06_純白の恋②
何かを成そうとするのに、何の危険も犠牲もなく済ませようというのは甘い考えかもしれない。
ましてやすでに他者を虐げてしまった人間は、どれだけ自己を律して心を入れ替えようとも、罪の清算なくして先に進むべきではないだろう。
過ちは正されなければならない。時には痛みを以て。
ユーリィは覚悟をもって口を開いた。そして、なるべく簡潔に、感情的にならないように留意して、かつての地獄の話をした。
先にリェーチカと話していたことが功を奏したように思う。ある程度、自分自身の声音の変化を予想して、今度は意識的にそれを制御することができた。
これはあくまで事実の共有であって、それ以上の意図はない。であればジェニンカの同情を誘うような話し方は適切ではない。
今のユーリィに必要なもの、彼女に求めるべき助力は、慰めではないのだから。
それでも話が暴力に及ぶとジェニンカは憤った。やり場のない怒りを湛えた手が、スカートを握りこんで震えている。
「……ひどい。つらかったでしょうね」
「当時なら、そういう言葉を受け取る権利もあったと思う。問題はそれ以降だ。……僕はマヌルドで受けた仕打ちの原因や責任の所在を、あれからずっと地方に押し付けてきた」
「なんで今まで黙ってたの? そういう事情だって知ってたら、わたしだって……」
「それはいい。今するべき話じゃあない」
内心のけば立ちを、お茶で宥める。ここが喫茶店でよかった。
周りに無関係な他人の眼や耳があることも、互いに冷静さを保たせるには都合がいい。
「話を進めよう。……ともかく、僕は自分の立場を弁えず、友人たちを巻き込んで、地方出身者に八つ当たり同然の言動をしてしまった。
これからは態度を改めなくてはいけない。その第一歩として、リェーチカとザフラネイに謝罪したいんだ」
「心変わりしたきっかけは何だったの?」
「うん?」
「わたし、あなたとアレクトリア……リェーチカがこの店や駅で一緒にいるところを見かけたんだけど。あの子が言うには、あなたに口止めされてるとか、賭けがどうとかって……それもまだ、わたしには秘密?」
咎めるような、拗ねた目つきにハッとして、茶器をテーブルに戻した。
察しがついてしまったからだ。もしかして――彼女たちが連休明けから、急に不仲になった理由は。
今さら黙ってもいられないだろうと観念し、すべて打ち明ける。
母のハンカチの刺繍を直してもらったこと。それから、中間試験での不平等な賭けについて。
後者についてはジェニンカも「そういえばそんな話だったっけ……」と呆れていた。一応少しはリェーチカ自身からも聞いていたようだ。
西部の水ハーシ居住地域を訪ねたくだりになると、彼女は複雑そうな顔になった。
「……わたしやオーヨを差し置いて、先にあなたを実家に招くって、やっぱりちょっと納得いかないわ」
「それはそうだが……あの家を見ると、無理もないと思うよ。客用の寝室が二部屋しかないし、そのうち一つを家政婦に使わせていた。別棟や使用人部屋がないんだ。
それに道中も険しすぎる。移動向きの遣獣がいなければ、馬車も通れない未整備の山道を、じつに五時間以上かけて通るんだ。とてもじゃないが気軽には人を呼べないだろう」
「え……、な、……なにそれ……?」
限界集落という言葉はかろうじて聞いたことがある。しかしいくら言葉や文字で説明されても、実際に訪れてみないと、その実態を理解することは難しい。
本当に同じ国かと思うほど、あちらの暮らしは首都のそれとはかけ離れていた。
今や生活のほとんどが紋唱技術で賄われているから、それがない世界が想像できない。
自分の無知を思い知った。当たり前に享受してきた環境にあぐらをかいて、自分たちが恵まれていることに気づかず、地方の怠慢だと嘲笑ってきた――それがどんなに醜い行いか、思い至れないまま。
もちろんすべての田舎がそうとは言わない。だが、さすがにあれは自助努力で対処できる範疇を超えている。
国が手を差し伸べて、引き揚げてやらないことには、あれほどの地域格差は是正されようがない。
ハーシ連邦がこれから国際社会で戦っていくため、国の地力を高めるには、中央ばかりではなく地方にも力を入れるべきだ。ましてハーシ族同士で誤解や差別感情を蔓延させ、無為に足を引っ張っている場合ではない。
何より――あの美しい景観は、ハーシ国民すべてが誇るに値する。
「だからこそ感謝している。……彼女が西ハーシに招いてくれなかったら、きっと僕はいつまでも拗ねたまま、過った道を進んでしまっていた。
ジェニンカ、君にも感謝と謝罪を述べたい」
――ありがとう。今まで、随分と迷惑をかけてしまって、すまなかった。
やや震えた声で告げた言葉を、幼馴染みは面食らいながら受け取った。彼女も少し泣きそうになっていた。
「……お礼なんて、言われる謂れないわよ。わたしは何もしてない」
「したよ。ずっと僕を否定してくれた。そうして一年間、リェーチカを支えてきたじゃないか」
「自分のためにね。……ユーリィ、わたし、あなたが思うほど良い人間じゃない」
暖房のせいで窓は凍らないが、代わりに曇っている。ぼやけて輪郭を失った街角の風景を背に、ジェニンカはぽつりと続けた。
「あの子たちは口実だったの。あなたと喧嘩がしたかったから利用した。ただ、それだけ」
「……割り切っているように言うが、説得力がないな。僕から見ても君たちは仲が良かったし、現に今の君は、つらそうだ」
「それは……、当たりよ、認める。後悔してるわ。だって、……リェーチカもオーヨも、すごく良い人たちだもの。だから……」
「それなら」
どうして彼らを利用した。なぜ、和解の道を探らない。
理由は、答えは、たった一つ。単純なこと。
「わたし、……あなたが、好きだった」
頬を滑り落ちた雫が、テーブルクロスに染みを作った。
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