01_変わらない日々
楽しかった学園祭が終わってしまうと同時に、寒さが身に沁みるようになってきた。
深まる秋に街路樹の葉も紅く燃え、薄青の空はどこまでも透けている。山のほうでは雪がちらつき始めるころだろう。
リェーチカも、手製の暗記カードをおともに登校するのがつらくなってきたので、最近は手袋を着けっぱなしだ。
実技が得意な人が火属性の紋唱を使っている姿もよく見かける。もっとも、認定証を持たない学生の校外での不必要な使用は、禁止とまではいかずともあまり推奨されないのだが。
とはいえ練習にはちょうど良さそうだから、リェーチカも真似しようかなぁと思いつつある。
そんな、今日このごろです。
「リェーチカ、三大属性融合系の基本円は?」
「えーと、火水の蒸円と、火風は熱円で……あ、あと水風の嵐円!」
「正解っ。じゃ、次はそれを図示して?」
「んーと……ん?」
いつものように友人たちと自習に励んでいると、三人の傍に小さな紋章が浮かんだ。
もちろん誰も描いていない。なんだろうと眺めていると、図像の中心にあった円がレモン型にきゅっと歪み、それが口のような動きをするとともに声がした。
『ザフラネイくん。奨学金に関してお話があるので、職員室に来てください』
「あ、はい。……ちょっと行ってくるね」
「うん。行ってらっしゃい」
先生からのお呼び出しだ。用件を言い終えると連絡の紋章はすーっと消えた。
いそいそと去りゆくオーヨの背を見送ってから、残ったジェニンカと顔を見合わせる。
「何かしら? ……まさか打ち切りだったりしないよね」
「それはさすがにないと思うよ。たぶん返済免除額が減るんじゃないかな……お兄ちゃんの話だと成績によって返す額が変わるらしいから」
「あぁ、そうなんだ」
今まで学年首位を保っていたオーヨだが、先日の中間試験では成績がふるわなかった。座学ではいつもどおりの高得点だったが、実技試験、とくに模擬戦で大きな失点をしたせいだ。
とはいえ、それでも成績上位者であることには変わりないし、最終的な成績は卒業試験で決まる。
これから巻き返せばいい。仮にどんなに悪くても多少の返済義務が生じるだけだから、大きな借金にはならない……はず。
「そのお兄さんて、こないだ学園祭に来た人?」
「ううん、その下」
「……ごめん、たまにわかんなくなるんだけど、リェーチカって何人お兄さんがいるの?」
「三人だよー」
ハーシは子だくさんな人が多いので、四人兄妹くらいならそこまで珍しくはない。オーヨなんて五人兄弟だと聞いている。
が、それも今は地方だけの話らしい。ジェニンカも弟が一人だけだというし、実際に首都内を歩いてみても、大人数の家族連れなんてほとんど見かけない。
ひとまず混乱している親友のために改めて説明すると、スロヴィリーク家はこんな感じです。
長男は二十六歳で、水ハーシ部族長。独身。今はたった一人で故郷の里に住んでいる。
昨年の夏まではリェーチカが身の回りの世話をしていたのだけれど、そういえば今はどうしているのだろう。たぶん近所の人とかに来てもらっているんだと思うけれど。
次男は学園祭にも顔を出してくれた彼。二十一歳で既婚者。
この国立紋唱学校のOBにして、特待生として東の大国マヌルドへの留学経験もある、いわゆる優等生の『天才』である。
普段は世界中を旅して回っているが、今は奥さんが里帰り出産中のため東ハーシに滞在している。
三男は十九歳。次男と違って国立校へのコネ入学はできなかったが、奨学金制度を利用して首都内の私立学校に通った、努力の人だ。
一応独身だけれど婚約はしていて、今は彼女とともにマヌルド帝国に住んでいる。
で、末っ子の長女がおなじみリェーチカ。
部族長令嬢ながら学歴は初等学校卒業止まり、去年までは故郷から出たこともなかった、生粋の田舎娘でございます。
「へー、それは賑やかそう。っていうか、さぞ可愛がられてるでしょ、一番下で女の子って」
「そうかなぁ? 普通だと思うけど。一番上は勉強ばっかりで遊んでくれなかったし、二番目はお母さんみたいだし、三番目はいじわるだし」
「お母さんって……」
ジェニンカは呆れ気味だが、実際リェーチカが小さかった頃は、母が忙しい時には次男が家事をしていたこともある。まだ性別での分業の観念が強いこの国では珍しい話だ。
思えばその彼が紋唱術の才能を見出されて家を出たから、リェーチカは中等学校入学を諦めて次の家事係になったのだとも言える。
もちろん家の経済状況や、父の引退に伴う首都への引っ越しなど、他の要素も多分に関わってはいるが。
「でもわかった。リェーチカはかわいいのに、今まで男子の影がなかったのって、きっとお兄さんたちが虫除けしてたのね」
「はい?」
うんうん、とか一人で満足げに頷いているジェニンカ。
いや、その、まあ、似たことはリェーチカ自身も考えたことはあるが。でもいろいろそれ以前の環境だったことのほうが大きいと思う。
だいたい首都に出てからは関係ないし。
ジェニンカはよくリェーチカを「かわいい」と評するけれど、何を見て言っているのだろう?
とりあえず容姿ではあるまい。こちとら自他ともに認める凡顔だ。
「ジェニンカこそ、オーヨと進展ないの?」
「えっ? ……なんで?」
「いやなんでってさぁ……」
学園祭で二人をお化け屋敷に行かせたときは、我ながらファインプレーだったと思っていたのだけれど。ジェニンカだって彼が頼りになったというようなことを言っていたし。
なのにこの空振り感、うう~ん口惜しい……。
(ていうかジェニンカ、まだオーヨの気持ちに気づいてないんだ……)
彼は大人しい人だし、なかなか告白できないのは予想どおりだからいいとして。ジェニンカもちょっと鈍い気がする。
それとも自分に向けられた好意って気づきにくいものなんだろうか。
いっそ代わりにリェーチカから伝えてあげようかとも思ったが、無断でやるのはさすがにオーヨに悪いよなぁ、と小さく溜息を吐く。せめて先に許可を取らないと。
そんなリェーチカを、ジェニンカはちょっと戸惑ったふうに見つめていた。
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