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雪を解いて春を招(よ)べ  作者: 空烏 有架(カラクロ/アリカ)
5時限目 冬の始まり
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04_冬②

 ジェニンカから絶縁宣言を受けたあと、オーヨと少し話した。

 理由はいくつかある。まずひとつは、元親友からの言伝を届けるため――巻き込んじゃってごめんね、というその言葉を、彼は拒むようにゆるくかぶりを振った。


「……あの日、待ち合わせ場所で……おれ、少し早くついたけど、ジェニンカは逆に遅れてきて……そのときにはもう、泣いてた」


 連休初日。オーヨと彼女は遣獣屋に行く約束をしていた。

 その日ジェニンカはひどく動揺していたそうだから、彼が聞かされた話は支離滅裂で、つまりほとんど推測で補完されている――。


 恐らく彼女は出かける途中でユーリィを見かけた。二人の家は隣だし、駅までなら向かう方向もおおよそ同じ。

 いかにも遠出らしい大きな荷物を持って、それなのに使用人を連れていないとなると、彼の立場からすれば目立つ。ジェニンカは不審に思ったのかもしれない。

 とにかく駅まで動向を見守り、そこでユーリィとリェーチカが落ち合っているのを目撃した。


 喫茶店にいたところを見たあとだ。『二人が付き合っている』という誤解がより強まってしまった彼女は、動転したままオーヨに会った。


 そしてパニック状態のジェニンカは、勢い彼にすべてを打ち明けた。言葉を選ぶ余裕もなかったのだろう、ほとんど泣きじゃくりながら、三人の友情は紛い物だったと叫んだのだ。

 本当はずっとユーリィを想っていたことも。

 ……オーヨからすれば、裏切りと失恋を同時に突きつけられたわけだ。


「……そんなの、どうだってよかったのに……」


 たとえ優しさの裏に知らない事情があっても。

 彼女が別の男の子に恋をしていても。


 一緒にいる理由なんか何だって構わない。きっかけは偽りでも、そのあとジェニンカとすごした日々や交わした会話は、自分たちにとっては本物だった。

 オーヨの気持ちは痛いほどよくわかる。そして、だからこそ、申し訳なさで胸が張り裂けそうだった。

 こうなってしまった原因は――すべてを台無しにしたのは、リェーチカだ。


「……ごめんね」

「なんでリェーチカが謝るんだよ。おれは、……おれは何もしなかったんだ」


 オーヨはなぜか、自分を恥じるようにそう言った。




 *




「お嬢様。あの、お客様が……」

「え? ……どうしたの青い顔して。誰?」

「それが、その」


 女中の態度がおかしい理由は、客間に入ってすぐにわかった。

 久しくこの家では見なかった人影。雪解け水にぬかるむ窓辺に佇んで、庭に並んだ雪細工の彫像を眺めているのは、もう長いこと疎遠になっていた幼馴染みだった。

 ジェニンカと彼がここ数年ぎくしゃくしていたことは、この家で働く使用人なら知っている。


 ユーリィはこちらに気づくと、挨拶と同時に「突然すまない」と詫びを入れてきた。


「学校では落ち着いて話せないと思って……少し時間をもらえるかな」

「いいけど。もし断ったらこのまま帰るの?」

「もちろん日を改めて出直すよ」

「……そうよね。ごめん、無駄なこと訊いて。とりあえず座ってちょうだい」


 背後に控える女中に指示を出し、ジェニンカも彼の向かいに腰を下ろす。

 外ははらはらと雪が舞っていた。


 紋唱式全館暖房セントラルヒーティングで暖められた室内でも、やはり冬には温かいお茶がいい。湯沸かし器(サモワール)がこんこんと湯気を上げる中、女中がテーブルに茶器を並べていくのをぼんやり眺めつつ、視界の中心にはいつも彼を映していた。

 ユーリィが訪ねてくるなんて、何年振りだろう。


 正直落ち着かない。どう感じればいいのかすらわからない。

 彼とこうして向かい合っている現実に、ひとかけらの高揚感もないと言えば嘘になる。この日をどれだけ待っていたか、どれだけ望んでいたか、……周りに使用人がいなければ今すぐにでも滔々と語ってやりたいくらいだ。

 けれど不安も一抹滲んでいる。今の自分たちの状況を鑑み、彼が何のためにジェニンカに接触してきたかを想像するにつけ……。


「で、何の用?」

「そうだな……その、実を言うと、話す用意がまだできていないんだ」

「何それ」

「僕の中でもまとまっていない。とりあえず、……状況を確認するために、まず質問させてもらうよ。単刀直入に。

 ――リェーチカと、何があった?」


 それは予想していた問いであり。

 ある意味、想像以上にひどくジェニンカを殴りつけた。


「……随分仲良くなったのね。愛称で呼んでるんだ」

「あ、……ああ。許可は得てる」

「そう。それで……わたしたちがどうしようが、あなたには関係なかったはずだけど、どうしてそんなこと訊くの?」

「気になるからだよ。それに無関係でもない……より正確には、なくなった、というべきかもしれないが」

「……本当にらしくないわね」


 いつもユーリィの話は論点がはっきりしていた。少なくとも、彼がこうして場を設けた上で切り出す場合は、聞き手を困惑させるような話し方はしない。

 用意がない、とはそういう意味か。

 そもそも予告もなく訪ねてきた時点で、すでに十二分に「らしくな」かった。つまり、あまり顔に出していないだけで、彼も慌てている。


 ――そんなにリェーチカのことが気になるの?


 彼女との間に何があったのか、訊きたいのはこちらのほうだ。

 前まであんなに嫌っていたのに。なぜ今更……なぜ、よりによってリェーチカなのか。


「つまり、……関係があるというのは……その、僕が例えば彼女やザフラネイと話がしたいと思った場合、仲介役として適当なのは君だ。でも……学校での最近の君たちは、互いに距離を置いているように見える」

「話? あの子たちに?」

「……いろいろ、あって……僕も考えてるんだ。何が正しいのか。だって僕は、……正しくなければいけない立場だろう。それで……」


 長いまつ毛の影が、手にしている茶器の水面に浮かぶ。白に近い氷銀の髪は、真冬の柳のように項垂れて、今にも雪を振り落としそうに見えた。


「……間違っていたんじゃないかと、思うようになった」


 どうして。どうして。どうして。


「ジェニンカ、君が正しかった。だが……今の君に助力を仰ぐべきかどうかの判断が、つかない」

「そっか。……少し考えさせて」

「ああ。今日はこれで失礼するよ」


 帰っていくユーリィをなんとか見送って、そのあとジェニンカは自室に走った。


 室内履きを脱ぎ捨て、寝台に倒れ込み、枕を抱き込んで嗚咽を堪える。その間も同じ言葉がずっと頭の中でぐるぐる鳴り響いていた。

 ――どうして。


(わたし、最低だ。最低だ……)


 ずっとこの日を待っていたはずなのに、どうして喜べないんだろう。



 →

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