休日の過ごし方と牛丼屋
土曜日。
昨日の予定通り、近所のドラッグストアで酔い止めを買った俺は、そのまま適当な店でお昼ご飯をとることにした。といっても、洒落た店など一軒も知らないので、適当に牛丼屋での淋しいお昼になるのだが。
「次の給料日まで……、あと五万……」
あの夜、社長からもらった餞別は既に半分。給料日まではあと二週間。
「っらしゃいませー、空いてるお席どーぞー」
マニュアル通りの接客に導かれるまま、適当なカウンター席へ座る。さすがに一人で来ているというのに、テーブル席を独占する勇気はどこにもなかった。
「はいっ、ごちゅーもんはー?」
ごとっと水の入ったコップを置かれ、少しいかついおじさんが伝票片手に聞いてくる。
「あ、えっと、牛丼と卵ください」
「へい! 今ならサラダと豚汁のセットもあるよ」
「じゃ、じゃあ、それもください」
「まいどー」
それほど時間もかからずしてサラダと豚汁、少し遅れて牛丼と卵がお盆に乗って運ばれてきた。伝票をそっと置かれるのを見てから、俺は小さく「いただきます」と手を合わせた。
まだお昼時には少し早いためか、俺以外にそれほど客はいない。カウンターに座る客もまばらだ。
だからこそ、いやそうでなくとも、俺は隣に座ってきた自販機に驚いた。
「や、赤川くん」
「しゃ、社長? いや、それ脱ぎましょうよ」
「赤川くん……、セクハラになっちゃうけどいいの?」
セクハラ? セクハラってなんだ? セクシュアルハラスメントの略、そんなもん知ってるわ。今社長、セクハラって言ったんだよな? ということは、これは服なのか? それとも中身は真っ裸なのか?
混乱する俺を横目に、さっきのいかついおじさんが「お、社長さん」と慣れた様子で水を置いた。
「牛すき鍋膳ひとつ、頼むよ」
「ははっ。いいかげん、いつものやつって言えやいいのによぅ」
「それはよろしくないからね。ちゃんと伝えないと伝わらないから」
「ちげぇねぇ。じゃ、待ってな」
おじさんは歯を見せて笑うと、厨房へと消えていった。
「さて赤川くん」
「は、はい」
牛丼に卵を割り入れただけの状態で、俺はそれ以上食べ進めることも出来ず、割り箸をお盆の隅に置いてから社長のほうへ顔を向けた。
「最近どう? 身体大丈夫?」
「いえ全然。まぁ、幸いなのは、あれから熱射団が来てないことくらいすかね」
「素直でいいね。でも勘違いしちゃいけないのは、別に熱射団が来てないわけじゃあないんだよ」
社長が「食べて食べて」と勧めてくれたので「ども」と小さく呟いてから割り箸をパキンと割る。卵を混ぜてから牛丼の上にぶっかけた。
「最初言ったでしょ? 君以外にもドリンキングはいるって。交代制、というわけではないけれど、君が操作に慣れるまでは彼らに頑張ってもらってるんだよ」
「ほへ」
「だから赤川くんも、早く操作を覚えて頑張ろうね」
「はぁ……」
適当に頷きながら牛丼をかきこんでいく。正直、その彼らでこと済んでるなら俺はいらないんじゃないだろうか。そう思いながら豚汁をずずずとすする。
「あっつ」
「ははは。お、きたきた」
笑い声に連動させてパネルを点灯させた社長が、自販機の側面からU字型の手をにょっきりと出してくる。器用に割り箸をひとつ取ると、慣れた様子でふたつに割った。
「へい、お待ち」
「ありがとう。いやぁ、やっぱり牛すき鍋膳がいいねぇ」
そう言うと、社長は商品取り出し口にうどんや肉を入れていく。精密機械にそんなことをしても大丈夫かと思ったが、よく考えれば普通の自販機ではないのだ。丈夫なのかもしれない。
「では社長、俺はこれで」
「うん、また会社でね。あ、伝票ちょうだい。払っておくよ」
「え、あ、その、じゃ、じゃあ、お願いします」
「はいはーい」
折角払うと言ってくれたのだ。少し申し訳ない気もしたが、そこは好意に甘えることにした。
若干混んできた店内を改めて見回すが、社長、もとい自販機がいることを気に留める客は誰ひとりとしていない。この辺りでは案外見慣れているのかもしれないな、なんて思いながら外へ出た時、ズボンに突っ込んでいたスマフォが震えた。
画面には“華さん”とある。俺は若干緊張しながらも、画面をスワイプした。
「は、はい」
『私です。赤川さん、今どこにいますか?』
「今はあの、牛丼屋に……」
『熱射団が現れました。本日、皆さん出払っておりまして、誠に遺憾ではありますが、赤川さんしか出れる人がいません』
「遺憾呼ばわりされるなら出なくても……」
『借金』
「あ、はい、出ます。出動します」
悪魔の単語だと思う。その一言でこんなにも簡単に人を動かしてしまうのだから。
俺が暗い気分なのを知ってか知らずか。いや、華さん的にはどちらでもいいんだろうけど『では』と淡々と話を続けている。
『社員証を持っていますね?』
「も、持ってません、けど」
『ではそれを掲げて……って、今なんて言いました?』
「休みなんで、持ってない、です」
『……はぁ』
呆れたような、怒ったような華さんのため息。俺は反射で「すすすすみません!」と半ば叫ぶようにして謝った。
『なら今すぐ、会社に来てください。そこからなら走れば五分で着くでしょう』
「五分!? せめてもうちょっと」
『準備してますので、急いでくださいね』
ブツッ。
……立ち尽くしていても仕方ない。応答のなくなったスマフォを握りしめて、俺は半泣きで走り出した。食べ終わったばかりの牛丼がせり上がってくる気がした。