03_冬①
都合が良かったの、とジェニンカは言った。
ユーリィが忌み嫌う地方出身者で、気立てが良くて、嫌がらせをされても言い返せない。何よりもまず、女の子。
彼女にとってリェーチカはぴったりの人材だったのだという。
ジェニンカにはユーリィと対立する理由が必要だった。彼との距離が開いて久しい今はもう、それしか彼と関わる方法がなかったから。
だからリェーチカを庇った。彼との接点を作るために、どんな形でもいいから、ユーリィと向き合いたかった。
たとえ彼の敵になってでも。
「……あの取り巻き連中の一員になって今の彼を肯定するよりはマシ。それに、いつかはユーリィもわかってくれるんじゃないかって、期待もしてたの」
「ジェニンカ……」
「まあ知ってのとおり、効果は全然なかったけどね」
椅子の縁をぎゅっと握り締めて、ジェニンカはぼやくように続ける――
「わたし、ずっとユーリィが好きだった」
なぜかその言葉が一番刺さった。
大きな棘ではないけれど、肉の中に深く潜り込んでしまって容易には取り出せない。潰れて見えなくなっても、身じろぎするたび柔らかいところを刺して、何度でもその痛みを思い出す。
――そんな気がした。
「きっと罰が当たったのね……思ってもみなかったわ。まさか、あなたたちが付き合い始めるなんて」
「……えっ??」
「ふふっ、隠さなくていいわよ。わたし見ちゃったから。喫茶店でデートしてるとこ……あと、二人で大きな鞄持って、駅にいたでしょ」
「ッ……そ、それは……」
思いがけない言葉の数々に面食らって、頭が白んでしまった。
すべてが誤解ならまだしも一部は事実。情報がぐちゃぐちゃに入り乱れて、こんがらがった毛糸の様相だ。
今すぐこれを解かないと、本当にジェニンカを失ってしまう。
それだけは耐えられない。今まで交わした言葉や思い出が、すべて嘘だったとは思いたくない。
いや、たとえそうだとしても、リェーチカにとって彼女は大切で大好きな友であることに変わりはないのだ……。
「違うの、……あの、説明させて」
「嫌だって言ったら?」
「っ、お……お願い……話を聞いて……誤解だから……!」
「……。冗談よ。で、何が誤解? わたし、この目で見たのよ。人違いとは言わせないわ」
リェーチカは頷いて、どうにかこうにか話そうとした。
胸を押さえて、口を開いて息を吸って、それから、……最初の音が出てこない。まず何から話せばいいのか。
時系列? それとも、結論?
――どうしよう。ユーリィに、誰にも言わないと約束してしまった。
いや、あれは彼が外国で経験したことについてであって、リェーチカの故郷を訪ねてくれたこととは別だろう。
ああ、それと……ハンカチの刺繍。あのことも伏せたほうがいいのかどうか、でもその話をしないことには、喫茶店にいた理由を話せない。
「えっと……、とりあえず、付き合ってない」
探りさぐりの声が震える。嘘なんて吐いていないのに、なぜか罪悪感で喉が苦しい。
「喫茶店にいたのは本当……でも、デートとか、そんなんじゃないよ。……理由はその、……言っていいかどうか、わからなくて……」
「……」
「駅の件は……、こないだの試験で、私と彼、賭けをしてたから。その関係で……」
ぜんぶ本当のこと。でも、こんなに声が震えているうえに曖昧な答えで、ジェニンカが納得してくれるとはリェーチカ自身も思えなかった。
改めて口にするほど思い知る。
親友だったのに、そう思っていたのに、いつの間にか隠しごとがこんなにあるなんて。
問い詰められてなお、ほとんどろくに説明もできない体たらく。これではジェニンカが怒るのも当然だ。
彼女がユーリィを好きだってことにすら、気づいていなかった。何も見えていなかった。
思えばオーヨとの関係を推していたのだって、彼を応援したいのなんて上っ面で、本当は自分に都合がいいからじゃないの?
親友を差し置いてユーリィを故郷に招いたのだって、言ってしまえば自分のため。
――冷静に考えるとなんて身勝手なんだろう。
そんなことをして、どうして許してもらえると思ったの?
「……もういいよ、リェーチカ」
ジェニンカは小さく息を吐いた。膝の上でぐっと腕を伸ばして、まるでその先に見えない何かがあるのを、掴めないかともがくように。
それとも手の甲を見つめているのか。優しくて不器用な、誰かを守ることに長けた指を。
その手に甘えすぎていたリェーチカこそ、彼女を、親友という言葉で利用していたのだ。
「無理に話さなくていい。きっと、もともと何を聞いたってわたしの答えは変わらないもの。
つまり――わたしたちの『お友だちごっこ』はもう、終わり」
「ジェニンカ!」
「最後にひとつお願いしていい? オーヨに、わたしが謝ってたって伝えておいて。巻き込んじゃってごめんね、って。
よろしくね。――アレクトリア」
その瞬間の心地をなんと表現したらいいだろう。
リェーチカの胸が裂けて血を噴いた。いや、心臓が悲しみに凍りついた。
凍って、それから、思いきり叩き割られたようだった。
粉々に砕けたその破片を、ジェニンカが踏み躙りながら去っていく。振り返りもせずに、二本のみつあみが、さよならと手を振るように揺れていた。
彼女が扉を閉めるまで、いや、そのあともしばらく、リェーチカは立ち上がれなかった。
*――
木枯らしよ。カーシャ・カーイの皮衣よ。
それは遥かなる北の山並みから、雪雲を具して吹き下ろす。
銀の衣は冷たく厚い。人の罪を清めよと、狼神がお命じになられたゆえに。
忠義厚き雪精は総てを白に埋めねばならぬ。
猛りうねるは風鋏。身の程知らずが温もりを求めるなら、彼らはその指を切り裂くだろう。
あるいは氷の鎚を持て。無理を抱いた身の丈知らずの腕を、腐るまで打ち叩く。
寡婦の涙と、愚か者が路傍に晒した屍を、総て白に埋めねばならぬ。
木枯らしよ。カーシャ・カーイの皮衣よ。
銀毛に抱かれた人びとの魂を、貴方は無慈悲に喰らい尽くす。
跪き額衝いて、春を乞うハーシの悲鳴をも、貴方の哄笑がかき消しておしまいになられた。
――散文詩『冬』 詠人不詳
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