十 それでも、大好きさ
「問題?なんですか?」
「おそらく、彼女は今のままでは自殺をするんだろう」
「え!ならなおさらじゃないですか」
「違うんだ。私は物心ついた頃から施設で暮らしていたと言っただろう?きっと、それは彼女が自殺してそのまま預けられたからなんだ。もし私達が彼女を助けてしまったら、その未来を大きく変えてしまうことになるだろう。私は、なるべく未来は変えないほうがいいと思っている。だから、迷っているんだ」
「なるほど……でも、凛さんが自殺して、修ちゃんが一人になったのだとしたら、普通は凛さんの実家に預けられません?」
「確かに。まあ、あそこまで仲が悪いわけだし、そうならないように工夫したんじゃないかな」
「そんなこと考える余裕がありますかね……?まあいいです。話を戻しますけど、私、そんな理由で自分の母親を助けない人が世界を救えるなんて思いません」
「うーん、その理論は変な気がするけどね。何かをするためには何かを切り捨てなきゃいけないと思うのだが」
「そんなのどうでもいいです。やりますよ!」
「まあ、私としても五分五分だったから……うん。やろう」
「よし。じゃあ、まずは凛さんのことをよく知るために、彼女のところへ通いましょう」
「そうだね」
翌日の午後、私はフランス語の勉強に勤しんでいた。凛に会える時間は夜なので、それまでは時間があったからだ。
いい時間になったので、彼女の店に向かった。
「そういえば修さん、最初はどうも思わなかったって言ってましたけど、あの姿を見て、印象は変わりましたか?」
「うん。苦しんでいても、私を育ててくれようとしている姿勢に感激したよ」
「それはよかった」
私は店の扉を開けた。そういえば、店には多大な迷惑をかけている気がする。あとで詫び金を渡そう。
昨日と同じように、店長のところへ行った。すると、店長は「あ!」と声を上げ、こちらへ向かってきた。
「ああ、待ってたよ。なんか凛ちゃんがあんたの探してたみたいで……凛ちゃん?来たよ」
凛はまた泣いていたのか目を腫らしていた。彼女は私の前に立った。
「これ、真夜中に赤くなったら開いてね」
掠れるような声でそう言った後、凛は私に手紙のようなものと修ちゃんを託し、店を出て行ってしまった。
「どうしたんですか?凛さん」
「ああなんでも、お父さんがここまで来ちゃったみたいでさ、揉めてたんだよ。店の皆で止めてその場はなんとかなったんだけど、そっから凛ちゃんの様子がおかしくってねぇ……かわいそうに……」
「そうだったんですか……私、凛さんを探してきます!」
「ああ、ちょっと!」
店長の言葉を最後まで聞くことなく、私は店を飛び出した。
「これ、自殺しちゃうんじゃないですか?」
「うん。そうかもしれない」
「止めないと!」
それから、私は凛を探して回った。しかし、修ちゃんを抱えながら歩き回るのはかなり動きが制限され、見つかるわけがなかった。
ついに修ちゃんは泣き出してしまい、周りの目も気になったので、私は車を使って捜索することにした。初めからこうすれば良かった。
「やっぱり見つからないですね……」
「外にはいないのかもしれないね」
「じゃあ家の中ですかね?だったらお店の人に住所聞いて……あ、警察にも言った方がいいかも……最悪はタイムトラベルして……ああもう!」
頭の中がこんがらがってしまう。こんな時こそ冷静でいなければ。
一度、深呼吸をしようと思い、窓を開けてみた。すると、遠くの方に煙が上がっているのが見えた。耳を澄ますと、消防車のサイレンの音が聞こえた。
「火事ですかね?」
「そうみたいだね。こんな真夜中に」
真夜中?なんだかさっき聞いたきが……。
——真夜中に赤くなったら開いてね。
凛が言っていた謎の言葉を思い出した。
真夜中?赤い?あっちって確か、凛さんの両親の家だったよな……。
「まさか!」
考えがまとまって、私は大声を上げた。
「どうしたんだ?」
「あの火事のところに向かってください!早く!」
「あ、ああ」
修に車を飛ばしてもらい、すぐに煙の元についた。
広がっていたのは、つい先日訪れた凛の両親の家が火の海になっている光景だった。
「やっぱり……赤くなったらってこのことだったんだ……」
「どういうことだ?」
「きっと、この手紙を読めばわかりますよ」
私はそっと、凛から渡された手紙を開いた。
名前も知らないあなたへ
今日、私の父親が店へ説教をしに来ました。口論の末、彼の目的は修を横取りしようとしているということがわかりました。実は、最初は少し期待をしたんです。向こうが謝って、助けてくれるんじゃないかって。もちろん淡すぎる期待でしたが。
そういうわけで、私の我慢は限界を超えてしまいました。つらい。つらすぎる。憎い。憎すぎる。
私は今日の真夜中、実家で両親を縛り付けて、火を放とうと思います。そこで私も一緒に死のうと思います。もちろん、全てやってはいけないとわかった上で。
だから、あなたに手紙を書きました。
現実に耐えられなくてごめんなさい。狂ってしまってごめんなさい。修、育てあげられなくてごめん。犯罪者の子供にしてしまってごめん。責任を全て投げてしまってごめんなさい。
懺悔する相手がいないので、昨日偶然にも出会ったあなたへ懺悔します。
同時に、修のこれからを少しだけ面倒を見てやってくれませんか?
引き取ってくれる人を探したり、施設に入れてあげたりなど、どんな方法でも大丈夫なので、修に居場所を作ってあげてもらえませんか?
それから修が大人になったら、ベタかもしれないけど、私はあなたを愛しているって、伝えてくれませんか?お願いです。
少ないですが全財産が入っている手帳を同封しました。それを元手に、よろしくお願いします。余ったら全て差し上げます。
修が幸せになりますように。源甲斐凛
読み終えた私は目に涙を浮かべていた。
ああ、どうしてこんなに世界は理不尽なんだろう。誰も彼女を責めることはできない。
「そ、そうだ。タイムリープしましょうよ!凛さんを救いましょう!」
「いいや。よしておこう」
修の声も震えていた。
「どうしてですか?凛さんに愛想を尽かしてしまったんですか?」
そんなわけないのに。意地悪だな、私は。
「戻ったとして、延命したとして、私は彼女をこれ以上の形で救えるとは思わない。きっと生かしても、彼女はあのまま苦しみ続けるだろう」
「そんな……修さんはいいんですか?」
「ああ。充分、愛情は伝わったさ。どんな状態でも、私を愛してくれていた。どんなにやつれていても、どんな非行をしたとしても、それでも、大好きさ」
もう私に、何か言うことは出来なかった。感極まりすぎているのもそうだし、言葉も何一つ見つからなかった。
翌日、私は修が育ったという施設を訪れ、修を入居させる手続きをした。修が祖父母に引き取られなかったのは、凛が二人と心中したからなのだと、今になって気づいた。
「そういえば、私達がやっちゃっていいんですかね?こういうの。未来が変わっちゃうんじゃ?」
「まあ、過程はどうあれ結果は変わっていないから大丈夫なんじゃないかな。あ、もしかしたら、これも特異点なのかもしれないね」
「私達が修ちゃんを施設に預けるっていうことが決まってたってことですか。いいですね。そう考えましょう」
手続きが終わった。そこで、私は凛が手紙に同封していたお金を取り出し、施設へ全て寄付した。それから、私が持っていたお金を、路銀を残して他は全て追加で寄付した。なんだかとてもスッキリした。
「さて!じゃあ行きましょうか!世界を救う旅に!」
「意気込んでいるところ悪いけど、フランス語の習得がまだまだだから、先に学習してもらうよ」
「ああそうだった。なんか出鼻挫かれた気分……」
私の旅は、まだまだ始まったばかりだ。