14_脱出
まだあちこちが痛むけれど、へたり込んでいるリェーチカを、ユーリィが力強く引っ張って立ち上がらせる。
「あ……あまり一箇所に長く留まらないほうが、いい。また何か出てくるかもしれないからな……なるべく足許に気を付けて、少し、早歩きで行こう……」
「う、うん……」
「あと、……その、絶対に、他の誰にも」
「言わない! 言わないからっ……」
親が民族議会長だとか。部族長の家系だとか、白ハーシとか、水ハーシとか。
いじめっ子といじめられっ子とか。
何もかもがどうでもよくなった。一時的なものとはいえ、このとき恐怖はすべてのしがらみを吹き飛ばした。
なんとなれば、このお化け屋敷の主たる忌神は死者の神であるから、死の前にはあらゆる人間が平等ということだろう。……たぶん。
ともかくリェーチカとユーリィは、そのまま手と手を取り合って闇の中を進んだ。
「うわーっ!!」
「ひゃぁああ!?」
泣くも叫ぶも一心同体。勢い余って抱き合う瞬間すらあったが、お互いそれを気にしてもいられないくらい怖かった。
なんならユーリィなどリェーチカ以上に騒いでいたような気さえする。
もうどちらが震えているのかわからない有様で、奥歯をがちがち鳴らしながら、二人三脚か舞踏のように足並みを揃えて歩いていた。両手を握り合っているから余計にそんな体勢だ。
歩調だけではない。心もひとつ。
すなわち――一刻も早くここから出たい、という切なる想いだけはお互い同じ。
ようやく彼方にそれらしい光が見えたときは、二人揃って声が出るくらい安堵した。
そこでようやく彼の手の力が弱まって、長いこと握られすぎた指がじんじん痺れていることに気づく。正直ちょっと痛い。
「はぁ……あとちょっとだぁ……」
「そうだな、……でも油断はするな」
「う、うん」
そろーり、そろーり。と慎重すぎる足取りで出口を目指す。ほんの数歩が永遠のように遠い。
リェーチカは身体を半ばユーリィに預けているような体勢だったから、耳をこらせば彼の心音が聞こえた。
いろんな意味で落ち着けるとは言いがたい、恐怖に震える鼓動。どっどっ……、という忙しないリズムに、自分のそれが二重奏を演じている。
他の女の子たちからは氷の王子なんて呼ばれているらしいけれど、今は怜悧な顔を崩して冷や汗だらけ。
みんなこの姿を見たら驚くだろう。矜持の高いユーリィが「誰にも言うな」としつこく念押しするのも無理はない。
それに取り巻きの人たちも、彼が実は怖がりだと知っていたなら、そもそもお化け屋敷になんて来なかったはず。つまり彼らにさえ打ち明けていないのだ。
(……ん? てことは私、この人の秘密を握ったってことになる……の、かな)
まあ、だからって何をどうするわけでもないけれど。
「……。何もなかったな」
「そ、そだね。よかったぁ……」
出口の直前まできても何もなかったので、二人はようやく身体を離す。冷静になるとありえないくらい密着していた。
お互い深呼吸。恐らく外で待っている互いの友人たちと、さも何事もなかったような顔をして合流するために――……。
『……またね』
「「み゙ゃーーーー!!!」」
完全に油断したところで脅かされて、揃ってあられもない悲鳴を上げた。
……外にまで聞こえたんじゃなかろうか……。
***
「お疲れなさい! ……っていうか大丈夫?」
ようやくお化け屋敷から解放されたリェーチカは、這うようにして廊下に転がり出た。
駆け寄ってきたジェニンカに即座に心配されたあたり、たぶんよほどひどい顔をしていたんだろう。とりあえず、ありがたくしがみつかせていただく。
ああ親友の温もり。安心感すごい。すき。
「怖かったよぉぉ……」
「そ、そうよねぇ。わたしもオーヨがいなかったら今ごろ……」
「え?」
「あっ、な、なんでもない! それより……」
不自然に途切れた言葉が気になって、くっついた体勢のまま顔を上げる。
ジェニンカの視線の先には、まだやんわり顔色のよくないユーリィと、彼を取り囲むいつもの四人がいた。
ポランカが今のリェーチカに負けないくらいの勢いで彼に抱き着いている。のを、隣でマーニャがめちゃくちゃ不服そうに見つめている。
「ねえユーリィ、一体どういうつもり――」
結論から言うと、その問いに返事はなかった。
すでに両側から取り巻きチームの女子に張り付かれたユーリィは、彼女たちの「あんなの放っておいて行きましょ」「喉乾いたよね〜、どこかで休憩しよっ」という言葉とともに、あっという間に連れ出されてしまったからだ。
彼自身もそれを拒むようすはなかった。一瞬だけジェニンカを振り返ったけれど、どこか気まずそうな眼をしていた気がする。
三人だけが廊下に取り残された。ジェニンカはユーリィたちを追おうとしかけたけれど、ちょうど向かいからお化け屋敷を目当てにする人たちがひっきりなしにやってくるので、すぐに諦めたようだった。
「もうっ。わたしたちも行きましょ。
……ところでリェーチカ、なんでユーリィと入ることになったの? つまりその、……あいつに何か言われたりとか……」
「あ。……いやえーと、なんていうか、流れで受付のお兄さんに組まされちゃっただけだよ」
「そう。……何もなかった? 嫌なことされたり言われたりしてない?」
「うん、大丈夫」
むしろ一緒に怖がってくれて助かった、……とは言えないので詳細は話せないけれども。とりあえずジェニンカに心配されるようなことはない。
そんなことより、リェーチカとしては。
「ジェニンカたちはどうだったの〜?」
「え? あ、うん……それがオーヨったらね、全然怖がってなかったの」
「おおー。それは頼りになったねぇ?」
「そうかもねぇ」
なんかジェニンカの回答はモヤッとしていた。
ちらりとオーヨを窺うと「おれだって怖かったよ」と苦笑いしている。
そんな彼のズボンの太もも部分に、不自然な痕があった。ちょうど手で強く握り込んだような形の、ちょっとやそっとでは残らないような、はっきりしたシワが。
そこに涙ぐましい努力を感じ取ったリェーチカは、オーヨに向かってそっと頷いた。
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