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雪を解いて春を招(よ)べ  作者: 空烏 有架(カラクロ/アリカ)
2時限目 田舎娘は試験で賭ける
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07_特訓の時間です②

 気を取り直し、リェーチカはふたたび手を構えた。

 ジュールの言う新顔とはもちろんユキヒョウのサペシュのことだが……実は、あれから一度も呼び出していない。


 用事がなかったからだ。サペシュには彼の生活があるし、何より紋章を通して違う場所に来させるのは、獣にとっては負担になるらしい。

 そうした理由から、ユーニのように呼び出しに相応の理由を求める遣獣もいる。

 それにサペシュは人間慣れしていないうえ大型動物だから、いきなり街中に出現させたりするのは、彼にとっても近隣住民にとっても迷惑になりうる。


 正直不安だった。全然練習してないから、うまく呼び出せないかもしれない。

 でも……サペシュのような強い獣が味方してくれたら心強いし、試験にも希望が持てる。

 模擬戦はあくまで動きを見られるもので、必ずしも負けたら落第というわけではないが、やはり試合に勝ったほうが得点も高いのではないだろうか。


 ドキドキしながらノートを開き、メモしておいた紋章を見ながら描く。

 構成する図形が少し特殊だ。一応習ってはいたが実際に使うことは少ない、珍しい模様。


「――静寂(しじま)(まつ)ろわぬ無彩(いろな)き者よ……汝の名は残響。真なる影は遠鳴(とおなり)の精霊にして、黄昏を征く(いくさ)喇叭(らっぱ)

 顕現すべし、雪銀(ゆきしらかね)の豹サペシュ……」


 招言詩に呼応した紋章が、陽射しを浴びた雪原のように青白く輝く。

 息の音すら聞こえそうに張り詰めた空気の中、その場の全員が食い入るように見守った。

 そして――。


 ……ただ時が過ぎて、結局何も起こらないまま光は絶えた。


 あぁぁ。思わず崩れ落ちそうになったけれど、リェーチカはなんとか膝に力を入れて踏みとどまる。

 まだ特訓は始まったばかり。こんな序盤で挫けるわけにはいかない。


「れ……練習あるのみ! できるようになるまでやれってお兄ちゃんたちも言ってた!」

「そ、そうよ、その意気よリェーチカ! さっオーヨ、こういうのって雰囲気も大事だから、わたしたちも一緒にがんばりましょ!」

「う……うん!」


 ジェニンカが乗ってくれたおかげで、逆になんか盛り上がった。三人は教科書を開き、それぞれ庭の隅に立って向かい合うと、すうっと大きく息を吸う。

 基本その一。招言詩を唱えるときは腹から、しっかりはっきり発声すること。


 まずはオーヨの描いた紋章が薄紫色に輝き、小さなコウモリがまろび出る。遣獣の召喚に成功したら、次は試験範囲に照らし合わせて『確実に使える術』から身に着けていく。

 どんなにすごい作戦を立てても、実行できなくちゃ意味がない。

 それに三年次の中間考査となれば選択肢はかなり多い。着実さを求めてあまり簡単な術ばかりで構成していては、あまり良い成績は取れないだろう。


 基本その二。紋章は焦らず丁寧に描く。円の破綻や図形の崩れは不発の原因になりやすい。

 簡単な図形で構成されたもののほうが早く確実に描ける。そのぶん、術そのものの難易度も下がることが多いけれど。


「あらまぁ……張り切ってるのはいいけど、お庭は大丈夫かしら」


 お茶とお菓子を持ってきてくれた女中(メイド)さんが、紋唱光の飛び交う光景を見てやや呆れたようすでぼやいている。普通、紋唱術の練習場には術が外に漏れないように結界を張っておくものなのだが、ここはただの庭なのでそんなものはない。

 もちろん結界の術も習っているので、一応先にオーヨが設置してくれている。問題はそれがどれくらい機能するかだ。


「――雪銀の豹、サペシュ!」


 リェーチカは何度も紋唱をやり直していた。つど紋章を描き直し、詩の発音が間違っていないかも確認して、深呼吸して息を整えながら。

 その間、暇していたユーニは他のみんなの相手をしている。小さな身体で庭をすばしこく走り回り、ジュールの尻尾を焼いたり、オーヨを転ばせたりしていた。元気なものだ。


(ごめんねユーニ、情けない『友』で)


 紋唱術にも流派があり、リェーチカたちハーシ人の多くが用いる北西(ハーシャ・ヴレネン)式においては、紋唱術師と遣獣の関係をそう呼ぶ。人も獣の一種であるという考えで、原則として両者の関係は対等だ。

 遣獣と親しくなれば長い唱言詩を省略できるが、北西式だと『我が友は“何々”する』という形式になる。ユーニならさしずめ『我が友は熱闘する』だろうか。


 彼女だって、本当にリェーチカに見込みがないと思ったら契約には応じなかったはず。

 現状その期待や信頼を裏切り続けている。もっと成長しなければ、ユーニを彼女が望むような血沸き肉躍る戦いの場に連れて行ってあげられない。

 何が切ないってユーニが一度も責めてこないことだ。なんだかんだ思い遣りのあるリスなのだ。そんな彼女の優しさに甘えてしまっているのが、情けなくって歯がゆい。


「……サペシュ!」


 もう何度目だろう。途中から数えるのも止めていたが、長い詩文を大声で唱えすぎて少し喉が痛くなってきたころ、やっと変化が起きた。

 紋章の輝きが増して、そこから見覚えのある前脚がひょこりと出たのだ。


 脚は困惑気味に少し空を掻いてから、続いて鼻面も覗き、今度はくんくん匂いを嗅いだ。それからのそのそと這い出るようにして、ようやく全身が姿を現す。

 ユキヒョウは見慣れない景色をおろおろ眺めたあと、リェーチカに歩み寄ってそのまま彼女の背後に身を置いた。


「えっと、久しぶりだね、サペシュ」

『……ああ。その、……ここはどこだ? ちょっと騒がしいところだな。それに焦げ臭い』

「あ~、あはは、それはええと……まず紹介しなきゃね。ユーニ!」


 名前を呼ばれたリスは振り向いて、ユキヒョウの姿をじっと見つめた。

 何しろサペシュを召喚したのは今日が初めてだから、もちろんこの二匹も初対面だ。遣獣仲間として仲良くしてくれるといいのだけれど。


『そいつがウチの新人かい。名前は?』

『……サペシュ』

『よし、それじゃさっそく()()()といこうじゃないか』


 彼女はちょこちょこ歩いてきて、挑発的にサペシュを指差した。


『かかってきな。アンタの力、このユーニに見せてごらん!』



 →

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