15_模擬戦開始
ついに試験も最終日。
リェーチカたちは訓練場で一番大きなフロアに集合して、先生から模擬戦のルール説明を受けていた。
まず、もちろん紋唱術を使って戦うこと。それ以外の道具や手段、つまり武器や武術は原則禁止だ。
試合は『手袋を奪う』もしくは『降参する』のどちらかで終了する。あるいは、あまり長引くようなら途中で止めさせることもあります、とのこと。
使う術の指定はなし。ただし、相手に大怪我をさせるような過剰な攻撃は減点になる。
呼び出せる遣獣の数にも制限はないが、予め届け出ておく。登録されていない獣は『その他の道具』扱いでこれも減点の対象だ。
「勝敗は、試験結果とは関係ありません。あくまで評価するのは術の精度、そして何より紋唱術師としての精神性と判断力です」
――日頃から言っていることですが。
紋唱術とは、命を助け世を安らげるために神々より賜った祝福です。ゆえに紋唱術師は常に人々の奉仕者であるもの。
私利私欲に走る者に、神授の叡智を用いる資格はありません。
「本来、紋唱術は戦闘のための技能ではありません。それでも敢えて戦闘の形を取るのは、勝負という場でどれだけ利己心を抑え、かつ冷静な対応ができるかを見るためです。
したがって攻撃系の紋唱術が苦手な人でも合格は充分可能です」
先生の言葉に生徒たちは少しざわついた。
誰かが小声で話している――「え、勝つなってこと?」「そこまでは言ってなくね? ガツガツするのはダメっぽいけど」「よーわからん」――エトセトラ。
リェーチカも少し困惑した。いまいち意図が汲めないが、これではわざと負ける人も出てくるのでは……。
「もう一度言います。勝敗は、試験結果には直接影響しませんが、……勝利は加点二十五点、敗北は零点。意欲のない者は減点二十点とします。
合格ラインは七十五点。
では、――次に対戦する組を発表します」
瞬間、生徒たちのざわつきは爆発的に広がった。先生が一旦言葉を切って「静かに!」と叫ぶほどに。
勝てば大幅得点、わざと負けたりしたら大幅な減点。百点満点だと仮定して、たしかに零点やマイナス二十でもそれ以外で八十点取ればギリギリ合格という理屈だが、無茶だ。
直接関係ないといいつつ、ほとんど勝たなきゃ合格が見えない採点方式ではないか。
急にばくばく痛みだした心臓をぎゅっと押さえて、まるで地獄の裁判官の判定を待つような気分で、自分の対戦者の発表を待つ。
誰と当たっても不安も恐怖も拭えない。
「二組目。オレート・ザフラネイと」
隣でオーヨが肩を強張らせた。
「アスカン・ガリマシュキ」
……誰だっけ。ハーシ人はみんな仲良くなると愛称で呼び合うものだから、有名人でもないかぎり本名を知らないことは少なくない。
しかもたいていの名前は愛称形が複数ある。同じ名前の人がいても呼び分けられるように。
ええと、アスカンの愛称は……アーシュコ、アーシャ、スーコ、スーチャ、セシュコ、……セーチャ。
はっとして白ハーシグループを見ると、ポランカがセーチャに何か話しかけていた。離れていて声は聞こえないけれど、嫌な感じの笑い方をしているし、セーチャも口角をかすかに歪めて頷いている。
震え上がってすぐさまオーヨに向き直ったら、彼は青い顔で俯いていた。
ジェニンカが「嫌な感じね」と囁く。リェーチカも頷く。
よりによってあのグループの人をオーヨに当ててくるなんて……いや、先生たちは嫌がらせの事実を知らないから無理もない。彼らはそういうところがずる賢くて、決して大人の見ている前ではあからさまな手出しをしてこなかった。
続いてジェニンカの発表もあった。相手はユーリィの取り巻きチームでも、昨日訓練場で揉めかけたグループでもない。
時間が経つほどリェーチカの胃がきりきり痛み始める。未発表者が残り少なくなるほど、対戦の組み合わせの傾向がはっきりしていく。
勝負が偏らないように成績が近い者同士で選んでいるのだ。
それにもう名前を呼ばれていないのはわずかで、なんとなく予想がついてくる。ユーリィやマーニャといった成績の良い生徒たちはすでに発表されているが、まだ二人残っている――。
「ペルネスタラ・トーネシュカ。
……十二組目、グルケル・セヴィンシュキとアレクトリア・スロヴィリカ。
――以上。それでは試合に参加する者は前へ。それ以外は結界外側のロープの後ろに移動しなさい」
……最悪だ。
そうっと見てみると、グルケルことギュークがニヤニヤ笑いながらこちらに手を振っていた。
*
「なんていうか、二人とも気をつけてね」
「うん……怪我はさせるなってルールがあるから、あまりひどいことはしてこない、と思いたいけど」
「……ねえジェニンカ、ガリマシュキくんって、どういう人なの?」
一組目の試合が始まっても、とても観戦する気分にはなれない。
リェーチカがセーチャについて尋ねたのは、オーヨのほうが順番が先だからでもあるし、……しばらく自分の試合について考えたくない気持ちからでもあった。あまりにも気が重い。
親友は肩をすくめて「実はあんまりよく知らないのよね」と言った。
「他の連中は中等学校からの腐れ縁だけど、あの人だけ違うのよ」
「どんな遣獣を連れてるとかは……?」
「さあ……そういえば見たことないなあ。今までの実技試験って術の演技だったし、去年はクラスも違ったから。
あ、ぜんぜん役に立てなくてごめんね」
「気にしないで」
オーヨは精一杯微笑もうとしているが、頬が引きつっていた。気持ちは痛いほどわかる。
相手も単独とはいえ、今までジェニンカに守られてきた自分たちがたった一人で、あのグループの人に立ち向かわなければならない。
しかも彼はもともと戦いや争いごとには向かない優しい性格だ。
紋唱術の成否には精神面の影響が出る。なんとか励ましてあげなくてはと思い、リェーチカは彼の肩を優しく叩いた。
「大丈夫だよ、オーヨ、たくさん練習してきたんだから。私もジェニンカも信じてるよ」
「そうそう。せっかくだから思いっきりやっつけちゃうつもりで頑張って!」
「あ、……ありがとう、二人とも」
まだオーヨの声は震えが残っていたけれど、無情にもちょうどそこで試合終了の鐘が響いた。
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