就職、してみない?
街頭だけが照らす真夜中の公園。キィキィと鳴る音は、俺が漕ぐブランコのもの。たまに混ざるため息も、俺のもの。傍らに放り出すように置いてあるバッグもそう。
「はぁ……、これからどうしよ……」
赤川シュン、二十五歳、独身。身長は一七〇センチくらい、短い赤髪に黒目、それが俺。
大学を卒業して中小企業に就職したはいいものの、昨今の不景気の波に呑まれ、淋しい独り身で、しかもまだ若い俺は、率先して会社をクビにされた。
し、か、も。大学時代から付き合っていた彼女には浮気されるし、連帯保証人になってほしいと頼んできた友人は消えるし、さらには、住んでいたアパートを取り壊すとかで追い出されるしで、本当にツイてない。
「とりあえずあれかなぁ、ネカフェ難民しながら就職先探して……」
ここまできたら田舎の実家に帰れと思うかもしれないが、借金の額も額だし、何より親に心配をかけたくなかった。
「つか浮気相手あいつだったのかよぉ。ぢぐじょう……。借金した金で行く海外旅行は楽しいかよ! へっくち!」
ちなみに海外旅行に行ったかは知らん。俺の勝手な妄想だ。でもあんだけ金あったら海外旅行、いや海外逃亡も出来そうだな。
「……喉乾いたなぁ」
辺りを見回せば、隅のほうに淡い光を放っている赤い自動販売機が見えた。バッグを小脇に抱え、力なくトボトボと歩いていく。そうして自販機の前で、改めて財布の中身を確認し。
「あれ……。ない……」
お札の一枚すらない。
小銭もない。
カードは元からない。怖くてこの年になっても持ってなかったのが幸いした。
何枚かのポイントカードと、ピンク色のいかがわしいメンバーズカードが一枚あるだけだ。
「嘘だろ……」
季節はまだ梅雨入り前。それほど暑くないとはいえ、水分を取らないのは危険だ。
だけどさっきも言った通り金がない。俺は辺りを見回して、公園に設置されてある水道水で喉を潤そうと考え――
「お兄さん、親友と恋人に裏切られて、その上借金まで背負わされたん?」
「ぅえ!?」
渋いおっさんの声に俺は飛び上がる。どこから声がしたのかと首を右に左に振る、が人影はおろか犬も猫もいない。霊感は元からなかったから、幽霊ではない、と思う。
「き、気のせいかな……」
財布を開けたまま、しかも腰が引けたカッコ悪い状態で、俺はまた自販機に向き直った。
「あんな大きな声で言ってたら、そりゃ聞くなってほうが難しいよ!」
「ぎゃあああ! やっぱり喋ってる! どういう仕組みになってんの!?」
「お兄さん可笑しなこと言うねぇ。今どきの自販機、みんな話してるでしょうに」
「そうだけど! そうなんだけどさ! 今どきの自販機は対話も出来るの!?」
自分でも何を言っているかわかっていないが、これだけははっきりしている。この自販機、俺に対して会話している。取り出し口をパカパカと動かしながら。
「お兄さん、ちっちゃいねぇ。そんなんだから彼女に捨てられて、都合よく使われたんじゃないの?」
「そこまで言わなくても……」
と言いかけて、確かに、とも思った。
俺はどちらかといえば気が小さいし、言いたいことは半分も言えないし、どれがいい? と聞かれても、うん、なんて気の利いた言葉すら言えないし。
「ま、ほら、これでも飲んで元気出せや」
ガコン、と音がして取り出し口に缶コーヒーが転がっていた。なかなか取ろうとしない俺を見かねてか、自販機の側面からにゅっとロボみたいなU字型の手が出てきて「はい」と缶コーヒーを突き出してきた。
「ど、どうも……」
ビクビクしながら缶コーヒーを受け取り、改めて自販機をよく見てみる。
赤色のフォルム。側面には“Cocu Coola”と印字されている。白く光る蛍光パネルには“つめた〜い”と“あったか〜い”と書かれたボタン。もちろん炭酸飲料からお茶、コーヒーまで勢揃いだ。
「それでお兄さん、仕事クビになったんだって?」
「ま、まぁ……」
「借金どうするつもり」
「そ、それは、えと、働いて……」
「住所もないのに?」
「……」
そう言われて押し黙るしかなかった。
「お兄さん」
「……はい」
「身を粉にして働く気はある?」
「も、もちろんです!」
俺はすがるように自販機に一歩踏み出した。反動で手からするりと缶コーヒーが落ちた。
「なら、明日十時にまたここにおいで」
「明日って……。でも俺、宿代も飯代もなくて」
「うん? じゃあ、これ餞別」
ウイーンとお札を入れる場所から、万札が一枚出てきた。
「え? え?」
「ほらほら、取って取って」
「あ、あぁ、はい」
言われるままに万札を取る。すると続けてもう一枚万札が出てきた。それを繰り返し、手元に万札が十枚握りしめられる。
「これで足りる?」
「いや、あの、は、はい……」
ネコババするとは考えないのだろうか。十枚の万札を財布にそそくさと入れながら考える。すると自販機が笑い声を上げて灯りを点滅させた。
「はっはっはっ、お兄さんは思ってることが顔に出ちゃうんだね。ま、そのお金をどうするかは自分で決めればいいさ。それじゃあね、おやすみ、お兄さん」
「は、はぁ……」
そう言ってU字型の手で頭を撫でられた。その感覚に居心地の悪さを覚えた俺は、カバンを抱きかかえ、変な喋る自販機から逃げるようにしてその場を去った。