19_異変①
模擬戦はちゃくちゃくと進む。
ユーリィは他の生徒の試合ぶりを眺めつつ、自分の番に向けて精神を整えていた。
五組目のジェニンカは危なげなく勝利している。心の強い者は紋唱術にも長けているのだと、彼女を見ているとよくわかる。
だからこそ開いてしまった距離が口惜しいが、今はそんな雑念は邪魔だ。
ユーリィとていち生徒、気を抜けば試験脱落もありうるのだ。国を治める民族議長の息子だからといって特別扱いはされない――しないでほしいと、こちらから学校にも入学時に伝えてある。
六、七、八組目も何事もなく終わり、九組目。マーニャが出た。
以前は実技に苦手意識があるようだったが、何日も主にギュークに監督されながら熱心に練習していたこともあり、今日は見違えるようにスムーズな試合運びだ。
ちなみに当の指南役はユーリィの隣でやかましく応援している。結界に遮断されてこちらの声が届かないことを忘れているようだが、楽しそうなところに水を差すのも野暮なので黙っておいた。
少し気になるのは対戦相手が他部族だということだ。白ハーシの令嬢相手に畏縮しているのが見て取れ、それが実力以上にマーニャの試合を有利に進めているようにも見受けられる。
最後は情けない降参の声でもって試合が終了した。
「おつ〜」
「やったな〜! っぱオレの教え方が良かったろ?」
堂々と凱旋してきたマドンナを、ポランカとギュークがはしゃいだようすで出迎える。本人以上に喜色満面の約一名を牽制するようにマーニャはフンと鼻を鳴らした。
「調子に乗らないで、実力よ」
「……おまえ何いきなり強がってんだ?」
「はぁ!?」
ユーリィにもギュークの言動の意図はわからなかったが、隣でポランカとセーチャが噴き出したところを見るに、それほど的外れでもなかったらしい。
楽しそうな友人たちを横目に手袋のチェックをする。破れやほつれはなし、指先の軌跡もきちんと銀色に光っている。
あとは結界内の原状回復が終わり次第、いよいよユーリィの番だ。
らしくもなく緊張していた。
国の未来を担う者として絶対に負けるわけにはいかない。白ハーシの規範的な立場ゆえ、見苦しい試合も許されない。
ワレンシュキ家の人間は、つねに正しく存在しなければならないのだ。
深呼吸していると、ふいに肩を叩かれた。
「次でしょう? 頑張ってね」
「ああ」
「めずらし、緊張してんの〜? 昨日の予行どーりやれば大丈夫だってぇ」
「そうだな、ありがとう」
ポランカの言うとおり。本番と近い環境で予行演習をするため、わざわざ自宅のよりも狭い学校の訓練場を予約したのだから、その成果はきちんと出さなければ。
そういえば、昨日はそれで久しぶりにジェニンカとまともな会話をしたっけ。
思い返してしみじみしているユーリィの両脇では、女子たちがひっそり睨み合っている。
ポランカに一本取られたままでは気が収まらないマーニャは、さり気なく手袋越しに指を触れ合わせつつ、ちょっと焦ったようすで口を開いた。
「あー……そうだユーリィ、聞いた? あなたの対戦相手のこと。彼って本当は純粋な白ハーシじゃないらしいわよ」
「そうなのか?」
「ええ、……そうよね? セーチャ」
「……ああ。父方の祖母がワクサレア人だ。俺は同郷だから、間違いない」
「あーでもなんかわかるー、顔ちょっと違うもんね」
そうか、と呟いたユーリィの声が強張っていたことに、誰か気づいていただろうか。
しいていえばセーチャだけは冷めた眼で彼を観察していた。いつもどおり、ただ眺めているだけだった。
***
鐘が鳴る。
リェーチカは思わず姿勢を正した。
今日このあとユーリィより高い点を取らなければ退学決定なのだ。彼の試合でハードルの高さが決まるのだから、刮目して見届けねばなるまい。
対戦相手は奇しくも昨日、訓練場で揉めたグループのひとりだった。ああいうことがあったあとでは気まずいのではなかろうか。
というより、むしろユーリィが相手という時点で可哀想だ。負ければ試験合格が危ぶまれ、勝っても針のむしろで、下手をすればあの取り巻きグループに何をされるか……。
なんてリェーチカが勝手に同情していると、にわかに場内がざわつき始めた。
「……どうしたの?」
ジェニンカがぽそりと呟く。誰かに問いかけるような口調だけれど、その相手は隣のリェーチカでもオーヨでもないのだろう。
彼女の視線は、結界の中心に佇む少年へ注がれていた。
隣に優美なオオハクチョウを従えて、本来なら華麗な戦いぶりを見せていたはずのユーリィの眼の前で、紋章が赤々と燃え上がっている。
もちろん炎属性でそういう術もあるが、リェーチカが知るかぎり何かに重ねて延焼させるものだ。単体ではあまり意味がないし、何よりユーリィ自身が困惑しているようなのが、外からでも見て取れた。
とうとう隣の白鳥が見かねたように水の術で消火したあたり、やはり意図して起こした現象ではなかったらしい。
対戦相手は立ち尽くしている。遠慮しているのではなく、異変に気づいて戸惑っているのだ。
「調子悪いのかな……?」
「みたいね。……にしても、ちょっとひどすぎ」
ジェニンカたちの会話を聞きながら、リェーチカも首を傾げる。
フョーフト山でサペシュを相手に戦っていたときは、問題なく紋唱術を使いこなしていたし、実技が不得意というわけではないはずだ。
けれど今のユーリィは普段の冷静さをすっかりなくしているようだった。新しい紋章を描く背中にすら、焦燥が滲んでいるようだ。
らしくもなく粗い描画から繰り出される術は精細さを欠き、……なんていうか威力がしょぼい。
相手は遣獣ともどもすっかり困り果て、とりあえずひたすらに防壁を作っていた。何しろユーリィ側にもはや防御する余裕がなさそうで、怪我をさせないというルールもあって、下手に攻撃できないのだ。
そんなわけで試合はひどい膠着状態に陥っていたが――。
ユーリィの描いた紋章が、いきなり爆発した。
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