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廻る縁の妖剣士  作者: 井田 いづ
肆話 覚悟と願い
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(壱)のしかかる重み

 いつの間にか辺りは明るくなっていた。

 ユキとおえんは川にかかる橋の下で夜を明かした。夜が過ぎ、朝が過ぎ、通りに人が増えても誰にも見つからなかったのは興長の術か、アンドレの香の効果か、或いはおえんのおかげか。なんにせよ、橋の下で俯いて時間の過ぎるままにしていたユキは、明るくなった頃におえんに引っ張られるようにして通りに戻った。

 髪色はとうに黒に戻っていて、血糊はおえんが隠してくれたし、顔を隠す為に使っていた布類は取り払っている。

 通りに出ても、誰もユキを注視はしない。

 しないはずだ。

 悪い夢でも見ているようだった。手の内に残る感触が気持ち悪くて、何度も服の裾で掌を擦っていた。


(なにが、悪人なら斬れると思います、だ)


 興長の忠告を思い出す。

 甘かった。こうもあっけなく人を斬る事態に陥り、気も心も堕ちる。すべてユキが油断したからだ。どうすべきかわからずに、咄嗟に斬ってしまったのだ。

 何が起こっても、あれくらいの技量の相手ならばなんとかなるだろうと油断していた。


 おえんは何も言わなかった。ユキに身体を返して、彼が地面を見つめながらぼんやりと考えるのに委ねている間も、今歩いている時もおえんは静かに側を浮いているだけだ。

 時折首を傾げてユキを見てくるが、ひとりで考える時間はたくさんくれているつもりらしい。ユキはありがたくそれに甘えて、何度も反芻しては後悔に身を震わせた。


 人の目がこちらに向いている錯覚に襲われて、すぐに気のせいだと分かっても、どうにも落ち着かない。

 だから必死に重たい足を動かすことに注力した。

 一歩、もう一歩、それが重い。ひどく遠い。



「おーい、大変だ大変だッ!」


 あと少しで宿に着く──そんなところで、にわかに町が騒がしくなった。「速報、速報!」と叫ぶ男が走り抜けていく。「なんだなんだ」と人が集まる。ユキも意識だけそちらに向けた。


「櫻葉様が!」


聞こえた声に、ひゅっと息を飲み込んだ。生きた心地がしなかった。吐き気がぶり返すのを抑えて、どうにかざわめきに耳をすませる。


「櫻葉の旦那が亡くなった?」

「病気だって?」

「昨晩のうちに亡くなられたのを、下男が見つけたらしく」

「あらまあ、怖い怖い、お金持ちでも病気に罹っては御仕舞いよ」

「まさか伝染病か? いや、そんな話は……」

「持病じゃないのか」

「御当主さまが亡くなったとなれば櫻葉屋さんはどうなるの」

「それはきっとお内儀さまが……」

「しかし昨日お見かけしたときはお元気だったぞ」

「急な病もあるだろう」

「一体……」


突然のことにざわめきが広がっていく。

 憶測がさも真実かのように広がる。

 明らかな嘘が人々の認識を浸していく。

 町を牛耳っていた商人の訃報に、動揺が伝播する。可哀想だと同情する声もある。悲しみに暮れた声も聞こえる。興味を抑えきれない浮き立つ声もある。嘘だと(なじ)る声もする。いい気味だとぼそりと呟いた声も聞こえた気がする。

 思わず耳を塞いでいた。

 ユキは息が止まるような思いだった。


(病気? そんな、違う、何かの理由で、死んだ理由を隠しているだけだ)

(なんで、そんな話に?)

(病気なら、きっと、俺が斬ったのが、原因で……)

(この手に肉を断った感触は残ってて)


 櫻葉カズマは死んだ。

 ユキはこみあげてくる吐き気をどうにか堪えて、覚束ない足取りで近くの木に身を預けた。肩で息を繰り返す。目がチカチカして、酸っぱくて熱いものが再度こみあげた。


 ひとごろし。


 父が謗られたその言葉が、己に深く突き刺さる。

 櫻葉は間違いなく悪人ではあったのだろう。アンドレにとって、あの晩助けた子供にとって、そしてユキにとっては間違いなく悪人だった。けれども、己の復讐とは全く関係のない人を、ユキは手にかけたのだ。たとえ偶発的な事故だとしてもそれは変わらない。

 おえんが心配そうに覗き込んでくる。


「おい、ユキ。おかしくないか?」

「おえん────」

「おまえはさ、よく斬った方だとは思うケド、あれで死ぬにゃそれはながーく苦しむモンだろ。……ナ、おかしくないか? 話を聞いてりゃ、ついさっき死んだって雰囲気じゃない。……おまえが気にするのも仕方ねーケドヨ、こいつは気にかける問題じゃないンじゃねェと思うぞ」


 おえんは腕を組んだ。ユキのせいではない、と言うのは、情けからか。ユキは違う、と頭を振った。


「おまえはやるべきことをやっただけじゃんかヨ」

「……やらなくてもよかった、と思うんだ」

「少なくてもお前はあのガキを救ったンだ。救おうとしたから、おまえは動いたンだろ?」

「うん」

「あの場面に堕ちたからにはおまえが斬らなきゃいけなかったンだろーよ」


 目元を強く擦った。深呼吸を繰り返す。堪えていたものが溢れそうだった。

 ユキはなんとか震える足に力を込めた。

 

「ユキ、帰ろうぜ。独り言ばっかしててもしょーもないだろ? モンモンに会いに戻ろう、アイツならなんか知ってるだろ」


そうだ、と頷く。興長ならば、斬り殺された人が病死になっているこの現状に理由を見つけてくれるかも知れない。ユキに答えを与えてくれるかも、という期待もあった。

 おえんはユキを気遣う素振りを見せながら、そっと囁いた。


「ユキ、おまえは善いことをしたンだぜ? おまえは善人だ。なんてったって知らん奴を助けるために悪人を懲らしめて、その為に心を痛めてやってンだモン」


 ユキは空返事を返しながら、なんとか重たい足を無理矢理に動かして宿に向かった。興長のくれた護符のおかげだろうか、誰にも気がつかれず、宿に入るとそのまま二階に向かう。


(人を殺す人が、善人であるものか)


 人を斬ることを善とするな、命を斬る行為に呑み込まれてはいけない、とユキは必死に己を戒めた。そもそも己の力は妖刀と興長の妖術に支えられたものでしかない。


(自分の選んだ結果から目を逸らすな、生天目ユキノスケ)


 ユキは自分に言い聞かせる。「おまえは悪くない、命を斬ったのは善いことだ」と甘く囁いてくれるおえんの声に、呑み込まれてしまえば楽なのに。それはユキの目指した剣士から一番遠い姿だった。



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