18_純白の恋③
ジェニンカが図書室で思わぬ告白を受けていたのと同じころ、ユーリィも自宅で数週前のことを思い出していた。
幼馴染みと喫茶店で交わした会話の、顛末を。
――わたし、……あなたが、好きだった――。
「……すまない。気づいてはいた。でも、僕はその気持ちには応えられない」
「ええ、わかってる。わかってた。……だから、過去形なの、一応ね」
家が隣同士なら、親も同業者、いわば仕事仲間のようなもの。ジェニンカは幼い頃からずっと傍にいて、互いに心地よい距離の取り方を弁えている。
だから彼女の気持ちに気づいても、敢えて言及しなかった。
ジェニンカの輝きを曇らせたくない。彼女の強さは、この国に必要なものだから。
ある意味では、ユーリィは彼女を心から愛しているのだ。誰より信頼できる友であり姉妹、ともに国際社会で戦う仲間になってほしいと、一番に願っている。
ゆえにこそ女性としては愛せない。恋人や妻にしてしまえば、きっと『守りたい』と思ってしまうから、戦友としての彼女を失うことになる。それは耐え難い損失だ。
何より今は、はっきり感じていることがある。
将来、自分が白ハーシ族長の地位を引き継いだとき、隣に立つ人は。個人としての自分を支えてくれる相手は、己と同じ首都育ちの白ハーシ族ではないほうが好ましい。
人びとを率いる立場として、常に正しくなければならない。だが人間は過ちを犯すもの。
自分と同じ視点を持たない相手が傍にいれば、早く失策に気づく。悔恨が深まる前に正すことができる。
互いの足りない見識を補うためには地方の者がいい。それも有色ハーシであれば、今の白一強の国内情勢に対して一石を投じることにもなる。
もちろん伝統ある白ハーシ族長家に『色』の着いた他部族の血を入れるなんて、到底許されはしないだろう。……今までなら。
国を変えるには、古い体制や思想をも破壊しなくてはならない。
「あはは。……なんかスッキリしちゃった、フラれたのに。やっぱり言いたいことを我慢するのって良くなかったのね」
強がりかもしれないが、ジェニンカは涙を拭いながら笑った。そういうところは本当に尊敬に値する。
続いて冗談交じりに発された「でも傷ついたのには変わりないんだから、今日はユーリィの奢りにしてよね」という軽口に、少年は一も二もなく頷いた。
こちらはお茶代よりもっとずっと大事なものを受け取っている。
「あのね、ユーリィ。わたしもできれば協力したいと思ってる……むしろ、これはわたしにとっても償いになるんじゃないかしら」
「ああ、……ぜひそうしてほしい、僕としても。
手を貸してもらえるのはもちろんだが、彼らにとっても、きっと君が必要だろうから。正直、君との不和で二人が塞ぎこんでいるのを見るのは忍びないんだ」
「……ふふふ。本当に、昔のあなたに戻ったのね」
ジェニンカも今度は心底から嬉しそうにくすくす笑ったあと、冷め始めたお茶をひと口挟んで、すっと真剣な表情に変わった。
「じゃあ、次にするべきことは解ってるでしょ。せっかく協力するんなら、徹底的にやってもらわないと」
「もちろんだ。説得に少し時間をもらう」
「一人で大丈夫?」
「ああ。むしろ君を関わらせると余計に拗れそうな者もいるから」
「そう、じゃ、健闘を祈るわ。それと、あと一つだけ質問してもいいかしら」
「何だ?」
姿勢を正したのに、幼馴染みはすぐには口を開かなかった。またひと口お茶を飲み、それで戸惑いを押し流したように見えたのは、気のせいだろうか。
茶器を受け皿に戻す音が妙に響いた。もともと端のほうの席だから、周りの人気は多いほうではない。
その静寂に滑り込ませるように、次の言葉が投じられる。
「リェーチカのこと。好きなの?」
面食らったのは、その問いを予想していなかったからでは、なかった。
「……言えない」
「別にわたしをフッた直後だからって、気を遣わなくてもいいわよ」
「そうじゃないさ。口に……出すべきじゃあ、ないんだ」
自分も茶器を手に取った。下手な音を喉から溢してしまわないように、温い熱でもってそれを腹の底へ押し戻そうと。
もうだいぶ冷めているはずなのに、流れ込んでいく肺の裏側が焼けるように痛い。
この世のすべては『魂』を形作る紋章と、『名』を映す詩で作られている。
言葉はすなわち詩だ。音にすれば意味が灯る。
一度でも名乗らせてしまったら、それはこの世に顕現してしまう。
つまり、――この口から吐き出された呪いの言葉もまた、無かったことにはならない。
「……妙な返答だけど、まあ認めたようなものね。経験者として言わせてもらうと、黙って押し殺していくのって、つらいわよ」
「ああ、それならそのほうがいい」
「そんなに卑屈にならなくても……。気持ちはわかるけど。ああでも、リェーチカはね、貴方が思ってる一億倍は優しい子なの。だか、ら――」
ジェニンカの言葉は不意に途切れた。ユーリィの眼差しに気づいたからだ。
眼頭をじくじく痛ませながら、愚かな男は、斬首を待つ罪人のように頭を垂れる。
「だから、だよ。……許してほしくないんだ」
わかっている。リェーチカの為人は。
ジェニンカが言うように、こちらの想像以上に温厚でお人好しな彼女は、きっと謝罪や誠意に対してまっすぐ応えようとするだろう。
きっと許そうとしてしまう。それがどれほど彼女自身を苛むことになるか、想像がつく。
謝罪は個人的な感情の処理ではない。ハーシの未来を担う者としてのけじめ、本来の義務を果たすという表明であって、端から許しを乞うつもりは毛頭ない。
こちらの自己満足であることを真っ先に伝えなくてはならないから、用意しているのはそのための言葉だけ。当然、彼らには受け入れる義務はないし、拒まれることも覚悟の上。
それでも必ず双方に痛みが伴う。
だからこそ、余計な色が滲まないように、この感情に名前を与えてはならない。それしか彼女に対して示せる誠意が残っていない現状を、ユーリィ自身が誰より疎ましく思っているとしても。
――この愚か者の痴情で、せめて彼女を穢すことがないように。
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