16_オーヨの戦い①
試合に備え、セーチャは手袋をつけ直している。とくに緊張しているようすは見られない。
「余裕そうだな」
ユーリィが声をかけると、鋼色の瞳がぬるりと動いてこちらを見た。
「誰と当たってもいいように準備しておいた。で、……何かご要望でも?」
「そういうわけじゃないが……まあ、いい機会だからな。ザフラネイを教育してやるといい。
得意分野だろう?」
「……了解」
冗談めかして一瞬敬礼をかたどった手を、ひらりと振って去っていく。やはり彼はとらえどころのない男だ。
肩をすくめるユーリィとは対照的に、ポランカとギュークは「セーチャー! やっちゃえー!」「あんまイジめてやんなよー!?」などと騒いでいた。
……試合外の言動は採点の対象になっていないといいのだが。
かくして、オーヨとセーチャの対戦が始まる。
試合開始の鐘とともに、オーヨは急いで紋章を描いた。対人戦となれば遣獣の呼び出しはほぼ必須だが、唱言詩を省略できない以上は、むしろ普通の術よりも時間がかかる。
焦って普段より粗い筆致になっているオーヨとは反対に、セーチャはゆったりと何か小さな紋章を描いていた。なんだろう、遣獣を召喚するようには見えないけど……と横目で伺いながらも、とりあえずは己の紋唱術に集中しなくてはならない。
描けたら、早く詩を。
「あのさ。俺、あんま目立つのって好きじゃないんだ……」
意識に割り込んできた声に、思わずそちらを見てしまう。セーチャは爪先に引っ掛けた紋章を、指を鳴らすような仕草で弾いて飛ばした。
同時に小さな声で唱言詩を詠む。
「――囁鵐の紋。さてと……」
光の線は見る間に解け、スズメほどの大きさの鳥の形になった。攻撃かと思って身構えたのに拍子抜けだ。
小鳥は何をするでもなくオーヨの周囲を旋回する。……何だ?
明らかに何かの罠だが、紋章はもちろん、詩も小声すぎて聞き取れなかった。こんな形の術はあっただろうかと、これまで習った知識を総動員して考える――その間、手が止まる。
《なあザフラネイ……俺たちって、意外と仲良くなれる気がするんだ》
「……!?」
鳥が喋った。セーチャの声だった。
そうか、これは音属性の、音声を遠隔で伝える類の術だ。
《さっき俺が、目立つのは好きじゃないって言ったとき……自分もそうだ、って内心思ったろ?》
「……べつに……」
《ああ、わかってる。ユーリィとつるんでる俺に、いきなりこんなこと言われたって、意味わかんねえよな。
……でもさ、真面目な話、俺はけっこうおまえを尊敬してる。楽な環境じゃないのに、良い成績ずっと維持してることとか……》
小鳥は少しだけオーヨに近づいてきた。ギリギリ手が届かないくらいの距離を保って、青白く輝きながら停空飛翔している。
普段の無口なイメージとは裏腹に、そいつは喋るのを止めなかった。
《本当は前から話したかった……でも、ユーリィたちの眼があるから。ほら、俺も地方出身だから立場ってのが弱くて、首都組には逆らえないんだ。
だから、いつも、見てるだけ》
ときどき、……その音は不自然に途切れる。
ぷつ、ぷつ、と、小さな破裂音に何かを隠して。
《ずっと見てたから。一挙一動を観察していれば、いろいろわかる……》
「――ッまさか!」
ようやくセーチャの意図に気が付いたオーヨは急いで振り返ったが――すでに遅かった。
背後に、壁が広がっている。
結界の端から端まで、岩や樹が奇妙に入り混じった不規則な絶壁に視界が遮られて、相手の姿は捉えられない。いつの間にこんなものを作っていた?
だって、オーヨが鳥の話に耳を傾けたのはほんの数秒……いや、もう少し長かったか?
時間の感覚が狂い出している。手許の紋章が消えかけているのに気づき、慌てて唱言詩を口にした。
「――闇夜に踊る無明の者よ。汝の名は遠雷。真なる影は霹靂神の巫女にして、月の音詠う漆黒の翼。
顕現すべし、捏色の蝙蝠ナヤ!」
薄茶色に輝く紋章から小さなコウモリが飛び出す。忙しなく翼をはためかせる彼女は、種族の特性として視力が弱い代わりに、超音波を発して反響定位での状況把握を行った。
人間の耳には聞き取れないその音は、しかし紋章でできた小鳥の姿をわずかに歪ませる。発声器のブレに声も準じた。
《知っ……テる……ザフラネイ、おまえには弱点がある。どんな状況でも、どんな相手でも、他人の話を真面目に聞いてしまう……》
「ナヤ、その鳥を消して!」
『あいよ~』
悔しいがまったくそのとおりだ。罠とわかっていながら耳を傾けてしまった。
それも枕詞に「仲良くなれそう」だの「尊敬してる」だのと甘い調子の言葉を重ねられたことで、ますます聞き流せなくなった。期待したつもりはないにしても、どんな意図でそう言ったか知りたいと思ってしまったのだ。
《あともうひとつ。気が弱くて、自分じゃ他人に攻撃ができない。
つまりそろそろ遣獣を出して反撃す――》
ナヤは雷属性。彼女の放った電撃で簡単に消し飛んだところを見るに、小鳥の耐久性は低い。
《……るころだと思ったから、対策しといた》
途切れたはずの音声が、どこからともなく繋がれる。かすかな、けれど止めどない羽ばたきの音にぞっとして見上げると、頭上にまだ鳥がいた。
それも一羽二羽ではなく、ひと目では把握し切れない数が。
この数をすべて遣獣に任せるのは時間がかかる。自分も攻撃に回るべきか……それとも、鳥の対処はナヤに一任し、自分は隠れているセーチャを探すべきだろうか。
いや、たとえ彼を見つけられてもオーヨひとりでは対抗できない、きっと向こうもすでに遣獣を出している。
何にせよコウモリに指示を出さなくては。
「ナヤ! まだ上に――」
《ところで、……ジェニンカと仲良いよな。彼女をどう思う?》
瞬間、息が、止まった気がした。
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