13_リェーチカとユーリィ
――君に、尋ねたいことがあるんだが。
思わぬ言葉にリェーチカはきょとんとしたが、ユーリィもかなり戸惑っているようで、なかなかその先を言わなかった。
長い指先が紅色の首帯をいじっている。そういえば彼は接客係だったっけ。きっとみんな注文するのに緊張しただろうなぁ……。
と、いうか。
「あ。タイ、曲がっちゃってる」
「え?」
この休憩時間が終わったらまた喫茶店に戻るのだし、まずもって泣く子も黙るイェルレク・ワレンシュキの身だしなみが崩れているだなんてこと、なんかいろいろと許されないだろう。そう思って手を伸ばす。
何しろ実家ではずっと長兄の世話をしていたので、タイを直すくらい朝飯前である。どうでもいいことだが、兄はかなり背が高いので屈んでもらうか踏み台を使わねばならず、それに比べるとユーリィはちょっと背伸びをするだけで済んで楽なくらいだ。
「よいしょっと。苦しくない?」
「……あ、ああ……」
「? ……あッ、ご、ごめんなさい!?」
顔を上げたら呆然としているユーリィと眼が合って、我に返ったリェーチカは慌てて飛び退いた。
まずい。完全に無意識だった。どうしよう。幸い向こうも怒っているようすではないというか、驚いているだけのようだけれども。
でもそれは今だけの話であとからだんだん腹が立ってくるとかそういう可能性もないわけではないような気がするしとりあえず怖いどうしよう早くジェニンカたち戻ってきて……!
リェーチカはパニック状態で硬直していたが、ユーリィは自身の首許を見下ろして「随分慣れているな……」と呟いていた。
たしかにタイを直すのには慣れている。でも貴方には慣れていません。このたびは不躾にも馴れ馴れしいことをしてしまい、まことにすみませんでした。
「……ああいや、そうじゃなくて。このタイの――」
「え? もう次の組入れてもいいの? 了解~。
それじゃお二人さん、どうぞー。恐怖と深淵の『忌神の世界』へ、いってらっしゃーい!」
「えっ」
えっ。
ええっ。
「ええええ~ッ!?」
ユーリィが何か言いかけていたような気がしたのだが、スタッフのお兄さんは有無を言わせず二人をお化け屋敷に突っ込んだ。そもそもこの組み合わせで入るとも言っていないのに。
慌てて廊下に戻ろうとしても、無情にも扉が閉められていた。ひどい。
中は昼間だというのに夜みたいに真っ暗で、しかも天井には月や星がちらついていた。風の音も聞こえるし、なんなら実際に生温い空気が周囲を流れていくしで、本当に夜の砂漠に来たみたいだ。
もちろん実際に行ったことはないのだけど、きっとこんな感じなんだろうと思わせる迫力というか、臨場感がある。これが人気の秘密だろうか。
しかしリェーチカにとっては困る。もうこれだけで怖いので。
「ど、ど、どうしよ……」
「こうなったら進むしかないだろう。まったく……いくらなんでも強引すぎる。あとで苦情を入れるか……」
よりによって、この人と入る羽目になろうとは。
ユーリィは平気なんだろうか。いつも冷静沈着だから、怖がったり騒いだりする姿が想像つかない。そうなるとリェーチカひとりで騒ぎまくることになるが、うるさいと怒られたらどうしよう。
オバケも怖いしユーリィも怖い。どっちか一方だけにしてほしい切実に。
なんてリェーチカの気持ちなど関係なくすたすた歩き始めるユーリィに、恐怖を押し殺して必死についていくしかない。この闇の中で置いてけぼりにされるのも嫌すぎる。
しがみつけるものがないので、代わりに両手を痛いくらいに握りながら……。
「……そうだ。その、さっきの話だが……」
「え、あ、うん、何……」
「実は、このタイの刺繍を――」
『ヴォォォアアアア!』
「「ぎゃーッ!!!???」」
またしてもユーリィの言葉を遮ってオバケが乱入してきた。脅かし役のスタッフなのだろうが、全身を黒い外套か何かで覆っているらしく、見えるのは骨だけだ。
カタカタと笑うような動きをしながら、真っ白な獣の頭骨が闇の中に蠢いている。しかもそれは現れたときと同じように、ぬるりと闇の中に消えていった。
こ……こんなのがあと何回出てくるのだろう。雰囲気だけで充分怖いのに脅かし要素もあるなんて絶対に心臓が持たない。泣きそう。
思わず震え上がると手がぎゅうっと強く握られた。それで一瞬安堵して、……そのあと、あれ、と疑念が顔を出す。これ、誰の手?
というかさっきも……悲鳴、自分のだけじゃなかった気が、する。
ねばつくような暗闇の中でじっと目を凝らしてみると、リェーチカの手を握っているひと回り大きなそれの主は、誰あろうユーリィだった。
眼が合う。お互い、目尻にきらりと光るものがある。
「え、……あの……」
「……言うな」
「へ」
「ここで見たことを、誰にも言うんじゃない。……僕は、正直言って、こういう類の施設があまり得意ではな……」
めちゃくちゃ震えていたユーリィの声がそこでぴたりと止まった。
彼の肩に。……青白い、手が。
『いつまでも立ち止まってたら……忌界に連れてっちゃうよォ……?』
「いいいぃぃゃああああああ!?」
もうどちらが上げた悲鳴かはわからなかった。
考える余裕もない。お互いの手と手を取り合ったまま走り出す――二人ずつしか通れないほどの狭い通路を、闇の中で、である。
もちろん足許などろくに見えもしないので、案の定すぐ脚が絡み合ってすっころんだ。
ぎりぎりこちらが下敷きにはならなかったものの、半身を覆い被さられて重いし、痛いし、動けない。ユーリィも細身に見えて、ちゃんと骨太で大柄なハーシ人らしい体格だ。
先になんとか身を起こした彼が「すまない、大丈夫か」と差し伸べてきた手に、リェーチカは半泣きになりながらすがりついた。
……意外と優しい。まさかユーリィに声を掛けられて安心する日が来るとは思わなかった。
「通路が狭すぎだ、安全対策に問題がある……」
とかどうとか口走っているのが聞こえたけれど、やっぱり声が震えていた。ユーリィなりに怖さを紛らわそうとしているのだろうか。
だいたいまだ手を離してくれない。それどころか、さっきより強く握られている。
ただ、こちらもそれで助かっているから、黙っていた。
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