いた後をなぞる様に拭かなければならないようだった。

 掃除自体は特段辛くも、億劫でもなかった。しかし、軽いいざこざがあった二人が会話もなく近くにいるというのは、とてつもなく気まずい空気を作り出すものだった。

 息苦しくもどうにか掃除をやり終え、後は先生の確認を貰うのみとなった。

 「うん、だいたい大丈夫かな。それと、今日は初めましての子に会えたね。今まで肩代わりしてくれてたんだから、感謝しなきゃね」

 「はい……」

 みのりはか細い声で返事をした。

 「あ、ゴミ袋もうぱんぱんだから、誰か捨てに行ってくれる?後はもう終わりでいいよ」

 「じゃあ私が。せめて今日くらいは」

 声を出したのはみのりだった。

 「いや、ゴミ出し決めはジャンケンって決まってるんだよね」

 同じ班の女子一人が言った。

 「でも——」

 「いいじゃん。そっちの方がおもろいよ」

 「ま、まあ、皆がいいなら」

 班員五人が拳を突き出す。ジャン、ケン、ポイの掛け声で皆手を出した。結果はパー、パー、パー、パー、グー。拳を握っているのはみのりだった。

 「結局私か。なんだかこれだと悔しいな」

 みのりはおもむろにゴミ袋を持ち、目的地に向かおうとした。しかし、その歩みはすぐ止まることになった。

 「ゴミ捨て場の場所わかんない……」

 「あ、そうだよね。私いこっか?」

 班員の一人がみのりに歩み寄る。

 「じゃあ——」

 「俺が行くよ」

 意外にも、口を挟んだのは意地悪な彼だった。

 班員全員、二人が気まずい空気を醸し出していたのは知っていたので、驚きを隠せない様子だった。

 「どうする?相宮さん」

 「うーん……なら男子の方にお願いしようかな」

 その答えは、彼が何かあってのことだろうと予測したからだった。

 「男子ってなんだ男子って。森田な」

 みのりは、持っているゴミ袋で間の距離を作り、また同じような空気を作りながら廊下を歩いていた。

 みのりが様子を伺っていると、森田はそれに応えるように口を開いた。

 「なんか……悪かったな」

 ——ああ、そっちか。

 みのりは微笑んだ。

 「うん、大丈夫だよ。ありがとう。でも、何で急に?気変わりでもした?」

 「まあ、そうだな。お前の歌すごかったから」

 「え?どっちのすごい?」

 「上手い方」

 「そ、そう。ありがとう」

 みのりは顔を逸らす。心は嬉しさと恥ずかしさで半分半分だった。

 「俺さ、軽音部なんだよね。ボーカル」

 ——うちのクラスボーカル多いな。

 「そんで、俺が部内で一番上手くて注目されてるって思ってた。でも、お前の歌見て、俺、全然大したことないんだなって。でも多分、それは前から心の奥底ではわかってて、それを認めたくなかっただけなんだって。だから、シンプルに実際に注目されてる人に嫉妬してたんだ。それに気づいて、申し訳なくなって、今現在って感じ」

 「色々考えてたんだね……」

 二人は無事にゴミを捨て終え、学校に戻るために並んで歩いた。もう、ゴミ袋分の距離は空いていなかった。

 「ねえ、音楽めっちゃ頑張って有名になってよ。そしたらこっちまで噂がくるかもしんないし、何なら使者に選ばれるかもよ」

 「そりゃいいな。もし帰ってくる時があったら、ライブとかに来てくれよ」

 「え?」

 「え?」

 「向こうに行ったら、帰ってくるどころか連絡すらできないよ」

 「はあ?おかしくね?何で?」

 「私に聞かないでよ」

 「そうか……なら、俺が頑張るしかないな。お前も頑張れよ」

 「うん。じゃあほら」

 そう言って、みのりは拳を森田の前に差し出した。

 「何だ急に」

 「グータッチしよ!」

 「変なの。まあ、いいよ」

 森田もみのりに合わせて拳を握った。

 「いくよ。お互いの健闘を祈って——」

 コツン、と小さな音を立てて二つの拳が合わさる。二人はスッキリとした顔で笑い合った。

 昼休み、みのりは図書室には行かずに一人で椅子に座り、今日のことを振り返っていた。

 ——思えば、明るい女子を演じてきたつもりだったけど、だいたい本心で動いていたような。今日は、本当に楽しいな。

 「みのりちゃん?」

 話しかけてきたのは菜乃花だった。みのりちゃんと呼ばれていただろうか。

 「どしたの?」

 「トイレ行こ」

 「いいよ」

 ——いわゆる連れションってやつか。

 みのりにとっては初めての出来事だった。

 「みのりちゃん、歌すごかったねえー」

 菜乃花が歩きながら呟いた。

 「ありがとう」

 みのりの心にもう羞恥心は無く、有頂天になるのみだった。ふと、彼女は意地悪な顔をして菜乃花に気になっていることを聞いた。

 「菜乃花ってさ、もしかして友達いない?」

 「ええ?そ、そんなことないよ?」

 「だって、クラスの中で私の次くらいに一人でいたし」

 「何でそれは知ってるの……」

 あまりクラスに関わってこなかったみのりでもわかる程だった。

 「でも、今日はみのりちゃんがいるから一人じゃないし……」

 「じゃあ明日からやばいね」

 「本当にそう!ねえ、友達の作り方教えてよ」

 「なんで私に聞くのさ」

 「だってえ、みのりちゃん使者に選ばれてから学校のヒエラルキー上位の子達とつるんでるんだもん。今日もあの三人とあんなことしてたし……」

 「結構体裁気にしてるんだね……」

 「今まで私より下だからって心の支えにしてたのに……」

 「そんな風に思ってたの?割とショック」

 菜乃花はお構い無しに続ける。

 「あーあ、もっと前からみのりちゃんに話しかけて私だけのものにしてたらなー。それで軽音部に誘ってバンド組んでー、みのりちゃんが注目されてー、ついでに私の評価が上がったりしてー」

 「そこは他力本願なんだ」

 ——軽音部入ってみたかったな。昨日行けば良かった。

 「でも、菜乃花とバンドを組むんだったら、私がボーカルになっちゃうね」

 みのりは自信ありげに言った。

 「うう、確かに。でもバンドおしゃれランク下位のドラムとキーボードにはなりたくない!」

 「とりあえず、その上とか下とか気にする所直してみたら?」

 みのりは苦笑しながら言った。

 二人はその後、教室で昼休みを過ごし、五時間目となった。しかし、みのりにもう集中力は残されておらず、教材だけ出して先生の話を聞き流していた。

 ——本当に、何で私なんかが選ばれたんだろう。でも、この一週間を過ごすきっかけを作ってくれたこと、嫌なものばかりだった今までの生活が変わる手を差し伸べてくれたこと、感謝したい。一週間、最高だった。

 そんなことを考えていると、机についていた肘が滑り消しゴムが床に落としてしまった。そのまま、角の尖った消しゴムは転がっていく。隣の席の生徒がそれに気づき拾うと、その手を差し出した。

 「はい」

 「ありがとう」

 みのりが笑いかけると、彼女も笑い返してくる。何気ない出来事が、みのりにはひどく新鮮に思えた。

 ——もうちょっとだけ、この時間を味わっていたいけど。

 みのりのそんな想いも虚しく、すぐに過ぎ去ってしまった五時間目、中休みになるとすぐさまクラスメイト達がざわめき始め、一つの大きなグループを作り始めた。

 眉をひそめながらその様子を見ていると、菜乃花がそのまとまりから抜け出し、みのりの方へ向かってきた。

 「トイレいこ」

 「また?さっきしたじゃん」

 「いいからいいからー」

 みのりは半ば押し出されるように廊下へ出た。

 「なんか集まってたけど、あれ何だったの?」

 「んんー?わかんなかった?なら秘密」

 「なんでよ」

 特に用はないので、みのりはトイレの入り口に寄りかかりながら菜乃花を待っていた。

 「ねえ、あの人…….」

 二人の女子が自分の方を見て囁き合っているのに気づいた。

 ——悪口かな……前まで気にならなかったけど、なんだかな。

 みのりの心はモヤモヤとしてた。

 気を紛らわせたくなったみのりは、少し長い間個室に入っている菜乃花に声を掛けに行った。

 「まだー?」

 「まだー」

 「もしかして大きい方?」

 「いいや?」

 「それにしては長くない?変なの」

 みのりは元の居場所に戻ろうとする。その際、さっきの二人とすれ違った。

 「友達居たんだ」

 小さな声でも、みのりの耳にははっきりと残った。

 ——そうだよな。大半の人は私のことを良く思ってない。今日だって皆合わせてくれてたんだ。だとしたら、さっきの集まりも悪口を言っていたんじゃないか。そのために、菜乃花が私を連れ出したんじゃないか。そもそも、私は皆にどう思われてたんだろう。でもきっと、嫌われていたのは確かだろう。

 「お待たせ。みのりちゃん。行こ?」

 ネガティブな思考に蝕まれていたみのりに、菜乃花が声を掛けた。

 「あ……うん……」

 二人は歩き始めた。

 「どうしたの?あからさまにテンション落として。お別れが寂しくなっちゃった?」

 「いや……私って周りにどう思われてたのかなって」

 「そりゃまたどうして?」

 「皆私のこと嫌いなのに合わせてくれてるんだって思うと憂鬱になっちゃって」

 「いや、そんなことないと思うけど。まあもちろん、馬鹿にしてる人はある程度居ただろうけど、案外悪く思ってない人も少なくなかったと思うよ。むしろかっこいいって思ってるような人も居たくらい」

 「本当かな……」

 「うん。きっとねー、すぐにわかるよ」

 「どういうこと?」

 菜乃花は足早に教室へ入り、みのりへ手招きをする。教室を覗いてみると、机や椅子は後ろに追いやられ、その前にクラスメイト達が列を成していた。みのりが恐る恐る入り口をくぐると、クラスメイト達は拍手を響かせた。

 「これから、相宮みのりさんのお別れ会を始めます!」

 菜乃花が元気よく発声し、みのりを皆の前に立たせた。

 「もしかして、さっき集まってたり、私を連れ出したりしたのって……」

 「その通り!このためです!」

 「宮本さんは、率先して準備してくれたんですよ」

 先生が言った。

 ——だから、今日も一緒に居てくれたのかな。

 「ではまず、私達から贈り物です!」

 菜乃花が続ける。彼女の声で、二人の生徒がみのりの前に立つ。手にはそれぞれ花束と色紙が握られていた。皆の前で歌を歌った時とはまた違う緊張と恥ずかしさが、みのりをこそばゆくさせた。

 「向こうに行っても、頑張ってね」

 拍手が再び起こり、色紙、花束の順番でみのりの手に渡される。

 「ありがとう……」

 ——こんなに、嬉しいなんてな。

 「続いて、クラスを代表して、メッセージを読みたいと思います」

 菜乃花が折り畳まれた紙を開いた。


 相宮実さんへ

 この度は、天道都市の使者の選抜、おめでとうございます。

 あなたは、皆とは関わりを持ちたがらず、いつも一人で過ごしていましたね。そして、私達も、極力関わらないようにしていました。

 しかし、私達は、あなたを嫌っているわけではありませんでした。

 というのも、今日この会を開くにあたって、案を出してくれたのは、先生でも、私でもありません。クラスの皆が、放課後に集まって、計画を立ててくれました。本当は、皆、あなたと関わってみたかったのです。

 使者に選ばれてからというもの、あなたはとても楽しそうで、私達にも心を開いてくれました。そんなあなたは、とても華やかで、魅力的でした。これをきっかけに、どんどん仲良くなっていきたい、というところでしたが、今日でお別れですね。

 私達にとって、あなたは誇りです。だから、胸を張って、いってらっしゃい。それと、私達を忘れないでくださいね。私達もあなたを忘れません。

 クラス代表 宮本菜乃花


 ——馬鹿だな、私は。もう少し、素直になっていれば。一歩踏み出していればな。

 みのりは唇を噛み、目を潤した。

 「次はみのりちゃんの話......なんだけど、大丈夫?」

 菜乃花がみのりの顔を覗く。

 「うん……」

 みのりは大きく深呼吸をし、震えた声を絞り出した。

 「皆……本当に、ありがとう。それと……今まで迷惑かけて、ごめんなさい。私、皆のこと勝手に嫌って、嫌な態度ばかりとって……今日だって、こんな私に合わせてくれて……」

 「だーかーら、そんなことないって!」

 菜乃花が口を挟んだ。

 「ね?皆?」

 クラスメイト達が笑顔で首を縦に振る。

 みのりも笑った。涙を添えて。

 ——嗚呼、このままここに居られたら。友達も、やりたいことも見つかった。なんて、温かい場所。

 「まあ、攻撃的な奴もいたけどねー」

 「うるせえよ。今はこうしてここにいるだろ?」

 森田が照れくさそうに言った。

 「ありがとう……」

 みのりは大好きになったクラスメイトと、最後の時間を過ごした。

 目を腫らして歩いた下駄箱前、みのりは同じく花束を持って涙目の真と鉢合わせた。

 「君もか?相宮」

 真が鼻をすする。

 「うん……清々しいくらい、別れが惜しくなっちゃった」

 「まったくだね」

 二人は並んで校門へ歩く。突然、みのりが立ち止まり、振り返った。

 「どうした?相宮」

 みのりの目線の先には、彼女のクラスメイト達が手を振っている姿があった。

 「……まだ、泣き足りないなあ……」

 みのりは再び涙を浮かべる。

 「......少し、場所を変えようか」

 真がみのりの手を引っ張った。そんな様子を見て、クラスメイト達はニヤリと笑った。

 「ちょっと、どこ行くの?」

 「そんなの決まってるじゃん。俺達の集合場所だよ」

 それは、みのりと真が初めて話した公園だった。

 「別に集合場所にした覚えはないけど……」

 「ここなら、安心できるだろう?」

 「そうだね……」

 「もっと一緒に過ごしてれば、て思っちゃったよ」

 「私も……あんな風に思われてるなんて、全然知らなかった……」

 数秒後、みのりが手で顔を覆った。

 「君も変わったね……」

 それから、二人は大いに泣いた。今まで押し込めていた感情を、幼さを、解放するように。

 涙が落ち着いてきた頃、みのりは空を見上げた。

 「私、頑張るから、あんたなんて簡単に超えてやるから」

 「望むところだね」

 向き合った二人の笑顔は、晴々としていた。

 家に帰ったみのりは、明日の支度をするため、もらった書状を見返していた。

 ——所持品は特になし、か。必要なものは向こうで用意されてるってことかな。

 みのりはこの一週間の思い出の品を持っていくことにした。

 「後は……」

 ベッドの下にしまってあった木箱とにらめっこをする。

 ——これはどうしようか。

 再び手紙に目を通した。

 ——このカードキーを持って行ってください。必ずあなた達を助けてくれます、か。これって考えられるのは天道都市のことしかないよな。でも、私が使者に選ばれる前に見つかったし。おかしいことだらけだよな。

 よく見ると、宛名の左側が塗りつぶされていた。

 「私の名前間違えたのかな」

 みのりは微笑む。なんだか親近感を覚えた彼女は、備えあれば憂いなしと思い持っていくことにした。

 突然、ドアが開いた。驚いたみのりは咄嗟に木箱を背中に隠した。

 「みのりー、ご飯だよ」

 「は、はい。お母さん」

 「あら、どうしたの?そんなに散らかして」

 「向こうに持っていくんだ」

 「そっか……よかったね」

 母は悲しいとも、嬉しいとも取れるような顔をした。

 「そんなことよりほら!早くリビングおいで。今日はお祝いよ」

 「うん」

 リビングに行くと、そこにはかつて家では出たことのないほど豪華な夕飯が用意されていた。

 それから、みのりは正真正銘、家族との最後の時間を過ごした。泣いたり、笑ったり、今日の学校と同じような感情の運びとなった。

 「はい、撮るよー」

 最後に、家族全員で写真を撮った。

 風呂上がりで頭にタオルをかけていたみのりに、母が声を掛けた。

 「ねえ、ちょっと」

 「なに?」

 母は、一枚の写真を差し出した。

 「これ、さっきのコレクションに追加してくれると、お母さん嬉しいな」

 それはさっき撮った家族写真だった。

 「もちろん、最高のお守りだよ」

 「ありがとう。それから、これ……」

 次に母の手から出てきた物は、茶色い封筒だった。なかなかの厚さがある。

 「もしかして……」

 「うん、お金。二十万円あるから」

 「いや、受け取れないよ。こんなにたくさん」

 みのりは封筒を突き返す。

 「だめよ。何かあったら困るでしょ。何もなかったら自由に使っていいから」

 「でも……」

 「これくらいさせてよ。親なんだから。それに、もし途中で戻ってきたくなったら……ううん、なんでもない」

 みのりには、その言葉の続きが容易にわかった。そんな母を、そっと、抱きしめた。

 「ごめんね、みっともない母親で……でも、お母さんみのりの決めたことだったらなんでも応援するから。だから、自分が正しいと思うことをしなさいね」

 母は、顔をうずめたみのりの服を濡らした。

 

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